グラマリール50mgのおかげなのか、それとも、私の対応が多少マシになったせいなのか、6月の初めにもう一度110番せざるを得なかった以外は、ひどい暴力に発展することは少なくなってきました。

相変わらず排泄地獄は続き、こちらは更にひどさを増していきました。
排泄したくても、何かが邪魔してできないという感じでした。

トイレに連れて行っても、排泄できなく不穏になるばかりでした。
連れて行った直後、部屋の中で放尿したりしていました。
むしろ、放っておいたほうが、ちゃんと便器にしてくれることもありました。

私は、あきらめて、夫の自由にさせることにしました。
あらゆるところがトイレになりました。
汚したら掃除する..それを延々と繰り返していました。

昼夜逆転の傾向が出てきて、夜中起きて歩き回り、玄関や廊下、洗面所に放尿していました。
その度に起きて掃除をしました。
明け方まで眠れない日々が続きました。
耐えきれる限界って、どこまでなんだろ..時々私はぼんやりと考えていました。


6月の中旬にうなり声を上げ、立ち上がってふらつきました。
小さなことが、いっぱいできなくなってきていました。
靴を履くことができなくなった、ひげ剃りができなくなった、お風呂の時、浴槽に入ろうとして反対側に歩いて行くとか..方向の認識もできなくなっていました。

私はそれが薬のせいだと思いました。
主治医にアリセプトとグラマリールを減らしてもらうように頼みました。
アリセプトは5mgに減らしてもらいました。
その代わり、ガーデンアンゼリカが効いてくれるのを期待して、フェルガード100Mを1包Newフェルガードに変えました。
グラマリールは、もう少し落ち着いてからの方がいいと言われ、50mg継続になりました。


6月の下旬にけいれん発作を起こし、初めて救急車を呼びました。
7月に入ってすぐ、グラマリールを25mgに減らしてもらいました。
グラマリールを減らしても、相変わらずすぐ不穏にはなりましたが、殴りかかっては来なくなりました。

7月から、お泊まりデイを3泊に増やしました。
これでずいぶん私は楽になりました。
排泄地獄は相変わらずでしたが、夫のいない間、ゆっくり睡眠がとれるようになりました。
肋骨にヒビが入った脇腹の痛みもいつのまにか薄れていました。

7月下旬になると、ひげ剃りが再びできるようになりました。
心なしか反応がよくなり、笑顔も時々でるようになりました。
嬉しかったのは、パンツを立ったまま、どこにも寄りかからずに履けるようになったことでした。

8月に入ると、これまでの異常な怒りの発作はなくなりました。


例年8月は、健康診断に行っていました。
その年も、もう暴れることはないだろうと思い、連れて行きました。
思った通り、健康診断はとてもスムーズにいきました。
移動するとき、私のバッグを持ってくれたり、気遣いに関しても昔の夫のままでした。

ところが..。

会計を済ませ、振り向いたら、そこにいる筈の夫がいませんでした。
これまでも、一緒に出掛けていて、ふっといなくなることが度々ありました。
私が視界にいなくなると、探しに行こうとして、あらぬ方向へ歩いて行ってしまうようでした。

ぐずぐずしてはいられないので、挨拶もそこそこに外へ出て探しました。
午後0時25分でした。
いなくなったのはそんなに前ではない筈でしたが、もう姿は見当たりませんでした。
どっちへ行ったかわからなかったけど、とりあえず、駅の方向へ向かいました。
すごい人出で、これはとても探せないと思い、駅前の交番へ届けを出しました。
そこで20分位待たされました。
こうしている間もどこかへ行ってしまうと思って気が気ではありませんでした。

交番を出て、来た道を戻り、思い当たるところ全てを探しました。
その日は快晴で、真夏の太陽がぎらぎらと容赦なく照りつけていました。
健康診断を受けるため、その日は朝からなにも食べていませんでした。

2時過ぎて、暑くて、飲まず食わずで歩き回っていたので、ふらふらしてきました。
夫が今も外にいるなら、同じ状況だと思って、私だけ何かを飲もうとは思いませんでした。

その後も、足が痛くなるのも構わず探しました。
でもどこにもいませんでした..。
もしかして、ほんとにもしかしてだけど、家に戻っているかもしれないと思い、一旦家に帰りました。
そこに姉から電話が来て、これから来て一緒に探してくれるとのことでした。
車ならもっと遠くまで探せると思い、姉が来るのを待ちました。

姉が来てくれて、もっと広範囲に探しましたが、いませんでした。
駅前まで出て、また交番へ行き様子を聞きましたが、通常のパトロールのついでに不審者に気をつける程度のものだとの事でした。
もうどうしていいかわかりませんでした。

探すあてもなく、連絡を家で待っているしかありませんでした。
私は頭痛がして、少し吐き気もしていました。
前の晩もあまり寝ていないし、この暑さでたぶん熱中症気味になったのだと思いました。
姉が少し眠りなさいと言ってくれ、2時間ほど眠らせてもらいました。
姉はその後、私がお風呂に入るまでいてくれて、午前2時過ぎに帰っていきました。
足をお湯に浸からせることができたので、多少ましになりました。

その後も、ひとりでまんじりともせずに夜を明かしました。
いつしかうとうとと眠っていたのでしょう。
ケアマネさんの電話で目が覚めました。
心配して電話をしてきてくれました。

その日も既に日が照っていて、猛暑になりそうな日でした。
9時半に、いてもたってもいられなくなり、交番ではなく、本署の方に電話をしました。

重度のアルツハイマーであること、判断力が全くないこと、歩けるけどもゆっくりしか歩けないし、遠くには行けないこと、お金も持っていないし、電車に乗ることはできないということなどを話しました。

今生きているとしても、もう20時間以上飲まず食わずだし、今日の暑さでやられるだろうということ、病院の周囲を、半径1キロでも2キロでもいいから、くまなく捜索して欲しいということを話しました。

それに対して、本署の人は、「それでは、捜索願に切り替えますか?」と言うのです。
唖然として、めまいがしそうでした..。
私は「捜索願」を出したつもりでいました..。
私が交番に出したものは、単に「所在不明者」というものだったらしいです。
なんで言ってくれないのかと思いましたが、今更どうにもなりません。
ともかく、写真を持って手続きに来てくれとのことだったので、早速駆けつけました。
防災無線も使いますか?と聞かれたので、何でも使ってほしいと言って、その書類も提出しました。

家に戻ったのが、11時頃でした。
その頃には、うだるような暑さで、ああ..もう夫には逢えないかもしれないな...と思いました。
心細くて、悲しくて、私は息が止まりそうでした...。


12時ちょっと過ぎに、40キロ位離れた市の市役所から電話が来ました。
なんと夫を預かっているとのこと!!
捜索願で出した写真が決め手になったそうでした。

早速伺いますと返事して電話を置き、姉とケアマネさんに電話しました。
ケアマネさんは一緒に行きましょうと言ってくれました。
夫がどんな状態かわからないし、何かの時に一人で対処できないかもと思って、その言葉に甘えて一緒に行ってもらいました。

市役所の高齢者福祉課の奥の和室で、座布団を敷き詰めた上に、夫は眠っていました。
間もなく目を覚ましましたが、どこにも外傷はなく、服も汚れていず、元気そうでした。

前の晩の22時頃、急行が止まる駅の近くのアパートの敷地で、警察に発見されたとのことでした。
おそらく、トイレを探して敷地内に入り、不審者として通報されたのではないかと思います。
警察では身なりがちゃんとしているので、そんなに遠くから来たのではないと判断し、管轄内の該当者を捜し回ったとのことでした。

その後、警察署のソファに寝かせてもらい、お菓子とお茶をもらったとのことでした。
朝9時頃、市役所に連れてこられて、お昼には、おにぎり2個を食べさせてもらったらしいです。
ペットボトルのお茶も買ってもらったらしく、飲みかけで置いてありました。

お礼を言って帰るとき、その部屋にいた職員さん達が、全員立ち上がって挨拶をして下さいました。
口々に、よかったね、また今度はゆっくり遊びに来て下さいと言って下さいました。
その暖かさに涙が出ました。



夫は生きていてくれました。
怪我もなく、私の元に帰ってきてくれました。



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