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2011年03月09日 20時23分11秒

罪と罰を読む その十

テーマ:ロシア文学
「『捜索だ、捜索だ、すぐに家宅捜索だ!』彼はいそぎ足で歩きながら、ひとりごとをくりかえした。『やつらめ! 疑っていやがるぞ!』先ほどの恐怖が、ふたたび頭から足の先まで、彼の全身をとらえた」。(「罪と罰」第二部 二百十五頁)

警察がラスコーリニコフを呼び出した要件は、たわいのないものであった。彼の滞納した家賃に関するものであり、あの事件に関する嫌疑のためではなかった。警察を後にしようとした彼は、警察署長であるニコジム・フォミッチと副署長であるイリヤ・ペトローヴィチとが、あの事件に関して話し合っている声を耳にした途端、気を失ってしまうのであった。
あまりに突然生じた珍事により、警察はラスコーリニコフに疑いの目を向ける。警察の変化に気が付いた彼は、急いで部屋に戻り、物証を隠蔽するのだった。

ペテルブルクの町を一人彷徨う彼は、老婆から盗んだ財布を思わず川に投げ捨てようとするが、ふと、人気のない場所にあった石の下に隠すことにした。証拠を完全に隠すことができた彼の頭に、あまりに単純な疑問が浮かび上がるのだった。
「もしあれが全部、やみくもじゃなく、本当に意識的にやられたことだとしたら、もしおまえに明確な、しっかりした目的があったのだとしたら、どうしておまえはいままで財布の中をのぞいて見ようともせず、自分が何を手に入れたかも知ろうとしないんだ。なんのためにあんな苦悩を甘んじて受け、あんなあさましい、みにくい、下劣なことを意識的にやってのけたんだ? だいたいおまえはいま、財布を水中に投げすてようとさえしたじゃないか。やはり中身をのぞいてもいないほかの品物もいっしょにだ……どういうことなんだ、これは?」。(「罪と罰」第二部 二百二十二頁)

彼にはひとつの考えがあり、それにしたがって老婆を殺害するという凶行におよんだのであった。自分の考えは正しい。その正しい考えに沿って行動する限り、正しい結果しか導き出せないと彼は仮定した。
ただし、自分自身が凶行の結果に耐えられないことを知っていたにもかかわらず、実行したのであった。無論、彼が苦しむのは、人間を殺害したことによる良心の呵責のためでも、法令を犯したことのためでもなかった。自らが絶対であると決めつけていた考えが、ひとたび現実の世界で実現された瞬間に、稚拙にして、杜撰、あまりに無目的であったことが彼を絶望させたのだ。

自分が老婆の元から盗んだ金品さえ、誰にも知られずに棄てることができれば、自らが行った凶行を綺麗さっぱり拭い去ることができると、彼は考えたのだった。現在の自分を責めさいなむ過去の一点から一刻も早く脱したいと彼は焦るのである。だが、その考えも長くは続かず、次の瞬間には、自分が自分を責める原因を、自分の病気に帰せてしまうのであった。
自分ではない何らかの力によって自分が起こしてしまった行為に対する悔恨と、現在の自分にのしかかってくる過去の行為の重圧とを抱えたまま、彼は、「ワシリエフスキー島の小ネワ川のほとりまで」やってきた。

気が付くと、友人のラズミーヒンの家の前までやってきた彼は、何のためにここに来たかさえ忘れてしまった様子で、友人の部屋の中に入っていくのだった。
2011年03月07日 21時15分43秒

罪と罰を読む その九

テーマ:ロシア文学
「『もし聞かれたら、しゃべってしまうかもしれないぞ』彼は、署の建物に近づきながら思った」。(「罪と罰」第二部 百九十一頁)

凶行後、ラスコーリニコフは自分の部屋に帰ったのだったが、高熱が生じ、体ががくがくと震えはじめた。自分で自分の気が狂うのではないかと思ったほどであった。だが、のんびりしていられなかった。証拠になるものをすべて隠蔽する作業が彼を待っていたのだった。服に血痕が残っていないかを調べ、盗んできた金品を「壁紙のかげの穴」の中に押し込みはじめた。次の瞬間、
「あんな隠し方ってあるものか? たしかにおれは理性に見放されている!」彼はソファにがっくりと腰をおろした。「罪と罰」第二部 百八十四頁)

「理性」という言葉は、次の頁にもあり、
「『して見ると、まだすっかり理性に見放されたわけでもないな。自分でふっと思いつくぐらいだから、思考力も、記憶力も残っているわけだ!』。(「罪と罰」第二部 百八十五頁)

「理性」に見放され、「記憶力も、ほんの単純な思考力も、何もかも自分を見捨てたらしいという確信が、耐えがたいまで彼を苦しめはじめた」ことを、ラスコーリニコフは、「罰」がやってきたのか、と考えるのである。少なくとも、この時点における「罰」とは、刑罰のことではなく、人間が理性に見放され、記憶力や思考力、判断力を奪われ、苦しめられている状態のことである。

警察からの呼び出しに狼狽するラスコーリニコフは、すでに自分に対して嫌疑がかかっているのではないかと恐れると同時に、「えい、なるようになれ、かまうもんか!」とやぶれかぶれになった途端に、体はがたがたと震えはじめ、「だめだ、おれにはだめだ……」と絶望するのであった。犯行現場となったあの建物の前を通った時など、ひょっとして自分が事件のことを自白してしまうのではないかという考えが頭をかすめるのであった。

警察署に入った彼は、警察の対応を観察し、自分を呼び出した理由が、例の犯行に関するものではないことを悟り、しだいに元気を取り戻したのであった。
「『ちょっと馬鹿をしても、ほんのわずかな気をゆるめても、たちまち尻尾を出しかねない! ふむ……いけないのは、ここの空気だ』と彼は考えつづけた。『ひどく蒸す……頭がよけいくらくらしてきた……判断力もだ……』」。(「罪と罰」第二部 百九十四頁)
ここでもまた、彼は判断力を失おうとしていた。

ラスコーリニコフは、副所長であるイリヤ・ペトローヴィチや、警察署長であるニコジム・フォミッチと会話を交わすうちに、彼は、ふと自分の身の上話を打ち明けてしまうのであった。だが、語り終わった後に、彼の胸には、「せつない、無限の孤独と疎外の暗い感覚が、ふいにまざまざと意識にのぼってきた」のであった。しかもそれが、彼の頭を横切ったのではなく、「全感覚をつらぬくほどの力で感じとったのだった」。その感覚とは、「直接的な感覚、これまでの生涯に彼が体験した感覚のうちでも、もっと苦しい感覚であったことである」。彼はこの後、他者に自分を理解して貰おうと思って胸襟を開くことはない。なぜ、告白などしなければならないのだろうか。告白などがいったいなんのためになろうか? 彼は、自分が他者との結びつきを二度と持つことができないことを、感覚として了解したのであった。

事務手続きを終えて、帰宅するためにドアに向かったラスコーリニコフの耳には、例の事件のことが聞こえてきたのであった。その瞬間……。
2011年03月02日 21時43分28秒

罪と罰を読む その八

テーマ:ロシア文学
「彼は斧をすっかり取りだし、なかば無意識のうちに両手でそれを振りかぶると、ほとんど力をこめず、ほとんど機械的に、頭をめがけて斧の峰をふりおろした。そのときは、まるで力がなくなってしまったようだった。だが、一度斧をふりおろしたとたん、彼の身内には新しい力が湧いてきた。」(「罪と罰」第一部 百六十頁)

とうとう凶行に及んだラスコーリニコフの手は、あいかわらずがくがくと震えていたが、意識の混濁や目眩を感じることはなかった。「斧をふりおろした」途端に、彼の中に湧き上がった力とは、彼の中で抑圧されていた破壊欲とでもいった本能の発露ではなかったか。
だが、彼の判断や行動が常軌を逸していることは明らかであった。逃げたいという思いが彼の中に湧き上がっては消え失せる中、頭蓋骨がくだけて、即死状態の老婆が、まだ生きているのではないかと彼は考えてしまうのである。死体の側に駆け寄り、彼女の死を確認する。
早々に金目のものを奪って逃げ出したいのであるが、寝台の下にあるトランクを開けるだけでやっとであった。トランクの赤い裏地を見た彼は、血だらけである、自分の手をこれで拭けば、血が目立たないだろうと考えた次の瞬間、「ああ、おれは気が狂うんじゃないだろうか」という思いが頭を駆けめぐる。

突然、老婆が倒れている部屋に響く足音が彼の耳に届く。老婆の腹違いの妹であるリザヴェータが帰宅し、部屋のまん中で殺された姉を見つめながら茫然自失としていたのであった。その姿を目撃した、ラスコーリニコフは、振りあげた斧を彼女の脳天に躊躇もなく降りおろした。リザヴェータは、はげしく床に崩れ落ちる。これも即死であった。計画にはなかった第二の犯行により、彼は強い恐怖に囚われてしまい、ここから逃げ出すことしか頭にはなかった。だが、しばらくすると、彼は徐々に瞑想でもしているような状態に陥り、我を忘れ、逃げることさえ頭から消え失せてしまう。犯行に使用した凶器である斧を石鹸で磨き出したり、自分の服に返り血が付いていないかを子細に調べはじめたりするのであった。犯行現場である部屋の中で彼は、
「いけない! 逃げるんだ、逃げるんだ!」と呟くのがやっとであった。自らの行動を律するために、彼は言葉による調整を必要とした。

部屋を飛び出そうとした彼が見いだしたのは、開け放たれた入り口の扉であった。犯行の間中、入り口が開いたままであったのだ。急いで掛金をおろし、扉を閉めてしまう。
「いや、ちがう、また見当ちがいをやっている! 逃げなくちゃいけないんだ、逃げなくちゃ……」
作者ドストエフスキーは、哀れな主人公ラスコーリニコフを散々いじめ抜く。彼を極限の恐怖まで陥れようとしているかのようである。作者は、一人の殺人鬼を恐怖のどん底にまでたたき落とすことにより、人間心理の実験でもしているような具合である。

犯行現場から逃げだそうとした彼の前に立ちふさがったのは、この老婆の部屋に向かって階段を上がってくる一人の男の足音であった。再び部屋に逃げ込むラスコーリニコフは、扉の裏に息をひそめて、外の様子を窺う。いつしか、もう一人の男が現れ、二人の男が扉を挟んで、熱に浮かされるような気持で斧を握りしめるラスコーリニコフと向かいあっていたのだ。扉の外にいる一人の男が庭番を呼びに行き、残された一人が見張り役を放棄し、どこかに消えてしまう。この隙に犯行現場を後にしたラスコーリニコフは、誰にも目撃されることもなく、往来の雑踏の中に姿を消すことができたのだ。

ラスコーリニコフは、計画通りに老婆を殺害し、僅かばかりの金品をポケットに詰め込むことができた。目的の通りとはいえないまでも、一定の目標を達成することが出来たのであった。だが、リザヴェータを殺害したことは、彼の計画にはなかったことである。作者ドストエフスキーが、ラスコーリニコフにリザヴェータを殺害させた意図は何であったか? もしも、ラスコーリニコフが、老婆だけを殺害して、僅かばかりの金品をかすめ取り、目撃されることなく犯行現場からまんまと逃げ出すことができていたら、物語の展開はもっと違ったものとなっていただろうか? 今の段階では、この問いに対して、答えを出すことはできないが、リザヴェータを殺害した、第二の犯行により、彼の計画の論理的な正しさと、道徳的な正しさとは、完全に破綻することとなったのである。彼を支えるものは何もなくなったのだ。

「彼は眠りはしなかった。だが、放心状態に落ちていた」。(「罪と罰」第一部 百八十頁)
2011年03月01日 21時32分45秒

罪と罰を読む その七

テーマ:ロシア文学
センナヤ広場から自分の部屋に戻ったラスコーリニコフは、「夢をみずに眠った」。翌日、ナスターシャが部屋に入ってきて、彼を揺り起こしても、執拗に眠り続けた。昼過ぎにナスターシャが持ってきたスープを飲み、食事が終わると、眠ることができなくなったかわりに、彼の前にはたえず奇妙な幻覚ばかりが現れるのであった。中でも彼がいちばんよく見たものは、彼がアフリカにある砂漠のオアシスにいる幻覚であった。砂漠を渡る隊商が休憩をしているオアシスでは、らくだが静かにねそべり、椰子の木までが生えている。彼をのぞく人々は食事をしているのであるが、彼だけはただ一人、彼の側を流れる小川に直接口をつけて水を飲んでいるのだ。この奇妙な幻覚が何を意味するかは、まったく分からないのであるが、ここでも「水」が出てくることに注目しておくことにする。貪るように水を飲む彼は、一体何に渇いていたのか? また一体何に饑えていたのか?

次の瞬間、時計の打つ音がはっきりと彼の耳に聞こえたのだった。今日の午後七時には、あの部屋には、老婆が唯一人でいることは確実であるのだが、彼は何の用意さえしていなかった。用意周到であったのは、彼の頭脳の中で組み立てられた犯行計画と、自分が行うことは「犯罪ではない」という道徳的な解決とだけであった。これから殺人を犯す人間が、頭の中だけで自分の行為を正当化することに夢中になっておきながら、犯行に使用する凶器さえ用意していないとは、彼が見たさまざまな奇妙な幻覚以上に奇妙なことであった。

彼はこの期に及んでも、いっさいに確信がもてなかった。彼は、彼の考えを論理的に他者に説明したり、他者からの論駁に反論したりすることができるにしても、彼自身が自らの考えを信じていないのである。無論、ウィトゲンシュタインが主張するように、知っていることと信じることとを、区別することは無意味である。知っていることや信じていることを、行動に移すまでは、それらを区別することは無意味である。たとえ、自らの理論や考えの正当性を説明することが出来ても、論理的整合性が、そのまま、斧の一撃で人間を殺害する動機とはならないのである。
彼が犯行現場に赴く姿は次のようであった。
「まるでだれかが彼の手をつかみ、強引に、盲滅法に、超自然的な力で、逆らう余地もなく彼を引きずって行くようだった。服の端を機械の動輪にはさまれ、じわじわと機械のなかへ引きずりこまれるようだった」。(「罪と罰」第一部 百四十九頁)
彼が如何に、他者の力に引き摺られて、犯行にいたったかを読者に説明するために、ドストエフスキーは、執拗に同じ意味の言葉をたたみかけるように用いている。なぜなら、ラスコーリニコフがこれから行うことは、「犯罪ではない」からである。

大胆な凶行を行うにあたって、何の準備もしていなかったラスコーリニコフではあったが、これといった障害にも遭うこともなく、彼は老婆の住む建物にたどり着く。

そして、彼は「ゆっくりと片手をのばして、呼び鈴を鳴らした」。
2011年02月28日 21時26分14秒

罪と罰を読む その六

テーマ:ロシア文学
夢から覚めたラスコーリニコフは、「静かな落ち着いた気持でネワ川を眺め、赤々と輝く太陽のまばゆいばかりの夕映えに目をやった」。本作においては、水や太陽が現れる場面が、物語の転機となっていることに注意しなければならない。たとえば、宮沢賢治による散文作品においては、風が吹くことが、物語の場面が変わる合図であるように。

この一月にも及ぶ殺人計画を放棄した彼は、「悪魔の誘惑から自由」となったかに見えた。心も軽やかに彼は、ペテルブルクにあるセンナヤ広場を横切って帰宅することにした。もっとも、センナヤ広場を通って帰宅することは、彼の無意識が彼を導いたのである。この広場に屋台を出していた、ある夫婦が、リザヴェータ・イワーノヴナに次のように言う言葉をラスコーリニコフは耳にしたのである。
「ねえ、リザヴェータ・イワーノヴナ、あんたの一存できめりゃいいんですよ」。商人は大声でしゃべっていた。「じゃ、あした、六時すぎにいらっしゃいな。先方からも人が見えるから」。(「罪と罰」第一部 百三十一頁)

リザヴェータ・イワーノヴナとは、アリョーナ・イワーノヴナの腹違いの妹であり、彼女たちは、二人であの建物の四階に住んでいるのである。ドストエフスキーは、リザヴェーダの容姿を次のように描いている。
「背が高く、不格好な体つきをした、三十五になる未婚の娘で、臆病でおとなしく、少し頭が足りないらしい。姉の家にいて、夜昼となく奴隷のようにこき使われながら、姉の前では口もきけず、ときには姉からぶたれもするという話だった。」(「罪と罰」第一部 百三十三頁)
「未婚で、ひどく不格好で、背ばかりむやみと高く、ねじれたような長い足に履きつぶした山羊皮の靴を履いていたが、身なりはいつも小ざっぱりとしていた。ところで学生がとくにあきれもし、笑いもしたのは、リザヴェーダがほとんどいつも妊娠していることだった……。(「罪と罰」第一部 百三十七頁)


未婚のリザヴェーダが「いつも妊娠している」ことに関しては、江川卓が「謎解き『罪と罰』」の中で、十九世紀にロシアで勢力を持った、ある宗教との関連を指摘している。

彼は偶然知ってしまったのである。明日の晩の七時には、あの部屋には老婆一人でいることを。
ラスコーリニコフは、「死刑の宣告を受けた男のように、部屋にはいった。彼は何も考えなかったし、まったく考えることができなかった」。
「すべては突然、最後的に決定されてしまったのだということを、ふいに感じたばかりだった」。(「罪と罰」第一部 百三十三頁)

彼が凶行に及ぶことは、彼が決めたことではないのである。それは、彼の外部にある彼の知らない力により決定されたのであった。誰が決めたのであろうか?
そもそも、彼が、老婆を殺害し、金を奪うことが頭に浮かんだのは、今から一月半ほど前のことであった。知人から、アリョーナ・イワーノヴナの存在を教えて貰った彼は、質草になりそうな物を持って、彼女のもとを訪れて、「お礼」を二枚借りた。帰宅する途中に一軒の安料理屋に立ち寄ると、二人の男がアリョーナ・イワーノヴナのことを話し合っていることを耳にしたのであった。
「じゃ、彼女を殺して、その金を奪ったらどうだ? そして、その金をもとに、全人類の共同の事業に一身を捧げるのさ。きみはどう思う、ひとつのちっぽけな犯罪は数千の善行によってつぐなえないものだろうか? ひとつの生命を代償に、数千の生命を腐敗と堕落から救うんだ。ひとつの死と百の生命を取りかえる——こいつは算術じゃないか」。(「罪と罰」第一部 百三十九頁)
この考えは、後年、「カラマーゾフの兄弟」の中で、イワンがアリョーシャを前にして話される、「神聖なる調和」と同じこと意味しているのではなかろうか。これは、算術の問題だろうか? 功利主義によって解決する問題だろうか?

「ひとつのちっぽけな犯罪は数千の善行によってつぐなえないものだろうか?」この考えをラスコーリニコフが耳にしたとき、彼の頭の中にも同じ考えが芽生えていた。千人の人間を救うためには、一人の人間を殺さなければならないとするならば、君は凶行に及ぶかという問いが読者の前に提出されている。マイケル・サンデル教授も同じ問いを発している。そもそも、これは一つの問いであるか? 問いの体をなしているいるだろうか?
このことについて考える前に、もうしばらく自分を失ってしまったラスコーリニコフの行動を観察することにしよう。

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