毎週末にアップさせて頂いている
息子の大事故
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⑮の続きからです
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事故から約2ヶ月経ったこの頃になって事故後、初めての嬉しい事がありました
シャンプーをしてもらえたのです
それまでは、ドライシャンプーのみ
やっぱり、髪を濡らしてしっかり流して貰う方がサッパリするに決まっています
息子も心なしか嬉しそうな表情をしています
髭剃りだけは、定期的にして頂いていましたが、ナースの皆さんが病室に入ってくると、本当に皆さん明るく優しくて、私たち家族はたわいも無い会話から、精神的にいつも支えて貰っていたように思います
息子は脳挫傷で、高次機能障害になりました
まだやっと一人で食事が食べられるようになっただけ、それも脳を打った事により、上手く手を動かす事はできず、サンドイッチなどのような、フォークやスプーンを使わかなくても食べられるものしかこの頃は一人で食べることが出来ませんでした
一人では立つ事すら出来ない息子、これからは落ちてしまった筋肉を取り戻す為にも、歩く練習や小さなものを掴むリハビリなど、
少しずつリハビリをしていくことになりました
息子は事故当時、大学生
それもスカラーシップを頂けたため、アメリカ政府から授業料、寮費、食費や生活に関わるものも含め、全額出して頂いて大学に通っていました
そんな事もあり、通っていた大学は
留年が許されるような大学ではなかったのです
中学生の時から就きたい職業が決まっていて、夢があり、この大学に入るためにハイスクールの時は
ボランティア、部活、勉強、スポーツ
と全ての時間を費やしてきました(アメリカの大学入試では勉強だけではなく、ボランティア活動やスポーツでの活躍など全てを見られるため)
大学の合格通知には、1年間の大学指定の全寮制のプレップスクールを経た後に入学して良いとあり、
息子はハイスクールを卒業してから1年間、全寮制のプレップスクールで学び、やっと夢を叶え入学した大学でした
中学2年間、高校4年間、プレップスクール1年
計、7年間も費やしてやっと夢が叶って入学した大学
もしかしたらこの事故のせいで辞めなくてはいけなくなってしまうのではないかと、頭をよぎり始めたのがこの頃でした
きっと元夫も同じことを考えていたと思います
でも、私たちはそれを考えると怖くて口に出して話すことが出来ず、ただ毎日病室に寝泊まりし息子を支えることしか出来ませんでした
to be continue …
Have a nice weekend