こちらアメリカに帰ってきて6日経ちました
 
家の中を片付けていたら、息子が事故に遭った時にお世話になった方から、当時頂いた励ましのお手紙を見つけました
 
読み返して、あの頃を思い出して、また改めて
本当に有り難かったな、皆さまに支えて頂いていたな、と感じました
 
 
何故、この事をブログに書いているかを含めて、
既に5回ほど息子の大事故についてはブログに書いて参りましたので、
 
続きからいきなり書かせて頂きます
↓↓↓
 
 
 
大学の教授が病院に来る前にも、ICUの電話が鳴りました
 
もう間違い電話ではなく、私たち家族宛の電話だとわかりました
 
でも、誰だろう
と思って恐る恐る電話に出ると、それは息子がハイスクールの時にお世話になった英語の先生でした
 
娘もハイスクール時代にお世話になっていたし、息子が志望校に合格したのもこの先生のおかげだと言っても過言ではないほど、家族ぐるみで親しくさせて頂いていた先生でした
 
先生は、亜子、私よ、大丈夫
午前中はどうしても学校に行かないといけないので、終わったらすぐに病院に行くから
 
と、言ってくださいました
 
私は、先生の声を聞いて少しホッとしたのを覚えています
 
でもどうして、先生は息子が事故に遭ったことを知っていたのか…
 
実は、事故当時息子と一緒にバイクで出かけたネイトが、事故は自分のせいでおきてしまったと思い、また息子を助けたいと思ってくれた一心から、フェイスブックで息子の事故をありとあらゆる友人達に伝え、皆んなで出来る事をして何とか助けようと言ってくれていたんです
 
因みに、ネイトは息子が事故に遭ったときに、いきなり見失った息子を探しに、バイクで引き返して事故に遭った息子を見つけてくれました
 
息子とネイトはハイスクール時代、一緒にボーイスカウトに入っていて、そこで心臓マッサージのトレーニングを受けていました
 
ネイトは、倒れている息子の様子が尋常ではないと感じ、すぐに心臓マッサージをしてくれたそうです
 
山道深夜携帯の電波がない中、奇跡的に老夫婦が乗った車が通り、ネイトはすぐさまその車の前に立ちはだかり、車をとめて老夫婦に電波が届くところまで乗せて行って貰い、救急車を呼んでくれました
 
やってきたのは、救急車ではなく、ドクターヘリでした
 
後に、奇跡的に現れた老夫婦
救急車ではなくドクターヘリが飛んできた、
たまたま居合わせた先生が、脳外科の有名な名医
 
これらが重なって息子が助かったのだと知ることになります…
 
ただし、後から送られて来たドクターヘリの請求書は日本円で
250万円でしたが
息子の場合は、アメリカ政府が支払いをしてくれた為、親の負担は0でした
 
 
ネイトが、フェイスブックで呼びかけたところ、ハイスクール時代の友人の一人が、先生に連絡をしてくれた事により、先生から電話がきたのです
 
フェイスブックでの告知は凄い結果をもたらしました
 
事故翌日には、ハイスクール時代の友人が8人程、病院に来てくれました
 
事故の時、息子が乗っていたバイクです、衝撃でメーターも壊れ、タンクもへこみ傷だらけになりました
 
 
 
アメリカのICUは、家族が許可すれば他人でも病室に入れます
日本で元夫が事故に遭い、ICUに入った時は個室ではなく大きな部屋で、家族以外は入室も禁止でした
 
私は、元夫の事故の時の看病経験から、
意識不明でも、声が聞こえている場合もある、とナースに言われたことを覚えていたので、
 
息子に呼びかけて欲しいと思い、来てくれた人には全員病室に入って貰い、耳元で大きな声で話しかけて貰いました
 
英語の先生も駆けつけてくれて、ハイスクール時代の思い出話しを息子にして下さりました
 
もちろん息子は、一命は取り止めましたが、このまま植物状態になるかもしれない
 
という意識不明のままではありましたが、とにかく来てくれた全ての人が、沢山息子に話しかけてくれました
 
それからは、毎日毎日、フェイスブックを見た友人達が、入れ替わりに病院に来てくれました
 
英語の先生やネイトのママは、毎日病院に来てくれました
 
意識不明の息子を取り囲み、さながらICUの病室は、同窓会状態でした
 
大学が別々になったお友達の皆んなは、息子の事故をキッカケに久しぶりの再会
 
私は、そんな息子のハイスクール時代の友達たちが、久しぶりの再会をしている姿を見ると、心が休まり、一緒に会話に参加して、昔話しを楽しみました
 
息子に皆んなの声が届いている事を祈りながら…
 
 
To be continue …
 
 
 
 
Have a nice day