11月24日に、待ちかねていたリハビリ病院から電話がきました。
ケアマネさんが催促してくれたので、動いてくれた様子でした。
12月1日10:30amの入院と決まりました。
入院するための書類の作成が、大変でした。
何枚にも渡る申込書やら、誓約書やら、家の見取り図まで書きました。
それに家中の写真を撮って添付しました。
リハビリして家に帰った時に、指導するために必要なんだということでした。
2011年12月1日。
この日は長い一日でした。
お泊まりデイから送ってもらいました。途中道が混んでいて、ぎりぎりの到着でした。
受付で名前を言うと、休む間もなくすぐ検査に入りました。
身長はなんとか測れましたが、体重計には乗れませんでした。
その後の採血で、夫は暴れて抵抗しました。
採血は延期になり、そのまま病室がある3階に連れて行かれました。
部屋はナースステーションの真ん前で、ベッドも入り口そばの看護婦さんからすぐ見える位置でした。
間もなく食事になり、デイルームに行きました。
おいしそうな塩鮭が出ていて、夫は、なんと箸を使って食べることができました。
途中から食べるのを忘れてしまったので、残りは食べさせました。
家においた薬をとってこないといけないし、私は昼食を食べていなかったので、一旦家に戻りました。
夫は、ナースステーションのカウンターに向かって、椅子に座らされていました。
病院へ戻ったら、夫は、車いすに座っていて、ベルトで立ち上がれないように縛られていました。
私がいない間に、事件を起こしてしまったらしいです。
最初椅子に座っていたけど、立ち上がって、自分の部屋じゃない部屋に入って行こうとしたとのことでした。
それを制止したら、暴力を振るいそうだったので、3人がかりで取り押さえたということでした。
その後すぐ、担当の医師の面談がありました。
相談員の人、このフロアの婦長さん、他に2人ほどが同席していました。
医師から、開口一番、今日これから退院して下さいと言われました。
一瞬、何を言われているのかわかりませんでした..。
私は呆然としながらも、これまでの施設では、穏やかに過ごしていたし、知らない環境で知らない人達の間に入って、相当混乱していると思う、慣れれば落ち着くと思いますのでと言いました。
それに対して、婦長は、事情はわかるが、慣れるまでこちらは待つわけにはいかない、例えば呼吸器をつけている人の部屋に入って、管を一本抜いたりしたら、それで死んでしまうからと、最悪のケースを上げて、どうしても追い出そうとしていました。
担当医師も、この数時間見ていたけども、何かあったら大変なことになるし、家で過ごさせた方が当人にとっていいことだと思うと、おためごかしを言っていました。
ここで追い出されてしまったら、今までの苦労が水の泡になる..。
何のために、Sクリニックの入院を長引かせてまで我慢したのか..。
夫が元通りになる機会が失われてしまう..。
私は、ともかく下手に出て、それじゃ、これから24時間だけでいいので、なんとか置いてもらいたい、その時点でダメなら、あきらめて家に連れて帰りますと食い下がりました。
それでダメなら、もう仕方ないと思いました。
夫の運もそれまでだし、家に連れて帰ろうと思いました。
薬を使うことも了承しました。
薬を使ったら、それの回復がまた大変だし、リハビリじゃなく、返って逆効果になるかもしれませんよと脅されましたが、それでもお願いしますと言いました。
病院側の態度がだんだん軟化し、個室に入るだけの資金力があるかとか、もし、心肺停止の状態になったとき、人工呼吸をするかどうかとか、どこの病院に運ぶかとか、具体的なことを聞かれはじめました。
個室は、2人部屋までなら用意はあるが、個室となるとちょっときついですね、でも、必要とあればなんとかします、でも、今入っている部屋と場所が、一番目が届くし、最高の場所だと思うと答えました。
そうしたら、婦長は、そう思ってあのベッドを手配したんですよと満面の笑みを浮かべながら言いました。
婦長はその後、思い切ったように、わかりました、それでは一日だけやってみましょうと言ってくれました。
担当医師はそれに対して何も反対しませんでした。
婦長の決定で、全てが決まるようでした。
向精神薬を飲ませることと、今夜夫が寝るまで付き添っているのが条件でした。
痛み止めの薬を持ってくるのを忘れたので、もう一回家に戻りました。
リハビリ担当の人が、状態を見たいと言ってきて、夫を歩かせたりしているので、そのままお願いしました。
家に戻って、お泊まりデイに電話で状況を話しました。
話を聞いて、一緒になって、憤慨してくれました。
病院を追い出されるようなら、すぐ受け入れする態勢をとってくれるとのことでした。
病院へ戻ったら、今回は何事もなかったらしく、ナースステーションのカウンターの前に、車いすに縛り付けられて、おとなしく座っていました。
私がいるときは、外してもいいとのことだったので、外して、デイルームのソファに二人で座って、食事になるのを待っていました。
次々と車いすの人達が運ばれてきました。
大抵はお年寄りで、認知症らしき人も沢山いました。
もっとも、認知症でも、車いすから立ち上がれないし、お年寄りなので、夫と違って、害はないのだろうな..と思いました。
食事は豚肉のショウガ焼きで、これもおいしそうでした。
Sクリニックの食事とは比べものになりませんでした。
夫は、箸を使って、ほとんど全部を自分で食べました。
わずかに残ったのを食べさせて完食しました。
お昼の時、おにぎりの方が食べやすいと言ったら、ちゃんとごはんはおにぎりになっていました。
スタッフの方達の対応はとてもいいものでした。
明日までかもしれないけど、そんなことはおくびにも出さず、これからずっといるような対応をしてくれました。
このリハビリ病院が評判がいいのも頷けました。
消灯までいることが条件になっていたので、私も食事をしなくてはなりません。
コンビニがそばにあるので、おにぎりと暖かい紅茶のボトルを2本買ってきて、デイルームで食べました。
夫はもともと紅茶好きなので、おいしそうに飲んでいました。
フェルガードは飲ませてくれることになっていたので、聞いてみたら、今日はまだ飲ませてないとのことだったので、部屋の冷蔵庫からヤクルトとフェルガードを持ってきて、それも飲ませました。
飲ませるスケジュールも決めてくれて、朝10時にフェルガードとBIO、夕方4時にフェルガードとヤクルトを飲ませてくれることになりました。
このままここにいられて、リハビリを受けて、ある程度元通りになって帰って来てくれるのを、どれほど望んだことか..。
人影もまばらなデイルームで、夫と二人、手を繋いでソファに腰掛けながら、お願い..お願い..問題を起こさないでね..と祈りました。
向精神薬は、グラマリール25mgでした。
飲んだのを確認しないといけないというので、今夜の夜勤の男性スタッフを呼びました。
夫はグラマリールをすんなり飲んでくれました。
8時過ぎに、靴下を脱がせてベッドに寝かせました。
おとなしく横になって、しばらくしたら眠っていました。
まもなく男性スタッフが来て、どうですかと聞くので、眠ったようですと答えたら、それじゃもう結構ですからと言うので、後をお願いして家に帰りました。
まもなく9時になろうとしていました。
疲れたなぁ...でもとりあえず、今日のところはなんとかなった..
翌朝8時半に相談員の人から電話がありました。
夕べはあのままぐっすり眠ったけど、朝になってそわそわするので、トイレに連れて行ったら、暴力を振るったとのこと。
今日の午後、退院して欲しいとのことでした。
もう何も言えないので、わかりましたと答えました。
夫は、やっぱり..運がなかったのです。
でも、夫にとっては、精一杯だったのでしょうね..可哀想に...。
退院すると決まっても、予定にいれたスケジュールはやってくれるとのことでした。
リハビリが1時半からありました。
リハビリは階段室を使って昇降をやっていました。
登るのは後ろに少し倒れそうでしたが、降りるのはかなり安定して降りていました。
夫が階段を使ったのは、発作で倒れて入院して以来のことです。
また昇降ができると知って、ほんとに嬉しくなりました。
リハビリの担当の人に、いろいろ教えてもらいました。
これまで、コルセットはしたりしなかったり、柔らかいサポーターばかりさせていた時間が長かったのですが、それではいけなくて、骨が固まるまでやらなければならないと言われました。
背中が丸まると余計負担をかけてしまうとのことでした。
既に一ヶ月以上経っているので、背中は丸まり始めていました。
コルセットの形が、立っているときはいいけど、座ると腹部に食い込んで苦しそうなので、他の形がないかどうか聞いてみましたが、なさそうでした。
夫は、かなりリラックスして、ここに馴染んできているようでした。
時折笑顔も出ていました。
リハビリが終わったら退院ということでしたが、姉が迎えに来てくれることになり、退院は4時になりました。
いろいろ書類を渡されたり、持って行った薬を一式返してもらったりしました。
4時10分前に支度ができたので、挨拶に行きました。
フロアの看護婦さん達、全員ではないでしょうけど、10人以上、一斉にエレベーターホールに来て見送ってくれました。
たぶん、退院の時はこうして見送るのが慣例なのでしょう。
夫は、みんなが見送りにきてくれたのがわかったらしく、あれ?っと驚いたようで、笑顔になって、看護婦さん達を指さしました。
それを見て、看護婦さん達が、どよめきました。
笑顔の、気持ちのいい別れでした。
昨夜の夜勤の男性スタッフを見つけたので、暴力を振るったお詫びを言いにいきました。
そうしたら、なんということでしょう..。
暴力をふるったわけではなかったそうでした。
ズボンを下ろそうとしたら、抵抗して、その時、夫の手が肩に当たっただけだったそうです。
だから気にしなくていいですよとその人は言っていました。
一気に全てのことが鮮明に理解できました。
これまで、病院の人達が「暴力」と言っていたのは、暴力ではなかったのです。
夫は、自分に加えられる「危害」から逃れようとして、抵抗しただけなのです。
言葉が話せない、言葉を理解できない悲しさで、それ以外に逃れる道がなかったのです。
病院に着いたとき、時間はぎりぎりではありましたが、ちょっと一息つかせて落ち着かせてくれていたら..。
よその部屋に入ろうとしたとき、穏やかに、「ここじゃないですよ」と言って誘導してくれていたら..。
夫は暴れることはなかったと思います。
以前、私に殴りかかってきたような、自分から他人に危害を加えようとする夫はもういませんでした。
今はもう罠にかかった小動物のように、逃げようとして逃げられず、暴れる他に道がなかったのです..。
それを一般の人、病院の人達は理解しませんでした。
ただただ、認知症、暴れる、危険のレッテルを貼っていました。
若年性認知症であるが故に、本来普通に受けることができるリハビリも受けられず、拒絶されました。
もう夫は、元通りに歩けないでしょう。
その機会も奪われてしまいました。
もういいよ
帰ろうね...おうちへ。
寒風が吹きすさぶ病院の玄関で、やっとの思いで夫を車に乗せました。
私は打ちのめされ、傷ついていましたが、不思議と落ち込んではいませんでした。
この先、どんな生活が待っているのか、果たして私はやっていけるのか。
そんな事も全く気になりませんでした。
今はただ、夫を家に連れて帰りたいだけでした。
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ケアマネさんが催促してくれたので、動いてくれた様子でした。
12月1日10:30amの入院と決まりました。
入院するための書類の作成が、大変でした。
何枚にも渡る申込書やら、誓約書やら、家の見取り図まで書きました。
それに家中の写真を撮って添付しました。
リハビリして家に帰った時に、指導するために必要なんだということでした。
2011年12月1日。
この日は長い一日でした。
お泊まりデイから送ってもらいました。途中道が混んでいて、ぎりぎりの到着でした。
受付で名前を言うと、休む間もなくすぐ検査に入りました。
身長はなんとか測れましたが、体重計には乗れませんでした。
その後の採血で、夫は暴れて抵抗しました。
採血は延期になり、そのまま病室がある3階に連れて行かれました。
部屋はナースステーションの真ん前で、ベッドも入り口そばの看護婦さんからすぐ見える位置でした。
間もなく食事になり、デイルームに行きました。
おいしそうな塩鮭が出ていて、夫は、なんと箸を使って食べることができました。
途中から食べるのを忘れてしまったので、残りは食べさせました。
家においた薬をとってこないといけないし、私は昼食を食べていなかったので、一旦家に戻りました。
夫は、ナースステーションのカウンターに向かって、椅子に座らされていました。
病院へ戻ったら、夫は、車いすに座っていて、ベルトで立ち上がれないように縛られていました。
私がいない間に、事件を起こしてしまったらしいです。
最初椅子に座っていたけど、立ち上がって、自分の部屋じゃない部屋に入って行こうとしたとのことでした。
それを制止したら、暴力を振るいそうだったので、3人がかりで取り押さえたということでした。
その後すぐ、担当の医師の面談がありました。
相談員の人、このフロアの婦長さん、他に2人ほどが同席していました。
医師から、開口一番、今日これから退院して下さいと言われました。
一瞬、何を言われているのかわかりませんでした..。
私は呆然としながらも、これまでの施設では、穏やかに過ごしていたし、知らない環境で知らない人達の間に入って、相当混乱していると思う、慣れれば落ち着くと思いますのでと言いました。
それに対して、婦長は、事情はわかるが、慣れるまでこちらは待つわけにはいかない、例えば呼吸器をつけている人の部屋に入って、管を一本抜いたりしたら、それで死んでしまうからと、最悪のケースを上げて、どうしても追い出そうとしていました。
担当医師も、この数時間見ていたけども、何かあったら大変なことになるし、家で過ごさせた方が当人にとっていいことだと思うと、おためごかしを言っていました。
ここで追い出されてしまったら、今までの苦労が水の泡になる..。
何のために、Sクリニックの入院を長引かせてまで我慢したのか..。
夫が元通りになる機会が失われてしまう..。
私は、ともかく下手に出て、それじゃ、これから24時間だけでいいので、なんとか置いてもらいたい、その時点でダメなら、あきらめて家に連れて帰りますと食い下がりました。
それでダメなら、もう仕方ないと思いました。
夫の運もそれまでだし、家に連れて帰ろうと思いました。
薬を使うことも了承しました。
薬を使ったら、それの回復がまた大変だし、リハビリじゃなく、返って逆効果になるかもしれませんよと脅されましたが、それでもお願いしますと言いました。
病院側の態度がだんだん軟化し、個室に入るだけの資金力があるかとか、もし、心肺停止の状態になったとき、人工呼吸をするかどうかとか、どこの病院に運ぶかとか、具体的なことを聞かれはじめました。
個室は、2人部屋までなら用意はあるが、個室となるとちょっときついですね、でも、必要とあればなんとかします、でも、今入っている部屋と場所が、一番目が届くし、最高の場所だと思うと答えました。
そうしたら、婦長は、そう思ってあのベッドを手配したんですよと満面の笑みを浮かべながら言いました。
婦長はその後、思い切ったように、わかりました、それでは一日だけやってみましょうと言ってくれました。
担当医師はそれに対して何も反対しませんでした。
婦長の決定で、全てが決まるようでした。
向精神薬を飲ませることと、今夜夫が寝るまで付き添っているのが条件でした。
痛み止めの薬を持ってくるのを忘れたので、もう一回家に戻りました。
リハビリ担当の人が、状態を見たいと言ってきて、夫を歩かせたりしているので、そのままお願いしました。
家に戻って、お泊まりデイに電話で状況を話しました。
話を聞いて、一緒になって、憤慨してくれました。
病院を追い出されるようなら、すぐ受け入れする態勢をとってくれるとのことでした。
病院へ戻ったら、今回は何事もなかったらしく、ナースステーションのカウンターの前に、車いすに縛り付けられて、おとなしく座っていました。
私がいるときは、外してもいいとのことだったので、外して、デイルームのソファに二人で座って、食事になるのを待っていました。
次々と車いすの人達が運ばれてきました。
大抵はお年寄りで、認知症らしき人も沢山いました。
もっとも、認知症でも、車いすから立ち上がれないし、お年寄りなので、夫と違って、害はないのだろうな..と思いました。
食事は豚肉のショウガ焼きで、これもおいしそうでした。
Sクリニックの食事とは比べものになりませんでした。
夫は、箸を使って、ほとんど全部を自分で食べました。
わずかに残ったのを食べさせて完食しました。
お昼の時、おにぎりの方が食べやすいと言ったら、ちゃんとごはんはおにぎりになっていました。
スタッフの方達の対応はとてもいいものでした。
明日までかもしれないけど、そんなことはおくびにも出さず、これからずっといるような対応をしてくれました。
このリハビリ病院が評判がいいのも頷けました。
消灯までいることが条件になっていたので、私も食事をしなくてはなりません。
コンビニがそばにあるので、おにぎりと暖かい紅茶のボトルを2本買ってきて、デイルームで食べました。
夫はもともと紅茶好きなので、おいしそうに飲んでいました。
フェルガードは飲ませてくれることになっていたので、聞いてみたら、今日はまだ飲ませてないとのことだったので、部屋の冷蔵庫からヤクルトとフェルガードを持ってきて、それも飲ませました。
飲ませるスケジュールも決めてくれて、朝10時にフェルガードとBIO、夕方4時にフェルガードとヤクルトを飲ませてくれることになりました。
このままここにいられて、リハビリを受けて、ある程度元通りになって帰って来てくれるのを、どれほど望んだことか..。
人影もまばらなデイルームで、夫と二人、手を繋いでソファに腰掛けながら、お願い..お願い..問題を起こさないでね..と祈りました。
向精神薬は、グラマリール25mgでした。
飲んだのを確認しないといけないというので、今夜の夜勤の男性スタッフを呼びました。
夫はグラマリールをすんなり飲んでくれました。
8時過ぎに、靴下を脱がせてベッドに寝かせました。
おとなしく横になって、しばらくしたら眠っていました。
まもなく男性スタッフが来て、どうですかと聞くので、眠ったようですと答えたら、それじゃもう結構ですからと言うので、後をお願いして家に帰りました。
まもなく9時になろうとしていました。
疲れたなぁ...でもとりあえず、今日のところはなんとかなった..
翌朝8時半に相談員の人から電話がありました。
夕べはあのままぐっすり眠ったけど、朝になってそわそわするので、トイレに連れて行ったら、暴力を振るったとのこと。
今日の午後、退院して欲しいとのことでした。
もう何も言えないので、わかりましたと答えました。
夫は、やっぱり..運がなかったのです。
でも、夫にとっては、精一杯だったのでしょうね..可哀想に...。
退院すると決まっても、予定にいれたスケジュールはやってくれるとのことでした。
リハビリが1時半からありました。
リハビリは階段室を使って昇降をやっていました。
登るのは後ろに少し倒れそうでしたが、降りるのはかなり安定して降りていました。
夫が階段を使ったのは、発作で倒れて入院して以来のことです。
また昇降ができると知って、ほんとに嬉しくなりました。
リハビリの担当の人に、いろいろ教えてもらいました。
これまで、コルセットはしたりしなかったり、柔らかいサポーターばかりさせていた時間が長かったのですが、それではいけなくて、骨が固まるまでやらなければならないと言われました。
背中が丸まると余計負担をかけてしまうとのことでした。
既に一ヶ月以上経っているので、背中は丸まり始めていました。
コルセットの形が、立っているときはいいけど、座ると腹部に食い込んで苦しそうなので、他の形がないかどうか聞いてみましたが、なさそうでした。
夫は、かなりリラックスして、ここに馴染んできているようでした。
時折笑顔も出ていました。
リハビリが終わったら退院ということでしたが、姉が迎えに来てくれることになり、退院は4時になりました。
いろいろ書類を渡されたり、持って行った薬を一式返してもらったりしました。
4時10分前に支度ができたので、挨拶に行きました。
フロアの看護婦さん達、全員ではないでしょうけど、10人以上、一斉にエレベーターホールに来て見送ってくれました。
たぶん、退院の時はこうして見送るのが慣例なのでしょう。
夫は、みんなが見送りにきてくれたのがわかったらしく、あれ?っと驚いたようで、笑顔になって、看護婦さん達を指さしました。
それを見て、看護婦さん達が、どよめきました。
笑顔の、気持ちのいい別れでした。
昨夜の夜勤の男性スタッフを見つけたので、暴力を振るったお詫びを言いにいきました。
そうしたら、なんということでしょう..。
暴力をふるったわけではなかったそうでした。
ズボンを下ろそうとしたら、抵抗して、その時、夫の手が肩に当たっただけだったそうです。
だから気にしなくていいですよとその人は言っていました。
一気に全てのことが鮮明に理解できました。
これまで、病院の人達が「暴力」と言っていたのは、暴力ではなかったのです。
夫は、自分に加えられる「危害」から逃れようとして、抵抗しただけなのです。
言葉が話せない、言葉を理解できない悲しさで、それ以外に逃れる道がなかったのです。
病院に着いたとき、時間はぎりぎりではありましたが、ちょっと一息つかせて落ち着かせてくれていたら..。
よその部屋に入ろうとしたとき、穏やかに、「ここじゃないですよ」と言って誘導してくれていたら..。
夫は暴れることはなかったと思います。
以前、私に殴りかかってきたような、自分から他人に危害を加えようとする夫はもういませんでした。
今はもう罠にかかった小動物のように、逃げようとして逃げられず、暴れる他に道がなかったのです..。
それを一般の人、病院の人達は理解しませんでした。
ただただ、認知症、暴れる、危険のレッテルを貼っていました。
若年性認知症であるが故に、本来普通に受けることができるリハビリも受けられず、拒絶されました。
もう夫は、元通りに歩けないでしょう。
その機会も奪われてしまいました。
もういいよ
帰ろうね...おうちへ。
寒風が吹きすさぶ病院の玄関で、やっとの思いで夫を車に乗せました。
私は打ちのめされ、傷ついていましたが、不思議と落ち込んではいませんでした。
この先、どんな生活が待っているのか、果たして私はやっていけるのか。
そんな事も全く気になりませんでした。
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