目まぐるしく毎日が過ぎ、昨日、滞在先からやっと帰ってきました。
沢山の事柄が次々と起こり、到底全部を書き切れる気がしませんが、覚えている限り書いてみたいと思います。
F病院への転院は3月3日に決まりました。
吸引が必要になるかもしれないので、移動中に看護師の付き添いが必要とのこと。
介護タクシーの方で、看護師さんを手配できるとのことでお願いしました。
最初ストレッチャーでとの話でしたが、このところ毎日車いすに2時間以上座っている実績があるので、フラットな形状にもなる車いす(?)を使うことにしました。
退院が決まった後、また微熱を出しました。
二日後には下がっていましたが、覚醒度合いはかなり下がってしまい、目を開けなくなってしまいました。
こんな状態で転院して、リハビリなんて受けられるのかしらと心配になりましたが、お膳立ては全て整い、今更変更はできないし、また、この病院へも置いておけないので、取りやめることはできませんでした。
3月1日、いつものように病院へ行ったら、見知らぬ看護師さんがいて、口腔ケアをしていてくれました。
夫はベッドに寝かされた状態で、鼻穴には漏斗状のチューブが差し込まれ、チューブに安全ピンが刺されていて、奥に入っていかないように?なっていました。そして酸素のチューブが宛がわれていました。
酸素チューブは救命病棟以来なので、驚いて質問すると、夕べ、SPO2が乱高下して、80前半まで行ったので、先生に報告し、こういう処置をとったのだそうです。
後で先生の説明があるとのことでした。
ほどなく、夜勤だった先生が来てくれました。
人工呼吸は希望しないとのことだったので、鼻からチューブを差し込む処置をとりましたとおっしゃってました。
人工呼吸とか、そんなに重大なことだったのか..と、改めて夫の顔を見ましたが、夫は顔色もよく、普段と変わった様子ではありませんでした。
夫は、以前から無呼吸症候群があり、これは、Ao先生からも治す手段がないと言われています。
昨夜も一過性の無呼吸に陥ったか、真上を向いて寝ていたために、舌根が落ち込んだのだろうと思いました。
口を開けて呼吸をすると舌根が落ちてしまうんですよねと言ったら、そうですとのこと。
それで、こうやってあごを持ち上げて、口を閉じさせると、SPO2は98とか100とかになるんですよと言いながら、私は実際にやってみせました。
それを見て先生は、鼻に酸素を宛がっても無駄だとわかって下さったらしく、酸素のチューブをとってくれました。
また、肺炎かもしれないので、検査するつもりだったが、いつもと同じ状態だし、熱もないからいらないかなとおっしゃっていました。
3月2日、転院の前日です。
この日も、初対面の看護師さんでした。
後から思い返すと、転院当日も初対面の看護師さんだったので、月末に看護師さん達の配置移動があったのかも?
初めて夫を看て、SPO2が80前半になった、これは異常だと判断されたのだと思います。
まぁ、異常ではあるのですが..。
この日は、車いすに乗せられていました。
最後になる蒸しタオルをしました。
頭をドライシャンプーしていたら、Ao先生が病室にきてくれました。
先方に行っても、今飲ませている薬を続けても大丈夫でしょうかと質問したら、今朝レントゲンを撮って、血液検査もしたが、全く異常はないとのこと。
持参した皮膚科の薬を、ここでは引き続き同じものを使ってもらっていましたが、フェルガードと共に、使用していたことを先方に伝えて欲しいと頼みました。
今はよくなっているけど、以前は掻きむしってひどい状態だったので、そうなる前に事前に対処してもらいたいからと言いましたら、快く引き受けて下さいました。
また、いずれ連れて行ける状態になったとき、名古屋の先生のところへ連れて行きたいので、その時、持参できるように、こちらで撮ったCTなどの資料を頂けたらと言いましたら、行くことになったら、いつでも来て下さいと言って下さいました。
実は、Ao先生には、ニコリン、グルタチオンはこの病院ではできないから、名古屋まで連れて行けばいいと以前言われていたのでした。
この日夫は、目を開けている時間が長く、調子がよさそうでした。
話しかけにも、ちょっと頷いたりしていました。
看護師さんに排便状況を聞いたら、調べてくれて、出ていないので、摘便しますと言って、すぐさましてくれました。
かなりいっぱい出してくれたようで、夫もすっきりしたことでしょう。
明日着ていく服は、バッグに詰めて、用意してきました。
もう使わないものは全て引き上げました。
帰りがけ、顔見知りの看護師さん達に挨拶ができました。
明日の転院の準備が整いました。
3月3日、雲を通してお日様の光が射してきたところをでかけました。
無事に転院して欲しいな..新しい道の始まりだと不安いっぱい、期待いっぱいで、病院へ着きました。
夫は既に着替えが済んで、ベッドに寝かせられていました。
いろいろな書類を受け取り、その後、1階の受付に行って、入院費用の支払いを済ませました。
戻ってみると、介護タクシーの人が来ていて、車いすに移してくれました。
9時に病院を出発しました。
高速を使って2時間のドライブでした。
車いすは、クッションが入った肘掛け付きソファの感じでした。
夫は極く普通に座っていて、なんの問題もありませんでした。
F病院へ着き、夫は病室へ連れて行かれ、私はすぐ主治医になるK先生との面談でした。
早速胃ろうを薦められました。
しかも、胃ろうにしても、治る保証はないそうです。
なんということでしょう..。
私は、いきなり頭を殴りつけられた気がして、めまいを覚えました。
この先生は、威圧的で、素人の意見なんか全く聞かないというタイプの先生です。
最初の不幸な入院をしたSクリニックの院長を思い出しました。
鼻チューブが入っていると、嚥下リハビリをしても効果が上がらない、胃ろうが嫌なら、点滴か、中心静脈なんとか(たぶん、CVポートのこと?)しか方法がないと言われました。
すぐとは言わないから、考えておいてくださいと言われ、その場は終わりました。
夫の病室は、4人部屋で、ベッドは廊下側でした。
これまで窓側で明るい環境に慣れていましたので、仕方ないことだけど、気持ちが落ち込みました。
ベッドの周りには、上がテーブルになっているキャスター付きの引き出しが一個あるだけでした。
個人のものは、ほとんど置いておけません。
面会に来た人達の荷物を置く場所も全くありませんでした。
持って来たもののチェックをしに看護師さんが来ました。
前の病院の看護師さんと比べてはいけないのでしょうけど、なんだか、とても冷たい印象を受けました。
その後、入院手続きをしました。
印鑑証明書付きのハンコで、いろいろな書類に押しました。
入院保証金は15万円、そのほかに小遣い代として3万円を支払いました。
自動引き落としの銀行の申し込み書も書きました。
この病院は、医療費以外に一ヶ月28万円ほどかかる見込みです。
夫は疲れたのか、環境の変化についていけないのか、あまり具合がよさそうではありません。
全く目を開けなくなりました。
気がかりではありましたが、面会時間も終わるので、病院を出ることにしました。
この転院についてきて、毎日家から通うのは到底無理だと思い、最寄り駅から2駅目のところにあるビジネスホテルを予約していました。
最寄り駅の周辺には宿がなく、少し離れたところにはありましたが、そこからの交通手段がないので、いっそのこと電車に乗ってでも駅近くの宿がいいと思いました。
最寄り駅から病院までは、送迎バスがでています。
そのビジネスホテルに着いて、はぁ...っとため息がでました。
もう体中クタクタで、心中はボロボロでした..。
お風呂に入って、疲れをとろうとしましたが、一番小さいタイプのユニットバスで、洗面器、トイレが狭いところに押し込められていました。
蛇口は、片方ずつ回して、温度調整を自分でやるタイプでした。
何もやることがないので、テレビを見、早々にベッドに入りましたが、なかなか寝付かれませんでした。
3月4日、電車に乗って、送迎バスに乗って、病院へいきました。
夫は目を開けていましたが、酸素チューブを鼻に宛がわれていました。
右向きに寝かせられているときは、呼吸は楽そうですが、左向きにされると、体をずらして上向きになってしまうので、そうなると呼吸音がいびきをかいているような状態になります。
Osさんという看護師さんが担当のようで、説明をしたらわかってくれて、酸素チューブを外してくれました。
更に、モアブラシをどう使うかを見せて欲しいと言うので、こうやって、頬の内側をマッサージして筋肉を緩めたり、後は痰を拭い取ったりしています、と実演したら、とても納得してくれました。
昨日チェックにきた看護師さんには、モアブラシは使い捨てでないなら不潔になるからと言われ、今回は新品を使うし、来週からは、きちんと洗浄して持って来ますと言って、許可をもらっていました。
病室には、洗面器がなく、廊下から行くトイレに併設されている洗面所にもお湯は出ませんが、とりあえず、その時使うお湯をもらえそうです。
主治医のK先生が来て、また鼻チューブのことを言われました。
もうリハビリする段階じゃないとも。
気管支に慢性の炎症があるとのことでした。
Ao先生は、肺もきれいだし、問題ないと言ってたのにな..。
吸引するときに傷つけたのだろうと思いました。
痰の色が汚い、色がついていると言われて、見ると、確かに、前の病院へいるときより汚い色がついていました。
もう鼻チューブをさして置くのは限界だよと言われました。
鼻チューブがあるために痰が増えるし、呼吸もしづらい、少しは様子を見るけどね、胃ろうが嫌なら点滴にすると言われました。
リハビリがやれないなら、もう家に連れて帰ろうと思いました。
痰の吸引だけは教えてもらおうと心に決めました。
これまで毎日2時間位は車いすに乗せてもらっていたので、乗せてもらえませんかと言ったら、とんでもない、とてもそういう状態じゃないと言われました。
でも、日光にも当てないで寝かせっきりだと、どんどん衰弱すると思って..と更に食い下がりましたが、植物じゃあるまいし、日光に当てても仕方ないと一蹴されてしまいました。
夜心配だから、部屋を看護師室の隣に移していいかと聞かれたので、お願いしました。
ここは、看護師室との間の壁が一部ガラスになっていて、ベッドが見えるようになっています。
4人部屋ですが、窓側になりましたので、明るくて、少しは環境がよくなりました。
それから、書き忘れましたが、ここに着いたときから、手の拘束はされていません。
一度でも引き抜いたら、拘束になるのでしょうが、もうそれだけの元気もなさそうです。
いいような悪いようなですが、とりあえず、拘束されていないのはありがたいです。
3月5日、この日も夫は目を開けていました。
一二度、目が合って、表情を少し変える時もありました。
覚醒がいいのは、拘束されてないからかもしれないと思いました。
呼吸音は相変わらずひどく、横向きに寝かされていても、体を動かして仰向けになってしまいます。
仰向けになると、呼吸が苦しそうになります。
前の病院では、わざと枕を高くしてありましたが、ここでは逆に枕を使わないで、タオルを畳んだ薄いものを頭に下に敷いています。
聞いたら、気道を確保するためと言ってましたが、なんだか返って苦しそうだなと思いました。
寝かせておくと、痰が増えるので、なるべく起こしておくようにとAo先生からも言われていましたが、その話をしても、取り合ってもらえませんでした。
せめて、ベッドをギャッジアップして欲しいと思い、お願いしましたが、それもダメそうでした。
廊下で、看護師のUさんに声をかけられました。
毎日来てるの?遠いんでしょ?と言われて、泊まり込みで通っていることを話しました。
いろいろ聞いてくれたので、言いたかったことを思い切り話しました。
この病院へ来たいきさつや、リハビリをやってもらえるというので連れてきたけど、こういう風に先生に言われたなどを話しました。
Uさんはいちいち頷いてくれて、師長さんと、リハビリの人と相談して、先生にもうまくとりなすからと、言ってくれました。
私が、先生には何も言えなかったというのは、よくわかってくれて、威圧的だものね..と言っていました。
3月6日、病室に行くと、K先生がいて、あ、点滴にしたからといきなり言われました。
ベッドの周囲にはカーテンが引かれていて、看護師さんに、今処置中ですから、ホールで待っていて下さいと言われました。
ぇぇぇ...なんてことだと思いながら、なすすべもなく、廊下の突き当たりに、広めの部屋があったので、ここかなと思って、待っていました。
そこにK先生が来て、もう鼻チューブを入れておく限界は過ぎている、夕べもSPO2が80位まで下がった、危険なので、鼻チューブは抜いたと説明を受けました。
無呼吸症候群は元々あって..と言いましたら、呼吸が止まって、復帰しないかもしれないと言われ、それ以上は何も言えませんでした。
点滴だと、もうあまり長くはないですね..と言ったら、そんなことはない、ももの静脈(?たぶん..)に入れているので、ずっと入れておける、これで、呼吸が改善したら、リハビリができるかもしれない、あんたはリハビリリハビリというけど、現状ではとてもリハビリできる状態ではない、今朝もリハビリをやって、全くダメだったので、その後、こういう処置をしたと言われました。
鼻チューブは抜いたけど、漏斗状のチューブは入れてある、そして酸素も2ℓ入れてあるので、これで呼吸は確保できるはずとのことでした。
食事用の鼻チューブを抜いても、呼吸用のチューブを入れたら、結局同じことじゃないのかと思いましたが、それは聞けませんでした。
病室へ行ってみて、今更ながら愕然としました..。
真っ平らなベッドの上で、あごを突き出して口で息をし、鼻には先日見たのと同じ漏斗状のチューブが入り、その上に、すっぽりかぶせる透明の酸素マスクをされていました。
目は閉じて意識もない状態でした。
酸素濃度を見ると、2ℓと言っていた筈なのに、5ℓになっていました。
漏斗の先についた安全ピンが、マスクに押されて、鼻の頭に食い込んでもう皮膚が赤くなっていました。
看護師さんを呼んで、そこを見てもらったら、あーこれじゃすぐ潰瘍になってしまうと言いながら、安全ピンにガーゼをつけて、直接当たらないようにしてくれました。
酸素、2ℓと聞いているんですが、5ℓなんですか?と聞いたら、この処置をするときに、状態が悪くなったので、増やしましたとのこと。
救命病棟にいた時だって、5ℓなんてなかったのに..。
大丈夫なのかなと、ものすごく不安になりました。
点滴は、ビーフリード輸液500mlというのをされていました。
後から、別な看護師さんが来て、セフォチアム1g1ℓというのを追加して行きました。
名前をメモしておいて家に帰ってから検索しましたら、なんか細菌の感染症に使う薬のようです。
何か感染症があるなんて聞いていないし、なぜ、この薬を使ったのかはわかりません。
しばらくして、K先生が来て、どう?呼吸が楽そうでしょと言いました。
確かに呼吸音は、静かになっていて、苦しそうではありません。
でも、これではまるで、...なんというか、明日も知れない重症患者のようだなと思いました。
気を取り直して、今日で家に帰りますが、来週また来ますと言ったら、なんだ家から通っていたんじゃないのか、まぁ、これなら、夜に急変して呼び出すこともないから、安心していてと言われました。
来週来たときに、一度、嚥下のリハビリに立ち会わせて欲しいと頼みました。
それはいいけど、ボクはスケジュールはわからないから、リハビリの方と打ち合わせしてと言われました。
看護師さんに頼んでリハビリの先生に繋いでもらいましたが、担当の人はいませんでした。
代わりの人が、伝えてくれるそうです。
やっと..念願のリハビリの場面に立ち会えそうです。
夫の嚥下能力は、本当に失われてしまったのでしょうか..。
もしそれが現実なら、見るのは辛いけど、それでも、本当のところを知りたいと思います。
とりあえず...私は、浅はかでした..。
もう取り返しのつかないことをしてしまったと思っています。
唯一の希望は、もしもK先生が、本当にこれがいいと思って、本当にリハビリをしてくれるためにこういう処置をしたかもしれないということです。
砕け散った希望のかけらを拾い集めて、来週また夫に会いにいきます。

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沢山の事柄が次々と起こり、到底全部を書き切れる気がしませんが、覚えている限り書いてみたいと思います。
F病院への転院は3月3日に決まりました。
吸引が必要になるかもしれないので、移動中に看護師の付き添いが必要とのこと。
介護タクシーの方で、看護師さんを手配できるとのことでお願いしました。
最初ストレッチャーでとの話でしたが、このところ毎日車いすに2時間以上座っている実績があるので、フラットな形状にもなる車いす(?)を使うことにしました。
退院が決まった後、また微熱を出しました。
二日後には下がっていましたが、覚醒度合いはかなり下がってしまい、目を開けなくなってしまいました。
こんな状態で転院して、リハビリなんて受けられるのかしらと心配になりましたが、お膳立ては全て整い、今更変更はできないし、また、この病院へも置いておけないので、取りやめることはできませんでした。
3月1日、いつものように病院へ行ったら、見知らぬ看護師さんがいて、口腔ケアをしていてくれました。
夫はベッドに寝かされた状態で、鼻穴には漏斗状のチューブが差し込まれ、チューブに安全ピンが刺されていて、奥に入っていかないように?なっていました。そして酸素のチューブが宛がわれていました。
酸素チューブは救命病棟以来なので、驚いて質問すると、夕べ、SPO2が乱高下して、80前半まで行ったので、先生に報告し、こういう処置をとったのだそうです。
後で先生の説明があるとのことでした。
ほどなく、夜勤だった先生が来てくれました。
人工呼吸は希望しないとのことだったので、鼻からチューブを差し込む処置をとりましたとおっしゃってました。
人工呼吸とか、そんなに重大なことだったのか..と、改めて夫の顔を見ましたが、夫は顔色もよく、普段と変わった様子ではありませんでした。
夫は、以前から無呼吸症候群があり、これは、Ao先生からも治す手段がないと言われています。
昨夜も一過性の無呼吸に陥ったか、真上を向いて寝ていたために、舌根が落ち込んだのだろうと思いました。
口を開けて呼吸をすると舌根が落ちてしまうんですよねと言ったら、そうですとのこと。
それで、こうやってあごを持ち上げて、口を閉じさせると、SPO2は98とか100とかになるんですよと言いながら、私は実際にやってみせました。
それを見て先生は、鼻に酸素を宛がっても無駄だとわかって下さったらしく、酸素のチューブをとってくれました。
また、肺炎かもしれないので、検査するつもりだったが、いつもと同じ状態だし、熱もないからいらないかなとおっしゃっていました。
3月2日、転院の前日です。
この日も、初対面の看護師さんでした。
後から思い返すと、転院当日も初対面の看護師さんだったので、月末に看護師さん達の配置移動があったのかも?
初めて夫を看て、SPO2が80前半になった、これは異常だと判断されたのだと思います。
まぁ、異常ではあるのですが..。
この日は、車いすに乗せられていました。
最後になる蒸しタオルをしました。
頭をドライシャンプーしていたら、Ao先生が病室にきてくれました。
先方に行っても、今飲ませている薬を続けても大丈夫でしょうかと質問したら、今朝レントゲンを撮って、血液検査もしたが、全く異常はないとのこと。
持参した皮膚科の薬を、ここでは引き続き同じものを使ってもらっていましたが、フェルガードと共に、使用していたことを先方に伝えて欲しいと頼みました。
今はよくなっているけど、以前は掻きむしってひどい状態だったので、そうなる前に事前に対処してもらいたいからと言いましたら、快く引き受けて下さいました。
また、いずれ連れて行ける状態になったとき、名古屋の先生のところへ連れて行きたいので、その時、持参できるように、こちらで撮ったCTなどの資料を頂けたらと言いましたら、行くことになったら、いつでも来て下さいと言って下さいました。
実は、Ao先生には、ニコリン、グルタチオンはこの病院ではできないから、名古屋まで連れて行けばいいと以前言われていたのでした。
この日夫は、目を開けている時間が長く、調子がよさそうでした。
話しかけにも、ちょっと頷いたりしていました。
看護師さんに排便状況を聞いたら、調べてくれて、出ていないので、摘便しますと言って、すぐさましてくれました。
かなりいっぱい出してくれたようで、夫もすっきりしたことでしょう。
明日着ていく服は、バッグに詰めて、用意してきました。
もう使わないものは全て引き上げました。
帰りがけ、顔見知りの看護師さん達に挨拶ができました。
明日の転院の準備が整いました。
3月3日、雲を通してお日様の光が射してきたところをでかけました。
無事に転院して欲しいな..新しい道の始まりだと不安いっぱい、期待いっぱいで、病院へ着きました。
夫は既に着替えが済んで、ベッドに寝かせられていました。
いろいろな書類を受け取り、その後、1階の受付に行って、入院費用の支払いを済ませました。
戻ってみると、介護タクシーの人が来ていて、車いすに移してくれました。
9時に病院を出発しました。
高速を使って2時間のドライブでした。
車いすは、クッションが入った肘掛け付きソファの感じでした。
夫は極く普通に座っていて、なんの問題もありませんでした。
F病院へ着き、夫は病室へ連れて行かれ、私はすぐ主治医になるK先生との面談でした。
早速胃ろうを薦められました。
しかも、胃ろうにしても、治る保証はないそうです。
なんということでしょう..。
私は、いきなり頭を殴りつけられた気がして、めまいを覚えました。
この先生は、威圧的で、素人の意見なんか全く聞かないというタイプの先生です。
最初の不幸な入院をしたSクリニックの院長を思い出しました。
鼻チューブが入っていると、嚥下リハビリをしても効果が上がらない、胃ろうが嫌なら、点滴か、中心静脈なんとか(たぶん、CVポートのこと?)しか方法がないと言われました。
すぐとは言わないから、考えておいてくださいと言われ、その場は終わりました。
夫の病室は、4人部屋で、ベッドは廊下側でした。
これまで窓側で明るい環境に慣れていましたので、仕方ないことだけど、気持ちが落ち込みました。
ベッドの周りには、上がテーブルになっているキャスター付きの引き出しが一個あるだけでした。
個人のものは、ほとんど置いておけません。
面会に来た人達の荷物を置く場所も全くありませんでした。
持って来たもののチェックをしに看護師さんが来ました。
前の病院の看護師さんと比べてはいけないのでしょうけど、なんだか、とても冷たい印象を受けました。
その後、入院手続きをしました。
印鑑証明書付きのハンコで、いろいろな書類に押しました。
入院保証金は15万円、そのほかに小遣い代として3万円を支払いました。
自動引き落としの銀行の申し込み書も書きました。
この病院は、医療費以外に一ヶ月28万円ほどかかる見込みです。
夫は疲れたのか、環境の変化についていけないのか、あまり具合がよさそうではありません。
全く目を開けなくなりました。
気がかりではありましたが、面会時間も終わるので、病院を出ることにしました。
この転院についてきて、毎日家から通うのは到底無理だと思い、最寄り駅から2駅目のところにあるビジネスホテルを予約していました。
最寄り駅の周辺には宿がなく、少し離れたところにはありましたが、そこからの交通手段がないので、いっそのこと電車に乗ってでも駅近くの宿がいいと思いました。
最寄り駅から病院までは、送迎バスがでています。
そのビジネスホテルに着いて、はぁ...っとため息がでました。
もう体中クタクタで、心中はボロボロでした..。
お風呂に入って、疲れをとろうとしましたが、一番小さいタイプのユニットバスで、洗面器、トイレが狭いところに押し込められていました。
蛇口は、片方ずつ回して、温度調整を自分でやるタイプでした。
何もやることがないので、テレビを見、早々にベッドに入りましたが、なかなか寝付かれませんでした。
3月4日、電車に乗って、送迎バスに乗って、病院へいきました。
夫は目を開けていましたが、酸素チューブを鼻に宛がわれていました。
右向きに寝かせられているときは、呼吸は楽そうですが、左向きにされると、体をずらして上向きになってしまうので、そうなると呼吸音がいびきをかいているような状態になります。
Osさんという看護師さんが担当のようで、説明をしたらわかってくれて、酸素チューブを外してくれました。
更に、モアブラシをどう使うかを見せて欲しいと言うので、こうやって、頬の内側をマッサージして筋肉を緩めたり、後は痰を拭い取ったりしています、と実演したら、とても納得してくれました。
昨日チェックにきた看護師さんには、モアブラシは使い捨てでないなら不潔になるからと言われ、今回は新品を使うし、来週からは、きちんと洗浄して持って来ますと言って、許可をもらっていました。
病室には、洗面器がなく、廊下から行くトイレに併設されている洗面所にもお湯は出ませんが、とりあえず、その時使うお湯をもらえそうです。
主治医のK先生が来て、また鼻チューブのことを言われました。
もうリハビリする段階じゃないとも。
気管支に慢性の炎症があるとのことでした。
Ao先生は、肺もきれいだし、問題ないと言ってたのにな..。
吸引するときに傷つけたのだろうと思いました。
痰の色が汚い、色がついていると言われて、見ると、確かに、前の病院へいるときより汚い色がついていました。
もう鼻チューブをさして置くのは限界だよと言われました。
鼻チューブがあるために痰が増えるし、呼吸もしづらい、少しは様子を見るけどね、胃ろうが嫌なら点滴にすると言われました。
リハビリがやれないなら、もう家に連れて帰ろうと思いました。
痰の吸引だけは教えてもらおうと心に決めました。
これまで毎日2時間位は車いすに乗せてもらっていたので、乗せてもらえませんかと言ったら、とんでもない、とてもそういう状態じゃないと言われました。
でも、日光にも当てないで寝かせっきりだと、どんどん衰弱すると思って..と更に食い下がりましたが、植物じゃあるまいし、日光に当てても仕方ないと一蹴されてしまいました。
夜心配だから、部屋を看護師室の隣に移していいかと聞かれたので、お願いしました。
ここは、看護師室との間の壁が一部ガラスになっていて、ベッドが見えるようになっています。
4人部屋ですが、窓側になりましたので、明るくて、少しは環境がよくなりました。
それから、書き忘れましたが、ここに着いたときから、手の拘束はされていません。
一度でも引き抜いたら、拘束になるのでしょうが、もうそれだけの元気もなさそうです。
いいような悪いようなですが、とりあえず、拘束されていないのはありがたいです。
3月5日、この日も夫は目を開けていました。
一二度、目が合って、表情を少し変える時もありました。
覚醒がいいのは、拘束されてないからかもしれないと思いました。
呼吸音は相変わらずひどく、横向きに寝かされていても、体を動かして仰向けになってしまいます。
仰向けになると、呼吸が苦しそうになります。
前の病院では、わざと枕を高くしてありましたが、ここでは逆に枕を使わないで、タオルを畳んだ薄いものを頭に下に敷いています。
聞いたら、気道を確保するためと言ってましたが、なんだか返って苦しそうだなと思いました。
寝かせておくと、痰が増えるので、なるべく起こしておくようにとAo先生からも言われていましたが、その話をしても、取り合ってもらえませんでした。
せめて、ベッドをギャッジアップして欲しいと思い、お願いしましたが、それもダメそうでした。
廊下で、看護師のUさんに声をかけられました。
毎日来てるの?遠いんでしょ?と言われて、泊まり込みで通っていることを話しました。
いろいろ聞いてくれたので、言いたかったことを思い切り話しました。
この病院へ来たいきさつや、リハビリをやってもらえるというので連れてきたけど、こういう風に先生に言われたなどを話しました。
Uさんはいちいち頷いてくれて、師長さんと、リハビリの人と相談して、先生にもうまくとりなすからと、言ってくれました。
私が、先生には何も言えなかったというのは、よくわかってくれて、威圧的だものね..と言っていました。
3月6日、病室に行くと、K先生がいて、あ、点滴にしたからといきなり言われました。
ベッドの周囲にはカーテンが引かれていて、看護師さんに、今処置中ですから、ホールで待っていて下さいと言われました。
ぇぇぇ...なんてことだと思いながら、なすすべもなく、廊下の突き当たりに、広めの部屋があったので、ここかなと思って、待っていました。
そこにK先生が来て、もう鼻チューブを入れておく限界は過ぎている、夕べもSPO2が80位まで下がった、危険なので、鼻チューブは抜いたと説明を受けました。
無呼吸症候群は元々あって..と言いましたら、呼吸が止まって、復帰しないかもしれないと言われ、それ以上は何も言えませんでした。
点滴だと、もうあまり長くはないですね..と言ったら、そんなことはない、ももの静脈(?たぶん..)に入れているので、ずっと入れておける、これで、呼吸が改善したら、リハビリができるかもしれない、あんたはリハビリリハビリというけど、現状ではとてもリハビリできる状態ではない、今朝もリハビリをやって、全くダメだったので、その後、こういう処置をしたと言われました。
鼻チューブは抜いたけど、漏斗状のチューブは入れてある、そして酸素も2ℓ入れてあるので、これで呼吸は確保できるはずとのことでした。
食事用の鼻チューブを抜いても、呼吸用のチューブを入れたら、結局同じことじゃないのかと思いましたが、それは聞けませんでした。
病室へ行ってみて、今更ながら愕然としました..。
真っ平らなベッドの上で、あごを突き出して口で息をし、鼻には先日見たのと同じ漏斗状のチューブが入り、その上に、すっぽりかぶせる透明の酸素マスクをされていました。
目は閉じて意識もない状態でした。
酸素濃度を見ると、2ℓと言っていた筈なのに、5ℓになっていました。
漏斗の先についた安全ピンが、マスクに押されて、鼻の頭に食い込んでもう皮膚が赤くなっていました。
看護師さんを呼んで、そこを見てもらったら、あーこれじゃすぐ潰瘍になってしまうと言いながら、安全ピンにガーゼをつけて、直接当たらないようにしてくれました。
酸素、2ℓと聞いているんですが、5ℓなんですか?と聞いたら、この処置をするときに、状態が悪くなったので、増やしましたとのこと。
救命病棟にいた時だって、5ℓなんてなかったのに..。
大丈夫なのかなと、ものすごく不安になりました。
点滴は、ビーフリード輸液500mlというのをされていました。
後から、別な看護師さんが来て、セフォチアム1g1ℓというのを追加して行きました。
名前をメモしておいて家に帰ってから検索しましたら、なんか細菌の感染症に使う薬のようです。
何か感染症があるなんて聞いていないし、なぜ、この薬を使ったのかはわかりません。
しばらくして、K先生が来て、どう?呼吸が楽そうでしょと言いました。
確かに呼吸音は、静かになっていて、苦しそうではありません。
でも、これではまるで、...なんというか、明日も知れない重症患者のようだなと思いました。
気を取り直して、今日で家に帰りますが、来週また来ますと言ったら、なんだ家から通っていたんじゃないのか、まぁ、これなら、夜に急変して呼び出すこともないから、安心していてと言われました。
来週来たときに、一度、嚥下のリハビリに立ち会わせて欲しいと頼みました。
それはいいけど、ボクはスケジュールはわからないから、リハビリの方と打ち合わせしてと言われました。
看護師さんに頼んでリハビリの先生に繋いでもらいましたが、担当の人はいませんでした。
代わりの人が、伝えてくれるそうです。
やっと..念願のリハビリの場面に立ち会えそうです。
夫の嚥下能力は、本当に失われてしまったのでしょうか..。
もしそれが現実なら、見るのは辛いけど、それでも、本当のところを知りたいと思います。
とりあえず...私は、浅はかでした..。
もう取り返しのつかないことをしてしまったと思っています。
唯一の希望は、もしもK先生が、本当にこれがいいと思って、本当にリハビリをしてくれるためにこういう処置をしたかもしれないということです。
砕け散った希望のかけらを拾い集めて、来週また夫に会いにいきます。

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