週刊少年ジャンプに作品が載る漫画家はその号の巻末にコメントを書くという習慣がある。

以下でその資料をまとめた。

 

 

〇ゾンビパウダー

・ゾンビパウダー連載時の久保のジャンプ巻末コメント http://www.geocities.jp/mikodayo/zp/hitokoto.html

・週刊少年ジャンプ1999年34号 ジャンプ表紙 カラー見開き 巻末コメント1 巻末コメント2  (うつめさんの1999年34号感想などより引用)

Track9での巻末コメント

Track22での巻末コメント

・BLEACH初連載号 表紙 巻末コメント (うつめさんの2001年36・37号感想より引用)

BLEACH初期コメント   (※このサイトでは「本名:久保 宣章」とあるが、それは誤情報なので注意)

 

 

〇考察

ゾンビパウダー初連載時と現在とでは久保氏のプロフィールイラストが異なっている。1999年34号のときは片手に顔を描いたようなデザインだったのが、現在は黒髪でない青年のイラストに代わっている。一方の尾田栄一郎は1999年当時から現在に至るまで一貫して魚の絵である。久保氏のプロフィールイラストが決まるまでには紆余曲折があったのではないか。事実、BLEACHのタイトルも当初はSNIPEという題となる予定だった。

 

〇動画

https://www.nicovideo.jp/watch/sm28823545

 

 

〇動画の内容

ゆっくりしていってね!!!系動画。

・配信者(お茶さん)は「いつもはクソ漫画をレビューしているけど、この漫画はそうじゃないよ」と語る。

 

 

〇お茶さんの主張

・この漫画は主人公ガンマをカッコよく演出することに全振りしている。8割そう。

・典型的な俺TUEEEE系漫画。

・この漫画は大人の中二病。

・この漫画をブラッシュアップしたのがBLEACHだが、BLEACHと違って打ち切りになったのは以下の三つが理由。

① 主人公に共感できない(作中で明かされずに終わってしまった設定が多すぎて読者を突き放しすぎ。エルウッドがいらないキャラになっちゃってる。スミスも謎が多すぎ。エルウッドにも申し分程度にバトルシーンは出てくるが、彼のバトルはあってもなくても構わない代物。)

② ストーリーの軸がぶれまくる

③ キャラを扱いきれていない

 

・それらの理由には共通点がある。それは全て「キャラ」に起因する。キャラの深い話はメインキャラにもっとスポットを当てて地盤を固めてからにすべき。

・キャラが生き生きしている。

・ギャグや世界観(作中で舞台となる世界の設定)はよい。

・絵は荒いが、これが連載デビュー作であることを考えるとそこそこの出来。

・背景が白い。これはBLEACH然り。

・エルウッドは失敗キャラ。

・ストーリーが進んでいない。

・BLEACHが好みに合わない人にはお勧めできない漫画だが、BLEACHが好きな人にはお勧め。

・2~4巻には読み切りが載っているけど、久保の良い点が凝縮されている感じ。

・特に3巻収録の『刻魔師 麗』は、もろ90年代って感じだけど、お気に入り。

 

 

 

〇補足

・お茶さんのこの動画からは作品愛が感じられたし、動画の構成の点でも「少しでも視聴者を飽きさせまい」という配慮が伝わってくるものであった。この動画を制作されたお茶さんに拍手を。

 

・動画での解説も概ね妥当というか、一般人の視点に立って作られている。

 

・<この漫画は主人公ガンマをカッコよく演出することに全振りしている。8割そう。>についてだが、普通の漫画家であれば、読者に最も近く感情移入させやすいエルウッドを主人公にしてしまいがちなのを、久保は何と常人離れしたガンマを主人公にしている。事実、単行本のカバーは

1巻 ガンマ

2巻 スミス

3巻 エルウッド

4巻 ウルフィーナ

であり、キャラの重要度も「ガンマ>スミス>エルウッド>ウルフィーナ」の順だと考えられる。

 

・ジャンプ漫画の主人公は落ちこぼれだったり強さが今一つだったりする少年や青年であることが多い。そして、そのような主人公が努力によって成長して最終的に成功をつかむというストーリーになりがちである。しかし、本作の主人公は落ちこぼれキャラではなく既にトップレベルで強いキャラである。そのため、王道のジャンプ漫画の主人公像に慣れすぎた人からすれば、本作は違和感が湧く漫画に感じられたのかもしれない。

 

・「大人の中二病」という表現は的を射ている。世間では中二病は「ださい」「人生の黒歴史」「体と心が大人になるに従って自然と卒業していくもの」とみなされているように思われるが、中二病が根底にある名作は多いと思う。たとえば『AKIRA』や『ツァラトゥストラはかく語り』は中二病という概念が成立する前に発表された作品だが、これらの作品は中二病の雰囲気を感じさせる箇所が随所にある。要するに「洗練された中二病作品」もあれば「洗練されていない中二病作品」もあるということなのだと思う。

 

・ストーリーが進んでいないという指摘も一理ある。本作は、「死者の指輪」を12個集めると完成するゾンビパウダーを主人公たちが追い求めるというテーマなため、死者の指輪を2つしか集められずに連載終了というのは中途半端な印象を与えてしまうのだろう。

 

・<キャラの深い話はメインキャラにもっとスポットを当てて地盤を固めてからにすべき。>という意見についてだが、一般論としてキャラの過去編はメインのストーリーと最も密接に絡んでくるシーンで入れればよいと私は感じる。本作に関して言えば、ウルフィーナのエミリオに関する回想シーンは適切なタイミングだったと筆者は感じる。

 

・ギャグシーンに関してだが、実際のところ本作はクスッと笑えるようなギャグが多い。

 

・日本の漫画は背景に労力をかけたがる傾向にあり、ワンピースやNARUTOに比べると背景がシンプルなコマも確かに少なくない。だが、背景描写に重点をおいたコマでは当然、背景がきめ細かく描かれており、本作の背景の白さが「手抜き」といえるほどなのかは疑問の余地がある。

 

・キャラが生き生きしている。→久保帯人は「まずキャラから漫画のアイデアを考えることが多い」とインタビューで述べている。

 

・ギャグや世界観はよいとあるが、世界観や設定の良さが評価されている同時期の漫画としては他に『BLACK CAT』(矢吹健太朗)がある。

 

・エルウッドは失敗キャラとあるが、動画で述べられているほど、エルウッドの存在感は後半になっても薄くなってはいない。濃すぎず薄すぎずといった塩梅といえる。

 

・BLEACHが好みに合わない人にはお勧めできない漫画だが、BLEACHが好きな人にはお勧め。←至言

 

・2~4巻には読み切りが載っているけど、久保の良い点が凝縮されている感じ。→ストーリーもコンパクトにまとまっており、私は面白いと感じている。

 

・特に3巻収録の『刻魔師 麗』はもろ90年代って感じだけど、お気に入り。→「ワンピースの源流は鳥山明。NARUTOの源流は大友克洋。久保帯人の源流は90年代の漫画同人誌」だと私は考えている。

 

 

 

〇最後に

ゾンビパウダーという知名度が余り高くない漫画を取り上げて、しかも(ある意味で)目の肥えているニコニコ動画の視聴者を楽しませる質の高い動画を制作されたお茶さんに拍手を。

また、「レビューのレビュー」という奇妙な文章を読んで下さった読者の皆様に感謝いたします。

Wikipediaに記事が書かれるくらい有名な事件。

ひろゆき氏や2ちゃんねらーらはAKKY氏を支持する側についた。

東芝からの謝罪を勝ち取るという点ではAKKY氏に軍配が上がったといえよう。

 

尤も後々になってこのAKKY氏の本名や年齢が晒され、しかも晒された経緯が窃盗で検挙されたためといった事態が起こるとは当時誰も予想していなかっただろうが。

 

 

https://web.archive.org/web/20191006133729/http://neto10.blog55.fc2.com/blog-entry-11.html

 

 

 

こんなん読むとかヤバすぎる。

偏見とかじゃなくて普通に狂気を感じる内容。

 

女性の皆さんのなかでこんなの読んでいるのがばれたら後々、絶対自分の人生の黒歴史になるって、これ。

・・・と感じてしまうのは私が感受性の乏しい男性だからであろうか?

 

正直言って、性格が大人な女性から見ても、↓の漫画はコメントのしようがない代物であるように感じられるのではと思う。

 

 

「少女コミック」、日本一売れてる少女漫画誌を名乗る

https://web.archive.org/web/20180228123746/http://tiyu.to/060214.html

 

 

少女漫画の純情な逆レイプ

https://web.archive.org/web/20180228123756/http://tiyu.to/070401.html

 

改革は必ずしも善とは限らない。

急進的かつ自己満足的な改革は益よりもむしろ害の方が大きいだろう。

ただ、本記事の倫子さんの場合は、<中には「改革はいいと思うよ」と直接伝えてきてくれる人もいましたが、そうした人は大きな声では発言してくれませんでした>とあり、倫子さんの改革はまともなものだったのではないかと感じられる。

 

>そうして4か月。ついに倫子さんは会長を辞めることにしました。

>というのも、ずっと転園を考えていたインターに空きが出たので、

>タイミングを逃さず受験して転園ができることになったからだそうです。倫子さんが言います。

>「私には、あの幼稚園のPTA改革なんて無理でした。きっとあのPTAでは伝統を守って『自己犠牲』を続けることが美しいのでしょうね……」

 

この記事の最後の発言がこの名門幼稚園の閉鎖性・硬直性を物語っている。

不易流行という四字熟語があるが、環境の流動性が著しい現代の社会においては、良き伝統を守るために従来の規則・制度を改めねばならない場合も多い。

 

 

名門幼稚園でPTA改革を訴えた30代ママが直面した“大きな壁”

https://archive.is/vLg0w

https://archive.fo/4Myv7

 

 

 

 

(本記事は、ナギ氏によるこの曲への批判とそれに対する私見の続きです。)
 
 
〇ナギ氏によるこの曲への批判とそれに対する私見まとめ
YouTubeの動画のコメント欄で「普段は教師の授業なんかに耳を傾けない不良に対して世界史の教師がこの曲を流したら、不良が真面目な顔になった。この曲のあと教師は白人による新大陸侵略の歴史について解説を始めたが、不良は授業を真剣に聞いていて、名曲の力ってすごいなと感じた」という内容の感想があった。
その教師の授業を受けて、白人の先住民侵略の歴史を知った生徒が、人類ってこんなに業が深いのかとブルーな気分になったとしても、それはおかしなことではない。
 
ナギ氏は果たしてその生徒に対して「てめえは勝手に憂鬱な気分になっている。ネイティヴ・アメリカンはあんなに虐げられた被害者な訳だが、お前はその卑劣な侵略者に対して怒りを表明していない。お前は、戦争がこんなに差し迫っている現状にありながら何もしないで平然としていられる人間の一人だ」とでも言うのだろうか。
少なくとも、この曲の逐語訳を現在も伝統的な生活を続けているネイティヴ・アメリカンの方々に見せたとしても普通のネイティヴ・アメリカンの方々はこの曲を差別的だと思わないだろう。
 
また、私は<ナギ氏は「真島氏がインディアン虐殺に対して諦観を抱いている」と主張しているが、その主張の是非を歌詞だけから客観的に判断するのは困難だといえる>と述べたが、仮に真島氏が諦観を抱いていたとしても、それは別に道徳的に問題のある姿勢ではないと考えている。
何故なら、人は過去の出来事を改変できないからだ。
21世紀を生きる我々がどんなに虐殺の悲劇を嘆じても、過去に白人がインディアンを迫害して虐殺したという事実を変えることは出来ない。
或る過去の出来事がどれほど受け入れがたいものだとしても我々はその事実を受け入れざるを得ないのだ。
その点において、我々が「人類は過去に罪深い行為に手を染めていた存在なんだ」や「人間は純潔にしてイノセントな存在では全然ないんだ」といった諦観を抱くに至るのは、余りにも自然なことである。
 
ブログの記事を次々に読んでいくと、ナギ氏は差別のない社会を夢見ていると分かった。
 
ナギ氏は言う。(魚拓
 
私はあらゆる差別を許せないし、あらゆる差別は廃絶されねばならないと思う。
その原則はここでも、と言うよりここでこそ厳密に貫きたい。
「歌を作った人は何を伝えようとしているのか」を正確に表現するのが一番重要なことであるとは書いたが、人を差別する人間のその差別する気持ちまで「正確に」おもんぱかってやらねばならない必要など、どこにもない。
あからさまに人を傷つけることを言っている人間に対し、それを指摘することもせず、その人間の言った通りを他の言語にまで翻訳してネットで拡散するような行為は、差別に加担しそれを拡大させること以外の何ものでもない。
そういうことを平気でやれる人間は、「自分が言ったんじゃない。誰それが言ったんだ」という言い訳を心の中に必ず準備している。
しかしそれが最も卑怯で悪質な人間のとる態度であることは、自分が言われる立場に立つことを想像してみれば誰しも容易に気づくことだろう。
差別に対し見て見ぬふりをすることは、それ自体が差別であると思う。
だから私はその一点に関してだけは、どんなに原詞や訳詞を「破壊」することになったとしても、妥協しない態度を取り続けて行きたいと思う。
 
この文章からは、ナギ氏のそのポリシーが本心からのものであることが窺える。
では、その「差別を受ける人」というのは一体どこに存在するのだろうか。
仮に、自他が認める白人至上主義の音楽バンドが「白人は世界で最も素晴らしい人種だ」というメッセージを込めたり有色人種を複数回にわたって罵倒したりしている曲を作詞・作曲したとしよう。
そのような曲は普通、有色人種が聞けば、「この曲は人種差別的だ」感じられる代物なため、発表後しばらくして、差別を受けたと感じた有色人種によって批判されるだろう。
この例において、差別を受けた被害者は確かに存在している。
 
一方の「青空」はどうだろうか。
 
この曲の逐語訳を現在も伝統的な生活を続けているネイティヴ・アメリカンの方々に見せても、普通のネイティヴ・アメリカンの方々はこの曲を差別的だと思わないだろうと既に述べたが、そのことが正しければ、この曲に関しては「差別の被害者」など存在しないことになる。
その場合、ナギ氏は存在すらしていない差別の被害者の方々のために、あの青空を批判する文章を書いていることとなる。
被害者すらいないだろうのに、「差別に対し見て見ぬふりをすることは、それ自体が差別であると思う」などと言わんばかりに「差別が存在している」という前提に立ててしまうナギ氏の発想を、私は理解できなかった。
 
本ブログ「a6web」の読者の方のうち、ナギ氏のこの発想を理解できた方がいらっしゃれば、コメント欄等で私に伝えて下さると幸いです。
 
 
 
 
 
 
〇追記
ナギ氏は2022年2月現在「華氏65度の冬」を非公開になさっているそうです。そのため、「華氏65度の冬」の記事はWayback Machine経由でないと読めない状況となっています。
 
 

〇構成

カバー

表紙

巻頭ポエム

登場人物(p4p5

track22

track23

人物紹介15 ジェミニ研究所メイド等

track24

番外編 zombiepowdersnow

人物紹介16 ジェミニ研究所スタッフ

track25

人物紹介17 エンジェル

track26

人物紹介18 ナズナ・ジェミニ

track for cut down

特別読切 BAD SHIELD UNITED

クレジット

extra poem

 

 

〇巻頭ポエム解説

四行目と五行目の間に大胆な空白が挿入されているのは「空」を表しているのかもしれない。

人の爪はクリーム色をしており、「爪」とは曇天を示すか。若しくは、細長い形状の雲の暗喩か。

軋むとは「固い物がこすれ合って音を立てる」と言う意味。つまり、雲が固形のように見え、なおかつそれらの雲が空を埋めているという情景を表現していると思われる。巻積雲が空をしきつめているというイメージが妥当といえそうだ。

我ら人間は翼を有しておらず、空に浮かぶ雲を掴むことが出来ない。

つまり、空を見上げることは、「自分は上空の雲すら掴むことができない」というような無力感に繋がる。

久保のこのポエムは、空を抑圧の対象と捉える発想に基づいており、そのような発想は常人には到底、思い浮かばない代物だといえよう。

 

 

〇分析

カバーの情報から、特別読切「BAD SHIELD UNITED」は少年ジャンプH8年51号に掲載されたと読み取れる(H8年は平成8年なので1996年となるはずだが、本作は1997年に掲載されたという情報もある。このH8年は平成8年度という意味なのだろうか)。番外編「zombiepowdersnow」は赤マルジャンプH12年2月4日増刊号掲載。ゾンビパウダーtrack22~track for cut downはH12年のジャンプに連載。

 

カバーには「いつかこの断章に僕が手を付ける日が来るまで」とある。断章は「詩や文章や作品などの断片」という意味だが、今のところゾンビパウダーの続編が発表されるという情報はない。

 

・タイトルはWalk this endless way like a zombie (この名もなき道をゾンビのように歩く)というもので、ゾンビとは「呪術によって生き返った死体」のこと。英語版のタイトルはWalk Like a Zombieとかなり短縮化されている。

 

人物紹介17 エンジェルに記載されている情報によると、エンジェルには学歴がない模様。エンジェルの帽子に「FKYU」とあるが、これは「FUCK YOU」という意味である。FUCKは英語圏で有名な卑語の一つであり、Fワードともいう。

 

〇構成

カバー

表紙

巻頭ポエム

登場人物(p4p5

目次ページ

track15

人物紹介9 スカマンデロ他

track16

人物紹介10 金庫番ブラザーズ

track17

人物紹介11 パウンダー

track18

人物紹介12 ファルゾン

track19

人物紹介13 ルカ・ルカ他

track20

track21

人物紹介14 アマンティーヌ

特別読切 刻魔師 麗

特別企画(p194195196197198) 

クレジット(p199)

次巻予告

 

〇巻頭ポエム解説

太陽系は「太陽、水星、金星、地球、火星…」という順に並んでいるが、地球が(太陽から近い順に)三つめの惑星であることを考えると、「太陽から三歩離れた墓標」というのは地球を指しているのだろう。「おれたちは廻り続ける」というのは地球の自転・公転を指している。「意味さえ知らない」とあるが、我々は単に地球上で生まれたというだけで、地球の自転・公転(すなわち「太陽から三歩離れた墓標」が廻っていること)に振り回されることとなる。この発想は「人は生まれた後になってから自分が生きている意味を見出していく」という実存主義の思想に通ずるものがある。

 

〇分析

カバーには<訳あってガタガタの精神状態で連載開始したこのゾンビパウダー>とあるが、実はジャンプの編集会議でゾンビパウダーの連載のスタートが決まったとき、久保は編集長に「まだちゃんと準備が出来てないから連載したくない」と言って、めちゃくちゃ怒られたという事件を起こしている。当時、二十代だった久保はジャンプでの連載を始めることに不安を感じていたのだろう。

 

・カバーにはエルウッドが正面から書かれている。よく見ると、エルウッドの右手がポケットに突っ込まれている。

 

次巻予告には「ゾンビパウダー四巻は2000年8月4日発売」と書かれている。末尾のoutは「発売」という意味だと考えられる。

 

 

〇構成

カバー

表紙

巻頭ポエム

登場人物(p4p5

目次ページ(p6)

track8

track9

人物紹介6 ウルフィーナ

track10

人物紹介7 エミリオ、ロスコ―

track11

人物紹介8 バルムンク

track12

track13

track14

特別読切 ULTRA UNHOLY HEARTED MACHINE

特別企画(p180 181 182

クレジット

次巻予告

 

〇巻頭ポエム解説

巻頭ポエム「言葉は 真実を伝える為にあるのではない 真実を覆い隠す為にあるのだ」は、かなり深い詩。このポエムの内容は(久保本人は意識していないかもしれないが)記号論にも深く関わってくる話なのである。もしこのポエムが「真実を覆い隠す為に」ではなく「真実を隠す為に」だったなら、「言葉だけだと上手く相手に伝わらないことがあるよね」程度のことしか言えていない。「隠す」ではなく「覆い隠す」というのがこのポエムの要点。記号論の話をすると、例えば日本語では虹は7色とされている。しかし、虹を3色とする言語も地球上には存在する。虹は可視光からなり、その可視光の波長の違いが色の違いを生んでいる。虹の可視光の波長は連続体であり、各色の間に明確な境界を引くことはできない。また、虹の波長自体は世界共通のものである。しかし、Weathernewsのサイト魚拓)にあるように、言語によって虹の色に関する表現が変わってしまうのである。あなたが或る色を言葉で表現するには「赤色」というように色の名前を伝えるしかないのだが、言葉だけで「赤色」と伝えても、相手は「確かに赤色ではあるけど、あなたが実際にみた色とはかけ離れている色」のことを思い浮かべるかもしれない。このように言葉は或る対象物をカバーすることは出来るが、その言葉だけでその対象物を完全に再現できるわけではない。カバーする(cover)という動詞には「覆い隠す」という意味がある。つまり、久保は言葉のこの特徴を捉えているといえるのだ。もし久保が言語論について何も知らずに「覆い隠す」という動詞をこのポエムで使ったのなら、久保は自分の感性だけで、言葉のこの特徴を見破ったということになる。いずれにしても、久保の言語センスは傑出している。

 

 

〇分析

・2巻以降の巻頭ポエムのフォントは、第一巻と違って第1刷の時点で明朝体。

 

人物紹介6 ウルフィーナについて。mileil turgotなどのブランドは実在せず、作中でのみ存在するブランド。

 

人物紹介7 エミリオ、ロスコ―によると、久保はエミリオの命名に際してイタリア系男性の人名を80個もリストアップしたのだという。このように久保はキャラの人名に拘りをみせることが多い。

 

人物紹介8 バルムンクから分かるように、久保は英語以外の外国語についても積極的に取り入れている。実際、「特別企画 このキャラのテーマソング(テーマミュージック)はこれだp180 181 182でもフランス語の曲やイタリアン・ポップスのジャンルが取り上げられている。

 

次巻予告で描かれている女性は本作の後半になってから出てくる人物であり、本作では登場人物の回想のシーンでしか登場しない。「due 2 out @」は「due to out at」の言葉遊びと考えられるが、toが何故書かれているのかは不明。toを省き、「due out at 2000. 6. 2」なら(2000年6月2日発売)となり、意味をなす。