2011年05月14日 06時39分23秒
わたしを離さないで カズオ・イシグロ
テーマ:イギリス文学
「じゃ、ほんとうに何もないんだ。猶予も何も……」 「トミー」と、わたしはつぶやき、目で止めようとしました。でも、エミリ先生がそっと言いました。 「そう、トミー。そういうものはありません。あなたの人生は、決められたとおりに終わることになります」 (「わたしを離さないで」四〇六頁)
村上春樹という作家の作品に親しむようになってから、彼が紹介するさまざまな作家を知るようになった。一例を挙げるなら、スコット・フィッツジェラルド、ポール・セロー、ティム・オブライエン、ジョン・アービング、そして、カズオ・イシグロ。彼らは自分だけの「声」とでもいったものをもっており、彼らのその声に誘われるように、読者は彼らの創り出す物語世界に吸い寄せられる。
最近、深い感銘を受けた本はありますか?
村上 今はノンフィクションばかり読んでいます。このあいだ読んだポール・セローのアフリカ旅行記『ダーク・スター・サファリ』は面白かった。小説で最近ノックアウトされたのは、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』かな。彼は僕が最も高く評価する同世代の作家の一人です。上手なだけでなく魂がこもっている。(「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」四〇四頁)
「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」を読んで以来、気にかかっていた作家の一人が、カズオ・イシグロである。生きている作家の作品をほとんど読まない自分であるが、村上春樹が「ノックアウトされた」と告白するほどの作品を創造する作家だ。いつか読もう読もうと思いながら、書店の店頭で、本作を見かける度に、四〇〇頁を超える分量と八〇〇円の金額とに腰が引けて、放置していたのであった。
連休の初日、吉祥寺に行く機会があった。吉祥寺駅南口から徒歩三分ほどの所にある古書店「よみた屋」を訪れたところ、本書が三五〇円で売られていた(店頭にはさりげなく、フランシス・ジャム全集の一巻と二巻とが売られており、思わず衝動買いしそうになった)。ここで見つけたのも何かの縁だと思い、買ってしまう(ついでに、角川文庫の「ランボウの手紙」も一五〇円にて購入してしまった)。
「介護者」、「提供者」、「ヘールシャムという名の施設」に収容されている多数の子供たち、「マダム」。物語の進行とともに、謎のキーワードが次々と飛びだしてくる。
「提供者」は、一体何を提供するのか? 「ヘールシャム」は、なぜ多くの子供を育てているのか? この施設に育つ子供たちは、なぜ、絵画や工作活動に取り組むことを強いられるのか? 展覧会とは何か? 子供たちの過去が語られないのはなぜか? これらの興味深い数々の謎が、読者に一定の緊張を強いる。
だが、これらの謎を解くことが、本書の主題ではない。物語を読み終わったとしても、すべての謎が説明されているわけではない。
小説とは、そもそも説明文でもなければ、謎解きではない。我々の生きる現実世界のすべてが説明されていないように、小説世界も十全に説明し尽くされているわけではない。
無論、小説の舞台とは、仮構のものであり、実際に存在するわけではない。だが、同時に小説作品とは、読者に向かって開かれている、ある世界のことであり、読者が、その世界に投影された自分自身を見つけることができなければ、作家により創作された小説世界の中に、本当らしさを感じることはできないだろう。
本作の種明かしをするようで、やや恐縮するが、本作の主題として、生命倫理や、臓器移植、生命の尊厳を上げることも可能だろう。本書はそれだけのふところを持つ、奥深い物語である。
物語の中に置かれた「ヘールシャム」の世界の持つ、恐ろしさは、「カラマーゾフの兄弟」で語られる「大審問官」の世界をどこか彷彿さえさせる。
本書は、読者に向けて、 属性が剥ぎ取られた存在となった自分自身をつきつけるリアリティを持っている。人間の魂とは何か、生きるとは何かいう「大文字」の問いを考えずにはいられないのである。
一見、奇怪な謎解き物語の様を装っているが(そんな風に読むこともできるだけだ)、近年希に見る本格的な小説作品である。
村上春樹という作家の作品に親しむようになってから、彼が紹介するさまざまな作家を知るようになった。一例を挙げるなら、スコット・フィッツジェラルド、ポール・セロー、ティム・オブライエン、ジョン・アービング、そして、カズオ・イシグロ。彼らは自分だけの「声」とでもいったものをもっており、彼らのその声に誘われるように、読者は彼らの創り出す物語世界に吸い寄せられる。
最近、深い感銘を受けた本はありますか?
村上 今はノンフィクションばかり読んでいます。このあいだ読んだポール・セローのアフリカ旅行記『ダーク・スター・サファリ』は面白かった。小説で最近ノックアウトされたのは、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』かな。彼は僕が最も高く評価する同世代の作家の一人です。上手なだけでなく魂がこもっている。(「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」四〇四頁)
「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」を読んで以来、気にかかっていた作家の一人が、カズオ・イシグロである。生きている作家の作品をほとんど読まない自分であるが、村上春樹が「ノックアウトされた」と告白するほどの作品を創造する作家だ。いつか読もう読もうと思いながら、書店の店頭で、本作を見かける度に、四〇〇頁を超える分量と八〇〇円の金額とに腰が引けて、放置していたのであった。
連休の初日、吉祥寺に行く機会があった。吉祥寺駅南口から徒歩三分ほどの所にある古書店「よみた屋」を訪れたところ、本書が三五〇円で売られていた(店頭にはさりげなく、フランシス・ジャム全集の一巻と二巻とが売られており、思わず衝動買いしそうになった)。ここで見つけたのも何かの縁だと思い、買ってしまう(ついでに、角川文庫の「ランボウの手紙」も一五〇円にて購入してしまった)。
「介護者」、「提供者」、「ヘールシャムという名の施設」に収容されている多数の子供たち、「マダム」。物語の進行とともに、謎のキーワードが次々と飛びだしてくる。
「提供者」は、一体何を提供するのか? 「ヘールシャム」は、なぜ多くの子供を育てているのか? この施設に育つ子供たちは、なぜ、絵画や工作活動に取り組むことを強いられるのか? 展覧会とは何か? 子供たちの過去が語られないのはなぜか? これらの興味深い数々の謎が、読者に一定の緊張を強いる。
だが、これらの謎を解くことが、本書の主題ではない。物語を読み終わったとしても、すべての謎が説明されているわけではない。
小説とは、そもそも説明文でもなければ、謎解きではない。我々の生きる現実世界のすべてが説明されていないように、小説世界も十全に説明し尽くされているわけではない。
無論、小説の舞台とは、仮構のものであり、実際に存在するわけではない。だが、同時に小説作品とは、読者に向かって開かれている、ある世界のことであり、読者が、その世界に投影された自分自身を見つけることができなければ、作家により創作された小説世界の中に、本当らしさを感じることはできないだろう。
本作の種明かしをするようで、やや恐縮するが、本作の主題として、生命倫理や、臓器移植、生命の尊厳を上げることも可能だろう。本書はそれだけのふところを持つ、奥深い物語である。
物語の中に置かれた「ヘールシャム」の世界の持つ、恐ろしさは、「カラマーゾフの兄弟」で語られる「大審問官」の世界をどこか彷彿さえさせる。
本書は、読者に向けて、 属性が剥ぎ取られた存在となった自分自身をつきつけるリアリティを持っている。人間の魂とは何か、生きるとは何かいう「大文字」の問いを考えずにはいられないのである。
一見、奇怪な謎解き物語の様を装っているが(そんな風に読むこともできるだけだ)、近年希に見る本格的な小説作品である。
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