毎週末にアップさせて頂いている、息子が大事故に遭い、生死の境を彷徨った時のブログの続きです
 
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事故直後は命が危なかった息子、暫くして命が助かるとなっても
 
意識が戻らないかもしれない、植物状態のままかもしれないという長く出口のないトンネルに入ってしまっていた不安の日々、
 
意識が戻った喜びも束の間、まるで赤ちゃんにでも戻ってしまったように何にも分からない、食べられない、歩けない日が続き、
 
やっと食べられるようになったらダブルビジョン…
 
良くなっていく実感を少しづつ感じながらも、思いもかけないダメージが次から次へと見つかり、毎日一進一退な日々が続いていた息子の入院生活でした
 
 
そんな中、愛犬のステフィーと対面する時間だけは、事故のせいで笑顔の作れなくなってしまった息子の顔が、事故前だったらきっと満面の笑みになっていたんだろうなぁ
 
と思わせるように、わずかに笑顔になる事を見れる、私にも嬉しい時間でした 
 
 
元夫の父親であり息子の祖父にあたる私の義父は、世界初のコンピューターを作ったエンジニアで趣味が数学・プログラミング作りという人でした
 
そんな義父は、よく病院を訪ねてくれて、
 
息子が事故前に得意だった数学の問題を一緒に問くという作業で、リハビリに付き合ってくれました
 
もちろん大学の問題などはこのときの息子には解く事は出来ませんでしたが、
 
小学生から始め、段々と中学生〜高校生とレベルをあげていくことが、数学が得意だった義父のおかげで出来ました
 
 
そして、長い長いリハビリ病院での入院生活のあと、やっと息子は退院しても良いという許可を頂きました
 
実に息子が大事故に遭ってから、約半年後の事でした
 
事故の酷さを思えば、よく生きて、しかも自分の足でゆっくりでも歩いて退院できるのは
 
奇跡的です
 
と、ドクターに言われました
 
 
退院は非常に嬉しかったのですが、毎日のリハビリが日課という条件付き、
 
まだまだ、元の身体に戻れるかはわからない状態です
 
これは息子の通っていた大学の勧めで、私が毎日息子を連れてリハビリ病院まで通院するのでは大変だろうという事で、
 
大学が手配してくださり、リハビリの専門家の方々が毎日、月曜日から土曜日まで自宅に来てくださる事になりました
 
しかも一日に3〜4人の専門家が入れ替わり立ち替わりやって来るという、かなりハードなスケジュールです
 
例えば朝、最初に来る方は、
運動の専門家、
 
2人目は、記憶や脳に働きかける専門家
 
3人目は、事故で脳にダメージを受けたせいで、滑舌が悪くなった息子の言語のための専門家
 
4人目は英語や数学の先生で、これは大学に復学することが最終目標であるため、少しずつ勉強を始めていくためです
 
朝から毎日、入れ替わり立ち替わりで色々な方々が我が家にやってくる生活が始まりました
 
因みに、このリハビリの専門家の方々へのお支払いが日本円にして毎日約5万円
 
最終的に息子は約1年間、このリハビリを続けました
 
かなりの高額でしたが、これも大学側が手続きをしてくれてアメリカ政府から出して頂く事が出来ました、おかげでベストな治療を受け続ける事が出来、本当に有り難く、沢山の方々に助けて頂いた命だと思っています
 
 
 
 
to be continue …
Have a nice Sunday クローバー