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2011年09月21日 23時51分41秒

日記 四十四歳

テーマ:日記
九月二十二日で、満四十四歳を迎える。
歳をとったなあと思える。愛媛に帰省して両親や親戚の顔に刻まれた皺や、白髪をみると、自分の年輪をまざまざと見る心持がする。
四十四歳になって、久しぶりに耳にしたいと思った曲が、渡辺美里の「breath」である。
この曲を聴くと、いろんな人の事を思い出す。いろんな人の事を。

2011年07月09日 07時08分13秒

日記 二〇一一年七月九日午前五時三〇分

テーマ:日記
昨日は、えらく疲れていたせいか、昨夜は寝酒を飲み、すぐに寝付いたのであるが、暑さのために、午前五時に目が覚めてしまった。疲れているときにかぎって、眠らないという悪癖だけは、若い頃から治らないようである。
ごそごそと起き出し、パソコンのスイッチを付け、ニュースサイトを一通り、見る。よくもまあ、世界はニュースに満たされていると感心するのである。
たまには、「本日のニュースはありません。」、なんて日があっていいと思うのだ。その日、テレビは終日、砂嵐となり、白紙である新聞が各家庭に配達され、駅の売店で販売される。もちろん、ウェブサイトにはなにも表示するものがない。携帯電話の画面も真っ白である。世界中からニュースというニュースが、情報という情報が一斉に姿を消すのである。情報の消え去った世界の中で、路頭に迷った人々は、確かなもの、確実なものがどこにあるのかと、互いの懐を探り合うのである。不安な表情と、疑心暗鬼に陥った眼差しとを持って……。

二日酔いの頭で、そんな妄想をこねこねと描いているうちに、ついさっき、Don CherryのSymphony for Improvisersを、iTunes Storeで購入した。六十年代のブルーノートの作品である。約二十分ほどの曲が二曲収録されており、価格は四百五十円であった。
自宅で酒を飲んでいるときや、二日酔いの朝には、パソコンを立ち上げてはならない。ついつい、「ノリ」で、不要な買い物をしてしまうのである。それも、数百円という値段の。

かつて、僕が気楽に生きていた九十年代。毎月二十枚ほどのジャズのCDを購入していた。円高のおかげで、輸入盤がえらい安くなったおかげである。仕事が多忙で、買ったディスクを聴く時間がなかったから、MDウォークマンを購入し、通勤の電車の中で鑑賞した。そんな生活が十数年ほど続いただろうか。あるときを境に、ディスクを買うことをぴたりとやめてしまい、また、音楽を聴くこともやめてしまった。理由は特にない。
二千枚を超えたディスクの半分以上を僕は売却し、残ったディスクのほとんどを義理の弟にそのままあげてしまった。そして、今、手元には二百枚ほどのCDが残っている。手元に残したのは、ブルーノートの1500番台と4000番台の一部、そして、いわゆる紙ジャケと呼ばれるディスクである。

紙ジャケは、一九九三年頃に市場に登場したと記憶する。当初、ビクターから発売されていたリバーサイドやコンテンポラリー、プレステッジといったジャズの名レーベルの有名盤が紙ジャケ化され、その後、ソニーがコロンビアの音源を、東芝EMIがブルーノートの音源をそれぞれ紙ジャケにし、発売した。ジャズやクラシック音楽のジャンルで紙ジャケ化が進むと、次第に六十年代や七十年代のロックやポップスのアルバムも次第に紙のジャケットで復刻が進むなど、紙ジャケは一時的なブームとなった。価格は当初から二千五百円程度と、高額であった。が、僕はプラスティックのケースに入ったCDよりも、不織布に入り(メーカーによってはビニールである)、紙のジャケットの中に収まっているディスクを買うことを好んだ。そのディスクは、僕に、中学生や高校生であった頃、少ない小遣いでアナログレコードをせっせと買い集めた頃を思い出させた。

思えば、自分が十代であった七十年代や八十年代初頭、巷に流れていた音楽のほとんどは、歌謡曲かアイドルの歌うものであり、中学生や高校生向けの邦楽といったものがほとんどなかった。アイドルのレコードを買い集める友人がいる一方で、精一杯背伸びして洋楽に向かう友人もいた。僕は、後者に属していた。
今のように情報化社会というわけでもないので、地方に住む一中高生にしか過ぎなかった自分の情報源といえば、テレビと書店に並ぶFM雑誌程度しかなかった。商店街に店を構える小さなレコード屋と、レンタルレコード店、ラジオのエアチェック、そして友達から借りるレコードが、僕たちの音源のすべてであった。真夏、扇風機がうーうーと唸っている部屋の中で、買ってきたばかりのレコードに、初めて針を落とすときの、あのわくわくとした気持といったらなかった。

ダウンロードは数分で完了し、Don Cherryの哀愁漂うトランペットが、パソコンに内蔵されている小さなスピーカーから鳴っているのである。が、情報や音源に満ちあふれた世界の住人である僕の胸を高鳴らせることはないのだった。
2011年06月19日 12時11分22秒

日記 二〇一一年三月二七日

テーマ:日記
2011年03月12日 01時30分18秒

日記 大地震

テーマ:日記
午後三時前、板橋駅に電車が止まり、扉が開く。乗客をはき出した。途端に、ぐらぐらぐらぐら
キャー、怖い、という女性の声が響いた。

未だかつて経験したこともないほどの揺れが、生じた。電車の中に座っていた自分の頭の片隅に、瞬間であるが、「死」という文字が躍った。
ついさっき、午前一時頃に、自分はどうにか自宅に帰宅することができました。一時は帰宅困難者でしたが……。
みなさんはご無事ですか?
自分にとって大切な人に、大丈夫ですかというメールを送ったり、送ってもらったりしているのですが、みんなが無事であることを祈っています。

携帯電話はまったく使えないし(けれど、スマートフォンを使っている人の数に驚かされた。情報と交通とが遮断された首都圏は、恐ろしい現実を露呈していた。
2011年03月10日 21時20分51秒

日記 大衆の反逆

テーマ:日記
大衆の反逆
「たとえば統治権は、もっともふさわしい人物にあたえられ、しかもそれは全市民による自由で清潔な投票で決められるということだ。しかし現実の経験は、こんな空想の楼閣など一挙に覆してしまう。そしてその教える教訓というのは、大規模社会にあっては、君主の選挙、必ずしもそれが最高の賢者、あるいは最大多数者の意向に落ちつくとは限らぬという事実である」。(「ローマ帝国衰亡史」第七章 百九十四頁)

大衆の反逆といっても、オルテガの著作について何か書くつもりでもないのである。

先週から、「ローマ帝国衰亡史」を読んでいる。ずっと以前から読みたいなと思いながら、そのまま放置していた本であった。今年の秋頃から地道に読もうと思っていたのだが、突然、本に誘惑されたかのように、衝動的に購入してしまった(自分は目が悪いこともあり、文庫本ではなく、古書である単行本を購入した)。両アントニヌス帝の平和な時代から物語が始まり、今朝ほどまでに、西暦二百四十八年まで、フィリップス帝まで読み進めた。

本書は、十八世紀にエドワード・ギボンにより執筆された歴史書である。が、ただの歴史書ではない。歴史的事実を通して、ローマ帝国に君臨した数々の皇帝の人間性にまで言及するギボンの手腕には、本書をして人間考察の書たらしめるものがある。その意味では、Ⅰ巻のあとがきにおいて、訳者である中野好夫が述べているように、本書は「歴史よりも、むしろ文学」であるといえる。

ローマ帝国においては、元老院の後ろ盾のある名門の貴族がローマ帝国の皇帝となるばかりではなく、蛮族出身である、出自さえ怪しい男が、軍を掌握し、クーデターにより帝位を簒奪することが決して少なかった。また、ほとんどの皇帝は、軍を丸め込むために、将兵たちに高額の給与を公約するか、支払わなければならなかったのである。

またもや、与党民主党の失態である。
「民主党の土肥隆一・衆院政治倫理審査会会長が『日韓キリスト教議員連盟』の日本側会長として、日本政府に竹島の領有権主張の中止を求める同連盟の日韓共同宣言に賛同し、名前を載せていたことが分かった。」
asahi.comより引用
asahi.com:http://www.asahi.com/politics/update/0310/TKY201103090727.html

同じく民主党議員であり、つい先頃まで国家公安委員長であった(!)岡崎トミ子議員が、二〇〇三年に韓国日本大使館前で開かれた日本軍慰安婦の支援団体主催の反日デモに参加し、 「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」を参議院に提出していたことにも驚かされたが、土肥隆一議員の行動も負けず劣らず、驚くべき行為である(無論、昨年の十一月三十日、民主党中井議員による、秋篠宮文仁親王殿下・秋篠宮妃紀子殿下に対する暴言も忘れてはならない)。
今時、竹島が韓国領だとは、日本共産党でさえ言わないのではなかろうか?
彼らは、議員失格である前に、日本人としても失格である。

民主党のやり口とは、「自民党政権のままでは、日本が駄目になる」と盛んに国民の間に危機感を煽り(革新政党好きのマスメディアが便乗)、まんまと政権交代したところで、子ども手当だ、高速道路無料化だといった、ばらまきを開始。同時に、事業仕分けという名前だけの官僚叩きのパフォーマンスにより、大衆の人気を掌握。
ところが、政権奪取から半年も経たぬうちに、普天間問題で二転三転。政治と金の問題にけじめをつけるといいながら小沢問題は棚上げのまま。首相が交代しても、尖閣諸島と北方領土をめるぐる、支那とロシアとの問題を始めとする外交問題と、社会保障制度の再設計や税制と財政の改革が急務である内政とを前に、為す術のない元市民活動家首相。次の選挙を戦えないと悟った民主党議員の中には、唐突に、これからは地方政党の時代だと言い出して、保身の道を探る輩までいる始末。
まさに、民主党議員のみなさん。お疲れ様でしたといったところである。
政策論争がどうだこうだと理屈をこねる前に、そして、政治主導とやらで、杜撰な法案(子ども手当法は杜撰であった)をひねり出す前に、まずは自分たちの党の綱領を作ってはどうか? 理念なき政党。まさに烏合の衆。そして、民主党議員の言動こそ、オルテガが描き出した「大衆の反逆」ではなかったか。

一昨年の夏に起こった政権交代から、今日の、衰退するまでの民主党の軌跡を描くことは、衆愚政治の醜悪さを後世のわが国民に伝える、よい見本になるのではなかろうか?

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