2010年01月26日 22時29分27秒

天皇論 小林よしのり

テーマ:社会
ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論/小林 よしのり

¥1,575
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伝統と共に生きるということは、時に大変なことでもありますが、伝統があるために、国や社会や家がどれだけ力強く、豊かになれているかということに気づかされることがあります。一方で、型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われていることは、好ましく思いません。(P373)」

「これは禊(みそぎ)の書である」と本書の「あとがき」に置かれた文字が、この書を読み終わった多くの読者の心にも浮かんだことだろう。改めて本書の「序章」に目をやる。そこに描かれた若き日の作者小林よしのり氏の姿こそ、自分の戯画そのものではないか。「君が代」の本当の意味も知らず、日本人であることを自覚せずに、日々の生活をただ享楽してきたことを反省するのみである。

本書によると、「君が代」の原歌(もとうた)は、905(延喜5)年にまで遡り、「古今和歌集」にある「わが君は 千代にましませ さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで」である。これは、「賀歌(がのうた)」といい、長寿を祈る歌である。「君」とは「天皇」のことではなく、自分が敬愛すべき相手のことである。時代が経つうちに「千代にましませ」が「千代に八千代に」に変化したものの、庶民が個人個人の敬愛する人の長寿を祈って歌い継いできた歌こそわが国の国歌である「君が代」なのだ。

本書を読了後、メディアが使う「天皇制」であるとか「天皇家」という言葉がいかに歴史の事実と真実とに即していないかということ、また「天皇は象徴である」という言葉に対して、一体今までどれだけのデマと嘘が流され続けたことかを知り、そして、自分の無知を知らされ、終いには、自分を含めた世間一般に対して愕然としてしまったというのが率直な感想である。

冒頭に皇后陛下のお言葉を引用したが、改めて伝統とは何か? 国とは何か? ということを考えさせられる。
2008年06月25日 23時44分46秒

誇りある沖縄へ 小林よしのり

テーマ:社会
誇りある沖縄へ (Clickシリーズ)

¥1,050
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小林よしのりの本を読む人には負け組が多いというが、分からなくも無い気がする。天下国家を述べたがるのは、一昔前なら床屋政談ではないが、完全に国家を動かしている人間でもない限り、それ以外の人間がとやかく言っても所詮は、負け犬の遠吠えに過ぎない。

だが、彼の著作がただの天下国家を述べたものに過ぎないという気がしないのは、書いている事に筋が通っているからだ。論理的に破綻していないということは、著作物にとって当り前と言う気がするが、分裂した著者が巷には大勢いることにいったいどれほどの読者が気がついているだろう?

また、論理的に一貫性があるだけでなく、古いタイプである自分のような人間の情に訴えかけてくるあるものを僕は感じてしまう。

たとえば少し前に上映された映画「三丁目の夕日」の中では、高度経済成長期の人と人の繋がりというものをノスタルジックに描く事で、昭和四十年代前半生まれまでの人たちの中に宿っていた原風景を再現したという気がする。

小林よしのりの著作に頷く事ができる人も今後減っていく事だろう。だんだん、人と人の繋がりも減り、ネットとか画面に映し出された文字だけで他者を判断する時代になっているのだ。ある人格にのめり込んだり、惚れ込んだり、信じ込んだりするのでなく、ただ数値化できる世界をまるで客観というものがあるかの如く判断するのだろう。

ツァラツゥストラの一節に「そなたたちは信じる力さえないのだ」という一節があったと記憶するが、力の無い世界とは何も信じることもなく信じる力さえない世界の事だろう。

「誇りある沖縄へ」と題された座談会をまとめたこの著作については後日感想を書きます。

2006年10月19日 21時30分59秒

憲法九条を世界遺産に 第一章

テーマ:社会
憲法九条を世界遺産に

¥660
株式会社 ビーケーワン

漫才師太田光と宗教学者(?)中沢新一の対談をまとめたこの本は、すでに23万部売れているという。

幼い頃から、松竹新喜劇、吉本新喜劇、漫才の王道やすきよの洗礼を受けてきた僕から見ると、ここ数年のお笑いの世界で、爆笑問題は実力と人気を持ったずば抜けた存在ではなかろうか? 他にも面白いお笑い芸人はいるだろうが、そのほとんどが作り物に思える(中川家はいいいな)。太田と田中の絶妙なコンビネーション、太田の豊富なボキャブラリーとそのひねりに匹敵するお笑い芸人(そもそもこの言い方自体すきでない。コメディアン、漫才師、落語家とか言えばいいじゃないか)はいないだろう。

一方、中沢新一の著作を僕は残念ながら読んだ事がない。「チベットのモーツアルト」などはかなり前から一定の評価を受けていただろうが。どうという理由もないが、僕の触手は伸びなかった。

僕がこの本を買った理由というのも金曜の夜8時から日本テレビ系列で放送している番組「太田光の私が総理大臣になったら……秘書田中」が面白いからだ。

本書の第一章は「宮沢賢治と日本国憲法」と題されている。賢治の作品と彼が傾倒した田中知学との間に見られるねじれについて二人は語り合う。この章で語られているのはもっぱら宮沢賢治を軸とした人々の間に沸き起こる愛と憎しみについてだ。

太田 今の日本の風潮では、癒しという言葉が流行になって、人間でさえ“癒し系”とかカテゴライズされたりする。愛情を履き違えていますよね。愛情というのは、すべてを包み込む、ぽかぽかした温かいもの……。
中沢 そして傷つかないものと思い込んでいる。
太田 それが恋愛にも反映されていますよね。恋愛をしていて、相手に愛を感じている時、お互いを傷つけあうことはあって当然なのに、「これは愛じゃない」と思ってしまったり、自分の愛情に自信が持てなくなったりする。

憲法九条を語るのに、宮沢賢治を持ち出し、個々人の愛憎から戦争を語ろうとするのだろうか?

続けて、太田は「愛は毒を放つ」、愛は憎しみを伴った「諸刃」であることを繰り返し、中沢は「昔の人たちは、この世界が矛盾でできていることを前提に生きていました。だから、矛盾を平気で自分の中に受け入れて」、いっぽうで「神話をつうじて理想的な状況を考えようとした人々は、(略)現実的な考え方をしていた」と話をまとめるのだが……。

本章の最後に、中沢は「日本人を戦争に導いていったものに、ある種の宗教的情熱があって、その一部分を自分も共有していたという認識はあったでしょう」と指摘している。

60年前の帝国主義末期、西欧の世界分割がほとんど終了する間際、世界で有色人種の国として唯一日本が、西欧列強と国際社会で互角に張り合っていた。勢力を拡大する日本と太平洋を越えて遅れてアジアに進出してきたアメリカが対峙した。それは日本対アメリカという単純な国対国としての構図ではなく、最終的な人種戦争としての意味合いの方が強かったのではなかろうか? 実際、連合軍と戦ったのは日本だけではなく、朝鮮の人々、台湾、東南アジアの人々も共にアングロサクソンと戦ったではないか。それは「ある種の宗教的情熱」であろうか? 日本の軍部や指導者だけでなく市井の誰が考えても対米戦争で日本の勝ちは無いと分かっていたはずだ。だが、我が国は開戦に踏みきった。それは宗教的と呼べる情念なのだろうか? そこに神話、物語といえるものは無かったのだろうか?
2006年10月15日 00時52分02秒

ウェブ進化論

テーマ:社会
ウェブ進化論

¥740
株式会社 ビーケーワン


今さら「ウェブ進化論」なんて、と思われそうだが……。これを読んだのは今年の2月だった。その時読んだ記憶を元に考えると。

この本ではWeb2.0という言葉でAmazonとGoogleが大きく取り上げられ、ブログ、ロングテール、アフェリエイトなどを分かりやすく解説していて、なるほどと思うことが多かった。

しかし、僕がもっとも気になったのは、おしまいににあった既存メディアについての考察だ。今、手許に本書がないので正確な引用はできないが、ネットにつながったパソコンを使っている人なら誰だって簡易に情報の発信を行うことができ、それが結果的に爆発的な情報の氾濫を引き起こしている。一方、既存メディアは、少数の表現者による限定した情報を伝えるという、情報に対してある種フィルターをかけることで、自らの情報に付加価値を付け続けた(「情報の発信」なんて誰も簡易にできないことなのだから、その時点で充分すぎる付加価値だ)。

この図式を言い換えるなら、前者は受け取り手に対して完全な信頼を持っているが(誰でも情報を無差別に送るのだから。悪く言えば情報の垂れ流しか?)、後者は受け取り手には、我々(つまり情報の送り手)が美味しいところを作り上げて、伝えてあげないといけないという考えで行っている。

ここで展開されているメディア論こそ、本書に表された大きな問題定義だと考える。受け取り手に対する信頼をキーワードとしている点が見逃せない。ネットの世界に対して、既存メディアは「すべての人間が、(換金できる)表現者ではない」という主張があるはずだ。でなければ、「記者」「著述家」などという肩書きは存在しないだろう。

既存メディアを鉄道とするなら、ネット社会は言うなればマイカー社会みたいなものだ。融通は利かないが手堅く時間通りに走り続ける電車と、どこでも好きな時間に自由に走り回れるが、それを運転しているのはプロではない(乗客からすると鉄道と白タクみたいなものか?)。なんだかそんなことを考えてしまった(「オーマイニュース(http://www.ohmynews.co.jp/)」は、日本で成功するのだろうか?)。市民みんなが記者だ、かぁ。

アメリカではネット広告が既存の広告媒体を追い抜きそうな状況だそうだが、追い抜いた時、つまり「金になる」と多くのクライアントがネット広告に流れた時、ウェブ進化論の世界が真の意味で現実になるのだろう。
2005年08月07日 00時04分59秒

新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖国論 小林 よしのり

テーマ:社会
小林 よしのり
新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖国論

ちくま新書の「靖国問題」が売れているそうだ。もう30万部だか売れたそうで、書店にも平積みになっている。
その著者が先週の週刊ダイヤモンドに靖国問題について記事を書いていたので、読んでみると……。
まあ予想はしていたが、いつもお目にかかる非戦・反戦・非武装論だ。
この程度のものを書いている人の本が30万部か……。おまけにこの人物、東大教授というではないか。東大というブランドでタイムリーな話題を扱うと「書いている人が東大の先生だから」という信用もあり、売れるってことか?

今まで再三、小林よしのりの作品については取り上げている。僕は、そのほとんどを読む事にしている。
が、この「靖国論」は急いで出版されたのだろう、書き下ろしが序章と終章の2本と途中にあるコラムだけで、後は今まで発表されたものを一冊にまとめているだけなのだが……。
そうであっても、これは面白い。中には4年前に読んでいるものも出てくるが、氏の主張が一貫していること、また丹念に資料に当たり精細に調べ描かれて、語られていることがよく分かる。妙なイデオロギーの視点から語らない姿勢が、僕には好感が持てる。
こうして一本にまとめられているので論点が定まって、靖国問題とはそもそも何なのかということが明確になっている。

なにかと取りざたされるA級戦犯の合祀問題も、「東京裁判」という国際法に照らし合わせても異常な裁判(裁判ではなく戦勝国の敗戦国に対する復讐にしか過ぎないが)自体が不当である事、戦後世論の体勢は国民、国会議員も含めて「英霊(ひいでた霊)」に対して敬意を払っていた事実が、朝日新聞をはじめとする左翼系メディアによる世論操作によって、言語空間がゆがめられてしまった事実が描かれている。
政教分離の問題、首相の公式参拝問題、国立追悼施設の問題など、「靖国」に関するほとんどすべてといっていい事柄に言及されていて、これ一冊読めば十分理解できる内容だ。

たぶん8月15日が過ぎれば、靖国問題もどこ吹く風と消えうせるのだろうが、日本人であるのなら、読んでおきたい一冊。

本文中に引用されている「英霊の言乃葉」を読むと僕は鳥肌が立つ。

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