家の片付けをしていたら、昨夜は事故の時の沢山の記録を見つけました
 
長い間、人に詳しく話した事がなかった息子の事故の事をブログに書き出したら、こうやって事故当時の記録や頂いたお手紙を見つけるものなんだな
 
と、なんか不思議な気持ちになりました
 
いま、ブログにたまにこうやって息子の事故の時のことを書けているので、もう過去の事に出来たと思っていたのですが、
 
自分が毎日病院でつけていた看病日記を読んでいたら、あの当時の事を思い出して、涙が出てしまいました
 
おこがましいですが、読んで下さる方の、何かのキッカケや日常を気をつける発端になって頂けたら嬉しいなと思っています
 
では、
⑤の続きからです
↓↓↓
 
 
息子のICUには、ハイスクール時代のガールフレンドのシンシアも来てくれました
 
彼女は美人で頭が良く、ハイスクールでは女の子からも男の子からも好かれる優しい女の子でした
 
シンシアが、初めて事故直後に息子に会いに来てくれたとき、彼女は息子の変わり果てた姿を見て、ICUの病室で貧血を起こし倒れてしまいました
 
私が知っている彼は、こんな姿じゃない
いつも、元気でスポーツも出来る笑顔がステキな人だった
 
だから必ずまた元気になる
 
と言ってくれました
 
 
毎日、本当に沢山の人たちが意識のない息子に会いに来てくれました
 
そのうち私は、
息子が意識が戻ったときに、誰が会いに来てくれたかわかるようにと、
 
必ず来てくれた人たちの写真を撮り、皆んなにメッセージを書いて貰ったて、壁に貼るようにしました
 
また、家族で千羽鶴を折り始めたところ
お友達や、アメリカの近所の人たちまで一緒に千羽鶴を折りたい
 
と言ってくれました
 
でも鶴など折ったことのないアメリカ人です
 
娘と私、娘や私の日本人の友人たちで、即席の鶴の折り方教室を開いて皆んなに折り方を覚えてもらいました
 
角が合わせられず、いびつな鶴ばかりでしたが、ユーチューブを見ながら自宅で練習までしてくれて、みるみるうちに上達
 
 
私たちが、ICUの病室で千羽鶴を折っていたら、ナースの方が親切に、テーブルと椅子を持って来てくれました
 
 
そのうち、廊下を通る度に、
用がないナースたちでも、必ず息子の部屋に寄って、鶴を1羽折ってからまた仕事に戻って行かれるようになりました
 
皆さん忙しいのに、自分が息子の担当じゃなくても顔を出してくれて、本当に嬉しかったです
 
仕事のシフトが終わって、クタクタで早く帰りたいであろうに
 
今日は忙しくて部屋に寄れなかったから、いま来たよ〜
 
と言って、帰りがけに鶴を折りに来てくれたナースの方もいました
意識不明で重体の息子の目の前で、
皆んなで楽しく明るい話をしたり、息子に話しかけながら、鶴を折り続けていました
 
息子は、
脳挫傷、左腕複雑骨折、左足首骨折、左右の肺がつぶれ、背中の骨もヒビが入っていました
 
意識がいつ戻るかわからない、このまま植物状態かもしれないし、意識が戻ったとしても重い後遺症が残る可能性大
 
と言われましたが、
絶対に意識は戻る
戻ったら、元の身体に戻してみせる
 
という、何の根拠もない勝手な自分の思いだけで私は毎日、毎日病院の息子の側に居続けました
 
息子の意識が戻ったときに、誰だかわからないといけないと思い、
 
事故の前と同じように
いつも髪をカールして、お化粧もしていました
 
そんな皆んなの思いや願いが通じたのか、
事故から約2週間経ったある日、息子の指が少しだけ動きました
 
 
 
to be continue…
 
 
それでは皆さま、
Have a nice day