夫は、5月20日の朝、6時55分頃、何の苦しみもない世界へ旅立ちました。

私が駆けつけたのは、7時を数分過ぎていました。
穏やかに、ただ眠っているだけのようでした。
モニターの3本の線が、真っ直ぐな直線になっていることだけが、全てが終わったことを表していました。


14日に急変して以来、夫は苦しそうな息の中、頑張ってくれました。
脈泊は、多い時には220を越え、血圧は、50代の時も多々ありました。
SPO2は、高濃度酸素のおかげか、大抵100に張り付いていましたが、無呼吸が出ると急激に下がりました。
痰が少なくなったようなので、いいことなのかと思ったら、痰そのものが作られなくなるのだそうです。
また、尿が出なくなってきましたが、水分を摂っても、尿として作られず、全身に回ってしまって浮腫がでるようになるそうでした。
腎臓に負担がかかり、心臓にも多大な負担をかけているとのことでした。

血圧が低いので、ベッドの足の方を上げ、頭の方を下げる姿勢を取らされていました。
見るからに苦しそうなので、血圧が80以上あるときなどに、看護師さんにお願いして、ベッドを下げてもらっていました。


17日、一旦持ち直したかのように見えました。
朝、私が行って、「来たよ」と声をかけると、うんうんと言うように、2回頷いてくれました。
まばたきをしたりして、意識があるような感じでした。
おむつ替えで、カーテンの外に出ていたとき、「あら~手が動くのね、奥さんに見せてあげて」という看護師さんの声が聞こえました。
またその看護師さんは、私を呼んでくれて、両足の踵を見せてくれました。
一旦治った褥瘡が、再びできそうになったので、緩衝剤を宛がってもらっていましたが、それがきれいに治っていました。
私が見たいだろうからと、また緩衝材で覆う前に見せてくれたのでした。

爪が少し伸びていたので、切りました。
切りながら、これが最後の爪切りになるかもしれない..と思いました。

その日の担当の、別の看護師さんが、吸引をしました。
吸引していたら、血が一緒に引けてきました。
その後、口腔ケアをしてくれたのですが、見るからに乱暴で、夫はものすごく嫌がりました。
高濃度の酸素で、口の中が乾燥して、痰がこびりついているところを歯ブラシでゴシゴシこすっていました。
簡単に傷がついて、血がでてきました。
見かねて、私が「いつもやっているようにお湯でやらせてもらえませんか」と聞いたのですが、「生命の危険があるときには、私たちがやります。爪を切るくらいはいいですけどね」と言われました。

口腔ケアが終わって看護師さんが出て行きました。
ケアの最中から夫の容態が変わり、モニターの数値が乱高下しました。
その後、意識を取り戻すことはありませんでした。

しばらくして、数値的には落ち着いてきたので、私は家に帰りました。
毎日こういう生活を続けました。
もう治らないことはわかっていました。
治らないのに、ずっと病院へいて、意識がない夫に付き添って、家にも帰らず、眠りもしないでいたら、早く決着がついて欲しいと望むようになるかもしれず、それが嫌でした。
割り切らなきゃと思いました。
その時っていつくるかわからないけど、その時まで、くよくよするのはやめようと思いました。
今夜かもしれないし、ずっと先かもしれないし..。
あきらめが前提でした..。
もう治らないというあきらめ..

私の家から病院までは、歩いて10分ほどです。
何かあったら、電話で呼んでもらって、それまでは心配しないで、普通に生活しなければと思いました。
いつでも出かけられるように用意をしていました。
困ったのはお風呂に入る時でした。
洗面所まで、電話の子機を持って行きましたが、髪を洗っているときなどは、びくびくものでした。

ほぼ毎晩、電話で呼ばれました。
脈拍が落ちたのでとか、呼吸が困難になったのでとかと言われ、駆けつけました。
病室へ着くと、既に数値が回復していて、その晩の担当の看護師さんに、申し訳なさそうに謝られました。
大抵、夜の9時とか遅くても11時位の呼び出しでした。
数値が安定しているので、それほど遅い時間にならないうちに、家に帰って眠ることができました。


18日、ぼんやりと、今後のこととか、考えなきゃいけないんだろうなと思いました。
寝不足も相まって、息苦しくなりました。
夫が折角時間をくれているのに、私は何もやれていない..。
今のうちに片付けよう、捨てられるものは捨てようと思いました。
後からでは捨てるのも辛くなるだろうから..今でも辛いのには変わりないけど..。
その前に時間切れになれば、それはそれで仕方ない。
とにかく、何かをやっていないとダメだな..。
気持ちが不安定で、落ち着きませんでした。

階段にある、目印の羊さん達を片付けました。
洗面所のタオル掛けにぶら下げてあった、おむつ処理用のビニール袋や、いろいろなものを片付けました。
もう戻っては来ないんだからと、自分に言い聞かせました。
そして..
海の用品を捨てることにしました。
これは、もう使うことがないとわかっていても、どうしても捨てられずにいたものです。

この日の夫は数値的には落ち着いていましたが、額に冷たい汗をかいていて、呼吸も、んぐっんぐっと音がして、苦しそうでした。
いつものように熱いタオルをもらって、顔や手足を拭きました。
目の辺りを拭いた時も、反応はありませんでした。

夫に、ありがとね..私も後から行くから待っててね、と語りかけました。
耳は最後まで聞こえるそうなので、聞いてくれたかしら..
こころの中で言うだけじゃだめだと思い、今言わないとと思って言いました。

口の中を見たら血だらけでした。
唇が乾燥して大きなかさぶたができていて、それが剥がれたり、血の塊があったりして、口の中は汚れきっていました。
今日の看護師さんは乱暴ではなく、口腔ケアをしてくれましたが、汚れは取り切れませんでした。

体温は6度6分でした。
それなのに、胸のあたりから背中までびっしょりと冷たい汗をかいていました。
看護師さんに言って、病衣を取り替えてもらいました。
背中もきれいに拭いてくれたようで、その後は、さっぱりとして汗もかかなくなりました。
この日は排尿もあったようです。
一時的ながら、よかったと喜びました。

呼吸が苦しそうでした。
体を横向きにすると、舌根の落ち込みが緩和されて、少し楽になっていたのですが、もうそれも効果がないのかも..。

手を握りながら、ねぇ..呼吸して..レギュレーターで吸うみたいに息を吸って...パラオ行ったねぇ..きれいだったねぇ..と話しかけました。
なんの反応もないけど、もしかして聞こえていて、あのきれいな海を思い浮かべてくれたらいいなと願いました。

この日の夜、エアウェイでは呼吸が確保できなくなったので外し、代わりに、口の中に、プラスチックの板を差し込み、舌根を抑えて気道を塞がないようになっていました。
また、肩の下にタオルを丸めて挟み、のけぞるような姿勢で寝かせられていました。
血圧は50位、SPO2は100でした。

可哀想に..。
苦しいだろうなぁ...。
私にはその姿勢を変えてあげることができない..。
もう一回電話が来たら、それでお終いだろうなと思いました。
お終いになった方が、夫は楽だろうなと思いました。


翌19日朝、病院へ行ってみると、心配したほどひどい状態ではありませんでした。
脈泊は110、血圧は65、SPO2は100、呼吸数は22位でした。
でもいかにも姿勢が苦しそうなので、看護師さんに言ったら、私もそう思う、日中は先生もいるし、これ、とりましょうねと言って、口の中のプラスチックの板と、肩のタオルをとってくれました。
タオルを畳んで頭の下に入れてくれました。
エアウェイも今日は入っていないので、単に酸素マスクが宛がわれているだけの状態になりました。
今まで仰向けだったのを、横向きにしてくれました。
SPO2は下がらず、100のままでした。

まもなくおむつ替えがありました。
今日も排尿があったそうです。
そして、昨夜、大量の排便があったそうで、病衣を取り替えなければならないほどだったそうでした。
それで血圧が下がったようだが、少しずつ回復してきているとのことでした。

その後、吸引してくれました。
かなり奥まで入って、引けたようでした。
粘性が高い血液が引かれて出てきました。
看護師さんは、これ、ずいぶん古そうだと言っていました。
これが気管に詰まっていたのだから、ずいぶん苦しかったろうな..可哀想に..。

吸引の後、口腔ケアをやってくれるというので、お湯でやってもらえませんかと聞きました。
どういう風にやるの?と聞かれたので、こういう風にと説明したら、じゃ、ずっとここにいますから、奥さんがやって下さいと言われました。

14日の急変以来初めて、モアブラシで、ゆっくりと、ほっぺの裏側をマッサージしました。
血がいっぱいついてきました。
部屋についている手洗い器で、一回毎に洗って、またお湯で暖め、マッサージを繰り返しました。
上あごについている血もきれいにとれました。
看護師さんはずっと付き添っていてくれて、ケアしている最中は酸素マスクを持ち上げ、洗いに行っているときはかぶせて、というのをやっていてくれました。
途中、SPO2が下がり、モニターから警告音がでましたが、看護師さんは、大丈夫ですよ、続けてくださいと言って、続けさせてくれました。

体を更に横向きにしてもらって、呼吸は落ち着きました。
その後、酸素を8リットルに下げてくれました。
呼吸は楽そうで、ほとんど音はしていませんでした。
夫の枕元に腰掛けて、手をとって握っていました。
平和で、幸せすら感じました。

その夜は、病院から電話がきませんでした。




そして
翌朝、夫は亡くなりました。
私が前日に見たままの状態でした。
よかった...あの逆さ吊りみたいな態勢じゃなくて..

最期の瞬間には、間に合わなかったけど、なんか、夫がそういう風にして、私にそれを見せないように計らってくれた気がしています。
間もなく息が絶えてしまうのを見せて、私が取り乱さないようにと。

夫はIVHをしていましたが、他には何も管がついていません。
どこも体を傷つけることをしないで済みました。
こんなに長い寝たきり状態なのに、褥瘡すらありませんでした。

もしも、この状態が長引いたら、早晩、尿を作ることができなくなって、浮腫が出たり、褥瘡で苦しむことになったと思います。
きれいなままの体で、旅立つ夫。

これでよかったんだ..と、自分の心を納得させました。
そのせいか、その場では涙も出ませんでした。

葬儀のことも何も考えていなかったので、病院から紹介された葬儀屋さんに頼みました。
すぐ来てくれて、家に運んでくれました。
そして、夫のベッド...ウォーターベッドに寝かせました。
生きている時に寝かせたかったけど..
22日が友引なので、葬儀は23日になり、そのおかげで、夫はお通夜までの丸2日間、家にいることができました。

今、全てが終わり、私は家にひとりぼっちです。
遺影に選んだ夫の写真...
診断を受けてから1年ほど経った頃の写真で、なんの屈託もない笑顔で笑いかけてくれています。




これで、このブログを閉じようと思います。
今まで、沢山の温かいコメント、メッセージ、ありがとうございました。
皆さまのおかげで、どれほど救われたことか..。
本当にありがとうございました。

ブログの更新はもうしませんが、しばらくの間、このままにしておきたいと思っています。
ここには、診断を受けてからの夫がいます。
ここがあれば、いつでも、会いにこれるんじゃないかと、そんな風に思っています。

いつの日か、ここが消えたら、私が、一人で生きる新しい道を見つけられたと思ってくださいませ。
本当に皆さま、ありがとうございました。
昨日の朝、6時50分に電話が鳴りました。
病院からでした。
すぐ来て下さいと言われ、とるもとりあえず駆けつけました。

夜勤だった若い先生が、状態を説明してくれました。
鼻にエアウェイが差され、それを覆うように酸素マスクがかぶせられ、10リットルの酸素が流れていました。
モニターが取り付けられ、警告音をひっきりなしに出していました。
脈拍が60ほど、SPO2が40、血圧が60でした。

入れ替わりに、やはり初対面の女医さんが来ました。
とても事務的に、「生体反応がないので、会わせたい人がいれば呼んでください」と言われました。

状態の悪いときの夫は、いつも、こういう風に意識がない状態になります。
それを見慣れている私は、重大なことにはどうしても思えませんでした。
先生が、まつげを触りました。
半眼を開けていた夫は、全く無反応でした..。
それから、小さなライトで、瞳を照らしました。
瞳孔反射もなくなっているそうです。

そうか..生体反応がないとは、こういうことなんだ..

いきなり、一昨日の、看護師さんに言ったという、「もういいよ」が浮かんできました。
夫は、看護師さんを通じて、その言葉を私に伝えたかったのかもしれない..
そんな風に思われてなりませんでした。


夫は口を開けて苦しそうな呼吸しています。
酸素をいくら流しても、鼻からの呼吸はできていないんじゃないかと思いました。
舌根が落ちて、気道を塞いでいるので、横向きにして欲しいと言いましたら、女医さんは、そんなことをしても無駄みたいなことを言いました。

先生がいなくなってから、看護師さんが横向きにしてくれました。
しばらくすると、SPO2が上がっていき、姉が到着した頃には70位まで上がっていました。
呼吸音も静かになり、楽そうになりました。

8時過ぎにO先生が来て、こうなってしまって残念だけど、もはや抗生剤と点滴と、酸素で様子をみるしかない、あごを上げた呼吸をしているので、最期が近いかもしれないと言っていました。
先生の言葉はずっしりと響きました。

最初60位だった脈拍が、急激に上がって、150位まで行き、128程度に張り付きました。
赤いランプは点滅し、警告音は鳴りっぱなしでした。
呼吸は、0から60位までを乱高下しました。

本当に夫は死んでしまうのか..
死なないよね?
私を一人にして、死んだりしないよね?
夫の顔をなでながら、私はどうしても現実として受け止められませんでした。
私は、何も学んでこなかったようです..。


午後になると、脈拍は100以下に落ち、SPO2は100、呼吸は22位で安定しました。
ただ、血圧はあがらず、59でした。
穏やかに呼吸している夫、でも、生体反応がない夫..

いつ急変するかもわからないけど、ずっと病院へいるのは、先が見えないだけに、長期戦になったら体がもたないと言われて、なにかあったらすぐ電話をもらうことにして、夕方には帰ることにしました。



一夜明けて、電話は来ませんでした。
胃の中になにか重い塊を飲み込んでしまった気分です..。
これから先もずっとこういう気持ちなのかな..。
何をしても手につかない。
先の楽しみも何もない。

生体反応がない..=脳死?
夫はもう治ることはないんだな..
今、やっとそれに気がつきました。
でも、どこかに、まだ回復してくれると信じている私がいる..。
私は何も覚悟ができていない..
ダメ人間すぎる。


何か食べないとと思って、朝食を口の中に押し込み、病院へでかけました。
病室へ入ると、夫は、半眼ではあるものの、昨日より少し目を開けている感じでした。
まつげに触ってみました。
ピクっとして、まぶたを閉じました!
これって、生体反応があるってことだよね?
看護師さんが、痰の吸引をしようと、鼻穴からチューブを差し込んだら、思い切り顔をしかめました。
これって、生体反応だよね?
でも、小さなライトで瞳を照らすテストには反応がないそうでした。

午前中、脈拍は90位、SPO2が100、呼吸が18~22を推移していました。
血圧は、やはり上がらず、65~77といったところでした。


昨日、マルチグローブを家に届けてもらうことになっていましたが、病院へ来てしまったので受け取れませんでした。
多少歩くけど、比較的近くにお店があるので、お昼を食べがてら取りに行くことにしました。
お店に着く直前に、携帯電話に病院からの電話が入りました。
すぐ戻ってきてくださいと...。

5月なのに、晴天で汗ばむ陽気でした。
その中を小走りに病院へ戻りました。
夫が、いなくなった日も、こんな風にものすごくいいお天気だったなぁと思いながら走りました。
あのとき、夫は戻ってきてくれました。
何も根拠はないけど、今回も戻って来てくれるという気持ちでした。

部屋に入って、安心したことには、数値は回復していました。
看護師さんが、慌てて電話しちゃって、ごめんなさいねーと謝ってきました。
とんでもない!助かります、そして、この数値を見てほっとしましたと答えました。
SPO2が20まで下がってしまったのだそうでした。

O先生が来て、午前中よかったから、少しよくなったと言えると思ったけど、またこうなっちゃった..ごめんねと言ってくれました。
そして、こういうのを繰り返していくと思うと言っていました。

まつげに触っても反応がなくなっていました。
その後、数値的には、脈が96前後、SPO2は97、呼吸は20位に安定してきました。
血圧は76でした。
看護師さんが、歯磨きをしてくれたとき、口に歯ブラシを入れたら、それを噛みました。
歯磨きしてもらうんだよ~いいね、お口きれいにしようね、お口あけて~と言うと、口を開けました。
まだ反応がある!と嬉しくなりました。



もしかしたら、夫は、「もういいよ」と思っているかもしれません..。
でも、ダメだよ..私に直接言ってくれなければ..








コメント頂ければ嬉しいですが、もしかしたら、お返事ができないかもしれません..。
その時はどうぞお許し下さいませ。
病室へ入るとすぐ、今日の担当の看護師さんが、「旦那さんは、奥さんになにかしゃべります?」と聞いてきました。
へ?と思ったけど、「いえ、もう何もしゃべりません」と答えました。
看護師さんは、「そうですか~..じゃ違ったのかな」と残念そうでした。

そして、「今日ね、歯を磨いていたら、結構しつこく磨いていたんですけど、そしたら、旦那さんが、もういいよと言ったように聞こえたんですよね」と言うではありませんか。

 「もういいよ」

これって、いかにも夫が言いそうな言葉です。
私は嬉しくて、舞い上がりました。
「あ~もしかしたら、そう言ったのかもしれません。入院する前は、たまに単語はしゃべっていましたので」と答えると、「やっぱりそうですかー。」と言って、一緒に喜んでくれました。


去年の11月に急性期病院へ入院してから、既に半年が過ぎています。
半年もベッドに縛り付けられた生活をすれば、普通の人でも多少おかしくなるかと思います。
まして、夫は重度の認知症患者です。
私は、夫の身体的な回復をあきらめてはいませんが、正直、認知機能に関してはもうダメだろうなと思っていました。
そして、それでも仕方ないと思っていました。
でも、おそらく、歯を磨いてもらって、十分してもらったと思って、或いは口を開けているのが辛くなったのか、もういいよと自分の意思を表示できたということは、まだまだあきらめなくてもいいんですね。しっかりと心に刻みこみました。


昨日、今日と熱は下がり、痰が絡んだ咳をしなくなっています。
でも、痰がなくなったわけではなく、気管から吸引すると、薄く緑色した痰が引けます。
まだよくなったわけではなさそうです。
呼吸音は相変わらずひどくて、苦しそうです。

前回の記事に、褥瘡の心配を書きましたところ、Yuyaさんに、いざえもんシートが有効と教えていただきました。
早速敷いてみたところ、ものの見事に発赤が治りました。
いつも適切なアドバイスを頂いて、本当に助かっております。
ありがとうございました。


今日は、少し状態がいいからと、マッサージの人が来てくれました。
ベッドの上で背中を持ち上げて、しばらく保持していました。
45度位までしかあがりませんでした。
かなり固くなってしまってますが、ぼちぼちやっていきましょうと言って下さいました。

私は、熱が多少あるときでも、毎日、腕を伸ばしたり曲げたり、上に上げたりしていますので、腕はそれほど固くはなっていないと思います。
脚は、なんとなく怖くて、思い切って触れないので、心配ですが、今日の時点ではまだ曲げ伸ばしがある程度できています。

このまま熱が落ち着いて、一日も早くIVHが抜ける状態になって欲しいと思っています。






          
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夫の熱は、なかなか下がりません。
時々、午前中平熱になることはあるようですが、大体7度~8度の間を行ったり来たりしています。
痰がひどくて、吸引してもすぐゼロゼロとしてしまいます。
先生も対処に苦慮してらっしゃるようです。

毎日、今日は熱が下がっているかと期待しながら病院へ行くのですが、目を半眼に開け、口を開けて苦しそうな呼吸をしている夫がいて、その度に落ち込んでいます。
声かけしても、反応してくれることはなくなりました。

気を取り直して、看護師さんから熱いタオルをもらい、顔と頭、手と足を拭いています。
その後、お湯を汲んできて、口腔ケアをやっています。
モアブラシでほっぺの内側をマッサージし、口の中の痰を丁寧にとります。
ブラシを部屋についている手洗い器で洗っていると、もう次の咳がでて、痰がでています。
また痰を拭い取り、手洗い器で洗うの繰り返しをやっています。

しばらくそれをやっていると、夫は目をぱっちり開けてくれます。
呼びかけには反応してくれないけど、たまに目が合うことがあります。
なんにも欲がない、邪気のない澄んだ瞳です。
大切にしたいなぁと思います。


夫はずいぶん長い間、お風呂に入っていません。
不思議なことに、それでも湿疹はできていませんが..。
皮膚が黒ずんできている気がします。
清拭は、この病院では週に2回だということでした。
それ以外に、ヘルパーさんが回ってきて、頭や、手足を、液体石けんで洗ってくれます。
ベッドの上に、フラットタイプの大きな紙おむつを何枚か敷き、その上で石けんをつけてこすり、最後にボトルに入った水(ぬるま湯?)をかけて、後はタオルで拭き取ってくれます。
看護師さんの中には、時間があれば同じように洗ってくれる人もいます。

以前みたいに、蒸しタオルをしたいと思うのですが、ここには、洗面器を置いておくテーブルがありません。
床頭台はありますが、その上にはいろいろなものが乗っていて、とても洗面器をおくスペースはありません。


ちなみに、私は「床頭台」という単語をここに来て初めて知りました。
最初耳でこの単語「しょうとうだい」を聞いたとき、なんだろうなと思っていて、その後、「床頭台」という文字をどこかで見て、あーこれのことかと思ったわけです。いい年して何も知らないのです..。(恥

敢えてやろうとすれば、床の上に洗面器を置くしかありません。
家族が来て、そうやっているのを見て、看護師さん達があまりよく思わないだろうなと思うと、二の足を踏んでしまいます。
それと、一時、ミトンを外してもらっていた時期があって、掻きむしりがひどく、そけい部の点滴にまで手が伸びたのでと、安全のために拘束衣にしていいか聞かれました。
私は万一点滴を抜いてしまったら大変だと思って、拘束衣(つなぎのパジャマ)に同意しました。
つなぎのパジャマだと、腕をまくり上げられないし、まして脱がせることができないので、蒸しタオルしても、ほとんど腕は肘くらいまでしかできません。
そんなわけで、気にはなっているのですが、そのままになっています。
熱が下がって安定して、鼻腔官栄養になり、点滴が抜けて、お風呂に入れてもらえるのを待つしかなさそうです..。


夫が使っているベッドは、低反発のマットレスが敷いてあります。
当初は入院期間も短いだろうと思っていたし、気にしなかったのですが、10日ほど前に、左足踵に褥瘡と思われる発赤を発見しました。
看護師さんに言ったら、褥瘡になった人が使うという、緩衝材のスポンジを当ててくれました。
その後、一旦よくなったり、また赤味が出たりを繰り返しています。
今日行ってみたら、今まではそのスポンジをテープで止めてあるだけでしたが、その上から包帯がぐるぐる巻きになっていました。
悪化したわけではないけど、夫は足をこすり合わせて、スポンジをとってしまうそうです。
それで包帯をしていますとのことでした。

低栄養状態で、褥瘡になったら、治らなくなってしまうと思いました。
それで、思い切って先生に、ベッドのマットレスを変えて欲しいとお願いしました。
先生は、看護師室で相談して下さいました。
この病院は大きな病院ではありません。
エアマット仕様のベッドはあるけども、台数に限りがあり、全部使用中で、空きがないとのことでした。
夫が使っているマットレスは、低反発の中でもいいものだし、体位交換などで、褥瘡ができないように気をつけているから、しばらく待ってほしいとのことでした。
まぁ、先生も、この分野はどうにもならないんだろうなと思いました。
とりあえず、空いたら、次は夫に使わせてもらうことになっています。

今のところ、体に褥瘡はできていないようです。
できないで欲しいと祈るばかりです。



大きな木


          
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夫の熱は、1週間かけて、徐々に安定していきました。
その間、部屋の移動が2回ありました。

最初入院したときは、6人部屋で、窮屈な感じでした。
部屋に入ると、両側にベッドが3台ずつ並んでいて、その真ん中のベッドでした。
間もなく、窓際のベッドの人が退院して空いたので、そこに移してもらうように頼んだのですが、あいにく、痰の吸引器が、一つの壁に1台ずつしかなく、窓際のベッドには届かない位置でした。
この病院には、4人部屋もあるので、もしも空いたら移してくださいと頼んでおきました。

20日に4人部屋に移動しました。
4人部屋で、差額がかかる部屋もあるのですが、朝、電話で部屋の移動を伝えてくれた看護師さんが、差額のかからないお部屋ですからと言ってくれました。
その時に、今いる2階は、急患の人を受け入れるところで、しばらく治療が必要な人は3階か4階になります、このところ、急患の人が増えてきたので、もしかしたら、階を移動してもらうかもしれませんと言われました。

当初の予定では、1週間か10日で鼻チューブを入れてもらい、退院して家へと思っていたのですが、熱がでてしまってはどうにもなりません..。
これはしばらくかかってしまうかも..と思いました。

24日に3階に移動になりました。
階によって看護師さん達が変わります。
折角馴染んで、よくしてもらった看護師さん達とお別れです。

3階も4人部屋で、今度は窓際にしてもらえました。
この部屋は、病院の玄関の真上の位置になります。
玄関の前には、大きな木があって、美しい新緑の葉を茂らせています。
それがちょうど窓の正面に見えて、眺めていると心が安らぎます。

2階はいつもざわざわした雰囲気でしたが、3階は、静かでとても落ち着く環境です。
逆に静かすぎて、私のいない時間は刺激がなさすぎるんじゃないかと、心配になるくらいです。


夫の熱は、少し上がったり、下がったりしながらも、26日には、一日中平熱になりました。
ほっと一安心したのも束の間、翌27日、また39度越えの熱を出してしまいました..。
この日、IVHが入っていても、なんとかしてお風呂(シャワー)に入れてもらおうと、先生に相談しようとしていたのですが、それどころではありません。

痰が多くて、吸引しても、ひっきりなしに沸いて出てくるようでした。
痰を検査したところ、抗生剤が効かない菌が見つかったとのことでした..。
とりあえず、抗生剤の種類を変えてやってみるとのことでした。

前のF病院で、そけい部へCVカテーテルを設置して、なにかがうまくいかなくて高熱を出し、それ以来、抗生剤をずっと使っていました。
あの病院の入院期間中の半分は、抗生剤漬けでした。
耐性菌がでてきたとしても不思議はありません。

再び、エアウェイが差し込まれ、酸素カニューラがあてがわれていました。
ここまできたら、もうジタバタしても仕方ないな...と思いました。
先生を信じてお任せして、回復してくれるのを願う他ありません。

今日行ってみたら、幸い、熱は7度5分まで下がっていました。
酸素はまだついていましたが、エアウェイの方は抜かれていました。
痰は相変わらず多く、吸引してもすぐ溜まってしまう感じです。
熱が下がったということは、今回の抗生剤が効いてくれたのかなとも思います。
このまま回復して欲しいと願っています。





          
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転院して10日経ち、そろそろこちらの病院での様子をまとめようかなと思っていた矢先、夫がまた熱を出しました..。

今日は、姉が代わりに行ってくれることになっていたので、久しぶりにのんびりしていた朝、病院から電話が入りました。
一瞬、てんかんの発作を起こしたのではと思いましたが、そうではなく、熱がでたとのことでした。
血液検査をしているので、その結果がでる頃に、病院へ来て欲しいとのことでした。

行ってみると、O先生が待っていて、看護師室へ通されました。
先生は、開口一番、折角順調にきていたのに、こうなっちゃって、ごめん!と頭を下げて謝ってくれました。
今朝、吸引しているときに嘔吐したそうです。
その時からか、そのちょっと前からかはわからないけど、熱が出て、9度を超えたそうです。
血液検査の結果は、CRP0.8で、まだ炎症反応はでていないとのことでした。

IVHからの感染でしょうかと聞いたところ、まだ入れて間もないし、それは考えにくい、もしそういう感染ならば、熱が乱高下する感じなので、違うと思うとのことでした。
おそらく胃に入った注入食が逆流して、気管に入ってしまったのではないかと思うとの見立てでした。
今日から、経鼻管栄養の注入を一日2回にしてIVHは抜く予定だったんだけどねぇと残念そうでした。
しばらく、IVHの点滴が続いてしまうようです..。

また、状態が悪くなると、舌根が落ちるようなので、エアウェイを入れたとのことでした。


病室へ行ってみると、夫は、前の病院でよく見ていたと同じ、口を開けて目を閉じ、苦しそうな呼吸をしていました。
鼻にはエアウェイが差し込まれ、酸素カニューラが宛がわれていました。
行ったときにはまだ鼻腔管は挿されたままでしたが、間もなく抜いてもらえました。
額に手を当ててみると、相当熱が高そうでしたが、しばらくいる間に、そんなでもなくなりました。
頭には氷枕をして、脇の下にアイスノンが挟まれており、座薬を使っているそうです。
口の中を冷たいモアブラシでさっぱりと拭ってやりたかったのですが、また嘔吐する危険性があるのでと断られました。

何もしてあげられることがなく、呼びかけても反応がないので、胸と背中をさすってあげるしかできませんでした。
前の病院へいたとき、熱を出しては抗生剤を使われていたので、夫の体の免疫力はボロボロになってしまっているのだと思います。


O先生は、本当に慎重に対処して下さっていました。
入院して数日は、まず、エアウェイを抜いてしまって大丈夫かを見て下さいました。
そして、舌はよく動いているし、これなら落ち込むこともないだろうと見極めをつけて下さいました。
そうしてから、経鼻管栄養を開始しました。
私は、経鼻管栄養にしたら、すぐIVHは抜けるのかと思っていたら、そうではなくて、まず、1日300ml?からの開始でした。
その分のIVHからの点滴栄養は減らすということで、栄養剤が変更になっていました。
それから、朝1回の注入になり、これは一日量の半分だそうで、まもなく全量を経鼻管から摂りますと、おっしゃっていた矢先のことでした。

看護師さん達とも顔なじみになりました。
ここの病院の外来の看護師さん達とは、以前から顔なじみでしたが、病棟の看護師さん達とは初対面でした。
なんか、ぶっきらぼうというか、愛想のない人が多いなという印象を最初受けていました。

モアブラシを持ち込んで、口腔ケアをしてやりたいと思うのですが..と言った時、口腔ケアをすると、痰が多くなるので、と言われて、あーここの看護師さんにも断られるのかと思いました。
そしたら、次の言葉が、吸引しますから、言って下さい、でした。

別の看護師さんは、あ、モアブラシ、置いておいてください、こちらでもしますからと言ってくれました。

まぁ、中には、なんだかなと思う看護師さんもいるにはいます。
でも、全体的に見て、愛想はないけど、いい人が沢山いると思いました。

この病院には、リハビリはありません。
OTさんPTさん、STさんはいません。
でも、マッサージ専門の人が、病棟を回ってくれています。
一人で全部を回り、尚且つ、外来の患者さんも受け持っているとのことで、なかなか忙しそうです。
でも、夫のところには、一日2、3回来てくれているようです。
一回の時間は短いですけど、夫をベッドの上で起こしてしばらく様子を見ていてくれたりします。
体が固くなっているので、まず、背を上げられるところまで上げて、徐々にならしていくとのことです。
それから、膝の曲げ伸ばしをしてくれます。
とりあえず、点滴がついているので、無理しないでやっていきますと言っていました。
ここではリハビリは望めないと思っていたので、これだけでもすごくありがたく思っています。


家に帰ってきたとき、車いすで、外階段をどうやって登るかと、介護用品のレンタル店に相談して、一番長いレールを持って来てもらって、実際に設置してみたりしていました。
またケアマネさんにも連絡をとり、帰ってきたときのケアプランの相談もしていました。

熱がでたことで、振り出しに戻ってしまいましたが、前の病院へいたときのような、もうダメなんじゃないかという焦燥感はありません。
時間かかるかもしれないけど、きっとよくなってくれると信じています。






          
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4月7日火曜日、退院の時に着せる、病衣に似た形の寝間着と、靴下と、ダウンのジャンパーを持ってでかけました。
この病院へ来るときは、普通の服を着せてきたのですが、もう普通の服を着せるのは難しいだろうと思って。
夫の服は、大抵かぶって着るもので、前開きのものはありません。
下着もTシャツを着せていました。
腕がかなり固くなっていると思ったし、介護タクシーの人の薦めもあって、簡単に着れるものにしました。
介護タクシーは、来るときは車いすで来ましたが、ずっと寝かせきりなので、おそらく座ることができなくなっているだろうし、できたとしても長時間は無理なので、ストレッチャーに載せてもらうよう頼んであります。

夫は目をぱっちり開けていましたが、呼吸音がひどく、痰が絡んでいました。
幸い、熱は出ていませんでした。
先週一旦外したCVカテーテルがまたつけられていました。
まぁ、栄養がとれるのはいいけど、また中心静脈栄養か..と思ってしまいました。
動かすのが怖いです。

おむつ替えの時間になり、ヘルパーさん達が来て、廊下に出されました。
その部屋の4人全部のおむつを替え終わるまで、家族は部屋に入ることができません。
各カーテンを閉めてやっているので、当人が終わればいいんじゃないかと思いますが、そうでもないようです。
かなり長く待たされます。

外は小雨が降ってものすごく寒かったですが、私は、気晴らしに外へ出て、広大な庭の桜を見に行きました。
ここは山間部で気温が低いせいか、桜はまだ散っていなくて、美しい姿を見せてくれていました。

部屋に戻ってみてびっくり!
夫は、エアウェイを抜いてしまい、更に、顔や頭を掻きむしって血が出ていました。
枕の周囲には、血と、剥がれ落ちた垢が散乱していました。
私がいるときは、ミトンを外しているのですが、さっきおむつ替えで出されたとき、そのままにして出てしまったのです。

反対側のベッドの人のところに、看護師さんが二人いて、なにか処置をしていました。
私が、あらーと声を上げたので、振り返って、ミトンは?!!となじるように言いました。
まぁ、私がミトンをしないで部屋を出てしまったのがいけないんでしょうけど、それにしても、かゆいから掻いたので、かゆくても掻けない状態にしておくことが、いかに非人間的かと改めて思いました。

熱もでていないし、昨日の月曜はお風呂の日なので、入れてもらえたと思っていました。
それにしては、この垢の出方はおかしいと思い、聞いてみましたら、この部屋は月木ではなく、水金に変更になったのだそうです。
明日は入れてちょうだいよと心の中で叫びました。

胸や首を手のひらでずっとさすっていました。
他にはなにもやれることがありません。
脚をマッサージしたかったけど、CVカテーテルが入っている状態では、なんだか怖くてできませんでした。
先週金曜日、姉が口内炎用の軟膏を塗ってくれたので、口内炎は治っていました。
唇が乾いてカサカサして皮がめくれていたので、リップクリームを隠れて塗りました。

帰ろうね、もう少しで帰れるからねと言ったら、夫は頷いてくれました。

外に出て、あまりの寒さに震えました。
明日はもっと寒くなるとのこと。
退院予定の明後日は、少し気温が上がるようですが、いくら毛布でがっちりガードしても、あの薄い病衣一枚では寒いだろうと、いきなり心配になりました。

とはいえ、どこにも肌着を売っていそうなところはありませんでした。
そもそもお店というものがないところです。
滞在するホテルのある街ならあるかと思ってそのまま電車に乗りました。
それから探し回って、やっと見つけて、前開きのシャツを買いました。


4月8日水曜日、ホテルの外に出てみると、雪!でした。
病室へ着いてみると、夫は、口で呼吸していました。
それでも熱はなさそうなので一安心です。
顔は、皮膚がボロボロ剥げてあちこちにくっついた状態でした。

看護師さんに言ったら、あら、まだだったのかしらと言いながら、おしぼりタオルを持ってきて顔をゴシゴシ拭きました。
まぶたの上も構わずゴシゴシ...
やめてくださいと言いそうになりましたが、今までもずっとこうして来たんだろうし、もうここから出るんだからと思って、言葉を飲み込みました。

顔を拭いただけで終わりだったので、頭も拭いてやりたいので、タオルを下さいと言って、お湯で絞ったタオルをもらいました。
頭拭くからね~と言ったら、夫は頭を枕から持ち上げて拭きやすくしてくれました。

今日はお風呂の日なのに、入れてもらえませんでした。
看護師さんに、具合が悪いんですか?と聞いたら、いえ、悪くないですけど、様子を見ていますとの答えでした。
何?何の様子を見るの??
お風呂に入れなかった時してくれるという清拭も、私がいるときにはありませんでした。

口腔は、毎日きれいにしてもらっているんですか?と聞いたら、あ、今日は、歯科医の先生がきれいにしてくれたので、大丈夫ですよとの答えです。
そういうことを聞いたのではないんだけど..

昨日も今日も、リハビリのスタッフ達は全く来ませんでした。
いつから入っていないのか..。
おそらく、退院すると言った後からは入っていないんだろうと思います。
何なんだ、この病院..

夫に、明日退院するからねと言ったら、はっきりと頷いてくれました。


4月9日木曜日、昨夜の雨も止んで、わずかに日が射しています。
受付に寄ると、精算は11時頃になるとのこと。
とりあえず病室に行ってみると、夫はぱっちり目を開けて、元気そうでした。

10時20分頃、看護師さん達が着替えに入って来ました。
出発は11時半なので、おむつはその前にもう一回見るとのことでした。

11時に送迎バスで到着する姉を玄関まで迎えに行き、病室へいてもらうことにして、私は入院費を精算しました。
38日間の入院で、総費用246,386円でした。

11時半少し前に、介護タクシーの人がきて、ストレッチャーに載せてくれました。
載せる前に、ダウンのジャンパーを着せました。
腕が通らなければ、上からかけるだけでもと思ったのですが、なんとか着せることができました。
これで、肩も寒くありません。

心中はともかく、表面的には穏やかに対応してきたので、円満に、いろいろな人から挨拶をもらいました。
特に仲良しになったヘルパーさんからは、温かい言葉をもらいました。
K先生にもお世話になりましたと挨拶したのですが、先生は、あ、とか言って、ちょっと首を下げただけでした。
看護師のUさんとOsさんが玄関の外まで見送りしてくれて、車が見えなくなるまで手を振ってくれました。

こうして私たちは、この病院を脱出しました。
夫は入院したときと比べものにならないほど、衰弱しきっています。
病院を抜けるとき、桜を見せたかったのですが、目を閉じてしまって、見せることができませんでした。

夫は今どん底です。
一からの仕切り直しです。
元に戻れることを信じて、私たちの街へ帰ります。
桜


少し早めに着いたのですが、O先生が早速来てくれて、今後の方針とかを確認してくれました。
CVカテーテルが入っているのを見て、それなら、これをそのまま使おうということになりました。
エアウェイが入った状態で、経鼻管栄養のチューブを入れると、両方の鼻穴を使うことになるので、とりあえずエアウェイを日中抜いておけるかどうか見ようということになりました。

病室へ落ち着いて早速エアウェイは抜かれました。
夫は、すっきりした顔をしています。
目もぱっちり開けて、元気そうでした。

昨日10日に行ってみると、夜もエアウェイを抜いたままでやってみたけど、大丈夫なんじゃないかなとのことです。
私は、K先生にさんざん脅かされたので、舌根が沈下して、今にも呼吸が止まるのではと恐れていて、エアウェイは必須だと思っていたのですが、考えてみると、前の急性期病院では必要ないものでした。
もう少し様子を見て、経鼻管栄養は来週の月曜から始めて下さるそうです。

今日もこれから行ってきます。
近いって、なんて素晴らしいことでしょう..。
気持ち的にとっても楽になりました。






          
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3月31日火曜日、夫の様子はどうだろうかと不安を抱えながら病院へ行きました。
熱があるようで、アイスノンをしていました。
看護師さんに聞いたら、先週の発熱から、ずっと熱が下がらず、微熱が続いていたようです。

夫は、目を閉じたまま、声かけに反応をしませんでした。
口はぴったりではないけど閉じられていて、鼻呼吸をしていました。
ただ、痰は絡まっているようで、ゼロゼロとしていました。

コメントで、さすってあげると、呼吸が楽になると教えていただきましたので、手のひらで首や胸や背中をさすりました。
爪はあまり伸びてはいなかったので、今日はヤスリで削りました。
足の爪が、少し内側に曲がっているようで、これって巻き爪になってきているのかしらと心配になりました。

ちょっとの間、病室を離れて、戻ってみると、看護師さんが痰の吸引をしていました。
そして、熱がまた出てしまったと。
9度台になっているそうでした。
また抗生剤だ...
抗生剤は、メロペネム0.5gでした。
夫はもうダメなのかな..と暗澹たる気持ちになりました。

毎週、何人か引き連れて病室へ来るYs先生がきました。
点滴をしているから熱が出るみたいなことを言っていました。
私は、前回看護師のUさんに言ったことを繰り返してこの先生にも言いました。
ちなみに、エアウェイは今日もまた汚れていました。

痰というのは、ばい菌の塊ですよね?と聞きました。
先生はそうだと言うので、そのばい菌がついているエアウェイを通って、痰が気管から出てまた気管に戻っています、ばい菌が気管に入ってしまうのではないですか?と聞きましたら、頻回に洗わないといけないから、看護師と相談すると言っていました。
我ながらしつこいと思いましたが、度重なる発熱の原因が、このエアウェイの気がして仕方ないのです。
クレーマーと思われてもいいやと思いました。


4月1日水曜日、病室に行ってみたら、左向きに寝かされてはいましたが、呼吸は楽そうでした。
熱は6度8分に下がったそうで、目をぱっちり開けていました。
鼻には酸素カニューラが宛がわれており、1ℓの酸素が入っていました。
右上唇の内側に、口内炎ができていて、腫れていました。

師長のArさんがきて、酸素は様子を見て減らしている、エアウェイはつけておかないと、体を動かして上向きになってしまい、SPO2が80台になってしまうので、怖いからつけておく、エアウェイは毎日洗っている、Ys 先生は知らないのではないかと言っていきました。
おそらく、Ys先生と、師長のArさんとの間で、なにかやりとりがあったのではと思いました。

とはいえ、エアウェイは、今日も汚れているし、昨日と同じ側に入っていました。
毎日洗っているなら、交代に違う側にいれて欲しいと思いました。
午後には酸素カニューラは外れました。

主治医のK先生がきて、先週熱を出して一旦下がり、また上がったのは、菌が死にきれていなかった、点滴のカテーテルについて、感染を起こし、敗血症になってしまうので、カテーテルは抜いた、今は、足の末端から点滴をしているがこれでは足りない、熱発を繰り返してその度に抗生剤を使うと、いくらご主人が若くても、そのうち効かなくなる、胃ろうを近いうちに考えた方がいいと言われました。

点滴は、メロペネム0.5gと、ラクテックD500mlと、KN3号輸液500mlという維持液だけなので、早晩栄養が足りなくなりそうです。

連れ帰れるうちに連れ帰ろう..
そう心に決めました。
このまま置いていては、リハビリどころの騒ぎではなく、夫はこの病院を離れられなくなってしまう..
もう少し回復してからの方が安全かなと思っていましたが、そんなことは言っていられなくなりました。

私の大腸がんの手術をしてくれたO先生が、連れていらっしゃいと言って下さっています。
この病院へは、毎年、夫も健康診断に行っていて、私は、がんの経過観察でお世話になり、高脂血症の治療で毎月診察を受けています。
先月の診察の時に、夫のことを相談したら、そう言って下さったのです。


翌4月2日木曜日、なんと言って切り出そうかと、ドキドキしながら病院へ行きました。
K先生は、今日は多忙のようでした。
看護師室にいた先生に、思い切って、ご相談したいことがあるので、お時間があれば..と言いかけたら、言下に、ありません!と言われてしまいました。
更にそこにいた看護師さんに、今日は待っていても時間がとれないかもしれませんと言われました..。
出鼻をくじかれて、どうしていいかわからなくなったけど、とにかく、今日中に、退院したいことを伝えなければならないと思って、ぐっとこらえました。
お昼の時間が過ぎても、先生は、看護師室で作業をしていました。
私は、とにかく、先生がお昼を食べに行ってしまうまで待っていようと思いました。
夫の部屋は、看護師室との間が、ガラスの仕切りになっているので、どちらからでもよく見えるのです。

お昼を大分過ぎた頃、先生は立ち上がって廊下へ出て行きました。
そして、こちらの部屋に入ってきて、「何?」と聞きました。
廊下へ出てもらって、立ち話をしました。

まず、熱を下げてもらったお礼を言い、また熱を出すのではないかと心配してる、先生のおっしゃるように、抗生剤が効かなくなるのが心配ですと言いました。
先生は、まぁ、そうすぐ効かなくなるわけでもないけどねと言っていました。
私は、連れて帰れるうちに連れ帰りたいと言いましたら、先生は、どこへ?家へは点滴してるし、無理だよと予想通りの答えでした。
それで、4年前に大腸がんの手術をしてもらった先生に頼んでみるつもりですと言いましたら、それならいいよ、頼んでOKが出たら教えて、診断情報提供書を書くからと言われました。

来週退院させたいのですが、と言ったら、先方に話してみないと受け入れてくれるかどうかわかんないんでしょ?決まったらすぐ退院できるんだからと言われ、もっともだと思って、ありがとうございますとお礼を言いました。

案ずるより産むが易しで、すんなりと退院できることになりました。
夫は、今日も熱が下がったままで、目を開けていました。
エアウェイは反対側に入っていて、きれいでした。
多少痰が絡んでいる状態でしたが、顔色もよく、一見、どこも悪くなさそうに見えました。
口内炎は、治っていなく、左側にも少しできていました..。
夫に、帰れるよ、帰ろうねと言ったら、私の顔を見つめ、ニッと笑ってくれました。
何を言っているのか理解できないかもしれないけど、私が嬉しそうにしているから、つられて笑ってくれたのかなと思いました。



今日、4月3日、O先生を訪ねて、入院のお願いをしてきました。
来週の木曜日に決まりました。
また熱を出さなければいいんだけど..と言いましたら、熱がでてもそのまま連れてきていいよと言って下さいました。
その後、相談員さんに引き継いでくれて、相談員さんから入院に際しての説明を受け、介護タクシーの手配もしてくれることになりました。

今の病院の相談員さんに電話して、退院の日程を報告しました。
間に合うように精算などの手配をしてくれるそうです。
また、着替えは、火曜日に行くとき持っていくしかないのですが、当日まで預かってくれるとのことでした。
ケアマネさんにも連絡をとり、こちらの病院へ一旦入院するけど、落ち着いたらすぐ家に帰ることになるので、またお世話になりたいとお願いしました。
こちらに転院した翌日、病院へ訪ねてきてくれるそうです。



私の、先を見通せる力がないばっかりに、夫にはずいぶん遠い回り道をさせてしまいました。
あんなに切望したリハビリでしたが、この一ヶ月、熱を出している方が多くて、結局は、ほとんどやれませんでした。

今月中には夫を家に連れ帰れると思うと、嬉しくてなりません。
体調を崩さないで欲しいと願うばかりです。





          
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病院へは、電車をうまく乗り継いで、2時間強かかります。
家を出てから駅までとか、駅からの送迎バスの時間をいれると、2時間半かかります。
急行に乗れなかったり、待ち時間があると、とたんにかかる時間が跳ね上がります。

日帰りできない距離ではありません。
でも、連日通うとなると、早晩疲れ果ててしまうのは目に見えていたので、現地近くのホテルに滞在して、そこから病院へ通うことにしています。

週に3日、病院へ行っています。
もう1日、姉が行ってくれるので、夫としては、週4日は私か姉の顔が見れるわけです。

ここに来てやっと、通いの電車をマスター?しつつあります。
ホームのどの位置で車両に乗れば、後の乗り換えが楽なのか。
エスカレーターのある位置は、とか。(笑

途中で駅を出て、違う線に乗り換えするのですが、その途中にあるお店にも目が行くようになりました。
時間が足りないので、買い物するまではいきませんが。
何も考えずに、機械的に、乗り降りすることができるようになって、通いがかなり楽になりました。



3月24日火曜日、出かける時はよく晴れ上がって、ポカポカ陽気でした。
この日射しの下に夫を連れ出して、存分にお日様の光を浴びさせてやれたらなぁと思いながら、向かいました。

病室に着くまで、夫がどんな状態なのか、全くわかりません。
先週は、とても状態がよかったので、多少期待して行ったのですが、残念なことに、夫は熱を出していました。
先週はほとんど消えていた呼吸音をまたしていて、口を開け、目は閉じられていました。
それでも声をかけたら、目を開けて私を見つけ、ちょっとびっくりしたような表情をしました。
そしてその後、大きく相好を崩して笑ってくれました。

看護師さんに聞いたら、昨日から熱を出して、今日も7度5分あるそうです。
昨日はお風呂の日だったけど、入れなかったということでした。
心配していた胃ろう設置の事前準備の、胃カメラはやらなかったそうです。
無用な体への負担を回避できて、その点だけはほっとしました。

しばらくして、看護師長のArさんが来ました。
そして、これから口腔ケアをするときは、痰が多くなるので、よく絞ってやって欲しいと言われました。
熱を出したのは、私がモアブラシで、口腔ケアをしているせいだと思っているようでした。
元々、よく絞ったブラシでやっていたのですが、私は、はい、わかりましたと答えました。

その後、先週も来た先生がまた何人かを引き連れて来ました。
今日は胃ろうにしなさいという話でなく、当分、点滴でやるということですねとだけ言って帰っていきました。

その中に、STのYmさんもいましたが、後で一人で戻ってきて、木曜日に来て、私に口腔ケアのやり方を指導してくれるそうです。
お願いしますと言っておきました。

綿棒を持って来ていたので、耳垢を掃除しました。
思いの外いっぱいとれましたが、中の方までは怖くて差し込めず、取り切れませんでした。
爪をまた切りました。
この頃、爪切りは上手にできるようになりました。



翌25日水曜日、病室へ行ってみたら、師長のArさんがすぐ入って来て、口腔ケアは止めてくださいと言われました。
熱が39度6分まででたそうです。
喉がゼロゼロして、夫は苦しそうでした。
セフォン静注用1gという抗生剤を点滴されていました。
39度6分にびっくりして、なんか違うのになとは思いましたが、私は、また、はい、わかりましたと答えました。

その後、主治医のK先生が来て、レントゲンを撮ったが肺炎にはなっていない、気管支に炎症がある、口腔ケア、看護師から言われたと思うが、中止してくれと言われました。

私がやっていた口腔ケア、なんで、こんなに目の敵にされたのか不明でしたが、わかりましたと答えた以上、何もできませんでした。

夫は苦しそうに咳をします。
痰が口の中にでてきているので、濡れていない使い捨てのスポンジブラシで、拭ってやっていいですかと聞きに行きました。
そうしたら、Arさんは、そういうことは看護師に知らせてください、必要かどうか見ますからとの返事でした。
一回は知らせましたが、見に来て、吸引をおざなりにやってそれでおしまいでした。
相変わらず、喉はゼロゼロしているし、口の中には痰が貯まったままでした。

口を開けて呼吸しているので、口の中が乾燥します。
今までは、乾燥止めジェルを塗っていたのですが、それも止めてくれと言われました。
こちらでやりますからとのことでした。
要は、一切、私に手出しするなということでした。
私は、ただ、ベッドのそばについて、夫の顔を見守っているしかありませんでした。

午後に、検温したときは、8度7分になっていました。
体位交換で、右側を下にして寝かせられると、呼吸が楽になりました。
口を閉じて、すやすやと眠っています。
左側に向けると、首の筋肉が固まっているようで、どうしても上を向いてしまいます。
それで、呼吸が苦しくなり、口呼吸になってしまうようです。

廊下で、PTのKrさんにあいました。
今日は熱があるので、中止だけど、昨日は、私が帰ってから、熱が一時的に下がったらしくて、入ってくれたようです。
一昨日は、熱があったので、ダメでしたと言っていました。

帰る前頃に、また体位交換があって、左側を向かされました。
すぐに上向きになってしまって、ぜいぜいと音を出しながら口呼吸しています。
私は、看護師さんに口を開けているので、乾燥してしまうと思うと言いに行きました。
そしたら、看護師さんは、マスクを持って来て、夫にかぶせました。
マスクをされて、夫は更に苦しそうでした。
体が、ビクッビクッと痙攣するように動きます。
てんかんの薬を止めているので、心配ですが、どうにもなりません。
発作を起こさないでほしいと祈るばかりです。



26日木曜日、心配して病院へ行きましたが、思ったほど悪い状態ではありませんでした。
でも、まだ熱は37度5分あって、時々咳き込んでいました。
抗生剤の点滴は続いていました。
マスクは外されていました。

ずっと前から気になっていた鼻に挿したエアウェイが、かなり汚れていました。

3月6日に点滴にしたときに、入れられたエアウェイ、その後汚れていても、詰まっているわけではないからと、ずっと放置されていました。
気になって、何度も看護師さんに訴えたら、やっと19日になって、一旦外して洗って挿し直してくれました。
男性の若い看護師でしたが、不器用な人で、安全ピンにつけているガーゼの用途を理解してなかったらしく、バカでかいガーゼを安全ピンにつけてきました。
私が、ビンが直接鼻に当たって、赤くなってしまうからガーゼをしてもらっているんですよと知らせたら、なるほど~と言いながら、ハサミを持ってきて、ガーゼをジョキジョキ切り始めました。
私は、危ないなぁと思って冷や冷やしながら、その手つきを見ていました。
アッと思った瞬間、夫の鼻穴と鼻穴の中間を、ハサミで切ってしまいました。
なんてことでしょう...。
可哀想に夫は、痛い!!と叫び、血が流れました。
男性看護師は、すみません、すみませんと謝っていましたが..。
私は憤懣やるかたない思いでしたが、どうしようもありません。
この人に何かを頼んではダメだなと思いました。

差し込んでくれたエアウェイも、なんだか曲がって差し込んだようで、漏斗の口が中央に寄りすぎていて、もう一個の鼻穴を半ば潰すような状態でした。

その後、他の看護師さん、何人かに、これ、曲がっているんじゃないかと思うんですけどと訴えたのですが、鼻腔は人によって形が違うので、これでいいんですと取り合ってもらえませんでした。

結局、19日に挿したまま、やり直してはもらえませんでした。
そして、また、咳をするときに、エアウェイから痰が出て、そのまま引っ込んで、汚れがこびりついた状態になっていました。
私は、看護師さんに、これが汚れていると、次の痰が、この汚れに触れて、また気管まで引っ込む、心配なので、洗って下さいと頼みました。
看護師さんは、それじゃ午後にやりますと言ってくれましたが、一向にやってくれる気配がありません。

帰らなければならない時刻も迫ってきているので、最初入院したときに声をかけてくれた看護師のUさんに頼みました。
Uさんの反応は意外なものでした。
洗う必要はないとの考えでした。
なぜ洗わなければならないの?と問い返されました。

私は、口腔ケアを禁じられたのも菌が口の中に入るのを心配してだと思うけど、エアウェイの汚れは、痰が気管まで戻るので、菌がついていたら、そのまま気管に入ってしまうと思うからと答えました。
そうしたら、口腔ケアを禁じたのは、菌の心配ではなく、唾液が増えて、痰が増えるからだと言われました。
唾液が増えるのは、別に構わないんじゃないかと思いました。
そんなことで、口腔ケアを禁じたのかと唖然としました。

問題は、唾液を誤嚥してしまって、それが痰になってしまうことです。
Ao先生からも言われていて、それを防ぐために、できるだけ体を起こした状態にするように言われていました。
そのことは伝えたし、私がいるときは、ベッドをギャッチアップしているのですが、行くといつも下がっています。
唾液が、気管に流れ込み、痰になってしまっていると思います。
口腔ケアで使う水分はわずかなもので、それが増えたからどうのという量ではありません。

とりあえず、菌が気管に入るというリスクは理解してもらって、洗っておきます!と答えてはくれました。
なんだか...
がっかりしてしまいました。

一昨日来た先生が手配したのか、点滴が、フルカリック2号輸液1003mlx2に変わっていました。
総熱量は、820kcalx2で、1640kcalになります。
少し体力を回復してくれたらいいなと思っています。
抗生剤については、こんな短い期間に2回も使って、免疫力がまた下がってしまうな..と心配しています。






          
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今週も火曜日から夫の病院へ行ってきました。
夫は窓側に体を向けて寝かせられていましたが、覚醒状態はよく、私を認めて嬉しそうな顔をしてくれました。
ミトンは増えて、両手にされていました。
薄い木綿のミトンなので、まぁ、いいかなと。
早速取り外して両手を出してあげました。

爪を見るとやっぱり伸びていましたので、看護師さんに断って持参の爪切りで切りました。
爪がきれいだったので、もしかしたらと思って聞いてみると、昨日の月曜にお風呂にいれてもらったそうです。

呼吸音は静かで、たまに口を閉じることもありました。
鼻に刺された呼吸用のチューブ、エアウェイというらしいですが、それが汚れたままでした。

主治医のK先生ではなく、別の先生が、6人位の人を引き連れてきました。
一ヶ月くらいの間、1週間に一度、夫の状態を評価しにくるとのことでした。
よく意味がわかりませんでしたが...。
夫のももに、点滴の処置をしたのはこの先生だそうです。
先生は、点滴だけでは栄養が足りない、菌感染の危険性があるので、早く胃ろうにした方がいいと言っていました。

点滴は、前回と変わらず、フルカリック1号と、ファモチジン1A、それに痰切り剤でした。
壁に取り付けてある容器に入っている痰は、前回来たときの半分くらいに減っていました。

期待していたリハビリは、今日は何もありませんでした。



翌18日水曜日、病室へ向かう廊下で、歯科医のSk先生に声をかけられました。
今、ご主人の口腔ケアをしてきたところだけど、口の中はきれいで、ちゃんとお口を開けてくれましたよと言って下さいました。

病室に着いてほどなく、PTのKrさんが来ました。
ベッドの上で、関節が固まらないようなリハビリをしてくれています。
それ以上のことは、医師の指示を聞いた上で、できることをやるということでした。
PTさんもOTさんも、それぞれ、週2回ずつ入っているそうです。
回数の制限はないけど、回復が望めないのに回数だけ増やすと、県(?)の方から指導が入るそうです。
今ならまだ立たせることはできると思うし、みすみす寝たきりにはしないで欲しいとお願いしました。

夫は、今日も覚醒状態がよく、声かけにたまに頷いたりしてくれます。
痰の容器は空で、今日は吸引をしていないようでしたが、少し喉がゼロゼロしていました。
看護師さんが来て、吸引してくれましたが、エアウェイの穴から差し込んで、簡単に一回吸引しただけで、取り切れていないのかすぐにまたゼロゼロとしてしまいました。
急性期病院へいたときは、徹底的に痰を取り除くので、夫はものすごく苦しそうで、それを見て私はできるのだろうかと不安でしたが、この程度なら、私もできそうだなと思いました。
まぁ、痰がなくなって楽にならないと意味はないのですが..。

夫は時々無呼吸になってしまいます。
特に眠っているときがひどくて、SPO2も80代に下がってしまうこともあります。
これは舌根沈下によるものであり、エアウェイは舌根を通り過ぎて、気道の手前まで入るので、一応通り道は確保されるということらしいです。
ネットでこれに似た使い捨てのチューブを見つけました。
挿入するのも簡単にできそうな感じでした。
今病院で使っているエアウェイは、汚れてもそのままのようだし、できたら、毎日取り替えて欲しいと思いました。
使い捨てなら、清潔でいいし、家に連れ帰った時も引き続き使用できるかなと思いました。
ただこれを入手するためには、医師の処方指示書が必要のようです。
そこで、K先生に相談しようと思って、印刷して持っていきました。

この日の午後、K先生が病室に来ました。
早速このチューブの事を聞いてみました。
まぁ、半ば予想はしていましたが、この病院では使えないとのこと。
ここは療養病院なので、医療費はある一定の枠があり、それを超えた分は病院側の負担になるのだそうです。
自費でまかなうこともできないそうです。

家に連れ帰った時に使いたいと思って、あらかじめサイズとか調整して頂きたいと思っていたのですが..と言ったら、言下に、「もう、家に連れ帰るのは無理だよ」と言われました。
驚いて、なぜですか?と聞いたところ、点滴のままでは無理、胃ろうにしたところで、奥さんが一人で、例えヘルパーに来てもらっても無理、おむつ替えや、体交ができないだろう、どこか家の近くの老健にでもいれて、今みたいに通って介護をすればいいと言われました。

また、点滴のまま、車いすは無理、座らせることができない、針が折れたり、血栓ができてしまう、胃ろうにしてもよくなるわけではないが、自由度は高まる、車いすに乗せて散歩できる、このあたりでも、もうすぐ桜が咲く、それを見せて上げられる、リハビリをやって、どの程度回復するかは、ご主人次第、STがとろみをつけたものでやってみると言っていたが、どうなるか期待はできない、とにかく胃ろうにするかどうか、よく相談してと言われました。

更に、相談すると言っても、奥さんには相談する人がいないんだろうね、だからこうしてネットの情報に頼っているんだろうねとホロリとなりそうなことも言われました。

胃ろうを造るにしても、衰弱していて心配だと言いましたら、体重が30kgあれば胃ろうはできる、最初チューブ付きのものにして、次に取り替えるときにボタン式にすればいい、今点滴で1200kcal入れているけど、アミノ酸だけでタンパク質は入れていない、肝臓でそれをタンパク質に変換する、胃ろうは直接タンパク質を入れられるし、薬も入れられるのでやりやすい、月曜に胃カメラを入れて、胃ろうが設置できるかどうか見てみようかと言われました。
お願いしますとは言わなかったけど、止めて下さいとも言えなかったので、月曜には胃カメラになってしまうかもしれません..。


あきらめるしかないのかな...
でも、なにか騙されたような、この罠にかかってしまった感じはなんなんだ..

確かに、前の病院へいたときよりも、呼吸は楽になっている、覚醒度合いもいい。
でも、点滴では、ベッドから起こすことができない。
寝たきりまっしぐら...
今に股関節も固まって、座ることもできなくなる。
それを回避するためには、胃ろうしかないと。

...本当だろうか。
前の病院へいたときは、確かに呼吸は悪かった。
でも、鼻チューブを抜かなければならないほどではなかった。
点滴にしたのは、罠だ。
胃ろうしか選べない。
胃ろうにしても、結局ベッドに寝かせきり、口からも食べられないままになる可能性が高い。

そうしてはいけない。

その日の夜、狭いビジネスホテルのベッドで、何度も寝返りをうちながら、眠れぬ一夜を過ごしました。
明け方近く、胃ろうにはしない、点滴を抜いてもらって家に連れ帰ろう、リハビリに過大な期待をした私がバカだったんだ、鼻チューブくらいならどこの病院でもしてくれるだろう、帰ったら早速、いろんな手配をしないとと、決めて、やっと眠りにつくことができました。




19日木曜日、病室についたら、OTのYgさんがいて、なんと!夫はベッドに腰掛けていました。
座ることができないと思っていたので、びっくりしました。
夫に、座れるんだ~よかったねーーと声をかけると、嬉しそうにニヤっと笑いました。
Ygさんは、やっぱり起こしておくと、本当に反応がよくなりますねと言っていました。
そして、今はまだベッドに腰掛けるだけだけど、そのうち、車いすで外にも行きましょうねと夫に声をかけてくれました。

私は、昨日K先生が言っていたこともあり、点滴のままで車いすに乗せられるんですか?と聞きました。
Ygさんは、あ、点滴のバッグを引っかけるスタンドみたいなものが車いすについているんで大丈夫ですよ~と言います。
そして、他の、そけい部に点滴を刺した人も、車いすに乗せていると教えてくれました。

わからなくなりました..。
点滴のまま車いすに乗せるのは危険なのか、それとも気をつけてやれば大丈夫なのか..。
私は、Ygさんに、昨日K先生が言っていたことは伝えませんでした。
そして、もし、こうしてリハビリをやってもらえるならば、強引な退院はしばらく見合わせた方がいいのかなと思いました。


今日は木曜日です。お風呂に入れてもらえると思っていたら、夫は外されていました。
聞きに行ったら、中心静脈点滴の人は週1回になるんだそうです。
まぁ..手間が大変なんだろうなと思いました。
その代わり、全身清拭をしてくれましたが..。
ここでは蒸しタオルはできないし、どうにもなりません。
でも、今のところ、夫の皮膚は湿疹やかぶれはでていません。


STのYmさんが来て、今日の午後1時半に来ますと言うので、あ、じゃ今日は飲み込みをやってもらえるんですね?と言ったら、えっ?と驚いていました。
K先生がそう言っていたと言いましたら、それはできる状態になったらやるということですとにべもなく言われました。
できる状態とはどんな状態か聞きましたら、血圧の上下変動がない、SPO2がいい、覚醒がいい、喉のあたりに雑音がないという状態ならばやるけど、今日の予定ではないと答えが返ってきました。

今日は覚醒もいいし、今日を外すと私が見れるのは来週になってしまうし、来週こういう状態かどうかわからないし、永久に試す機会はないんじゃないかと思うと言いましたら、評価は1口じゃダメで、3口じゃないととか、よくわからないことをぐだぐだと言っています。
Ymさんは、初対面の時のの印象通りの人だったようです..。
評価はどうでもいいので、夫が、未だに、飲み込むことができるかどうかを私は知りたいのです。
そのために、そのためだけに、これまで待って、待って、胃が痛くなる思いをして、転院させて来たのです。
なんとかお願いして、状態が悪ければ、即中止するという条件で、今日やってもらえることになりました。

Ymさんを待つ間、私は口から心臓が飛び出すんじゃないかと思う位、ドキドキしていました。
どうなんだろう..今でも夫は飲み込むことができるのだろうか..

一通り、バイタルを測りマッサージやら刺激やらを済ませて、いよいよスプーンに載ったとろみのついた水が、夫の口に運ばれました。
ひさしぶりの口からの摂取で、うまく口で受け止められず、少し口の端にこぼしてしまいましたが、それでも、ごっくんと飲み込んでくれました。
Ymさんは、これじゃ多いわね、半分にしましょうと言って、二口目、三口目は、ほんのわずかな水を飲ませました。
三口目に夫はむせたのか、咳をしました。
飲み込みの試みはそこで終了になりました。

おそらく3ヶ月ぶり位に水を飲んだと思うし、私としては、まだ飲み込むことができるとわかり今日のところは充分だと思いましたが、Ymさんがどう思ったかはわかりません。
もし、この状態が、もう飲み込みはできない=リハビリをやっても無駄と評価したなら、今後のリハビリが、減らされる可能性があります。
継続して飲み込みのリハビリをやってくれるならば、ありがたいと思います。
このSTさんは、私がいて、言わないと、マッサージのみで、飲み込みの訓練は、やってくれない可能性もあります。

いずれにしても、もう少しだけ、様子を見ようと思いました。
と、同時に、いつでも家に連れ帰れるように、態勢を整えておきたいと思っています。






          
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