今は寺を継がない決断をしましたが、
私が寺を継ぐならの理由としてずっと抱いていたのは
「親のため」
ということ。
他にも自分のこととか色々あるけど。
私が継がないと、私諸共親も寺に住めなくなるから
親を思ったら、親孝行の気持ちがあるなら、寺を継ぐ、と。
でもやっぱり私には違和感というか、
親のために寺を継ぐことはする必要がないと思った。
自分がこれから先歩いていく世界は、親とでは無く、パートナーと又はもしかしたら子供も?
親のために生きるのでは無く、今度は自分が家族をもち共に生きていくから。
はたまたずっと独身かもしれないけど。
自分が寺を継ぎたかったら継ぐ、
継ぎたくなかったら、継がない、
そこだけを考えてるんでいいんじゃないかと思う。
自分自身、今も「親を思うなら寺を継ぐべきか」と揺れ動く時があるから
自問自答の日々。
親のため、でやっていけるものではない、私には寺をやっていける度量がない。
というのがいつも行き着くところ
寺は住職家族の持ち物では無くみんなのものだし。
本当、自問自答の日々だーー
継がない、と宣言しているしもう今から前言撤回してやっぱり継ぐとかは不可能だから、自問自答したところで何があるわけじゃないんだけど、それでも自問自答!