毎週末にアップさせて頂いている、息子が大事故に遭い、生死の境を彷徨った時のブログの続きですが、
娘夫婦にbabyが生まれ忙しく、私の体調が悪かったのもあり、書くのに1時間以上エネルギーを使う息子の事故のブログを暫くアップ出来ないでいました
早速、㉔前回の続きからです…
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
↓↓↓
まだ以前のように走ったり、両手で細かい作業を出来るようにはなっていないものの、
車もまた運転出来るようになった息子
事故直後の生死を彷徨う状態、長い間、植物状態だったことを考えれば、私と会話し車を運転出来るようになっただけで、私には奇跡的な回復でした
リハビリは地味なことの繰り返しです
洗濯物をたたむ、庭の芝を刈るといった日常生活も、リハビリを兼ねて息子の仕事になりました
また、この頃には毎日一時間必ず私とトレーニングジムに行き色々なマシンを使ったトレーニングをするようになりました
最初はウォーキングマシンしか危なくて出来なかったのですが、筋肉が少しずつついてくると他のマシンを使ったトレーニング、ベンチプレスなども出来るようになっていきました
文章だと2〜3週間で進歩があったと思われるかもしれませんが、数ヶ月から半年の話しです
その間、ひたすら毎日、地味なリハビリの繰り返しです
リハビリの先生が来ない時間に、私とパソコンで高次機能障害からくる脳のダメージを補う訓練、ジム通い、家事の手伝いなどを毎日毎日、来る日も来る日もやり続けました
姉・弟、小さい時から本当にずっと仲が良かったのですが、
事故で更に絆が深まったように思います…
どうしても通っていた大学に戻りたかった息子、
出来るならあれだけ大変な思いを何年もして、入りたかった大学に入った息子を復学させたかった母親の私の思いだけで続けられたリハビリだったと思います
そして、待ちに待った大学に戻る日がやってきました
ただしこの時点ではまだ息子は、全力で走ることも出来ず、ものが二重に見えてしまうダブルビジョンの後遺症も残っていました
先ずは、我が家から飛行機で6時間の大学に戻り、あちらでダブルビジョンの手術を受けることになりました
手術後は、全寮制の大学での日常生活のルーティンを思い出し再び慣れるための練習を始めることになりました
これは、大学の全面協力が無ければ出来なかったことなので、事故直後の大学の対応といい、色々な点で最大の力を貸してくださった当時の息子の大学、アメリカ政府には本当に感謝しています
この頃から、息子には24時間の監視がつくようになりました
大学に戻って、最初に出会うのは懐かしい同級生たち
彼等は、健康で授業に参加し、息子が生死の境を彷徨っていた間、成長し立派になっています
まだまだ完治していない息子が、そんな同級生たちに出会うことで、自分と比べて鬱状態になったり、落ち込んだりして深夜などに自殺したらいけないから…
という理由から、監視がついたのです
それを知った私は、安心とは当然思えず、
大学に戻っても現実をつきつけられ、落ち込んでいるかもしれないであろう息子の気持ちを考え、改めて悲しい気持ちになったことを覚えています
大学に戻れたことは、安心ではなく
新たな試練の始まりであり、現実を受け入れるための通過点であったことを
この後、息子や私は知ることになりました
to be continue …
それでは皆さま、Have a nice Sunday