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(何故、息子の大事故の事をブログに書いたか)
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⑩の続きからです
 
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赤ちゃんになってしまった息子
 
一番慌てたのは元夫でした
 
彼は、息子はずっとこのままだと思ってしまったのです
 
このままかもしれないけれど、回復の見込みがあるなら、きっと赤ちゃん幼稚園児小学生中学生
と短期間で成長していく(思い出していく)から大丈夫よ
 
と、説明しました
 
現に息子は泣き方まで赤ちゃん状態
 
気管切開をしているので、声は出せませんが仕草や顔が赤ちゃんなんです
 
でも、2〜3日すると幼稚園児位の仕草に変わっていきました
 
一度実際に息子を赤ちゃんから育てた私には、赤ちゃんから幼稚園児と成長していく過程は子育てで経験しています
 
いまベッドの前で横たわり再度成長していくように変わっていっている息子の様子は、同じ過程なのがよくわかりました
 
ただ、この記憶を取り戻しながら、懸命に生きている息子の様子は、私以外の家族には、新たな辛い受け入れ難い日々だったようです
 
テレビドラマなどでは、意識が戻って目が開いたら、直ぐに目の前の人がわかって、普通に話しができる
 
そんなシーンを見たことがあると思います
 
ところが現実は、いきなり赤ちゃんに戻ってしまっていて、話す事すら出来ない…
 
でも私は、赤ちゃんから幼稚園児になって、小学生になって…という事はいつかまた元の大学生に戻る日もくる
 
と考えていました、いつかまた大学生に戻れると考えたら、看病のしがいがあると思いました
 
 
別の病棟担当に日本人のナースの方がいました
 
息子の担当ナースの方が、その日本人のナースの方に息子の話しをしてくださり、息子には関係なかったのに、私が同じ日本人ということで、診察の合間やシフト終わりに息子のICUの病室に寄って下さるようになりました
 
意識が戻って幼稚園児位のときは、理解していなかったかもしれませんが、小学生位まで戻ってきてからは、美人の日本人のナースの方が病室に来てくださると、
 
息子が嬉しそうな表情をするようになりました
 
彼女が病室に寄ってくれる事は、私も日本語で息子の病状を詳しく話す事が出来、また息子の嬉しそうな表情を見る事も出来て、精神的に救われる時間にもなりました
 
小学生くらいまで戻ってくると、字を書けるようになりました
 
 
 
ペンを持つ手も震え、きれいに書く事は出来ません
 
それに、誰と話しているかわからないのか、話しかけられているかがわからないのか
 
Who you talk to
 
日本語の方は、
エサあげないと死んじゃう
と、ステフィーのエサを心配しているのですが、
 
息子が小学生のときから兄弟のように一緒に育ったステフィーの記憶がこの頃、蘇ってきたのかなと感じます
 
息子は頭部を強打しました
だから頭ばかり心配していた私たち家族ですが、
 
腕の複雑骨折の手術をこれからするということ、
 
意識が戻ったので気管切開をした為に、喉についているチューブを取りたいと思うが、これはただ取るだけではなく、喉に開けた穴は自然に塞がるまで待たないといけず、それまで食事も出来ない、そして話し方、声の出し方のトレーニングをしないと声を出して話すことは出来ない
 
という説明を受けました
意識が戻る直前に、左足首の骨折をしていたこともわかり、左右の肺も潰れ、背骨もヒビ…
 
やっと意識が戻ったらこれから複雑骨折の手術か…
 
気管切開をすると、声を出すだけでもトレーニングをしないと声すら出せない…
 
頭の中で、元夫の大事故の時とは比べものにならないほど酷い怪我なのかもしれない、と心配になってきたことを今でも覚えています
 
でもまだ、そのときは色々と辛い事を受け入れていかないといけなくなるとは想像もしていませんでした
 
 
 
 
 
 
to be continue …
 
 
Have a nice day