毎週末にアップさせて頂いている息子の大事故のブログの続きです 
 
いつも沢山の方々に読んで頂いており、感謝しています
 
私は元夫と息子の2人が、生死を彷徨う大事故に遭いました
 
1度ならず、2度も
私にとってはこの2回の大事故は、非常に辛く悲しい出来事で、それにより家族皆んなの人生も変わってしまった事から、長年人には言えない苦しい出来事でしたが、
 
生死を考える日々や、長い間の看病生活など、その時の経験から沢山の事も学びました
 
最近になって、あるきっかけからブログに書きはじめた事で、お世話になった方々への思い、普通に過ごせる日々への感謝などを感じています
 
人生、非常に辛い事があるともう一生、笑える日は来ないのではないか、と考えてしまいますが、
 
また笑顔になれる日もやって来るのだと学んだ出来事でもあります…
 
 
さて、前置きが長くなりました…
過去のブログは下記から…
 
①  こちら
②  こちら
③  こちら
④  こちら
④ の続き…  こちら
(何故、息子の大事故の事をブログに書いたか)
⑤  こちら
⑤ の続き… こちら
⑥  こちら
⑦  こちら
⑧  こちら
⑨  こちら
⑩  こちら
⑪  こちら
⑫  こちら
⑬  こちら
⑭  こちら
⑮  こちら
⑯  こちら
⑰  こちら
⑱  こちら
 
⑱の続きからです
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息子とステフィーの対面は、最初の再会からも何度か計画をして会わせました
 
ステフィーも息子も、会うたびにとても喜んでいました
 
脳挫傷からくる影響で、左手を思うように動かす事が出来なくなっている息子でしたが、
 
ステフィーを撫でる事でリハビリにもなっていたと思います
 
まだ自分で立つ事も、ナイフとフォークを使って食べることも出来ない息子でしたが、
 
もう一つ、リハビリになったことがありました
 
それは上手く動かない指を使ってパソコンをすることでした
 
 
不思議なもので、記憶がなくなり色々な事を忘れてしまっても、パソコンの使い方は覚えているんですよね
 
どうして覚えていたのかというと、きっとパソコンも大学から支給されたもので、事故に遭うまえに大学の連絡事項、宿題など全てをパソコンを通してやり取りしていた為だと思います
 
そして、息子の頭の中で 
 
留年は許されない大学にいて
 
大学からこれだけ離れて、ずっと授業にも出ていない自分は、果たして復学出来るのか
 
退学になるのではないかという恐怖心があったのだと思います
 
ミドルスクールの時からずっと入りたくて入りたくて、夢みていた大学です
 
ハイスクール時代は、勉強だけでなく入学条件のボランティアやスポーツとありとあらゆることをしてきた息子です
 
大学を退学になったら、受験のために捧げてきた6年間が水の泡、
 
いや、将来の夢が消えてしまうと傷だらけの身体で思ったからこそのパソコンだったのだと思います
 
案の定、息子はパソコンで
 
ゲームをするわけでもく、楽しそうなホームページを見る訳でもなく、
 
大学の宿題や、教授からのメッセージなど大学に関係のある情報だけをずっと見ていました
 
そんな息子の姿を毎日見ていた私は、
何でこの子は何も悪い事はしていないのに、こんな姿で病室にいるんだろう
 
私が変わってあげたい、早く大学に戻してあげたい…
 
と、いつも思っていたことを覚えています
 
 
 
 
to be continue …
Have a nice day