火曜日、夫の病院へ行きました。
酸素マスクは外されて、ぱっちりと目を開けていました。
鼻の漏斗状のチューブは、刺されたままでした。

そばに寄って声をかけると、夫の目は私を見つけ、次の瞬間、口元がゆがみ始め、目が潤んで泣き顔になりました。
それを見て、私は衝撃を受けました。
ひとりぼっちで、放っておいてしまった..
呼吸も苦しくて、知らないところで、どんなに心細かったことだろう..
胸を締め付けられる思いをしました。

泣き顔はわずかな時間だけで、すぐに元の無表情な顔に戻ってしまいましたが、もうなにもわからないと思っていた夫が見せたこの顔...
夫は、まだまだいろんなことがわかるんだと嬉しく、そして切なくなってしまいました。


左手にミトンをされていました。
看護師さんに聞くと、やはり掻きむしってしまうのでと言っていました。
大した傷ではないけど、胸のあたりにひっかき傷がありました。
病室に依って、お風呂に入れる曜日が決まっていて、この部屋は月木です。
6日に熱を出し、抗生剤をいれていたので、月曜のお風呂は入れませんでしたとのこと。
今日は熱は下がって6度台になっているようです。

ここでは蒸しタオルはできませんので、皮膚の状態がひどくならなければいいなと思っています。
入院するとき、爪切りなどはここへは置けず、持ち帰るように言われたのですが、見ると、爪が少し伸びています。
ここでは、レンタルの爪切りを使って、看護師さんが切ることになっているようです。
次回行ったときにまだ爪が伸びていたら、言って、私が切ろうと思います。
爪さえ伸びていなければ、掻きむしっても傷にはならないでしょうから。
折角拘束されていないし、ミトンも外してもらえたらなと思っています。

K先生が来て、大分よくなった、抗生剤も今日で終わりだからと言いました。
もしかして、いい先生なのかもしれないと思いました。

看護師さんに頼んで、お湯で絞ったタオルをもらいました。
顔と頭と、手を拭いたら、さっぱりして気持ちよさそうにしてくれました。
また看護師室へ行って、コップにお湯を汲んでもらいました。
ここは、お湯がでるところが、看護師室か、常時鍵がかかっている配膳室しかありません。
そのどちらにも、家族は勝手に入ることはできません。

看護師さんによっては、水ではだめなんですか?とか言われます。
温かいブラシで頬の内側をマッサージして筋肉を緩めたいので、と説明すると汲んでくれます。
マッサージはそのお湯で充分なのですが、痰を絡め取ると、それをコップではきれいにすることができません。
やむなく、ティッシュでできるだけ拭いとって、またコップへ入れて暖め、痰取りをしています。


STのYmさんがやってきました。
待望の嚥下のリハビリを見せてもらえると思っていたら、そうではなく、話をしに来ただけでした。
話は、気が滅入ることばかりでした。

パーキンソン症状が進んで、手も足も動かなくなってきているのと同じで、舌も動かなくなっている。
リハビリしても、病気の進行から動きが悪くなっているのを回復させることはできない。
呼吸がひどいから、この状態で何か食べさせようとすると、誤嚥性肺炎を起こす。
呼吸がよくならなければ、何もできませんとのことでした。
呼吸をよくするためのリハビリはできないんでしょうか?と訊ねると、それは、この病院でやれる科目に入っていないけど、PTさん、OTさんとも連携して、なにかやれるかどうか検討しますとのことでした。
嚥下のリハビリは、何もやって頂けないんですかと聞いたら、舌のマッサージくらいはやれるとのことでしたので、それを見せてくれるように頼みました。
明後日に約束しましたが、私が言わなければ、来なかったのかもと思いました。


翌11日水曜日、この日も夫は目を開けて覚醒は良好でした。
澄んだ瞳で、目を合わせてくれました。
鼻にはチューブ、左手にミトンは相変わらずです。

温かいタオルで顔を拭き、口腔ケアをやっていると、PT(理学療法士)のKrさんが来ました。
いろいろと話をよく聞いてくれました。
夫がもうダメだという見方はしていないことがわかり、嬉しくなりました。
体が固いのは、拘縮してしまって固いのではなく、緊張しているからだとして、奥さんの声かけだけで、全然違うと言ってくれました。
ただ、左側の股関節が、多少固くなってしまっているので、ここは念入りにやりますと言っていました。
昨日、Ymさんとも話した呼吸リハのことも聞いてみました。
そしたら、丁度今日これから、全体の会議があるので、その時に相談してみますと言ってくれました。

その後、歯科医のSk先生が来て、口の中を歯ブラシや歯間ブラシでお掃除してくれました。
モアブラシで拭い取ってはいるものの、歯の裏側から、こびりついていた痰の塊がとれました。
はぁ、よかった..見ていてすっきりしました。
1週間か、2週間に一度、回ってきてくれるそうです。
とても感じのいい先生で、夫は初対面なのに、警戒する様子もなく、口を開けていてくれました。


夫の呼吸音は、気にならないくらい静かになっています。
時々、またいびきのような音を立てるときがあります。
そうだ、こういう音をずっとしていたんだと思い出します。
やはりまだ痰は多いようで、時々咳をします。
その時、鼻に入ったチューブの先から、痰がどばーっと吹き出します。
出た分は、ティッシュでぬぐい取れますが、次の瞬間、大半がまたチューブに引っ込んでしまいます。
看護師さんに言いましたら、チューブが詰まることはないと思うけど、先生に相談しますとのことでした。
詰まる心配よりも、一旦外に出たものがチューブについて、非衛生じゃないかと思ったんだけど、どうなのかしら..。


12日木曜日、この日も夫は覚醒がよく、目を開けていました。
鼻チューブ、左手ミトンは相変わらずです。
鼻チューブは取り替えた形跡がなく、漏斗状に開いた穴の部分に汚れがついていました。
或いは取り替えて、その後また汚れたのかもしれませんが..。
昨日の看護師さんは、今日は明けで休みだそうで、どうなっているのか聞けませんでした。
菌に感染して熱がでているわけではないからと聞いた看護師さんは言っていましたが、そういう問題じゃないのにと思いました。
熱がでるかどうか実験しないで欲しいと思いました。

お風呂は今日も許可が出ず、入れませんでした。
もうすっかり熱もないのに、なにかまだ懸念することがあるのかなと気がかりでしたが、看護師さんに聞いても理由は答えてくれそうにないし、K先生は姿をちらっと見かけただけでした。

点滴が、今日からフルカリック1号輸液(903mL)というのに変わっていました。
更に、ファモチジン1Aというのも使われていました。
家に帰って検索したら、これは胃液の分泌を抑える薬のようです。
これって、認知症を悪化させるのではと一瞬不安が頭をかすめます。
聞きかじりの、つぎはぎだらけの自分の知識が嫌になります..。

今日は初めて枕が使われていました。
夫はとても楽そうでした。
枕の中身が片側に寄っていたので、直そうとしたら、なんと自分で頭を持ち上げてくれました。
大抵の時間、口を開けての呼吸ですが、この日は、たまにですが、自分で唇を閉じていました。
そしてその時、つばを飲み込んでいるのか、ごっくんとのど仏が上下に大きく動きます。
これって、もしかしたらまた飲み込めることができるのかなと、なにもわかってはいないけど、期待が膨らみます。

約束通り、午後一で、STのYmさんが来てくれました。
昨日の会議でどんなことが話し合われたかわかりませんし、そのせいかどうかもわかりませんが、今日のYmさんは、一昨日とは打って変わって、前向きに取り組んでくれる様子でした。
奥さんが口腔ケアをしているせいか、頬も柔らかいし、口の中がとてもきれいです、前回の時はすごく汚れていましたと言ってくれました。
その前回がいつだったのかはわかりませんが、6日には酸素マスクをしていましたので、その日から9日まではケアはなしでした。
その間に一度来て、口の中の状態を見て、一昨日の否定的な意見が出たのだろうと思いました。

私は遠いので、毎日通うことができなくて、週のうち、3日しかこれません、もう一日は姉が来てくれると思うので、4日はケアできるけど、できれば、それ以外の日はYmさんの方でお願いしますと言ったら、水曜は休みなので来れないけど、週に3~4回は来れるようにしますと約束してくれました。
こういう風に回るとかのスケジュールはあるんですか?と聞いたら、こういう病院なので、決まったスケジュールというものはなく、ベッドサイドを回ってあるくだけですと言っていました。
また、そういうわけで、日時は決められないけど、私が来ている時を見計らって来てくれるとのことでした。
頬やあごのマッサージもしてくれましたが、このやり方も覚えないとと思っています。

病院を立ち去る時間が迫ってきました。
駅までの送迎バスの最終は、3:15pmです。
一人で残していくのは、後ろ髪を引かれますが、ずっといるわけにはいきません。

3時少し前、OT(作業療法士)のYgさんが来ました。
時間がなく慌ただしかったですが、入院前の様子、4ヶ月の入院中の様子、最後の1ヶ月はリハビリが入れなかったので、こうなってしまったけど、車いすには乗れていた、家に帰った時、せめて、自力でちょっとの間だけでも立っていて欲しいと思っている等々話しました。
リハビリをしなくなってから1ヶ月なので、今ならまだ多少でも元に戻れるんじゃないかと思っていると言いましたら、深く頷いてくれて、できるだけのことはしますと言ってくれました。


先週、取り返しのつかないことをしてしまったと、ものすごく落ち込んで帰ったのとは雲泥の差で、まだまだ心配事は尽きず、手放しでは喜べる状態ではありませんが、少し気持ちが明るくなって家路につきました。





          
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目まぐるしく毎日が過ぎ、昨日、滞在先からやっと帰ってきました。
沢山の事柄が次々と起こり、到底全部を書き切れる気がしませんが、覚えている限り書いてみたいと思います。


F病院への転院は3月3日に決まりました。
吸引が必要になるかもしれないので、移動中に看護師の付き添いが必要とのこと。
介護タクシーの方で、看護師さんを手配できるとのことでお願いしました。
最初ストレッチャーでとの話でしたが、このところ毎日車いすに2時間以上座っている実績があるので、フラットな形状にもなる車いす(?)を使うことにしました。

退院が決まった後、また微熱を出しました。
二日後には下がっていましたが、覚醒度合いはかなり下がってしまい、目を開けなくなってしまいました。
こんな状態で転院して、リハビリなんて受けられるのかしらと心配になりましたが、お膳立ては全て整い、今更変更はできないし、また、この病院へも置いておけないので、取りやめることはできませんでした。

3月1日、いつものように病院へ行ったら、見知らぬ看護師さんがいて、口腔ケアをしていてくれました。
夫はベッドに寝かされた状態で、鼻穴には漏斗状のチューブが差し込まれ、チューブに安全ピンが刺されていて、奥に入っていかないように?なっていました。そして酸素のチューブが宛がわれていました。
酸素チューブは救命病棟以来なので、驚いて質問すると、夕べ、SPO2が乱高下して、80前半まで行ったので、先生に報告し、こういう処置をとったのだそうです。
後で先生の説明があるとのことでした。

ほどなく、夜勤だった先生が来てくれました。
人工呼吸は希望しないとのことだったので、鼻からチューブを差し込む処置をとりましたとおっしゃってました。
人工呼吸とか、そんなに重大なことだったのか..と、改めて夫の顔を見ましたが、夫は顔色もよく、普段と変わった様子ではありませんでした。
夫は、以前から無呼吸症候群があり、これは、Ao先生からも治す手段がないと言われています。
昨夜も一過性の無呼吸に陥ったか、真上を向いて寝ていたために、舌根が落ち込んだのだろうと思いました。

口を開けて呼吸をすると舌根が落ちてしまうんですよねと言ったら、そうですとのこと。
それで、こうやってあごを持ち上げて、口を閉じさせると、SPO2は98とか100とかになるんですよと言いながら、私は実際にやってみせました。
それを見て先生は、鼻に酸素を宛がっても無駄だとわかって下さったらしく、酸素のチューブをとってくれました。
また、肺炎かもしれないので、検査するつもりだったが、いつもと同じ状態だし、熱もないからいらないかなとおっしゃっていました。

3月2日、転院の前日です。
この日も、初対面の看護師さんでした。
後から思い返すと、転院当日も初対面の看護師さんだったので、月末に看護師さん達の配置移動があったのかも?
初めて夫を看て、SPO2が80前半になった、これは異常だと判断されたのだと思います。
まぁ、異常ではあるのですが..。

この日は、車いすに乗せられていました。
最後になる蒸しタオルをしました。
頭をドライシャンプーしていたら、Ao先生が病室にきてくれました。
先方に行っても、今飲ませている薬を続けても大丈夫でしょうかと質問したら、今朝レントゲンを撮って、血液検査もしたが、全く異常はないとのこと。
持参した皮膚科の薬を、ここでは引き続き同じものを使ってもらっていましたが、フェルガードと共に、使用していたことを先方に伝えて欲しいと頼みました。
今はよくなっているけど、以前は掻きむしってひどい状態だったので、そうなる前に事前に対処してもらいたいからと言いましたら、快く引き受けて下さいました。
また、いずれ連れて行ける状態になったとき、名古屋の先生のところへ連れて行きたいので、その時、持参できるように、こちらで撮ったCTなどの資料を頂けたらと言いましたら、行くことになったら、いつでも来て下さいと言って下さいました。
実は、Ao先生には、ニコリン、グルタチオンはこの病院ではできないから、名古屋まで連れて行けばいいと以前言われていたのでした。

この日夫は、目を開けている時間が長く、調子がよさそうでした。
話しかけにも、ちょっと頷いたりしていました。

看護師さんに排便状況を聞いたら、調べてくれて、出ていないので、摘便しますと言って、すぐさましてくれました。
かなりいっぱい出してくれたようで、夫もすっきりしたことでしょう。

明日着ていく服は、バッグに詰めて、用意してきました。
もう使わないものは全て引き上げました。
帰りがけ、顔見知りの看護師さん達に挨拶ができました。
明日の転院の準備が整いました。


3月3日、雲を通してお日様の光が射してきたところをでかけました。
無事に転院して欲しいな..新しい道の始まりだと不安いっぱい、期待いっぱいで、病院へ着きました。
夫は既に着替えが済んで、ベッドに寝かせられていました。
いろいろな書類を受け取り、その後、1階の受付に行って、入院費用の支払いを済ませました。
戻ってみると、介護タクシーの人が来ていて、車いすに移してくれました。
9時に病院を出発しました。

高速を使って2時間のドライブでした。
車いすは、クッションが入った肘掛け付きソファの感じでした。
夫は極く普通に座っていて、なんの問題もありませんでした。

F病院へ着き、夫は病室へ連れて行かれ、私はすぐ主治医になるK先生との面談でした。
早速胃ろうを薦められました。
しかも、胃ろうにしても、治る保証はないそうです。
なんということでしょう..。
私は、いきなり頭を殴りつけられた気がして、めまいを覚えました。
この先生は、威圧的で、素人の意見なんか全く聞かないというタイプの先生です。
最初の不幸な入院をしたSクリニックの院長を思い出しました。
鼻チューブが入っていると、嚥下リハビリをしても効果が上がらない、胃ろうが嫌なら、点滴か、中心静脈なんとか(たぶん、CVポートのこと?)しか方法がないと言われました。
すぐとは言わないから、考えておいてくださいと言われ、その場は終わりました。

夫の病室は、4人部屋で、ベッドは廊下側でした。
これまで窓側で明るい環境に慣れていましたので、仕方ないことだけど、気持ちが落ち込みました。
ベッドの周りには、上がテーブルになっているキャスター付きの引き出しが一個あるだけでした。
個人のものは、ほとんど置いておけません。
面会に来た人達の荷物を置く場所も全くありませんでした。
持って来たもののチェックをしに看護師さんが来ました。
前の病院の看護師さんと比べてはいけないのでしょうけど、なんだか、とても冷たい印象を受けました。

その後、入院手続きをしました。
印鑑証明書付きのハンコで、いろいろな書類に押しました。
入院保証金は15万円、そのほかに小遣い代として3万円を支払いました。
自動引き落としの銀行の申し込み書も書きました。
この病院は、医療費以外に一ヶ月28万円ほどかかる見込みです。

夫は疲れたのか、環境の変化についていけないのか、あまり具合がよさそうではありません。
全く目を開けなくなりました。
気がかりではありましたが、面会時間も終わるので、病院を出ることにしました。


この転院についてきて、毎日家から通うのは到底無理だと思い、最寄り駅から2駅目のところにあるビジネスホテルを予約していました。
最寄り駅の周辺には宿がなく、少し離れたところにはありましたが、そこからの交通手段がないので、いっそのこと電車に乗ってでも駅近くの宿がいいと思いました。
最寄り駅から病院までは、送迎バスがでています。

そのビジネスホテルに着いて、はぁ...っとため息がでました。
もう体中クタクタで、心中はボロボロでした..。
お風呂に入って、疲れをとろうとしましたが、一番小さいタイプのユニットバスで、洗面器、トイレが狭いところに押し込められていました。
蛇口は、片方ずつ回して、温度調整を自分でやるタイプでした。
何もやることがないので、テレビを見、早々にベッドに入りましたが、なかなか寝付かれませんでした。


3月4日、電車に乗って、送迎バスに乗って、病院へいきました。
夫は目を開けていましたが、酸素チューブを鼻に宛がわれていました。
右向きに寝かせられているときは、呼吸は楽そうですが、左向きにされると、体をずらして上向きになってしまうので、そうなると呼吸音がいびきをかいているような状態になります。
Osさんという看護師さんが担当のようで、説明をしたらわかってくれて、酸素チューブを外してくれました。
更に、モアブラシをどう使うかを見せて欲しいと言うので、こうやって、頬の内側をマッサージして筋肉を緩めたり、後は痰を拭い取ったりしています、と実演したら、とても納得してくれました。
昨日チェックにきた看護師さんには、モアブラシは使い捨てでないなら不潔になるからと言われ、今回は新品を使うし、来週からは、きちんと洗浄して持って来ますと言って、許可をもらっていました。
病室には、洗面器がなく、廊下から行くトイレに併設されている洗面所にもお湯は出ませんが、とりあえず、その時使うお湯をもらえそうです。

主治医のK先生が来て、また鼻チューブのことを言われました。
もうリハビリする段階じゃないとも。
気管支に慢性の炎症があるとのことでした。
Ao先生は、肺もきれいだし、問題ないと言ってたのにな..。
吸引するときに傷つけたのだろうと思いました。
痰の色が汚い、色がついていると言われて、見ると、確かに、前の病院へいるときより汚い色がついていました。
もう鼻チューブをさして置くのは限界だよと言われました。
鼻チューブがあるために痰が増えるし、呼吸もしづらい、少しは様子を見るけどね、胃ろうが嫌なら点滴にすると言われました。

リハビリがやれないなら、もう家に連れて帰ろうと思いました。
痰の吸引だけは教えてもらおうと心に決めました。

これまで毎日2時間位は車いすに乗せてもらっていたので、乗せてもらえませんかと言ったら、とんでもない、とてもそういう状態じゃないと言われました。
でも、日光にも当てないで寝かせっきりだと、どんどん衰弱すると思って..と更に食い下がりましたが、植物じゃあるまいし、日光に当てても仕方ないと一蹴されてしまいました。

夜心配だから、部屋を看護師室の隣に移していいかと聞かれたので、お願いしました。
ここは、看護師室との間の壁が一部ガラスになっていて、ベッドが見えるようになっています。
4人部屋ですが、窓側になりましたので、明るくて、少しは環境がよくなりました。
それから、書き忘れましたが、ここに着いたときから、手の拘束はされていません。
一度でも引き抜いたら、拘束になるのでしょうが、もうそれだけの元気もなさそうです。
いいような悪いようなですが、とりあえず、拘束されていないのはありがたいです。


3月5日、この日も夫は目を開けていました。
一二度、目が合って、表情を少し変える時もありました。
覚醒がいいのは、拘束されてないからかもしれないと思いました。

呼吸音は相変わらずひどく、横向きに寝かされていても、体を動かして仰向けになってしまいます。
仰向けになると、呼吸が苦しそうになります。
前の病院では、わざと枕を高くしてありましたが、ここでは逆に枕を使わないで、タオルを畳んだ薄いものを頭に下に敷いています。
聞いたら、気道を確保するためと言ってましたが、なんだか返って苦しそうだなと思いました。
寝かせておくと、痰が増えるので、なるべく起こしておくようにとAo先生からも言われていましたが、その話をしても、取り合ってもらえませんでした。
せめて、ベッドをギャッジアップして欲しいと思い、お願いしましたが、それもダメそうでした。

廊下で、看護師のUさんに声をかけられました。
毎日来てるの?遠いんでしょ?と言われて、泊まり込みで通っていることを話しました。
いろいろ聞いてくれたので、言いたかったことを思い切り話しました。
この病院へ来たいきさつや、リハビリをやってもらえるというので連れてきたけど、こういう風に先生に言われたなどを話しました。
Uさんはいちいち頷いてくれて、師長さんと、リハビリの人と相談して、先生にもうまくとりなすからと、言ってくれました。
私が、先生には何も言えなかったというのは、よくわかってくれて、威圧的だものね..と言っていました。


3月6日、病室に行くと、K先生がいて、あ、点滴にしたからといきなり言われました。
ベッドの周囲にはカーテンが引かれていて、看護師さんに、今処置中ですから、ホールで待っていて下さいと言われました。
ぇぇぇ...なんてことだと思いながら、なすすべもなく、廊下の突き当たりに、広めの部屋があったので、ここかなと思って、待っていました。

そこにK先生が来て、もう鼻チューブを入れておく限界は過ぎている、夕べもSPO2が80位まで下がった、危険なので、鼻チューブは抜いたと説明を受けました。
無呼吸症候群は元々あって..と言いましたら、呼吸が止まって、復帰しないかもしれないと言われ、それ以上は何も言えませんでした。
点滴だと、もうあまり長くはないですね..と言ったら、そんなことはない、ももの静脈(?たぶん..)に入れているので、ずっと入れておける、これで、呼吸が改善したら、リハビリができるかもしれない、あんたはリハビリリハビリというけど、現状ではとてもリハビリできる状態ではない、今朝もリハビリをやって、全くダメだったので、その後、こういう処置をしたと言われました。
鼻チューブは抜いたけど、漏斗状のチューブは入れてある、そして酸素も2ℓ入れてあるので、これで呼吸は確保できるはずとのことでした。
食事用の鼻チューブを抜いても、呼吸用のチューブを入れたら、結局同じことじゃないのかと思いましたが、それは聞けませんでした。

病室へ行ってみて、今更ながら愕然としました..。
真っ平らなベッドの上で、あごを突き出して口で息をし、鼻には先日見たのと同じ漏斗状のチューブが入り、その上に、すっぽりかぶせる透明の酸素マスクをされていました。
目は閉じて意識もない状態でした。
酸素濃度を見ると、2ℓと言っていた筈なのに、5ℓになっていました。
漏斗の先についた安全ピンが、マスクに押されて、鼻の頭に食い込んでもう皮膚が赤くなっていました。
看護師さんを呼んで、そこを見てもらったら、あーこれじゃすぐ潰瘍になってしまうと言いながら、安全ピンにガーゼをつけて、直接当たらないようにしてくれました。
酸素、2ℓと聞いているんですが、5ℓなんですか?と聞いたら、この処置をするときに、状態が悪くなったので、増やしましたとのこと。
救命病棟にいた時だって、5ℓなんてなかったのに..。
大丈夫なのかなと、ものすごく不安になりました。

点滴は、ビーフリード輸液500mlというのをされていました。
後から、別な看護師さんが来て、セフォチアム1g1ℓというのを追加して行きました。
名前をメモしておいて家に帰ってから検索しましたら、なんか細菌の感染症に使う薬のようです。
何か感染症があるなんて聞いていないし、なぜ、この薬を使ったのかはわかりません。

しばらくして、K先生が来て、どう?呼吸が楽そうでしょと言いました。
確かに呼吸音は、静かになっていて、苦しそうではありません。
でも、これではまるで、...なんというか、明日も知れない重症患者のようだなと思いました。
気を取り直して、今日で家に帰りますが、来週また来ますと言ったら、なんだ家から通っていたんじゃないのか、まぁ、これなら、夜に急変して呼び出すこともないから、安心していてと言われました。
来週来たときに、一度、嚥下のリハビリに立ち会わせて欲しいと頼みました。
それはいいけど、ボクはスケジュールはわからないから、リハビリの方と打ち合わせしてと言われました。
看護師さんに頼んでリハビリの先生に繋いでもらいましたが、担当の人はいませんでした。
代わりの人が、伝えてくれるそうです。
やっと..念願のリハビリの場面に立ち会えそうです。
夫の嚥下能力は、本当に失われてしまったのでしょうか..。
もしそれが現実なら、見るのは辛いけど、それでも、本当のところを知りたいと思います。

とりあえず...私は、浅はかでした..。
もう取り返しのつかないことをしてしまったと思っています。
唯一の希望は、もしもK先生が、本当にこれがいいと思って、本当にリハビリをしてくれるためにこういう処置をしたかもしれないということです。

砕け散った希望のかけらを拾い集めて、来週また夫に会いにいきます。




          
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私はやっぱり判断を間違えていたようです。
夫になんとかリハビリの機会をと思い、ここまでずるずると入院期間を長引かせてしまいました。
現在、夫は、信じられない位やせ細り、骨に皮がついているといった状態にまでなってしまいました。
未だに痰の絡みがあり、日中だけでも、4,5回の吸引が必要なようです。
覚醒しているときは、ほとんどなく、私が行っている間に、一回か二回、目を開けるだけです。
後は口を開けて、いびきのような呼吸音をしながら、眠っています。
話しかけても何も反応をしなくなりました。

病院は、その病気は治してくれるけど、決して健康にしてくれるところではないと、今更ながら気がつきました。

12月の半ばに、Ao先生が、帰宅前にリハビリ病院を挟みましょうと決めて下さいました。
振り返ると、あの時点で、私は家に連れ帰るべきだったのでしょう。
でも私はそうしませんでした..。
入院前まで、普通にごはんを食べていた夫が、この先、何も食べられなくなるとは信じられなかったし、きちんとしたリハビリを受ければ、回復してくれるものと思っていました。

重度の認知症で、一切のことが自分でできなくなった夫..。
それでもおいしいものを食べたときには嬉しそうにしていました。
その楽しみだけは残してやりたいと思って、リハビリの結果ダメかもしれないけど、その機会だけは作らないとと思っていました。

リハビリ病院へ入院することが、重度の認知症患者にとって、こんなにもハードルが高いとは、現実を突きつけられるまで信じられませんでした。
それより悪いことは、受け入れを検討してから、結論が出るまでに、気の遠くなるような時間がかかることでした。
病院同士のやりとり、人を介してのやりとり、私は一切介入できず、ひたすら返事を待ちました。

一旦、待ちの態勢に入ってからは、もう身動きがとれませんでした。
返事が遅いけど、催促してみようか、いや、どのみちまだ結論がでていないだろうから、下手に催促して、うまくいくものがいかなくなったら困るとか、胃がキリキリするような日々を過ごしていました。
後から思えば、入りたかったT病院の断りの結論は、早々に出ていたようです。
知らなかったこととはいえ、結局家の近くのK病院に返事を待つために、年内に申し込みをして、2月の4日まで過ごしてしまったわけです。
そうしている間にも、夫は、どんどん衰弱していきました。
私は、またしても判断を誤ってしまったと思っています。


前記事に書いた、遠方のA病院、回復期病棟に入れればちゃんとしたリハビリを期待できたのですが、ここも断られてしまいました。
その結論をNzさんから聞いたのが、20日です。
6日に申し込みをしてもらって、2週間が経っていました。

同じ時に問い合わせをした、やはり遠方のF病院からは、翌週返事がきて、受け入れを検討したいから来てくれとのことでした。
ここは入院するとまず胃ろうを造ると聞いて、ほとんど眼中になかったところです。
でも、一応申し込みはしておいて下さったようです。
Nzさんの話では、再確認したら、胃ろうにするのは、家族の意向を聞いて決めるそうだからとのことでしたので、とりあえず行ってきました。

相談員さんの話によると、F病院は、リハビリ病院ではなく、療養病院だそうです。
療養病院ではあるけれど、リハビリには力を入れているとのことでした。
ただ、入院の時、提出した書類や、実際の状況から先生が判断して、通常の療養病院で行われているリハビリの回数になってしまうかもしれないとのことでした。
週3回一回20分で、その中に、嚥下リハビリも歩行リハビリも含むといった内容です。
それでは、近所のK病院と同じなわけで、はるばる遠方に連れて行く意味がありません。
それをお話して、書類上から判断できることだけでもいいから、実際どのくらいのリハビリを受けることができるかわかりませんか?と質問しました。
そうしたら、先生方に検討してもらって、返事しますとのことでした。

その返事を20日にもらいました。
週3回の嚥下のリハビリの他に、歩行のリハビリをしてくれるとのことでした。
状態を見て、更に可能ならば、その回数が増えることもあり得るとのことでした。
願っていた状況にはほど遠いですが、今の夫が受けることのできる精一杯のリハビリです。
ここまで来てしまったけど、そしてもう取り返しがつかないかもしれないけど、最後のチャンスに賭けてみたいと思いました。
今、入院のための調整をしてもらっています。

他に残された道としては、一旦近所のK病院へ転院して、私が吸引その他の指導を受け、家に連れ帰ることです。
この場合は、もう夫の回復は望めません。
それでもその方がいいのかどうか...。
もしも、12月半ばの時点で、リハビリ病院への転院ではなく、家に連れ帰ると私が強引に主張すれば、もしかしたら、今の病院でも、そうした指導はしてくれたのかもしれないと思います。
一旦方向性が決まって、曲がりなりにも転院先を用意してもらった今となっては、そういうお願いはできないと思っています。
鼻から管を入れて吸引するのが、全くの素人でも、器具さえあればすぐできるものであるならば、K病院への転院はいりません。
私にはわからないのです。


少し前に、この病院でのリハビリが打ち切られました。
でも、担当のPTさんの話によると、療養病院での最低のリハビリ:週3回各20分だけは入ってくれているようです。
STさんは、こうなる前からですが、全く入っていないようです。

先週木曜日、私の大腸の内視鏡検査の生検の結果を聞きにいきました。
結果は良性でとりあえず、無罪放免になりました。
少し気持ちが軽くなって、いつものように夫の病院へ行きました。

病室へ入ってみると、夫がいません!!

慌ててナースステーションに行ったら、夫は車いすに乗せられていました。
看護師長さんの肝いりで、できるだけ車いすに乗せることにしてくれたようです。
これまで、Ao先生の指示で、朝日が当たる時間にナースステーションにというのは、しばらくは続いていたようですが、やはり大勢の看護師さんが入れ替わり立ち替わり担当が変わるので、申し送りがうまく行かなかったらしく、なし崩しにそれはなくなっていたようです。
リハビリの先生が、時間をかけられなくなったので、看護師さんが、夫を車いすに移乗してやってくれるとのことでした。

木曜以来、毎日私が行く時間には、夫は車いすに乗せられて、ナースステーションにいます。
今日は30分前からですよ~とか教えてもらっています。
病室へ連れ帰って、口腔ケアや蒸しタオルをしています。
車いすだとケアが楽です。
それから、思いついて、足は蒸しタオルではなく、ホンモノ(?)の足浴にしています。
浅い洗面器なので、どうしても床を汚してしまいますが、おとなしく足を入れていてくれます。
たまに熱すぎたりすると、足を出して逃げようとします。

お風呂も、この頃は、担当看護師さんにも依りますが、6日に一度位のペースで入れてもらっています。
ほとんどの看護師さんは、とってもいい方です。
ありがたいと思っています。




          
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私の内視鏡の検査を受けたのが3日です。
4日から動きがありました。
4日の朝、Nzさんから電話があって、K病院で受け入れを検討してくれるとのこと。
午後に詳しい話をしたいから、病室へ行きますとのことでした。

Nzさんのお話は、
・期待していたT病院には結局断られたということ。
 理由は、回復の見込みがないレベルとのSTの嚥下評価から、リハビリの意義がないとされたようです。
・K病院では、療養病棟への入院になる。
 リハビリ病棟とは違って、回数も少ないし、できるだけということになる。
というものでした。

前回Ao先生が、病名をつけて連絡して下さったのは、このK病院の方だったようです。
入院による廃用症候群の病名では受け付けないと言っていたところでした。
私は、てっきりT病院のことだと思っていて、舞い上がっていたのですが..。


K病院は、私の家から徒歩で行けます。
評判のいいリハビリ病院です。
そこで受け入れしてくれるなら、私にとっても通うのが楽でいいのです。
でも、実は、あまり気の進まない理由がありました。

2011年の晩秋、それまで身体的にはなんの問題もなかった夫が、痙攣発作を起こして倒れました。
その時ひねってしまったのか、腰椎の圧迫骨折をして入院しました。
その時の私の判断ミスで、夫は一段と認知症が進み、歩行も不安定になってしまいました。
お時間があれば、下記の記事もご一読くださいませ。

 入院そして..1
 入院そして..2
 長い一日

この時、入院させて、リハビリを受けさせたかった病院が、まさしくこのK病院なのです。
夫のためによかれと思って判断したことが、取り返しのつかない事態を招いてしまいました。
夫に危険人物のレッテルを貼って、どうしても追い出そうとしていた婦長の冷たい顔つきがいまだに脳裏に浮かびます。

とはいえ、短い間でしたが、関わって下さったスタッフの方達は、みんな気持ちのよい対応をして下さいました。
先方が受け入れてくれるならば、わだかまりを捨て、お願いしようと思いました。


5日の朝、K病院の相談員の方に電話をしました。
そして早速11時に面談に行きました。

相談員さんのお話は
・療養病棟ではほとんどリハビリを行わない。
・最大で月に13回になる。(嚥下、歩行を含めて)
 今の病院へ入院して既に3ヶ月経っていて、その間、リハビリを開始しているので、保険点数的に、これが限度になるとのことでした。
・嚥下のみだと、月に4回が最大で、一回20分程度
・残りの時間は、ベッドに寝たきりになる
・改善が認められないようならば、医師の判断で、即刻退院ということになる。
ということでした。
この条件でよければ、入院できるし、或いは、遠方だけど自費でリハビリをやってくれるところもあるようだから、そちらを当たってみたらどうかとのことでした。

一応、入院する病棟を見学させてもらい、自費でリハビリをやってくれるという病院名も教えてもらって、帰って来ました。

週一回、20分程度のリハビリって、意味ってあるのでしょうか..。
保険制度の決まり、病院の決まり..
ただ、夫に適切なリハビリを受けさせたいだけなのに、それが許されない..
悔しいです。
私が知らないだけで、他にいい道ってあるのでしょうか..。


家に帰って、教えてもらった病院名で検索したら、すぐ目的の病院がでてきました。
2件教えてもらったのですが、両方とも、思い切り遠方でした。
とりあえず、電話してみました。

両方とも、とても親切に教えて頂き、入院できる可能性があるような感触でした。
片方の病院、A病院の相談員さんは、保険についても丁寧に説明してくれました。
ここでもやはり、療養病棟に入ってしまうと、リハビリの回数などは、K病院と同じだということでした。
本格的にリハビリを受けるには、回復期病棟に入る必要があるとのことでした。
・回復期病棟に入るためには、原因になる病気が発症してから2ヶ月以内でなければならない。
・夫の場合は、入院前は、曲がりなりにも歩けていたし、普通の食事もできていたのだから、入院による廃用症候群ということで、受け入れができるだろう。
・但し、2ヶ月の期間は過ぎてしまっているので、主治医の先生に、その発症の日付をまだ有効な期間になるように、書いて頂けることが条件だが。
と、いうことでした。

Nzさんに電話して、その内容を伝えました。
午後に病院へ行って、Nzさんと話しました。
Nzさんは、既に、私が電話した片方の病院へ連絡をとっていてくれました。
それによると、そこの病院の方針では、経鼻管栄養は嚥下リハビリの妨げになるという考えで、まず、胃ろうを造ってしまうのだそうです。
それで、リハビリの結果、口から食べられるようになればそれでいいし、ダメならそのまま胃ろうを使うスタンスだそうでした。

もう片方、A病院の方にアプローチして下さることになりました。
Ao先生にもその後お目にかかったのですが、日付の問題もわかっていらっしゃって、今日中に診断情報提供書を書きますとおっしゃって下さいました。
更に、ここでも3ヶ月過ぎているので、リハビリは打ち切りにせざるを得ないかもしれない、まだ上の方からは言われてないけど、近々言われたら、一切のリハビリは打ち切りになりますと言われました。

いよいよ足元に火がついてきました。
行き先が決まらなければ、追い出されることはないと思いますが、リハビリを打ち切られるとなるとずっとベッドに寝たきりということになります。
それはどうしても避けたいと思っています。

6日になって、またAo先生が、病室に訪ねてきて下さいました。
A病院へ、診断情報提供書を既に出して下さったそうです。


現在のところ、A病院の返事待ちということになっています。
A病院は、家からおよそ100㎞離れたところにあります。
電車で行くと、何度か乗り換えて、2時間半ほどかかります。
ただ、いいなと思ったのは、ここは温泉があって、機械浴にも温泉が引いてあり、週に2回は入浴させてくれるということでした。
泉質も慢性皮膚病に効くとあり、夫の皮膚のためにもいいのではと思いました。

不安なのは、おそらく車だと3時間以上かかると思うので、それに夫が耐えられるかです。
介護タクシーは、車いすではなく、ストレッチャーで行けるものを考えていますけど、それでも夫にとっては相当な負担になってしまうのではと思います。
それから、私が通うのは、日帰りで毎日は到底無理そうだということです。


今.私に考えられる、とることのできる道は、
・K病院へ入院すること
・受け入れてもらえるならば、A病院へ入院すること
・このまま自宅へ連れ帰ること
です。
自宅へ連れ帰るとなれば、痰の吸引の手法をどこかで習わなくてはなりません。
それから、この地域は、訪問できるSTさんはいないのがわかっています。
でも、先日コメントで、訪問歯科でも嚥下のリハビリが可能と教えていただきました。
まだ聞いてはいないのですが、家に帰るとなれば、早速そちらを当たってみないとと思っています。
ただまぁ、そういうところがあって、来て下さるとしても、毎日は無理でしょうから、必然的に回数は少なくなってしまうでしょう。
週一ならば、K病院と同じになってしまいます。


来週には、A病院からなんらかの返事が来ると思います。
どの道を選ぶべきか..不安で、心細くてたまりません。
私は既に、大きな失敗を繰り返しています。
もうこれ以上、判断を間違ってはいけないと思っています。





          
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夫は30日から熱を出しています。
高熱ではなく、7度3~5分位なのですが、なかなか下がりません。
一旦少なくなっていた痰がまた多くなっています。

少し前までは、目を開けていて、多少なりとも反応があったのですが、このところ、私のいる間全く目を開けてくれません。
口を開けて、いびきのような大きな音を立てて呼吸しています。

Nzさんからも、Ao先生からも何も連絡がありません。
29日に、エレベーターホールでAo先生とすれ違った時、返事待ちです、すみませんとおっしゃっていました。
Ao先生が、リハビリ病院へ病名を連絡して下さったのが、おそらく23日だと思うので、もう10日間が過ぎてしまいました。
こんなに難航しているのでは、やっぱり...受け入れしてもらえないのかな..と不安の黒い雲がわき上がってきています。
その不安が、四六時中頭にあって、胃をチクチク攻撃しています。

加えて、このところの夫の様子をみると、なんかもう..リハビリできる段階ではないのではないかと..そんな気がしてなりません。
11月6日に入院しましたので、間もなく3ヶ月になります。
おむつからでている脚は、信じられないほど細くなりました。
白くてきれいだった歯は、磨いてもらっているにも関わらず、使わないせいなのか、黄色みを帯びています。
この歯で、いつか食べ物を噛むことができるのか、噛むということを忘れてしまっているだろうなと思えてなりません。

ベッドに寝たきりで、何も刺激のない病院生活だと、抵抗力もなくなり、どんどん状態が悪くなっていくようで、気が気ではありません。
それをどうしてやりようもない自分の無力さが情けないです。


今日と明日は病院へ行きません。
明日は、姉が行ってくれますが、今日は誰も行かないことになります。
誰も行かないのは入院以来初めてです。

私は昔から消化器系が弱く、胃潰瘍、十二指腸潰瘍を繰り返してきました。
そして、4年前の2月、大腸がんが見つかりました。
幸い極く初期だったので、切除しておしまいで、治療はなにもしていません。
その代わり、半年に一度の血液検査、一年に一度の内視鏡検査を受けて、再発をチェックしています。
毎年、この時期がイヤです。
肝臓に血管腫があるので、これも毎年、内視鏡検査の前に、造影剤を入れてCTを撮っています。
それが、先月あって、その結果は問題なしでした。
年が明けてから、夫の病院以外に、自分のことで、毎週のようにかかりつけの病院へ行っています。


明日、その内視鏡検査があります。
朝から一日がかりの検査です。
胃の内視鏡検査もします。
何事もなければ、その日のうちに帰れます。
今日はなにもないので、行こうと思えば夫のところへ行けます。
でもね..なんか、行く元気がないのです。

数日前から、この検査のための食事制限がありました。
食べてはいけないもの、海藻、きのこ類、こんにゃく、トマトなどの小さな種が入っているもの..
これって、いつも私が食べているものです。
これを食べてはいけないと気をつけるのが、今年はものすごくストレスになりました。

そして今日は、検査食以外は口にしてはいけません。
検査食は、あらかじめ、一食ずつパックされたレトルト食品です。
朝昼は少量のおかゆ、夕食はコーンポタージュです。その他に、粉末のジュースが2袋、間食として、クッキーが入っています。
これらを19時までに食べて、それ以降は何も食べてはいけません。
時間毎に決められた下剤を飲むだけです。


熱や痰が多くなって来たのもあるし、本当は行って顔を見てきたいのですが、今日はでかけないで家にいようと思います。
行かないとは決めていますが、いつもならでかける時間が迫ってくると落ち着きません。

くよくよと思い悩むことが多すぎて、自分で自分を追い込んでいるような気がします。
すみません..弱音を吐いてしまいました。
明日が過ぎれば、少し楽になれると思います。




          
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夫の皮膚は、一ヶ月もお風呂に入れない入院生活で、悲惨な状況になりました。
看護師さんから、温かい使い捨ておしぼりタオルをもらって拭いて、痒み止めを塗っていたのですが、それだけでは到底間に合わず、あちこちが、特に腕が赤く腫れあがり水疱ができていました。

そうしたことを記事に書きましたら、みなさまが貴重なアドバイスを下さいまして、それを元に試行錯誤を繰り返し、最近ではかなり手際よくできるようになりました。

おかげさまで、夫の腕はきれいになりました。
アドバイス、本当にありがとうございました。


病室へ着いて、まず夫の顔を見て、来たよ~と挨拶します。
目をつぶっているときもありますが、最近は、大抵目を開けていてくれます。
でも、口で呼吸していて、いびきのような音をたてています。
痰が絡んでゼロゼロしているときもあります。

荷物を小さなロッカーにしまい、部屋の入り口にある洗面所で念入りに手を洗います。
その後、看護師さんの助けを借りて、夫の体を引き上げます。
夫は、ベッドの上で、足元の方にずり下がっていますので、そのままベッドの背を上げるとお尻が前の方にいきすぎてしまうからです。

この看護師さんを捕まえるのが、なかなか大変です。
ナースコールを使えばいいのでしょうけど、なんか、呼び立てるのが申し訳なく思ってしまいます。
それで、廊下へ出て、誰か通らないかなーと思いながら待っています。

体の位置を直した後、背を上げて、まず、口腔ケアをやっています。
ベッドの背は、65度位まで上げています。
洗面所からコップにお湯を汲んできて、モアブラシを濡らして絞り、ほっぺの内側をマッサージしています。
その後、喉の奥の方にブラシを差し込んで、上あごや舌についた痰を拭い取っています。
夫は協力的に口を大きく開けてくれます。
ブラシについた痰は、コップのお湯ではとれないので、何回も洗面所まで往復して洗っています。

このところ、とれる痰が多いのですが、それは、咳払いで痰を出せるようになったからなので、よかったと思っています。

ここで一旦口腔ケアをやめ、蒸しタオルの準備をします。
家から毎日、フェイスタオル2本、普通のバスタオルの半分くらいの大きさのバスタオル1本、お手ふきタオル1本、それから、取っ手付きポリ袋2枚、○協の宅配の食料品が入っていたポリ袋2枚を持参しています。
夫を一人にして買い物に行けなくなった頃から、○協は利用しています。
○協のポリ袋は、タテ50センチ、ヨコ70センチの大きさで、ヨコの方に口がついています。

置きっ放しにしている洗面器を持って湯沸かし室へ行き、手が入らない位の熱いお湯を汲みます。
当初は、看護師さんに頼んでお湯をもらっていたのですが、あるとき、たぶん、面倒に思った看護師さんが、自分で汲んでくださいと言うので、これ幸いに湯沸かし室へ勝手に出入りするようになりました。
自分で汲めるので、看護師さんを探して待つこともなく、また途中で熱いお湯に取り替えることができるようになりました。

部屋に戻って、キャスター付きのテーブル(患者一人に各1台ずつ用意されている)の上に、洗面器を置きます。
そこへ、ラベンダーの精油をポトっと注ぎます。
柔らかな香りが、ふわぁ~っと立ちのぼります。
その中に、ファイスタオルを浸しておきます。

夫の頭から、枕を外して、その後に、○協のポリ袋を差し込みます。
首より下、病衣の襟の内側まで差し込みます。
浸しておいたタオルを軽く絞り、熱さを確認して、細長く折りたたみ、首の後ろ側に巻いてあげます。
これで、血行がよくなるんじゃないかと勝手に思っています。

それから、水のいらないドライシャンプーをします。
軽くマッサージをして、お手ふきタオルで拭き取ります。
(シャンプーは毎日はしていません。1日か2日おきにしています。)

次にもう1本のフェイスタオルも軽く絞って、あたまのてっぺんから、目を覆うくらいまでかぶせます。
タオルの上から、生え際のあたりを、親指を重ねて、ゆっくりと押して行きます。
そのタオルで、額、顔、耳、首を丁寧に拭きます。
一旦洗面器に戻して、絞り替え、今度は頭の後ろをゴシゴシと拭いてます。

首のタオルを取り去り、バスタオルで、顔、頭全体を拭きます。
眉のあたりとか、かさついているところ、耳の後ろとか首回りに痒み止めを塗っています。

再びベッドの背を20度位まで倒し、今度は、左側の病衣の袖を肩までまくり上げます。
剥き出しになった腕の下に、○協のポリ袋を、口が体側になるように差し込みます。
左手がよく動いて、鼻のチューブを抜こうとするので、左手首の拘束帯はつけたままです。

タオルをゆるく絞って、広げて、手の先から肩の近くまで包み込みます。
ここで初めて拘束帯を外します。
ポリ袋の口の下側を手前に引き出し、くるっとひっくり返して、袋の中に腕がすっぽり入った状態にします。
ポリ袋をかぶせると、手を動かさなくなるので、不思議です。
初めの頃は、これがうまくいかなくて、ベッドや病衣を少し濡らしてしまっていましたが、今では濡らすことはほとんどありません。

右側の腕も同じやり方で蒸しタオルします。
その後、タオルケットを肩までかけ、少し肩の下に差し込んで、手を動かしてもタオルケットからすぐには出せないようにします。

そうしておいて、洗面器のお湯を取り替えに湯沸かし室へ行ってきます。
再び熱いお湯をもってきて、またラベンダーを落とします。

左側のポリ袋を開けて、タオルを外して、手のひらや指の間を丹念に拭いた後、バスタオルで拭き上げます。

このときついでに、腕を持ち上げて、肩の関節を動かします。
かなり固くなっていて、持ち上げるのが重いです。
ワセリン入り痒み止めをすり込み、その後、ザーネをまんべんなく塗っています。

右側はそのままにしておき、病衣の前をはだけます。
病衣は、着物のように左右を重ねてそれぞれ紐で結ぶ形です。
胸に3カ所、心電図を常時モニターするための電極と、クリップがついています。
そのクリップを外します。
ナースステーションに無線で飛んでいるらしく、最初の頃は、外すと看護師さんが、様子を見に来ていました。
来て、ああ、なるほどと言って、帰っていかれました。(お手数かけて、ごめんなさい(>_<))

ポリ袋を左脇腹の下に差し込み、タオルを胸から脇をを覆うように載せます。
ポリ袋をかぶせて、蒸らしておきます。
この時、左手はフリーなので注意が必要です。
左半分にタオルケットをかけておきます。

次に右側の腕のポリ袋を開け、同じようにケアします。
タオルをお湯で絞り替えて、重なる部分はさっきのタオルの下になるようにして胸に載せ、ポリ袋をかぶせます。

一呼吸おいた後、全部のポリ袋とタオルを取り去り、バスタオルで拭き上げます。
電極を貼り付けているところが、かぶれてきていたので、ピュアバリアというジェルを用意して、許可をもらって、電極を貼る前に塗ってもらっていますが、それでもまだ痒いようです。
痒み止めを全体に塗って、クリップを元通りにつけて、胸、脇腹は終了です。

その後、またベッドの背を立てるのですが、その日によって、体の位置が下にずり落ちている時もあります。
その場合は、廊下に立って、看護師さんを探します。

再び、ベッドの背を65度位にします。
両足を揃えて、その下に○協のポリ袋を口が上になるようにして敷きます。
かなりゆるく絞ったタオルの、真ん中あたりを、足首の後ろ側にひっかけます。
そして、足の甲の上で重ねるようにして、全体を包みます。
両足を包んだ後、ポリ袋の口の下側を手前に引き出して、ひっくり返します。
腕をやったとき、タオル側になっていた面が、外側に来るので、多少水滴がついていて、シーツをわずかに濡らすことがありますけど、気にしない!(>_<)
偽足浴といったところです。
布団をかけて蒸らしておきます。

しばらく、私もそばの椅子に腰掛けて、夫の手をとり、おしゃべりします。
とはいえ、何も答えは返ってこないので、ちょっと恥ずかしいから、あまりしゃべりませんけど。
たまに目が合うときがあり、そういうときはとても嬉しくなります。
もっとたまに、ニヤッと笑ってくれる時もあります。
そうしながら、両手で、夫の薬指の爪の付け根あたりを押して刺激しています。
これも交感神経に働きかけるというのを教えていただきました。
ありがとうございます。

洗面所でコップにお湯を汲んできます。
もう一回モアブラシで、口腔ケアをして、その後、口内乾燥止めのジェルを使い捨てのスポンジブラシでまんべんなく塗ります。


口腔ケア
中央の黄色い柄のブラシがモアブラシです。
左側は口内乾燥止めジェル、中央手前のちいさなのはリップクリームです。
歯ブラシと歯磨きジェルは、看護師さんがやってくれます。
歯磨きジェルは、食品からできていて、飲み込んでも差し支えはないのですが、水で口をすすぐことができないので、痰を吸引するときの道具を使って、磨いた後を吸い出してもらっています。

スポンジブラシは柔らかく形を変えることができるので、くるくる回してほっぺの内側にジェルを塗るときに具合がいいです。
看護師さんからもらって使っています。
仕上げにリップクリームを塗って、口腔ケアは終了です。
リップクリームを塗るとき、唇をちょっと固くして塗りやすく協力してくれます。
昔、冬場に自分でリップを塗っていた記憶があるのかもです。

最後に、偽足浴していた足のタオルを取り去ります。
バスタオルで拭き上げ、ザーネを塗ります。
こうする前は乾燥してカサカサになっていましたが、今では普通の皮膚にもどっています。
足の指を一本ずつ、右に10回左に10回、ぐるぐると回します。
その後、足首も回したいけど、固くて回らないので、左右にぶるぶると揺らしてお終いです。

ここまでの行程で、1時間から1時間半ほどかかります。
ちょうど終わったあたりで、看護師さんがおむつを見に来てくれます。
その時に寝かせて、体をどちらかに向けて、クッションを挟み込んでいきます。
夫もこの頃には、疲れたのか目を閉じることが多くなってきています。
もうベッドの背を再び上げることはしないで、私も帰り支度を始めます。

手首に拘束帯をつけ、ミトンをつけるときが一番イヤです。
夫は何も感じていないかもしれませんが、心の中で謝っています。
じゃ、また明日来るからねと言って病室を後にします。
反応があるときは少ないですが、たまに、頷いたり、笑ってくれたりすると、帰りたくなくなって困ります。




          
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今日、Ao先生が病室に入ってきて、ちょっとお話があるのですが..と言われた時は、ついに来たるべきものがきた、そしてリハビリ病院は断られるのだと覚悟しました。
平静に応対しなければならないと、気持ちを引き締めました。

ところが、次に聞いた言葉が、「リハビリ病院へ行けそうです」でした...。
私は膝から力が抜けて、その場にしゃがみこみそうになりました。

まだ、きちんと行けることに決まったわけではないそうです。
病名をつけてくれと言われているとのことでした。
例えば脳梗塞とかの病名がないと受け入れできないそうです。
それで、MRIを撮ったり検査をしたのだけれど、萎縮はあるけど梗塞もなにもないんですよねと言われました。

ウソを書くわけにはいかないので、と先生は困っていらっしゃるようでした。
パーキンソン病ということにしたいがどうだろうかと、私に聞いてこられました。
後から私が知って、びっくりしないように配慮して下さったのだと思います。
事実パーキンソンのような症状があったことは確かだし、それでリハビリ病院が受け入れてくれるのなら、私の方に異存はありません。

まだ確定ではありませんが、希望の灯りがともりました。
99%ダメだと思っていたけど、80%位行ける可能性がでてきました。

嬉しくて舞い上がっています。
世界中を抱きしめたい気分です。




          
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14日に病院の廊下を歩いていると、偶然Nzさんに遇い、立ち話をしました。
T病院から、いろいろ問い合わせが来ているそうです。
夫の状態、機能的なレベル?を詳しく聞かれているとのことでした。
とにかく、受け入れようとして、検討して下さっているのがわかりました。
でも、未だに回答は来ていません。

自宅に戻る前に、リハビリ病院を挟みましょうと方向性が決まったのが12月15日です。
それから1ヶ月経っています。
その間、夫は、日に日に寝たきりの状態へと近づいてきています。
体重は10㎏近く落ち、脚は棒のように細くなりました。
筋肉は全くなくなりました。

ここまで遅くなってしまって、あげくに断られたらと考えると、息苦しささえ覚えます。
私はもっと前に、行動を起こすべきだったのかもしれません。
でも、どうやって...。

家に連れて帰るには、鼻腔経管が大きなネックでした。
嚥下のリハビリをして、口からものを食べたり、飲んだりできるようにならなければ、この管はとれません。
夫は無意識に管を引き抜いてしまうので、両手の拘束が必要になります。

そのリハビリを家でどの程度できるのか..。
口の中、特に呼吸に直結することですので、正直怖いです。
訪問で専門の方にに来て頂いても、毎日というわけにはいかないだろうと思います。
やはり、リハビリ病院へ入院して、きちんと継続的にリハビリを受けさせたいと思い、ここまで長引かせてしまいました。

歩行のリハビリについても、家でやるのは、ほぼ不可能に近いので、どうしてもリハビリ病院で受け入れてもらいたいと切望していました。
考えても考えても堂々巡りになって、いい方法が見つからず、ただ時間だけが過ぎていきました。

いずれにしても、もう近々結果がでると思います。
ダメだった場合、家に連れて帰ります。
他のところを当たってもらうことはしないつもりです。


家では、30年近く前からウォーターベッドを使っています。
ウォーターベッドもいろいろな種類があります。
家のは、硬質ウレタンでできた舟型の枠の中に、水が入ったバッグ(袋)が納められており、そのバッグの下に薄くて平らなヒーターが敷いてあります。
ヒーターは温度調節ができて、夏は涼しく、冬は暖かくすることができます。
ヒーターもバッグも消耗品ですので、夫のも私のも、これまで、2回ずつ新しいのに交換して使ってきました。

水は、体のでっぱった部分も引っ込んだ部分も、その形状に沿って形を変えてくれ、均等に体重を支えてくれます。
同じ姿勢で寝ていても、一カ所に力が加わることがないので、寝返りをうつ必要がありません。
それで熟睡できると言われています。
腰の辺りが沈むので、この部分には、なにか特殊な加工がしてあって、沈まないようになっています。

私たちが使っているベッドは、ある大手のプラスチック加工会社が、ベッド業界に進出したときに作った製品です。
今ではベッドからは撤退しているので、もう同じものを入手することはできません。

水はそのままだと腐るので、年に一回防腐剤を入れないとなりません。
また、わずかずつ蒸発するらしく、ヤカン一杯くらいの水を足しています。
この作業が、私は嫌いです。
バッグの足元の方に、直径3センチくらいの水を入れる口があるのですが、そこをめがけてヤカンから水を注いでいます。
中腰で、集中して注いでいます。
それでもどうしてもこぼれてしまうんですよね..。

先日、重い腰を上げてこの作業をしました。
夫のベッドのバッグの蓋を開けながら、ふと..
夫は、このベッドに再び眠ることがあるのだろうかと思いました。

今の状態のまま連れ帰るとすれば、このベッドは使えません。
柵がないので、拘束する帯を結べないし、栄養剤の注入を寝たままするとしたら、30度位に角度をつけなければならないので、どうしても柵付きの電動の介護ベッドが必要になってきます。
このベッドは水の重量で、200㎏ほどあります。
どこかへ動かすこともできないし、置いておく場所もないので、処分するしかありません。

でも私はいつものように防腐剤を入れ、シーツを元通りにして、いつでも夫が寝られるように整えました。

寝心地がよく、夫はこのベッドを気に入っていました。
できうることなら、またこのベッドに寝かせてやりたいのですが..。





          
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ソーシャルワーカーのNzさんとの面談があったのが、12月25日でした。
年内にリハビリ病院へ申し込みをしてくれる手はずになっていました。
時期的にお正月だし、返事が遅くなるのは覚悟していました。
Nzさんからの連絡を待たなきゃいけないのはわかっていました。

途中経過でも教えてもらえるかなと勝手に思っていましたが、連絡がなかったので、7日になって我慢しきれずNzさんに電話しました。

やっぱり、懸念していたように、T病院は断られそうだとのことでした。
重度の認知症で、指示が通らないので、リハビリの効果がでないだろうという判断のようでした。
まだ最終的に返事が来ているわけではく、翌日8日に最終判断がでることになっていたようです。

Nzさんは、T病院以外に2カ所申し込んでくれているとのことでしたが、そちらも返事は来ていないようでした。

一旦電話をおいたのですが、いても立っても居られない気がして、再度電話をしました。
なかなか連絡がとれず、私が病院へ行っている間も、時間がとれなかったようで、病室には現れず、夜になって電話をもらいました。

認知症だから、一般の人達より、リハビリの効果がでるのは遅いとは思う。
一般の人達が、1日で出来ることを、夫は3日も4日もかかると思う。
手間も何倍もかかると思う。
でも、STさんがゼリーを食べさせてくれているところを見たが、ごっくんと飲み込んでいたし、自発的なリハビリができなくても、なにかしらの効果はあるのではないかと思う。
もし、それでもダメだった場合、胃ろうを考えなくてはいけないと思うが、そうする前に、専門の病院で、きちんとリハビリは効果がないという結論を出して欲しいと思っている。
と、お話しました。

Nzさんは、私の言うことをわかってくれ、明日の朝、もう一度T病院へ電話をして下さることになりました。

翌8日、私が病室にいるときに、Nzさんが訪ねて来てくれました。
午前中に昨夜の私の話をT病院へしてくれたそうです。
それで、もう一度審議してくれるらしく、結論は先延ばしになったとのことでした。

普通のリハビリ病棟では対応が難しく、療養型の病棟に入って、そこにSTさんが通うことができるか検討してくれるとのことでした。
でもまぁ、難しいかもしれないという感触だったようです。

他に申し込みをしていた二つ、片方は、待っている人が多くて、ベッドが空かないので事実上断られたようです。
もう一カ所は、入院による廃用症候群のリハビリという形では受け入れしていないとのことでした。
違う形態で受け入れ可能かどうかを検討中とのことで、これまた難しそうです。


夫の行き先は、今のところ、何も目途が立っていません。
昨日連絡が来なかったので、早くても祝日開けの火曜日になるでしょう。
いっそのこと、退院してしまって、鼻チューブも抜いてしまおうかとさえ、乱暴なことを考えています。

というのは、
数日前、看護師さんに、嚥下のリハビリの方はどうでしょうかと聞いた時、あー今日はやっていましたよ、でも、咽せてしまって途中でやめていましたと教えてくれました。
その時、どんな様子だったかと聞いたら、シリンジの中にとろみをつけた水を入れて、それを口に注入したそうです。
シリンジと呼ぶのが正しいのかどうかわかりませんが、大きな注射器の針のないものです。

前に一度だけ嚥下のリハビリの様子を見たときは、STさんが、ほんとにちっちゃなスプーンで、丁寧に口の中に入れてくれていました。
その時のSTさんは、今日は担当がお休みなので代わりに来ましたと言っていましたが..。
注射器で、口の中に入れられたら、私でも咽せるんじゃないかと思いました。

なんか、今となっては、本当にそう聞いたのかどうか自信がもてないくらいです。
そういうリハビリってあるんでしょうか..。
おそらく、夫が口を開けないので、シリンジになったのだろうとは思いますが..。

夫の担当のSTさんには会ったことがありません。
忙しいようで、夫のリハビリは、週に1度あるかどうか..全くしていないとも思われる節もあります。
知らない人が来て、いきなり口を開けさせようとしても無理だったんだと思われます。
私ならば、ちゃんと口からスプーンで入れて上げられると思います。
それを食べ物、飲み物と認識して、飲み込むことができるんじゃないかと思います。
でももちろん、病院では、家族がリハビリもどきをすることを許していません。


このところ、目を開けている時間が長くなりました。
もう言葉をかけてもほとんど反応はしませんが、ひどい傾眠はなくなりました。
リハビリ病院から切り捨てられてしまうのなら、これ以上悪くなる前に、退院させて、私が口から食べさせてやりたくて仕方ありません。
口腔ケアをするときに、ブラシを舌に当てると、舌で追っかけ回しています。
まだ、完全にダメになったとは思えないのです。

この病院では期待しているリハビリは受けられないし、リハビリ病院は受け入れしてくれるかどうかもわかりません。
毎日、じりじりしながら過ごしています。




          
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明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

結婚以来数十年、私たちはいつも一緒に新年を迎えていました。
今年は、大晦日も、元旦の朝も、夫は病院のベッドの上です。
なんだか、とても寂しく、なにかを忘れているような、物足りない年明けでした。

年末も年始もなく、ただ淡々と病院へ通っています。
30日に病院へ行ったとき、看護師さんが、私の顔を見るなり、今日はお風呂に入れようと思っていたけど、夕べからちょっとお熱を出されまして...と伝えてくれました。
抗生剤も入れているし、痰をインフルエンザの検査に回しているとのことでした。

インフルエンザは陰性とでたものの、熱は下がらず、微熱(7度1~3分)が続きました。
また肺炎かと心配しましたが、ここは病院だしという安心感もあり、それより、折角お風呂に入れるチャンスだったのになーと残念に思いました。

幸い大したこともなく、熱は2日には6度8分まで下がりました。
いつも通り、私がお湯をもらって用意していると、その日の担当の看護師さんがきて、あ、今日はお熱も下がったので、お風呂に入れる予定ですがと言ってくれました。

担当と、もう一人の看護師さんが来て、夫をストレッチャーに乗せました。
ベッドから移乗するとき、抱え上げるのかと思ったら、そうではなくて、体が乗るくらいの細長い板を取り出して、夫の体の下に差し込みました。
板には、筒状のよく滑りそうな布が巻いてありました。
その上で引っ張ると、夫の体は板の上を滑り、簡単にストレッチャーに乗りました。
布と板の間に、摩擦抵抗が少ないので、布が回る感じです。

もう一人の看護師さんは、すぐどこかへ行ってしまいました。
私はなんとなくストレッチャーに手をかけて、押してみました。
担当の看護師さんは、あーすみませんねぇと言いながら、同じ階のすぐ近くにある浴室へ誘導してくれました。

浴室に入ると、前も見たことはあるけど、どうやって使うのかわからなかった機械浴の浴槽がありました。
興味津々だったので、見ていていいですか?と聞いたら、ああ、どうぞ~、じゃそこにある長靴を履いて、これを着て下さいと、足まで届く長さのゴム製?のエプロンを渡されました。

ストレッチャーは、浴槽の脇に並べておいてあります。
まず、看護師さんが、おむつを外してくれました。
排便していて、水様状の便でした。
抗生剤を入れているので仕方ないです。
手際よく始末して、その後、病衣を脱がせました。
体が固くなっているので、大変そうで、一緒に手伝って脱がせました。

その後、丁度いい温度のシャワーを、夫の体にかけ、頭を洗ってくれました。
お湯はそのまま床に落ちますが、私たちは長靴を履いているので、大丈夫。
タオルに石けんをつけて、私にも渡してくれたので、一緒に丁寧にこすりました。

きれいになった夫を、これから浴槽に入れます。
ストレッチャーには金具がついていて、それを浴槽にあるレールと連結して、ストレッチャー毎浴槽の上に、移動しました。
ストレッチャーは、上部の体を乗せている部分と、下部の動かすための車輪がついている台の部分とに分かれました。
はあー!なるほど、こうやるんだー。

体が浴槽の真上になったところで、またリモコンを操作して、今度は支えている部分全体が、浴槽に沈んでいきました。
胸のあたりは、お湯がかぶるかかぶらないか程度の浅さです。
これなら心臓に負担もかからないんだろうなと思いました。
腰のあたりから、泡がでて、ジャグジー風呂でした。
夫は気持ちよさそう~。

いつも一人でお風呂に入れるんですか?と質問してみました。
いいえ、そうじゃないんだけど、今は人手が足りないので、と言っていました。
お正月ですからそりゃそうですよね。
手伝ってもらって助かります~。と言って下さいました。
いえいえとんでもない、こちらこそ、忙しいのに、お風呂に入れていただいて、感謝です。

ゆったりと湯船に浸かった後、さきほどと同じ手順で、ストレッチャーを外に出し、タオルで拭き上げました。
ドライヤーで髪の毛を乾かしてもらいました。

部屋に戻ってゆっくりして、口腔ケアをして、足指と足首のマッサージをして、満足した気持ちで帰りました。






今年は何もしないと言っていたら、実家の母が、というより、義妹(弟のお嫁さん)がおせちを作って送ってくれました。大晦日の夜に宅急便で届きました。
おせち
手作りのおせちを、お重にきれいに詰め合わせて送ってくれました。
元旦の朝に頂きました。
おいしかったです。
夫がいればもっとおいしかったでしょうけど。




          
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