2011年11月12日、お泊まりデイから迎えに来てもらって、車いすに乗せ退院しました。
お泊まりデイに着き、デイの看護婦さんに状況を話して、もらってきた薬などを渡しました。
夫は、すぐ落ち着き、笑顔も出て、くつろいだ様子をしていました。
落ち着かないようなら、しばらくの間、毎日通うかなと思っていましたが、この分なら大丈夫そうでした。

デイの人にも言われて、翌日は一日家で休みました。
何もする気が起きなくて、体がだるく少し熱っぽく、一日中ごろごろしていました。
夕方、いつもなら病院へ行って食事させてる頃だなと思い、もう行かなくていいんだと思ってほっとすると同時に、なぜか寂しくなりました。
これじゃだめだよ..元気にならないと..と自分を叱咤激励しました。

翌日、認知症の薬をもらいに、主治医のところへ行きました。
これまでのいきさつを、ざっと説明しました。
Sクリニックに入院したことは既に知っていて、生きて退院できて良かったねと笑いながら、半ばまじめに言われました。
以前、先生の患者さんがSクリニックに入院して、感染症で亡くなったそうです。
私は、大便がついた手や、寝具のまま放っておかれた話をし、ありうるかもと相づちを打ちました。

その日の先生はとてもものわかりがよく、痛み止めだけでいいの?と聞いてくれたりしました。
メマリーも、眠気がひどくて半分に減らした患者さんがいたらしく、この前と打って変わった対応で、10mg2錠でいいんでしょ?と言って、その処方箋を書いてくれました。

薬局で薬を買い、その足でお泊まりデイに行きました。
部屋に行ってみると、夫は、おとなしそうなお婆さんと並んでソファに座っていました。
私を見るとうれしそうに笑って、いい笑顔ですねと褒められていました。

看護婦さんに、持って来た薬を全部預けました。
排便を聞いてみたら、まだ出ていないそうでした。
これまで20日間、下剤を毎日飲まされていたので、止めると出ないかもしれないので、様子見て、減らしながら使うようにして下さいと頼みました。

ベランダに出ますか?と聞かれたので、行くことにしました。
椅子を二つ用意してもらいました。
ベランダに降りるところの段差が結構大きくて、階段1段分くらいあるのですが、両手をとってゆっくり降ろすと降りることができました。
お天気が良く、汗ばむほどでした。
夫にとっては、しばらくぶりの外気で、気持ち良さそうにしていました。
部屋に戻るときは、その段差をやっと上がりました。
その後、お風呂にも入れてもらい、おひげも剃ってもらって、さっぱりとしていました。

利用者さんは、夫も含めて男の人が3人、女の人が3人の計6人でした。
スタッフは、看護婦さんを含めて3人で、充分目が行き届いている感じでした。

もしかして、リハビリ病院は必要ないかもと思ったりしました。
でも、ほとんどの時間が、ソファに座ったきりの生活になっているみたいだし、歩かせると言ってもどこを歩かせるんだろうという感じなので、やはり必要だなと思い直しました。
これまで、お泊まりから帰ってくると、機嫌はいいけど、たまに、よろよろしているというのは、こうした環境だからなのだなと思いました。
とりあえず、今より歩けなくなることはないだろうから、これを維持してもらって、リハビリ病院へ繋いでもらおうと思いました。



一週間ほどして、リハビリ病院から電話が来ました。
お泊まりデイのほうに電話して、様子を聞いたそうでした。
一人で立ち上がる時があるので、その時は手引き歩行で対応していると言っていたとのことでした。
その場合、転倒の危険があるので、リハビリ以外の時間は抑制させてもらうかもしれないと言われました。
抑制とは何かと尋ねると、車いすに縛り付けるとのことでした。
一日3時間のリハビリ以外は、そうした抑制された生活だと、精神面でもよくないしとか、以前とは違って、入院を断りたいような雰囲気でした。


確かに、見知らぬ所に移されて、挙げ句の果てが抑制されたら、いい結果にならないなと思いました。
でもそうすると、ずっとお泊まりデイにお願いするしかなくなります。

このまま家に連れ帰って、私一人で介護するのは、できそうにありませんでした。
たまに一人で立ち上がることがあっても、大抵の場合は、二人がかりでないと立ち上がらせることもできませんでした。
それほど夫の認知症は進んでしまっていました。
ベッドに寝かせるのも起こすのも、一人ではとてもできそうにありませんでした。
そしてまた、連れ帰っても、階段を上れなければ、ずっと寝室にいることになるし、そうなると、お泊まりデイにいるよりもっと運動量が減るのは明らかでした。

私は、一日も早く家に連れて帰りたいし、きちんとしたリハビリを受けさせたいと答えました。
この頃、このままではもう夫は元通りにはならないかも..と薄々感じていました。
リハビリ病院だけが、頼みの綱でした。
結局、入院できる日が決まったら、また電話をくれるということになりました。



とりあえず、夫が家に帰る前に、手すりを取り付けておきたいと思い、補助が出るということなので、市役所に手続きに行きました。
ややこしい手続きでしたが、9割まで負担してくれるとのことなので、申し込みました。
階段の手すりは、家を建てたときからつけてあるので、トイレと浴室につけようと思いました。
手すりがないと、どうにもならないと思いました。



毎日来なくてもいいですよと言われてはいたけど、なにかにつけて、デイに通っていました。
利用者さん達とも顔なじみになりました。
一日中奇声を上げているお婆さんは、笑うととても愛嬌のある笑顔の人で、よく一緒にいて手を握って相手をしていました。
奇声に対して、うるさいと怒るお爺さんやら、車いすに腰掛けたまま体を傾けて眠り込んでいるお爺さんやらがいました。
最初見たとき、おとなしげで上品だったお婆さんは、不穏になると、誰彼構わず、ひっかいたりかみついたりしていました。
その中で、奇声も上げず、落ち着いて座っている夫は、一見、極くまともに見えました。

ある日の午後、奇声を上げ続けるお婆さんに対して、いつも怒るお爺さんが、うるさい!と怒鳴りました。
他にいた二人のお婆さん達も不穏な状態になり、部屋の空気が不穏そのものになりました。
何度目かの、うるさい!に夫が反応して、夫もうるさい!と怒鳴りました。
それまでとは違って、夫は認知症患者の目をしていました。
夫もまた、紛れもなく認知症患者でした..。

その時、改めて気がついたのですが、Sクリニックに入院して以来、夫が、私に対して不穏になるということが、全くなくなっていました。
グラマリールもとっくにやめて、向精神薬は全く使っていなかったのですが、あの暴力を振るっていた頃とは隔世の感がありました。
ただやっぱり、周りの状況で、不穏になることはあるんだなと思いました。


お天気のいい日が続いていて、祭日のその日も穏やかに晴れ上がってました。

世間では家族で出かけたり、食事をしたりしているんだろうな..
夫は、奇声を上げ続ける人や、虚ろな目をした人達の中で、何の楽しみもなく、ただただ時間を過ごしている..
この先になんの希望もなく..

自分の意思を言葉にできないというのは、どんな感じなんだろうか..
思い起こせば、去年の今頃から暴力のはしりみたいののがあったけど、私も自分の体調がひどく、きっと夫の気に入らないことをいっぱいしていたんだろうな..
夫の気持ちに添った対応をして上げていなかった..

それに対して抗議もできず、怒りの表情を見せるものの、それでも暴力行動にまでは至らなかった夫
私は、自分が入院したら、面倒を見て上げられなくなると思って、施設に入れようとしたり、その施設で転倒して、頭を打ったり..
そしてついに春には暴力が始まった
暴力は、私に対する無言の抗議だったのだろう..

そして今、再び穏やかになった夫がここにいる
見る影もなく弱々しくなってしまって..
家に連れて帰って、自分のソファでのんびりさせたいな..


そんなことを思うと、私は夫が不憫でたまらなくなりました。
家に帰って泣きました。
もう誰も、私の背中をさすって慰めてくれる人はいませんでした。


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