フィッツジェラルドは見事な才能を持つ作家だったが、器用な作家ではなかった。そして失意のうちに酒に溺れるようになった。しかし、作家フィッツジェラルドの素晴らしい点は、現実の人生にどれだけ過酷に打ちのめされても、文章に対する信頼感を失わなかったことにある。彼は最後の最後まで、自分は書くことによって救済されるはずだと固く信じていた。(中略)フィッツジェラルドは死の間際まで、しがみつくように小説を書き続けていた。「この小説が完成すれば……」と自分に言い聞かせていた、「すべては回復される」。(村上春樹 スコット・フィッツジェラルド——ジャズ・エイジの旗手)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2012年05月14日 21時11分15秒

番外編 『れきハコ』は若返る〝玉手箱〟

テーマ:番外編
松山では、毎年俳句甲子園が開催されている。
残念ながら、僕は観戦したことはないのだけれど、「俳句甲子園」というネーミングがよい。
松山には、俳句だけでなく、高校野球の古豪松山商業もあり、「俳句」と「甲子園」との言葉が、ぴたりと重なりあう。

第15回松山俳句甲子園 公式ホームページ
http://www.haikukoushien.com/
5人一組となった高校生が、俳句の鑑賞力を競う大会だという。

近代俳諧を確立した正岡子規の生地が松山であることから、この街では、俳句を創作することが盛んである。街中には、俳句を刻んだ石碑が、心持ちたくさんある気がする。

昨日、ご紹介した武田信之さんのお書きになった「『れきハコ』は若返る〝玉手箱〟」を本日もご紹介したい。
これは、松山にある俳句誌『泉』に昨年の5月に寄稿されたものである。

=============================
『れきハコ』は若返る〝玉手箱〟
日本のお手玉の会理事 武 田 信 之

=============================
*歴史を詰めた「れきハコ」
=============================
テレビから、「レキハコ」という、聞きなれない言葉が流れた。「なんだろう?」、画面を見た。それは、富山の薬売りの荷物を連想させる、紺の袋に包まれた箱のことで、愛媛県歴史文化博物館の学芸員が、県内の介護施設に持ち込んだものだった。

学芸員は、「これは『れきハコ』(歴箱)といって『歴史の玉手箱』です」と説明していた。箱の中には、懐かしい「小學國語讀本」「尋常小學唱歌」などの教科書や、鳴子、お手玉など、昔の生活用具がたくさん入っていた。

施設のお年寄りは、ニコニコしながら、箱の中から思い思いの物を取り出す。教科書を開いて、「サイタ サイタ…」と声を出して読む人。「ポッポッポ ハト ポッポ…」と歌う人や、鳴子を振ったり、お手玉をゆったり、みなさん明るい表情で楽しんでいた。


=============================
*認知症の人を笑顔にした
=============================
そんな中に、みんなの輪から外れ、無表情で座わる女性がいた。80歳半ばの認知症の女性だった。その人に施設の職員が、2個のお手玉を渡した。すると、女性は、しばらく手に持ったお手玉を眺めていたが、やおら2個のお手玉をゆり始めた。笑みを浮かべるやさしい表情に変わった。

そして、教科書を読んでいる人たちの仲間に入り、一緒に唱歌を歌い、国語の読本を読んだ。仲間のみなさんから、「上手だね」と声をかけられた。それに対して、「若い時は、小学校の教師をしていたの…」と、認知症の女性が笑顔で答えた。
「これから唱歌を教えて…」と、みんなから乞われていた。女性の表情はさらに明るくなった。昔の生活を再体験することで、記憶がよみがえり、元気になる過程を見ることができた。これが「れきハコ」による「回想法」で、最近、介護施設で人気を呼び、貸し出しが増えているそうである。

番組の最後に、学芸員は「浦島太郎の『玉手箱』は、蓋を開けると老人になりました。『歴史の玉手箱・れきハコ』は、開くと若返るのです」と話していたのが印象的だった。


=============================
*70年ぶりのお手玉に涙
=============================
私にも、それに似た体験がある。23年前のこと。ボランティアグループの新居浜アメニティ倶楽部(初代会長は「泉」同人の宇和宣さん)で、お手玉の普及活動に取り組むことを検討していたときのことだ。市内の老人ホームを訪ねた。

80歳過ぎの女性3人に、お手玉を渡して、遊び方などを聞いた。が、「もう、忘れました」との返事。仕方なく話題をホームで人気のカラオケの話に変えた。ところが、しばらくすると女性の手が動き、お手玉が弾みだした。

3人は立ち上がり、3個のお手玉をゆりながら、「一かけ、二かけ、三かけて…」と歌った。ひとしきりして、「お手玉は、70年振りぶりです。すっかり忘れていたのですが、体が覚えていてくれたのですね。ありがとうございました」と、涙を流された。

この感動の涙が、私たちに、お手玉遊びの普及活動を決断させてくれた。それが起爆剤となり、「新居浜発、全国・世界行き」の日本のお手玉の会の活動が、スタートしたのだった。


=============================
*孫世代との交流に昔遊び
=============================
いまお手玉遊びは、幼稚園、小学校など教育の現場や介護施設、公民館活動で、広く採用されている。お手玉にかぎらず、竹馬、コマ回しなど、祖父母世代の私たちが、子どものころに体験した遊びを再体験するとともに、孫世代との交流の素材として使い、伝承していくことが、求められている。

そうした行動をとおして、明るい、「心豊かなまちづくり」につないでいきたい。『れきハコ』のテレビ番組を見ていて、そんなことを感じた。
(俳句誌『泉』平成23年5月号「喫泉」に掲載)
2012年05月13日 21時48分53秒

番外編 小惑星探査機「はやぶさ」と「お手玉」

テーマ:番外編
愛媛県新居浜市には「日本のお手玉の会」があります。
日本のお手玉の会
http://www.shikoku.ne.jp/otedama/

昭和63年以来、新居浜市において始めた、お手玉の普及活動が全国に広がり、現在、全国に60を超える支部を数えるまでになっています。この普及活動は多くの人たちにより支え続けられており、その中の一人に武田信之さんがいます。
自分は2005年に初めて武田さんにお会いし、それ以来、自分の「人生の先生」としておつきあいさせていただいています。温和な性格と若々しい気性からと薫陶を受け続けています。

日本のお手玉の会には会報があり、昨日、武田さんから、そこに掲載した原稿をいただいたので、僕のブログでも紹介したい旨をお話をしたところ、快諾いただけたので、全文を掲載したいと思います。

武田さんは住友化学において、長年、社内報の編集に携わったことから、そのお書きになる文章は折目正しく、また、その温和な性格が伺えることができるものです。


==================================================
小惑星探査機「はやぶさ」と「お手玉」

*「お手玉」には『ミニ宇宙』の夢
平成5年10月16日、新居浜市の山根総合体育館で行われた「第2回全国お手玉遊び大会」でのこと。
鳥取県倉吉から参加していた福田環さんが、「お手玉交流ひろば」で、珍しいお手玉のゆり方を、笑顔で披露していた。その様子を熱心に見ていたおじいちゃんが、福田さんに声をかけた。

「上手にお手玉をしているが、お手玉のどういうところが楽しいのかなあ?」。
福田さんは、次のように答えた。
「お手玉が宙を舞うでしょう。私にとってお手玉は『ミニ宇宙』なんです。そして、小さなお手玉ですが、大きな夢を与えてくれるんですよ。もうひとつ、ほら!こうしてお手玉が床に落ちるでしょう」。
福田さんは、お手玉を床に落とした。
「落ちても、お手玉は転がらないで、私が拾い上げるのを待っているんです。そこが楽しいし、かわいいのです」
おじいちゃんは、「なるほどね『ミニ宇宙』とは、いいこというね。確かに、床に落ちても、コマやビー玉のように転がっていかないで、ちゃんと拾ってくれるのを待っているよね。これは面白い」といって微笑んでいだ。

それから、17年が経過した平成22年に、世界を驚かせる大きな出来事が起きた。日本の小惑星探査機「はやぶさ」が、7年間にわたる大宇宙航海をまっとうして、地球にもどってきたのだ。

「はやぶさ」の任務は、小惑星「イトカワ」の写真を撮り、表面の岩石の「カケラ」を持ち帰ることだった。「はやぶさ」は、それを成し遂げ、多くのトラブルや故障を乗り越えて、7年という歳月を費やしながらも無事に地球に帰ってきた。

その任務を果たすのに役立ったのが、日本の伝承文化である「お手玉」だったというから驚いた。平成5年に、いみじくも福田さんがいった、「お手玉は、『ミニ宇宙』で、落としても転がらずに、拾い上げるのを待っている…」。そのことが、小惑星探査機に生かされていたのだった。


*「お手玉」と「ターゲットマーカー」
「はやぶさ」は、地球から3億キロの彼方にある小惑星「イトカワ」に着陸し、表面のカケラを持ち帰るという任務を担っている。目標の小惑星は小さくても、太陽の周りを回る天体のひとつで、その速度は秒速30キロ、時速約10万キロ。
その小惑星に「はやぶさ」は、そっと降りなければいけない。それがどのくらい難しいことかというと、「東京から2万キロ離れたブラジルのサンパウロの空を飛んでいる体長5ミリの虫に、弾丸を命中させるようなものだ」という。
しかも、「はやぶさ」と地球との交信には時間がかかる。たとえば、「『元気かい?』と呼びかけ、『元気だよ!』との答えが返ってくるのに32分かかる計算になる」というのだから、気の遠くなる話しである。

小惑星「イトカワ」に着地し、その「カケラ」を採取するには、まず「はやぶさ」がうまく着地しなければいけない。「はやぶさ」は、自分自身で「イトカワ」の表面までの距離を正確に測りながら近づいていく。それには、レーザー光を使い、カメラで小惑星の表面を撮影し、その画像を分析しながら自分の位置を知る。

そこで、考えられたのが「ターゲットマーカー」という小さな「球」だった。「はやぶさ」から、まずこの「球」を「イトカワ」に落とし、目印とする。この「球」をカメラで見て、距離や自分の速度を正確に知り、着地する方法を判断する。
そこで問題なのが、この「球」を上空の「はやぶさ」から落としたとき、重力が地球の約10万分の1しかない「イトカワ」では、跳ね返えると宇宙の彼方へ飛んでいってしまう。なんとか「イトカワ」に落ちたら、「ぴたっ」と止まっていなければいけない。


*「お手玉」が生み出した人類初の快挙
「ぴたっ」と止めるにはどうしたらいいのか。このことについて関係者はずいぶん議論したという。ネバネバしたオモチャを使う、「球」に接着剤を塗るなど、アイデアはたくさん出たが、どれも問題があった。関係者は勤務時間外に、大きなおもちゃ屋をのぞいたりもした。
結局は、落としても跳ねない「球」として「お手玉」が浮かんだ。直径10センチの「球」の中に、ビーズのような球をたくさん入れた。
「お手玉」は、落としても跳ねない。中に詰めてあるたくさんの小さな玉(豆)が、落としたときの衝撃を解消する。小さな玉が衝突し合って、運動エネルギーが外に働かないので跳ねないのだ。

そこで、「ターゲットマーカー」は、最初は「お手玉」と同じように布で作ろうとした。でも、無重力の小惑星では、布袋を落としても地球上のように「ふにゃっ」とひしゃげない。「球」の形を保ったまま、ポンと跳ね返ってしまうことがわかった。宇宙と同じ無重力状態で何度も実験をして、薄いアルミで作った「球」に決めたという。
転がり防止のために、4本の角もつけられた。中に入れるビーズ玉には「ポリイミド樹脂」の玉が採用された。それは、マイナス270℃もの極低温から400℃ぐらいの高温まで大丈夫な樹脂なのだという。
こうして、「お手玉」にヒントを得た事業は、人類初の快挙を成し遂げた。


*「はやぶさ」には提灯のヒントも
もうひとつ、「はやぶさ」が「イトカワ」の「カケラ」持ち帰ることに貢献した技術がある。それは、小惑星に着地した探査機の下部に、長く伸びた筒状の「ホーン」と呼ばれる装置に取り付けられた、サンプル採取機構の中心部の構造。

「はやぶさ」が「イトカワ」の表面に接触すると、プロジェクターと呼ばれる小銃から弾丸が小惑星の表面に打ち込まれる。その衝撃で飛び散った物質の破片は、ホーンを伝わって「はやぶさ」の内部に入っていく。
ホーンの奥には、サンプルを回収するための採取容器と、回収カプセルへ送り込むための機構があり、サンプルは探査機内部の採取容器の中に入る。さらに、その採取容器が回収されるカプセルの中へと送り込まれ、密封される仕組みになっている。

「イトカワ」は、これまで人類のだれも行ったことのない天体であり、着陸地点の表面の状態は想像がつかない。あらゆる状況を想定してホーンの材料や角度などが検討された。そして、ホーンの一部を蛇腹の構造にした。衛星の打ち上げる時は折りたたんで格納し、打ち上げ後にそれが伸びていくメカニズムに工夫された。この構造には、日本の提灯がヒントになったという。

この装置を開発したのは、日本のお手玉の会の本部と同じ新居浜市にある住友重機械工業株式会社の技術者。そのアイデアは、新居浜駅の売店で売られている太鼓祭りの絵が描かれた土産用の提灯を買って、いろいろ研究を重ねて生まれたとのこと。ここでも、日本の文化が生かされていたのだった。
 
【参考資料】
注:「はやぶさ」の資料は、山根一眞著「小惑星探査機はやぶさの大冒険(マガジンハウス)」を参考にしています。


==================================================
武田さんのブログです。
それ! いただきます!! 失敗を超えた「仕事術」
http://ameblo.jp/soreitadaki/
2012年05月13日 15時18分32秒

JAZZ ギル・エヴァンス

テーマ:JAZZ
スヴェンガリ/ギル・エヴァンス


¥1,000
「オーケストラ的で発展的な彼のテクニックの複雑さには心が躍る。彼のスコアは、非常に注意深く、形式的にも非常によく構成され、また伝統を深く心がけているので、そのオリジナル作品はフィレンツェの博物館に展示してもおかしくないように思われ(ビル・マシュー)」。

昨日(五月十三日)の午後11時、ジャズ評論家の児山紀芳さんがパーソナリティをつとめる、NHKラジオの番組「ジャズ・トゥナイト」では、ギル・エヴァンスの生誕100年を記念して、彼の特集を放送していた。偶然、この数か月程は、ギルの演奏に関心が向いていたので、楽しく耳を傾けていた。

ギル・エヴァンス名義のアルバムでは、長らく「Plays The Music Of Jimi Hendrix」しか聴いたことがなかったが、「Svengali」が、アトランティックレコードからJAZZベストコレクションにラインナップされ、1000円という低価格で発売されたことを機に購入してみた。
本作は、1973年5月と6月に、ニューヨークの「トリニティ・チャーチ」と「フィルハーモニック・ホール」で行われたライブを収録したものであり、アルトサックスのデイヴィット・サンボーンや、テナーサックスのビリー・ハーパーがオーケストラに参加している。このアルバムがあまりによかったので、その後、立て続けにギルの名義で録音されたものや、彼がアレンジに参加した次にあげるアルバムを購入してみた。
1957年9月から10月にかけてプレスティッジに録音された「Gil Evans and Ten」。1963年9月から1964年10月までヴァーブに断続的に録音された「The Individualism of Gil Evans」。同年の12月と1965年4月に同じくヴァーブに録音された、ギタリストのケニー・バレルの「Guitar Forms」では、ギルが一部の曲にアレンジを提供している。1976年にRCAで録音された「There Comes A Time」である。

「Gil Evans and Ten」に聴かれる、ギルの弾くピアノは興味深い。それはともかくとして、70年代にマイルズがオルガンを弾くようになったが、ギルのピアノの使い方とマイルズのオルガンの使い方とはどこか似ている気がしてならない。
「The Individualism of Gil Evans」では、ウェイン・ショーターや、エルビン・ジョーンズの参加に注目が集まるが、未発表曲の中に「Nothing Like You(!)」が含まれており、「なんでおまえがここにいるんじゃー!」と言い出したくなるおまけ付きである。
選曲といい、アレンジといい、ケニー・バレルのギターといい、文句なくすばらしいアルバムが「Guitar Forms」であり、黙って耳を傾けるだけだ。
「There Comes A Time」では、70年代らしくシンセサイザーなどが加わっているにもかかわらず、ギルのアレンジには古臭さといったものを感じない。中でも、Jimi Hendrixの「Littel Wing」で聴かれるデイヴィット・サンボーンのソロは「Plays The Music Of Jimi Hendrix」の「Angel」におけるソロと並び彼のもっとも熱い時期を捉えた演奏である。
YouTubeの演奏をつけておいたので、試聴いただきたい。

それにしても彼の名義の作品は、あまりに少ない。

昨夜の「ジャズ・トゥナイト」で児山さんも述べておられたが、ギルが彼自身の才能に見合っただけの評価を得ることができたのは、ほとんど彼の晩年においてであった。

マイルズとの共作が有名であるが、ギルの名義のアルバムも時代を超えた名作である。現在少なからず廃盤となっている彼名義のアルバムの一日も早い再発売を、また、一部市場に出回っているブートレグの公式化を望むばかりだ。

なお、ギルについてはかつて次のようなものを書いたことがある。
Ev'rything's gonna be alright:JAZZ ギル・エヴァンス ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)
http://ameblo.jp/syo-hyo/entry-11093948952.html

Gil Evans
1912年5月13日、カナダのトロント生まれ。ジャズピアニスト・編曲家。1988年3月20日メキシコモレロス州クエルナバカで死去。

2012年05月13日 09時09分22秒

思想/宗教 ドストエーフスキー覚書 森有正

テーマ:思想/宗教
ドストエーフスキー覚書 (ちくま学芸文庫)/森 有正
¥1,470
Amazon.co.jp

「私はドストエーフスキーの専門的研究者でもなく、またロシア文学に通じている者でもない。その私が戦争直後にこの本を出したに就いては、学問的、あるいは文学的関心によるものではなく、それよりも思想的な牽引力が私をドストエーフスキーに引きつけたからであった(改版あとがき)」

図書館の書架や書店の店頭に「ドストエフスキー(注:本書の著者森有正は、ドストエーフスキーと表記している)」という文字を見かけると、ついついその本を手にしてしまう。
ロシア文学という枠組みではなく、もはや世界文学といってよいドストエフスキーの文学がわれわれを魅了するのも、彼の文学に秘められた多くの謎がいまだ答えを与えられないまま、時代を超えてわれわれにうったえかけてくるからに他ならない。
もっとも、それらの謎が解明されるときが訪れることはないのであるが。

本書において氏は、「罪と罰」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」「白痴」「死の家の記録」を論じており、10編の「覚書」から構成される本書の分量は、文庫本400ページにも及び、到底「覚書」といった慎ましいものではない。それぞれの「覚書」が、底流とでもいったものを互いに有し、有機的に結びついていることを読者は感じ取ることであろう。

ドストエフスキーの作中人物について論じる際に、その人物の属性について論じるだけでなく、人物の世界との関係性について論じる氏の手法に、僕は少なからず感心してしまった。

「一方はあくまでも自己の内面に入りこみ、そこに立場を求めようとする。そこには他に対する本質的な無関心が支配する P280(注:ページ番号は、ちくま学芸文庫『ドストエーフスキー覚書』による。以下同じ)」。「今一方はあくまで他者との関係のなかに生きる。他の存在が自己に対して、自己の存在以上の意味を有するのである P280」。

これだけの引用であっても、ドストエフスキーの作品に接している読者であるなら、ある程度何かを感じ取ることができるであろう。
たとえば、「罪と罰」におけるラスコーリニコフ、「悪霊」のスタヴローギン、「カラマーゾフの兄弟」のイワンは、「一方はあくまでも自己の内面に入りこみ」といった典型である。その最たるものが、イワンの創り出した「大審問官」であることはいうまでもない。
また、「罪と罰」のソーニャや、「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャは、「今一方はあくまで他者との関係のなかに生きる」態度であるといえる。

なるほどラスコーリニコフやスタヴローギン、イワンは理知的な人間であり、彼らの世界に対する態度とは、自らの観念の正しさを立脚地として他者を批判し、裁き、場合によっては道徳を乗り越えるものである。
一方、ソーニャやアリョーシャの態度の本質とは、赦しであり、「他を他としてありのままに受け入れることである P280」。彼らの正しさとは、あくまで他者に対する自らの正しさであるといえるだろう。

この覚書を読んで、真っ先に僕の頭をよぎったこととは、イワンと彼が創り出した大審問官との関係と、アリョーシャと彼がまとめたというゾシマ長老の話との関係とを対比することであった。これについては、まとめて書いてみたいと思いながら、放置したままとなっているのであるが……。

自分と世界との関係性の問題は、愛についての問題にわれわれを導く。
「愛は、ドストエーフスキーにおいて、純粋に、人間の人間に対する態度、根本的なあり方のことである。それは実行と本質的に別なことである。それは神に対する信仰と同一の本質を有するものである。それは必然的に実践を伴うものであろう。しかし実践がなくても愛は愛である。それは実践の重要性と意味とを失わせるものではない。愛と実践とは本質的に次元を異にするのである。 P284-285)」。

この定義に当てはめるならば、ソーニャだけでなく、彼女の飲んだくれの父マルメラードフもまた愛の人である。

この覚書ではなぜか「未成年」には言及されていないが、ドストエフスキーのほとんどの長編小説を読んでいる方にはお薦めできる一冊である。ドストエフスキー解釈への補助線を得ることができる一冊である。

森有正(もりありまさ)。1911年-1976年。東京大学助教授を経て、1950年にフランスに渡り、26年間、ソルボンヌで日本語や日本文学や思想を講義する。


2012年05月04日 22時09分13秒

フランス文学 フランシス・ジャム全集

テーマ:フランス文学
フランシス・ジャムの詩について、アンドレ・ジイドをはじめとする文人たちが次のように絶賛している。

彼の詩を愛さない人ができることといえば、この水に咽喉を潤したい欲望を自分から押さえることである。私はこの水に渇きを覚えないような人を気の毒に思う。私が、あえて口に含むことも、手を清めることもできないほどに、清澄な水であり、新鮮な水であり、浄めの水なのである。(アンドレ・ジイド)

触れるか触れないかの指のタッチから生まれた甘美なこの詩集は素直で、しっかりしていて、快い声で覆われています。そんなにも遠いところで、たった一人で、あなたはどうやってそんな微妙な楽器をつくったのでしょうか。(ステファヌ・マラルメ)

(ジャムは)大空を眺め、ルルドの鐘楼の上に輝いているあの星を仰ぎ見て、われわれの文学全体、われわれの詩歌全体が忘れてしまっていたこのただ一つの言葉を言ったのである。有難うと。(ポール・クローデル)


一年ぶりに「古本よみた屋」を再訪した。なぜなら、「フランシス・ジャム全集」に再会するためである。

昨年のゴールデンウィークに、吉祥寺に遊びに行った。五日市街道に面した古書店「古本よみた屋」に立ち寄ると、店内に「フランシス・ジャム全集」の第1巻と2巻とを見つけた。
本全集は全3巻から構成され、第1巻は「詩集1」、第2巻は「詩集2」、第3巻は「小説」である。1981年に白水社から刊行されたものであり、B6判、上製函入。各巻約400ページ程の分量で、9ポイントの1段組みとある。装幀は安野光雅氏。かつて母校の図書館で閲覧した記憶があるものであった。

古本よみた屋
http://www.yomitaya.co.jp/

発売当時の定価は3400円。無論、消費税がない時代の値段である。残念ながら第3巻は欠けていたが、第1巻と2巻とは、ともに1000円で販売されていたので、思わず買ってしまおうかと思い、それらを手に取る。レジに向かおうと気持ちがはやる。が、次の瞬間、読んでない本がたまっているではないか。押し入れに詰め込まれたままの本があるではないか。そんな言葉が頭をかすめる。おまけに、僕は購入した詩集を最初から最後まで通して読んだことがほとんどない。まともに読み通した詩集は岩波文庫版の「中原中也詩集」ぐらいである。詩集を読んでいると、僕の頭の中には不思議と雑念がむくむくと湧き起り、自分の意識はいつしか活字の上を離れ、対象のない世界にさまよい出てしまい、書籍を放擲している始末である。
詩集は毒なのである。

買おうか、いや止めようか。しばし葛藤に苦しんだ自分は、手に取った書籍を棚に戻し、こう考えた。もし次回この店を訪れることがあったときに、まだ店頭にこの全集が残っていたら、購入することにしよう。そして、僕は店を後にした。
その時のことが下の記事である。
Ev'rything's gonna be alright:わたしを離さないで カズオ・イシグロ
http://ameblo.jp/syo-hyo/entry-10891046880.html

それから一年が経った今日、僕は「古本よみた屋」を訪れた。真っ先に向かったのは海外文学の棚である。いうまでもなく「フランシス・ジャム全集」があるかどうかを確かめた。棚に並べられた本の背の文字をさながら舐めるように点検する。仕事で校正をするときよりも真剣であり、集中している。
やや、オスカー・ワイルド全集があるではないか、珍しい。いや、まったく関係ないことに気を取られながら、入店してからおおよそ30秒後には、薄茶色のシミをつけた「フランシス・ジャム全集」第1巻を発見した。丸一年間、この本は誰にも買われることがないまま、この棚で静かに時間を過ごしていたわけである。感無量であるといいたいところであったが、第2巻がなぜか見当たらない。第1巻の場所を入念に頭のすみに刻み付けておきながら、背文字を舐め続ける。残念ながら、第2巻は売れてしまったようであった。だが、1冊あれば十分である。
そそくさとレジにむかい、1000円を支払うと、本日は1割引の日で、900円で購入できた。ささやかな幸せを感じる。本の質感を手のひらに感じ、その重さを手首に載せ、物を買う喜びとでもいったものに満たされて店を出た。さっきまで曇っていた空に日差しがさしている。先日、ヴァレリーの「精神の危機」の電子書籍版を購入した直後には、物を所有する楽しみをちっとも感じなかったものだが。
やっぱり本は紙でなければと思うのだ。

フランシス・ジャムについて、僕は次のようなことを以前書いた。
Ev'rything's gonna be alright:人は云ふ…… フランシス・ジャム
http://ameblo.jp/syo-hyo/entry-10746765774.html

Ev'rything's gonna be alright:クサンチス アルベエル・サマン
http://ameblo.jp/syo-hyo/entry-10606770000.html

Ev'rything's gonna be alright:野うさぎ物語
http://ameblo.jp/syo-hyo/entry-10019241524.html

フランシス・ジャムの創作した数多ある詩の中で僕のお気に入りは、「哀歌 第一」である。これは堀口大学氏の訳であり、本日購入した「フランシス・ジャム全集」第1巻では手塚伸一氏により「第一の悲歌」と訳されている。

最近、岩波文庫でも刊行され、手に取りやすくなった詩人である。万人に、ぜひ読んでいただきたい、僕がもっともお薦めする詩人である。

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>