2011年10月下旬、けいれん発作の後立ち上がれなくなり、救急病院で受診しました。
結果は、第一腰椎圧迫骨折とのことでした。
トイレで倒れた時、ひねってしまったのだろうと思います。
手術するレベルではなく、安静にするしかない、ここでは空きベッドがないので、転院して欲しいと言われました。
受け入れてくれる病院を2つ紹介されました。
地元なので、いろいろな噂は耳に入ってきてましたが、その2つともあまり評判のよくない所でした。
後になって、健康診断でお世話になっていた病院に入院させればよかったと悔やみましたが、その時は思いつきませんでした。
その2つのうち、片方は家から歩いて行けるところにありました。
私はこちらを選びました。
その日のうちに、救急車で運ばれ、Sクリニックに入院しました。
入院の手続きをして、院長面談をした後、病室に行きました。
細長い部屋でしたが、狭い所に7人の患者さんが入っていました。
夫はおとなしく寝ていましたが、看護婦さんに呼ばれていろいろ聞かれました。
座薬を入れられたらしく、その時暴力をふるったそうです。
拘束してもいいかと聞かれたので、いいと答えました。
薬を使われるよりマシだと思ったからです。
持参する品物のリストをもらい、また病室に戻ってみると、ちょうど食事を食べさせてもらっているところでした。
看護婦さんは私を見ると、スプーンを手渡して、さっさとどこかへ行ってしまいました。
まずそうな食事でしたが、食欲はあるようで、ちゃんと食べてくれました。
とにかく痛みが引かないことには仕方ないからね、また明日来るからねと言ったら、夫はわかったようでした。
翌日、お昼少し前にクリニックに行きました。
全く改善した様子が見られず、腕についている点滴の管に血がたまっていました。
両手にはミトンをはめられて、下半身はおむつのみで裸、バスタオルをかけただけでした。
顔つきも弱々しく、認知症が進んでしまった感じの顔でした。
夫は、私を見つけると、弱々しく笑って、よかった..と言いました。
どんな一夜を過ごしたのか...。
私にはどうしてやることもできませんでした。
隣の人を車いすに乗せようとしている看護婦さんの声が聞こえました。
言い方がひどかった..。まるで目下の者扱いをしていました。
夫もこういう扱いをされているんだろうなと、暗澹たる気持ちになりました。
食事の時間になって、看護婦さんが二人来て、夫の体を引き上げ、続いてベッドのハンドルを痛がるのも構わずぐいぐい回して背もたれを上げました。
見かねて、痛がっていますからと言ったら、ご飯を食べられないですよと言いながら、また元に戻し、中途半端な位置で、ひどい態勢にさせたまま、どこかへ行ってしまって、いくら待っても戻ってきませんでした。
ナースステーションまで行き、そこにいた人に、お忙しいでしょうけどと言って、頼んで来てもらい、体を引き上げるのを手伝ってもらいました。
その後、夫の様子を見ながら、ゆっくりハンドルを操作しました。
痛がるのであまり起き上がらせることはできず、60度位までしか上げられませんでした。
用意して来た小さな瓶にフェルガードを入れ、ヤクルトを入れて溶かし、飲ませました。
院長面談の時、サプリメントは絶対ダメだ、それを奨める医者はインチキだと言われているので、隠れて飲ませました。
食事は見るからにまずそうで、スプーンで食べさせましたが、半分くらいしか食べられませんでした。
昨日は完食してたのに..。
その後自宅に戻り、私も昼食にしました。
ケアマネさんが来てくれて、Sクリニックの評判の事など、いろいろ話しました。
ここに入院すると、歩けなくなって家に戻ると言うことでした。
半ば冗談なんでしょうけど、ともかく、痛みが引いて急性期が過ぎたら、即退院させて、後はこれまでお願いしているお泊まりデイに面倒を見てもらうのがいいということで、意見が一致しました。
またクリニックへ戻ってみると、さっき出るときはかなり普通の顔つきになっていたのに、また認知症顔になって、息づかいも荒く目を閉じていました。
両手にミトンがはめられていたので、脱がせました。
4時から点滴が始まりました。
点滴が終わる直前に夫が体をよじりながら動き始めました。
おそらく便意があったのだろうと思います。
トイレ行けないから、おむつの中にするしかないから、いいんだよと言ったら、わかったようでしたが、ずっと落ち着きなく体を動かしていました。
夕食もほんとにまずそうで、半分くらいしか食べられませんでした。
途中で、人がいないのを見計らって、BIOにフェルガードを溶かせて飲ませました。
飲んで間もなく、顔つきが正常になりました。
不思議なくらい変わりました。
おむつの中に手を入れて掻きむしり始めました。
ナースステーションに行って話したら、6時になったらおむつ交換するからと言われました。
まだ5時40分だったので、それから20分、夫の手をさすりながら待ちました。
6時10分になって、やっと看護婦さんが来てくれ、痒いところを清拭して、おむつを替えてくれました。排便はしていませんでした。
翌日もお昼少し前に行きました。
両手にミトンをはめられていて、右手の方は更に、さらしできつく縛ってありました。
お世話係の人を呼んで外してもらったら、手首に傷があり、赤く剥けていました。
手首の周囲が、縛り付けた事で赤く変色して、しわがよっていました。
どんなに固く縛り付けていたことやら...。
夫は今日も改善した様子はなく、反応も鈍い状態でした。
ただ、ベッドの背もたれは、ゆっくり回せば、ずいぶん上まで上げられるようになりました。
食事は相変わらず刻み食でしたが、今日はまぁまぁおいしそう。
スプーンで一口ずつ食べさせ、完食しました。
食後の薬は大量でした。
大きな錠剤が1、小粒の錠剤が2、粉薬が2袋で、中身はわかりませんでした。
これが一日3回ですから、この3倍ということになります。
その他に午前中いっぱいと、午後4時からと、毎日点滴をされていました。
大量の薬漬けになって、背骨の痛みは引いても、認知症が進み、結局歩けなくなってしまうのではないかと、心配になりました。
フェルガードを飲ませた後、普通の顔つきに戻るので、それだけが頼りでした。
午後4時すぎにまた行きました。
腕の点滴を引き抜いたらしく、血があちこちに飛び散り、点滴は足首にされていました。
顔色が赤く、浮腫んでいました。午前中に縛られた右手首が、赤く腫れ上がっていました。
排便がないことが心配で、看護婦さんに言ってみましたが、全く把握していませんでした。
調べてきたら、入院してから一度も排便がないとのこと。
もっとも、寝たままの排便は経験ないから、出せないのだと思いました。
浣腸か摘便をして欲しいと思いました。医師の指示がないとやってはくれないでしょうけど..。
それでも翌日には、座薬を入れてくれて、夜に、入院以来初めての排便がありました。
排便があっても、なかなかおむつを取り替えてくれませんでした。
一回排便があった後は、ベッドの上での排便になれたのか、出せるようになりました。
同時に、便意というものがなくなってしまったようでした。
この後、どこででも出てしまうようになりました。
排便があると、違和感があるのか、おむつの中に手をつっこんでしまい、手を便だらけにしていました。
一応拭き取ってはくれるのですが、いい加減で、よく指が黄色になっていました。
シーツや掛け布団カバーに便がついていても、取り替えてはくれず、いつまでも、シミがついたベッドに寝かされていました。
排便があっても、時間が来ないと取り替えてもらえず、そのまま食事を食べさせざるを得ない時が、多々ありました。
寝間着の背中が濡れているので、おむつから漏れていると思い、取り替えてもらおうとしたら、おむつは汚れてないとのこと。
この前のおむつを替えた人が、背中やシーツは濡れているのに、それはそのままで、おむつだけを替えたようでした。
首の後ろに垢が浮いていたので、清拭はしてもらえないんですか?と聞いたら、一週間に一度していますとの返事でした。
痒くて掻きむしれば、薬をつけてかゆみを押さえる対応でした。
背中を立てて、ベッドから離すことができるようになってからは、毎日熱く絞ったタオルで拭きましたが、その前は、重くて、体を一人で動かすのができませんでした。
私は自分が入院したこともないし、他の病院のことは知りませんが、これって普通なんでしょうか。
一日も早く退院させたいと思いました。
毎日、お昼前と、午後からの2回、クリニックに通いました。
いつも、ミトンがはめられていて、さらしで、ベッドの柵に縛り付けられていました。
点滴で暴れたのでしょうけど、それにしても終わったら外して欲しいと思いました。
赤く腫れ上がって治りそうもない手首が可哀想でした。
入院前は自分でお箸で食事を食べていたのに、全く自分では食べようとしなくなっていました。
入院して9日目に、コルセットができてきました。
週に一回だけ来る整形外科の先生が来て、夫を起き上がらせ、コルセットを着けて、立ち上がらせてくれました。
そのまま、歩いてみましょうとのことで、看護婦さんと両脇を支えながら、廊下の突き当たりにあるデイルームまで歩かせてくれました。
わずかな期間歩かなかっただけなのに、臑の筋肉がすっかり落ちて細くなっていました。
それでも、痛そうでもなく、夫は普通に歩くことができました。
かなり支えているんですか?と聞いたら、じゃ持ってみてと言われて、片方を渡されました。
それほど介助の力は必要なく、不安定ながら、ほぼ自力で歩いているようでした。
この時点で退院させ、自宅なり、お泊まりデイに連れて行っていれば、今の夫にはならなかったかもしれません。
でも、私は欲を出してしまいました。
このクリニックよりは遠いですが、やはり家から歩いて行ける範囲に、評判のいいリハビリ病院がありました。
ここでは、身体的なリハビリはもちろん、生活全般ができるようになって戻ってくるとのことでした。
電話をしてみたら、応対に出た相談員の人は、感じがいい人でした。
認知症があると、受け入れが難しいかもしれないが、一応、診断情報提供書とADL表と、血液データを出してくれと言われました。
その後で審査になるそうでした。
他も当たって下さいと言われ、無理かもなぁと思いました。
ケアマネさんに状況を報告したら、すぐ退院して、お泊まりデイに頼むのが一番いいと言われました。
リハビリ病院には入れないだろうとの見方でした。
お泊まりデイの方の空き状況を確認してくれるとのことでした。
その日のうちに連絡がきて、いつでも受け入れてくれるとのことでした。
そうだろうな..仕方ないな..と思い、リハビリ病院を断ろうとして、電話をいれたところ、例えばナースステーションのそばの病室にして、ベッドの下にセンサーマットを敷けば、対応できるんじゃないかなど、かなり前向きな返事をされました。
最短だと、来週には入れるかもしれない、ただし、ナースステーションの近くのいい部屋が空くかどうかはわからないとのことでした。
すぐには歩き回らないだろうから、時間的余裕があると思うと言ったら、それも含めて審議するので、とにかく診断情報提供書を出して欲しいとのことでした。
ケアマネさんに再度それを伝えたら、びっくりしていて、もし、そこで受け入れしてくれるならば、それが一番いいと意見を変えてくれました。
そこからが、長かったのです。
まず審議までに時間がかかりました。
引き受けてくれるという結論がでるまで、丸1週間かかりました。
条件があって、同じフロアでに療養で呼吸器とかをつけている人がいるので、もし、今後の状態(暴れるとか)があったら、退所してもらう、また、ベッドの関係で、これから一週間以内に受け入れできるかどうか保証はない、待てますか?と聞かれました。
それらの条件を飲んだ上で、入院申し込みをしました。
入院がいつになるかわからないので、それまでの間、お泊まりデイの方に頼んだ方がいいのではないかと、ケアマネさんにアドバイスを受けました。
間にそういう施設が入っても構わないかどうかを聞いてみたら、本来、直接病院から病院でないとダメだけど、聞いてみますとの返事でした。
翌日になって、連絡がきて、間に施設が入っても構わないということになりました。
これで晴れて退院できることになりました。
早速お泊まりデイの方に連絡してもらい、クリニックにも目途が立ったので退院させて下さいと言うことができました。
ここに辿り着くまでの間、夫は相変わらず、大量の投薬、点滴を受け、私がいるとき以外は、ベッドに寝たっきりでした。
週に3回、リハビリ専門の先生が来て、廊下を歩かせてくれました。
廊下の突き当たりのデイルームには、テープルと椅子がありましたが、そこまで一往復してくれるだけで、基本的にはベッドの上でした。
最初、私だけでは、歩かせてはいけないと言われましたが、リハビリの先生に許可をとってもらい、私だけでも歩かせていいことになりました。
毎日、デイルームまで、疲れない程度に何度も往復しました。
食事もデイルームで摂っていいことになり、お昼と夕食はそこで食べさせました。
尿でいっぱいになったおむつが垂れ下がって歩きにくそうにしていました。
それを言っても、替えてくれるわけでもなく、単に着け直してくれるだけでした。
時間にならないと替えない決まりがあるらしいので、仕方ないのかもしれませんが..。
おむつでは、トイレに連れて行けないので、頼んでリハパンにしてもらいました。
でも、トイレに連れて行っても座らせることはできませんでした。
もうすっかりトイレというものがわからなくなってしまっていました。
実際に退院して、お泊まりデイに移ったのは、リハビリ病院から連絡が来た2日後でした。
実に入院してから、20日が経っていました。
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結果は、第一腰椎圧迫骨折とのことでした。
トイレで倒れた時、ひねってしまったのだろうと思います。
手術するレベルではなく、安静にするしかない、ここでは空きベッドがないので、転院して欲しいと言われました。
受け入れてくれる病院を2つ紹介されました。
地元なので、いろいろな噂は耳に入ってきてましたが、その2つともあまり評判のよくない所でした。
後になって、健康診断でお世話になっていた病院に入院させればよかったと悔やみましたが、その時は思いつきませんでした。
その2つのうち、片方は家から歩いて行けるところにありました。
私はこちらを選びました。
その日のうちに、救急車で運ばれ、Sクリニックに入院しました。
入院の手続きをして、院長面談をした後、病室に行きました。
細長い部屋でしたが、狭い所に7人の患者さんが入っていました。
夫はおとなしく寝ていましたが、看護婦さんに呼ばれていろいろ聞かれました。
座薬を入れられたらしく、その時暴力をふるったそうです。
拘束してもいいかと聞かれたので、いいと答えました。
薬を使われるよりマシだと思ったからです。
持参する品物のリストをもらい、また病室に戻ってみると、ちょうど食事を食べさせてもらっているところでした。
看護婦さんは私を見ると、スプーンを手渡して、さっさとどこかへ行ってしまいました。
まずそうな食事でしたが、食欲はあるようで、ちゃんと食べてくれました。
とにかく痛みが引かないことには仕方ないからね、また明日来るからねと言ったら、夫はわかったようでした。
翌日、お昼少し前にクリニックに行きました。
全く改善した様子が見られず、腕についている点滴の管に血がたまっていました。
両手にはミトンをはめられて、下半身はおむつのみで裸、バスタオルをかけただけでした。
顔つきも弱々しく、認知症が進んでしまった感じの顔でした。
夫は、私を見つけると、弱々しく笑って、よかった..と言いました。
どんな一夜を過ごしたのか...。
私にはどうしてやることもできませんでした。
隣の人を車いすに乗せようとしている看護婦さんの声が聞こえました。
言い方がひどかった..。まるで目下の者扱いをしていました。
夫もこういう扱いをされているんだろうなと、暗澹たる気持ちになりました。
食事の時間になって、看護婦さんが二人来て、夫の体を引き上げ、続いてベッドのハンドルを痛がるのも構わずぐいぐい回して背もたれを上げました。
見かねて、痛がっていますからと言ったら、ご飯を食べられないですよと言いながら、また元に戻し、中途半端な位置で、ひどい態勢にさせたまま、どこかへ行ってしまって、いくら待っても戻ってきませんでした。
ナースステーションまで行き、そこにいた人に、お忙しいでしょうけどと言って、頼んで来てもらい、体を引き上げるのを手伝ってもらいました。
その後、夫の様子を見ながら、ゆっくりハンドルを操作しました。
痛がるのであまり起き上がらせることはできず、60度位までしか上げられませんでした。
用意して来た小さな瓶にフェルガードを入れ、ヤクルトを入れて溶かし、飲ませました。
院長面談の時、サプリメントは絶対ダメだ、それを奨める医者はインチキだと言われているので、隠れて飲ませました。
食事は見るからにまずそうで、スプーンで食べさせましたが、半分くらいしか食べられませんでした。
昨日は完食してたのに..。
その後自宅に戻り、私も昼食にしました。
ケアマネさんが来てくれて、Sクリニックの評判の事など、いろいろ話しました。
ここに入院すると、歩けなくなって家に戻ると言うことでした。
半ば冗談なんでしょうけど、ともかく、痛みが引いて急性期が過ぎたら、即退院させて、後はこれまでお願いしているお泊まりデイに面倒を見てもらうのがいいということで、意見が一致しました。
またクリニックへ戻ってみると、さっき出るときはかなり普通の顔つきになっていたのに、また認知症顔になって、息づかいも荒く目を閉じていました。
両手にミトンがはめられていたので、脱がせました。
4時から点滴が始まりました。
点滴が終わる直前に夫が体をよじりながら動き始めました。
おそらく便意があったのだろうと思います。
トイレ行けないから、おむつの中にするしかないから、いいんだよと言ったら、わかったようでしたが、ずっと落ち着きなく体を動かしていました。
夕食もほんとにまずそうで、半分くらいしか食べられませんでした。
途中で、人がいないのを見計らって、BIOにフェルガードを溶かせて飲ませました。
飲んで間もなく、顔つきが正常になりました。
不思議なくらい変わりました。
おむつの中に手を入れて掻きむしり始めました。
ナースステーションに行って話したら、6時になったらおむつ交換するからと言われました。
まだ5時40分だったので、それから20分、夫の手をさすりながら待ちました。
6時10分になって、やっと看護婦さんが来てくれ、痒いところを清拭して、おむつを替えてくれました。排便はしていませんでした。
翌日もお昼少し前に行きました。
両手にミトンをはめられていて、右手の方は更に、さらしできつく縛ってありました。
お世話係の人を呼んで外してもらったら、手首に傷があり、赤く剥けていました。
手首の周囲が、縛り付けた事で赤く変色して、しわがよっていました。
どんなに固く縛り付けていたことやら...。
夫は今日も改善した様子はなく、反応も鈍い状態でした。
ただ、ベッドの背もたれは、ゆっくり回せば、ずいぶん上まで上げられるようになりました。
食事は相変わらず刻み食でしたが、今日はまぁまぁおいしそう。
スプーンで一口ずつ食べさせ、完食しました。
食後の薬は大量でした。
大きな錠剤が1、小粒の錠剤が2、粉薬が2袋で、中身はわかりませんでした。
これが一日3回ですから、この3倍ということになります。
その他に午前中いっぱいと、午後4時からと、毎日点滴をされていました。
大量の薬漬けになって、背骨の痛みは引いても、認知症が進み、結局歩けなくなってしまうのではないかと、心配になりました。
フェルガードを飲ませた後、普通の顔つきに戻るので、それだけが頼りでした。
午後4時すぎにまた行きました。
腕の点滴を引き抜いたらしく、血があちこちに飛び散り、点滴は足首にされていました。
顔色が赤く、浮腫んでいました。午前中に縛られた右手首が、赤く腫れ上がっていました。
排便がないことが心配で、看護婦さんに言ってみましたが、全く把握していませんでした。
調べてきたら、入院してから一度も排便がないとのこと。
もっとも、寝たままの排便は経験ないから、出せないのだと思いました。
浣腸か摘便をして欲しいと思いました。医師の指示がないとやってはくれないでしょうけど..。
それでも翌日には、座薬を入れてくれて、夜に、入院以来初めての排便がありました。
排便があっても、なかなかおむつを取り替えてくれませんでした。
一回排便があった後は、ベッドの上での排便になれたのか、出せるようになりました。
同時に、便意というものがなくなってしまったようでした。
この後、どこででも出てしまうようになりました。
排便があると、違和感があるのか、おむつの中に手をつっこんでしまい、手を便だらけにしていました。
一応拭き取ってはくれるのですが、いい加減で、よく指が黄色になっていました。
シーツや掛け布団カバーに便がついていても、取り替えてはくれず、いつまでも、シミがついたベッドに寝かされていました。
排便があっても、時間が来ないと取り替えてもらえず、そのまま食事を食べさせざるを得ない時が、多々ありました。
寝間着の背中が濡れているので、おむつから漏れていると思い、取り替えてもらおうとしたら、おむつは汚れてないとのこと。
この前のおむつを替えた人が、背中やシーツは濡れているのに、それはそのままで、おむつだけを替えたようでした。
首の後ろに垢が浮いていたので、清拭はしてもらえないんですか?と聞いたら、一週間に一度していますとの返事でした。
痒くて掻きむしれば、薬をつけてかゆみを押さえる対応でした。
背中を立てて、ベッドから離すことができるようになってからは、毎日熱く絞ったタオルで拭きましたが、その前は、重くて、体を一人で動かすのができませんでした。
私は自分が入院したこともないし、他の病院のことは知りませんが、これって普通なんでしょうか。
一日も早く退院させたいと思いました。
毎日、お昼前と、午後からの2回、クリニックに通いました。
いつも、ミトンがはめられていて、さらしで、ベッドの柵に縛り付けられていました。
点滴で暴れたのでしょうけど、それにしても終わったら外して欲しいと思いました。
赤く腫れ上がって治りそうもない手首が可哀想でした。
入院前は自分でお箸で食事を食べていたのに、全く自分では食べようとしなくなっていました。
入院して9日目に、コルセットができてきました。
週に一回だけ来る整形外科の先生が来て、夫を起き上がらせ、コルセットを着けて、立ち上がらせてくれました。
そのまま、歩いてみましょうとのことで、看護婦さんと両脇を支えながら、廊下の突き当たりにあるデイルームまで歩かせてくれました。
わずかな期間歩かなかっただけなのに、臑の筋肉がすっかり落ちて細くなっていました。
それでも、痛そうでもなく、夫は普通に歩くことができました。
かなり支えているんですか?と聞いたら、じゃ持ってみてと言われて、片方を渡されました。
それほど介助の力は必要なく、不安定ながら、ほぼ自力で歩いているようでした。
この時点で退院させ、自宅なり、お泊まりデイに連れて行っていれば、今の夫にはならなかったかもしれません。
でも、私は欲を出してしまいました。
このクリニックよりは遠いですが、やはり家から歩いて行ける範囲に、評判のいいリハビリ病院がありました。
ここでは、身体的なリハビリはもちろん、生活全般ができるようになって戻ってくるとのことでした。
電話をしてみたら、応対に出た相談員の人は、感じがいい人でした。
認知症があると、受け入れが難しいかもしれないが、一応、診断情報提供書とADL表と、血液データを出してくれと言われました。
その後で審査になるそうでした。
他も当たって下さいと言われ、無理かもなぁと思いました。
ケアマネさんに状況を報告したら、すぐ退院して、お泊まりデイに頼むのが一番いいと言われました。
リハビリ病院には入れないだろうとの見方でした。
お泊まりデイの方の空き状況を確認してくれるとのことでした。
その日のうちに連絡がきて、いつでも受け入れてくれるとのことでした。
そうだろうな..仕方ないな..と思い、リハビリ病院を断ろうとして、電話をいれたところ、例えばナースステーションのそばの病室にして、ベッドの下にセンサーマットを敷けば、対応できるんじゃないかなど、かなり前向きな返事をされました。
最短だと、来週には入れるかもしれない、ただし、ナースステーションの近くのいい部屋が空くかどうかはわからないとのことでした。
すぐには歩き回らないだろうから、時間的余裕があると思うと言ったら、それも含めて審議するので、とにかく診断情報提供書を出して欲しいとのことでした。
ケアマネさんに再度それを伝えたら、びっくりしていて、もし、そこで受け入れしてくれるならば、それが一番いいと意見を変えてくれました。
そこからが、長かったのです。
まず審議までに時間がかかりました。
引き受けてくれるという結論がでるまで、丸1週間かかりました。
条件があって、同じフロアでに療養で呼吸器とかをつけている人がいるので、もし、今後の状態(暴れるとか)があったら、退所してもらう、また、ベッドの関係で、これから一週間以内に受け入れできるかどうか保証はない、待てますか?と聞かれました。
それらの条件を飲んだ上で、入院申し込みをしました。
入院がいつになるかわからないので、それまでの間、お泊まりデイの方に頼んだ方がいいのではないかと、ケアマネさんにアドバイスを受けました。
間にそういう施設が入っても構わないかどうかを聞いてみたら、本来、直接病院から病院でないとダメだけど、聞いてみますとの返事でした。
翌日になって、連絡がきて、間に施設が入っても構わないということになりました。
これで晴れて退院できることになりました。
早速お泊まりデイの方に連絡してもらい、クリニックにも目途が立ったので退院させて下さいと言うことができました。
ここに辿り着くまでの間、夫は相変わらず、大量の投薬、点滴を受け、私がいるとき以外は、ベッドに寝たっきりでした。
週に3回、リハビリ専門の先生が来て、廊下を歩かせてくれました。
廊下の突き当たりのデイルームには、テープルと椅子がありましたが、そこまで一往復してくれるだけで、基本的にはベッドの上でした。
最初、私だけでは、歩かせてはいけないと言われましたが、リハビリの先生に許可をとってもらい、私だけでも歩かせていいことになりました。
毎日、デイルームまで、疲れない程度に何度も往復しました。
食事もデイルームで摂っていいことになり、お昼と夕食はそこで食べさせました。
尿でいっぱいになったおむつが垂れ下がって歩きにくそうにしていました。
それを言っても、替えてくれるわけでもなく、単に着け直してくれるだけでした。
時間にならないと替えない決まりがあるらしいので、仕方ないのかもしれませんが..。
おむつでは、トイレに連れて行けないので、頼んでリハパンにしてもらいました。
でも、トイレに連れて行っても座らせることはできませんでした。
もうすっかりトイレというものがわからなくなってしまっていました。
実際に退院して、お泊まりデイに移ったのは、リハビリ病院から連絡が来た2日後でした。
実に入院してから、20日が経っていました。
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