たまにアップさせて頂いている、息子が大事故に遭った時の事を書かせて頂いているブログの続きです
 
過去の①〜⑧のブログに、
何故、ブログに息子が大事故に遭った時の事を書き始めたのかを含め、事故に遭ったときからの経緯を順番に書かせて頂いておりますので、前回⑧の続きから早速、書かせて頂きます
 
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気管切開された息子を直視するのは、本当に辛いものでしたガーン
 
もう一生、意識が戻らない植物状態になってしまったんだと、現実を突きつけられたような気持ちになったからです
 
でも親が諦めてしまったら
一番可愛そうなのは息子です、
 
気をとりなおして毎日息子の身体に触りながら話しかけ続けました
 
 
 
気管切開をしてからも毎日、毎日沢山の息子のお友達が病院に来てくれました
 
ナースから、意識がなくても潜在意識では聞こえているという事もあるので、大きな声で話しかけてと言われていました
 
息子のお友達たちは、息子が好きだった曲を大音量で流してくれたり、
 
まるで息子の意識があるみたいに、いつも普通に話しかけてくれました
 
元夫が日本で大事故に遭ったときは、ICUが個室ではないことも、家族以外が入れないこともあり、大音量で音楽を聴いたり、大きな声で話しかけるなんて絶対にできない環境でしたので、この点も日本とアメリカの病院の大きな違いだと感じました
 
 
息子のお友達や先生以外にもたくさんの人たちが助けてくれました
 
アメリカの我が家の近所はビックリするほど仲が良くて一緒に出かけたり、集まってバーベキューパーティーをするような仲でした
 
私達がいつも病院にいて家の事が出来なくなってしまった為、そんな近所の人達が
 
庭の雑草を抜いてくれたり、家の植木に水をあげてくれたり、ステフィーあしあとに餌をやったり散歩をしてくれたりと、本当に色々と手助けをしてくれました
 
日本からも私の友人が、色々なものを送ってきてくれました
 
千羽鶴の折り紙はアメリカでは簡単に手に入らない為、折り紙も大量に日本から送ってくれたし、和菓子や寄せ書きなど、心温まる日本からのお見舞いにはとても励まされました
 
何より、私達家族は誰にも息子の大事故のことは言わなかったのに、ネイトがFBに息子の大事故を書き、皆んなで助けよう、支えよう
 
と書いてくれた事から、あっという間にどんどん広がって、これだけ沢山の人達が関わり、手助けしてくれて、支えてくれているということが、何より有り難く、私達家族の気持ちを奮い立たせてくれました
 
事故から1ヶ月も経つと、私達家族も流石に連日、ICUの椅子や床に寝ては順番に自宅に帰り、着替えてまた病院に戻る日々に疲れ、
 
そんな時に限って車のバッテリーが上がってしまったり、ガレージの自動ドアが開かなくなってしまったりと息子の大事故以外のトラブルが発生
 
そういう困ったことも、周りの人達が皆んなで手伝い解決してくれました
 
 
そんなある日、息子の手が少しだけ動いたのです
 
手が少し動いただけでは意識が戻る兆候とは言えないとは知っていましたが、私には以前と動き方が違うように感じました
 
最初は1日に1回くらい動くだけだったのが、段々と回数も増えて、動きも少し大きくなっていきました
 
元夫が意識が戻っていく時と同じようだと思いました
 
私はもうすぐ、絶対に意識が戻る
 
と、確信しました
 
息子が意識が戻ったとき、私がスッピンで髪を振り乱していたら、私とわからないかもしれない
ママは髪をカールしてお化粧している方がいいよ
 
と、事故に遭う前は言ってくれていた息子です
(アメリカ人ですから、母親にもこれくらいのことは言うのです
 
だから私はいつ息子の意識が戻っても、すぐに私だとわかるように
 
事故に遭う前と同じように毎日お化粧をして、髪もキレイにカールしてICUの病室にいました
 
手がたまに動くようになってからは
 
ママもパパもここにいるよ、起きて
 
と、名前を呼びながら何度も話しかけ続けました・・・
 
意識が戻ったときに、直ぐに私だとわかって欲しかったのです、私だとわかったらそれは頭を使うこと、考える事だから、脳挫傷になった息子の回復への第一歩にもなること…
 
なんの因果か、元夫の大事故、彼の脳挫傷の看病で、私は知らないうちに沢山の事を学んでいたようで、息子の大事故ではその時の経験を知らず知らずのうちに活かしていたようです
 
ある友人が、お見舞いに来てお化粧をして髪をカールしていた私に、
 
ビックリした~泣き腫らしてすっぴんでいるかと思ったのに、いつもと変わらないなんて・・・
私なら何もできないでアタフタしちゃう・・・
と言いました
 
私からしたら、母親が泣いててどうするの?
という感じでした
母親が信じてそばにいて、一番頑張って看病をして、治すためには何ができるかベストを尽くさないで何が母親?
という思いでした
 
泣いて取り乱して、すっぴんでいても意識は戻らいのです、
少しでも意識が戻ったときに、息子のためになるように・・・
と、思ったら、いつもと同じようにお化粧をして、髪をカールする・・・
私には、当然の行為でした・・・
 
 
 
to be continue …
 
Have a good Sunday