これは、登山アプリYAMAPで作成した地図・計画書に加筆したもの。
夏の富士山は、毎年たくさんの登山者で賑わう。
訪れる人の車の排気ガスもバカにならんようで、「マイカー規制」(マイカーを使わずにバスなどをご利用ください)が設けられる。
スバルラインや駐車場の利用が有料になるようだ。
我々が入山したのはその「マイカー規制」が始まる直前だった。
夜のスバルラインは暗く、シカや タヌキのような大きさの動物がいた。
この時点で「うわ、暗くて怖い。これは一人では絶対来なかったやつだ」と二人ともが言い合う。
5合目の駐車場でさらにバナナを食べ、仮眠。
と思ったが寝つけず、占いなどの話をする。
深夜である。もちろんライトを使用する。
いきなりライト使用で急な坂を歩くようなら 私もこんな計画は立てなかった。
歩きはじめてから2時間くらいは、なだらかな道が続くことが分かっている。
2時間も歩くうちに、暗さにもライトの扱いにも慣れることができるだろう。
そして、登山道の登りが急になる頃には夜明けが近づき、少し明るくなって 地面が見えやすくなる。
けっこううまく計画を立てたなと こっそり自画自賛している。
5合目から6合目のなだらかな道でも、満月の明かりによって 微かに辺りの様子が見える。
既に雲海の上だ。
私のスマホで撮影するとこんなふうだが
こくうさんのスマホは夜間の撮影が得意なようで、肉眼で見るよりも辺りの様子がよく分かる。
まだ地平線より下の太陽のわずかな明かりと、雲間から覗く街の灯り。
上を仰ぎ見ると、月明かりと 山小屋の灯り。
そして星々。
星空アプリの「星座表」がここでも活躍した。
(実はオナラをガマンしている)
少しずつ明るくなる空。
雲にできる影の濃淡の迫力。
もうライトを使わずに歩ける。
より、太陽にこうべをたれる形になる。
下山してから考えてみたのだが、
これは…イワナガヒメさん(イワイワした山)に鏡の背面を向けるような形にもなっていたのだろうか。
イワナガヒメさんが鏡の表面が苦手なら、背面を向けるのはイワナガヒメさんへの友愛の表現…なんてことにならんかなぁ。
都合のよい解釈を後付けしているような気もしないでもないが、その意味するところは分からぬまま、このような形になった。
こんなイワイワした道である。
「これのどこがコノハナサクヤヒメさんなのだろう。富士山は、登ってみれば圧倒的にイワナガヒメさんだと言いたくなるのに」
「遠くから見たらコノハナサクヤヒメさん、近くで実際に触れるとイワナガヒメさん。のようなことがあるのかもしれないなー」
などと、イワイワの道を歩きながら思った。
日本神話を思い出すと、コノハナサクヤヒメさんにプロポーズをしたニニギさんは“面食い(?)”らしいからな。
ニニギさんが富士山に近づいて触れることで、(一度は追い返したという)イワナガヒメさんと、再び出会い直すようなことがあるのかもしれない。
そんなニニギさんとイワナガヒメさんの再会が、私たちのような登山者を通じて実現するようなことも、起きているのかもしれない。
「わあ、富士山って遠くから見るのと 自分の足で登るのとではこんなに違うんだ!」という実感や驚きを通して、そういうことが起きているのかもしれない。
神社には鏡が置いてあるところも多い。
おまいりする人々は鏡の表面(反転した世界)を見ることになるが、神々は鏡の背面(反転のない世界)を見ているだろう。
そのあたりを取っかかりに、なにか考えることもできるかもしれない。
「鏡を割る」というのはどうだろう。
反転した世界が終わり、鏡の向こうに広がっていた新しい世界が見えるようになることに通じる。
(でもそれは数年前にあったからなぁ。これは違うかなぁ)
「かもしれない」の話ばかりである(笑)
いきなり信じてはいけない(笑)
ここまでは、時折弱い雨もありつつ 概ね晴天であった。
ここまでは(笑)
つづく。