「私はお寺をやらなきゃいけない」
「やらなきゃ居場所が無い」
「ああなったらどうしよう」
「できなかったらどうしよう」
って、自然にわいてくる気持ちだと思ってたけど、
それは違った。
心の前提が、「やらなきゃ、ああなったらどうしよう、どうせ私には出来ない」などという恐怖の気持ちを採用してしまっているだけだった。
だから、心の設定を変えちゃえばいい。
どんな気持ちでいるか、採用しなおせばいい。
「どうせうまくいっちゃうからな」に設定を変えてしまうんです。もはやもう力技。力ずく。笑
無理矢理にでもそういう風に設定を変える、そうすると、やっぱり何回も何回も心の中では「こんなこと意味ないんじゃ?」「無理かも」とか「あれが心配」「ああなったらどうしよう」「周りに何か言われる」とかワーワー騒ぐんです。
その度に、「あ、でもどうせうまくいっちゃうんだった」と思い出す。
(「どうせ無理だ、だめだ」っていう心の前提があるなら、逆の「どうせうまくいっちゃう」があってもいいでしょう。というか、ある。そっちからものを見ることは充分にできるけど、心の癖で「どうせ無理だ」を選びがち)
不安が色々出てきちゃうのは仕方ない、だってその考えを採用してからずっとそういう風に生きてきたから、反射的に「無理だ、どうしよう、怖い、ああなったらどうしよう」とか思っちゃうのは当たり前だ、無理もない。
だけど、未来は選べるんだ。
じゃあどうする?
これからも今までと同じ思考を採用し続ける?
yesかno決める権利は自分にある。
選んで良い。
じゃあ、これからは、もう今までの思考や思い込みは手放して、新しい方に行く!
今までは今まで、これからはこれから。
そうだそうだ、「どうせうまくいっちゃうから!」
だって自分が決めたんだから。
決めたものはそうなるんだった。
今まで心と頭の一軍スタメンにスタンバイしていた思考や思い込みたちを、総入れ替えするんです。
私は心の設定が全部ネガティブな方向だった。
自分でもびっくりするくらいに物事へのリアクションがマイナス。
心の基本的な設定が不安とか焦りとかだから、全ての物事がそのフィルターを通して自分に入ってきて、結果、目の前の現実がそのまま不安や焦りのものとなってしまう。
お寺のこともそうだと思う。
確かに生まれ育った過程で跡継ぎの刷り込み教育をされてつらかった、しかも世襲じゃなくていいということを知らなかった、というのは事実だけど、その周りから言われた言葉を採用するか不採用にするかの権利は私にあったんだ!
そんなこと知らなかった!
「寺を継ぐか継がないか」自体には、本来何の意味合いも無い。ただそこに、「寺を継ぐか継がないか」ということがあるだけ。
それを受けて私が「やらなきゃいけない」とか「周りから言われて嫌だった」とか「親や周りのためにやらなきゃ」とか思うのは、私が今までに身に付けてしまったことからくる感想、印象?私ならではの思い込み。
(実際に周りからそう言われたとしても、それはその人の意見なだけだから。自分がそれを受け取るかは選ぶ権利がある)
(そうは言ってもただの綺麗事、理想主義、かもしれないけど、自分の設定を変えると、それに伴って周りも変わる)
だから本当に本当に、ただただ「自分はお寺をやりたいのか」っていうことだけで良いんだと思った!めちゃくちゃシンプル。めちゃくちゃシンプルなことを、自ら迷宮に迷い込んですごい色んなところを怪我して、発見した。
周りがどうとか檀家さんが家族が世間がどうとか色々あるけど1番の指針は自分だった。