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(何故、息子の大事故の事をブログに書いたか)
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⑨の続きからです
 
↓↓↓
娘が自宅にいてステフィー犬の手の世話をする番で、
私と元夫がICUの病室で息子の側にいた時にその瞬間がやってきました
 
長い長い眠りについていた息子がわずかに目を開けて、ぼんやりした表情を浮かべました
 
ちょうど私は、息子の側にいたのでその瞬間を見逃しませんでした
 
直ぐに息子の名前を呼びました
 
ママよ、わかる
と、何度も呼びかけながらナースコールをしてナースを呼びました
 
元夫は、娘に電話をかけていました
 
携帯からは娘が喜び叫んでいる声が聞こえました
 
ところが息子は、気管切開をしたせいで一言も喋れないのです
 
身体中、点滴の針が刺さっていて腕や足、背中も骨折のせいで身動きすら取れません
 
意識が戻ったように見えても、果たして私たちを理解しているか、自分の事がわかっているかすら分かりませんでした
 
そこで、いま○○は話せないから声は出ないけど、私が誰だかわかったら口だけ動かしてみて
 
私は誰
 
と、自分の顔を指して聞いてみました
 
すると息子の口がママ
と動きました
そして元夫を見て、パパと…
 
ちゃんとわかっている、良かった、本当に良かったatsu♡atsu♡と思いました
 
そして、何でそんな事を聞くの
と逆に声にならない口の動きで質問をしてきました
 
すごい、ちゃんと会話が出来ている
 
と、嬉しくなりました
 
ところが様子が変なのです
 
最初はまだ脳が腫れていて、長い間、意識不明だったからだと思いました
 
元夫の大事故の時もそうでしたが、事故の記憶はないだろうからと、事故に遭ってしまったから病院にいるけれど、心配しないでね、必ず治るからね
 
と、説明はしたものの
 
まるで2〜3歳児のような息子
 
話せないけれど、わずかに見せる態度が何となく赤ちゃんの時のようなのです
 
確か、元夫の大事故のとき、意識が戻った直後は赤ちゃん幼稚園児小学生中学生…
 
という感じで、話し方も記憶も少しずつ毎日成長しながら思い出していた
 
という事を思い出しました
 
ここでも昔の元夫の大事故での看病経験が役に立ちました
 
仕方ない、もう一度息子は赤ちゃんに戻ったのだから、一から子育てしよう
 
とにかく命が助かり、意識まで戻ったのだから
オムツからまた替えられるなんてこんな幸せな事はない
 
という気持ちで、接していきました
 
意識が戻ってから、気管切開のせいでずっと話すことができないでいる赤ちゃんに戻ってしまった息子、
 
紙とペンで筆談が出来るかなと思って期待したのですが、残念ながら寝たきりのせいでモリモリだった筋肉もすっかり落ち、きちんとペンも握れず字を書く事も忘れて、本当に赤ちゃんからやり直しでした(T_T)
 
意識が戻って初めて書いたのは、線
名前も何も書けなくなっていました…
 
 
意識が戻った喜びも束の間、
これからこの子は社会復帰出来るのか・・・
 
と考えて、新たな不安が押し寄せてきたのを覚えています・・・
 
親というのは勝手なものです、命さえ助かれば例え植物状態でもいい
とあれだけ思っていたにも関わらず、意識が戻ったら話してほしい、立って欲しい、歩いて欲しいと思うのです
 
元夫の時は、数カ月で歩いて退院するところまではいきました
だからきっと息子も同じように数カ月で歩いて退院してくれるに違いないと自分に言い聞かせました
 
実際は、そんなに短期間では退院どころか歩くことすら出来ない身体になっていたとは、まだそのときは知る由もありませんでした・・・
 
 
 
 
to be continue …
 
 
Have a nice day 
 
 
 
 

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今日も朝から気付いた事、思ったことを呟いていますビックリ