アラート、アラート!
 前回書いた「Now Please Don't You Cry, Beautiful Edith」は、ローランド・カークのアルバムだよとの指摘をメールで数通いただきました。
 つまり、「リップ・リグ&パニック」というアルバムをローランド・カークがリリースしているがゆえの混乱ですね。エルヴィン・ジョーンズとかが参加してるやつ。
 でもまあ、ローランド・カーク自体にも今年の初め、ある種の懐かしさを感じていたので、この誤解を必然と受け取って、両方ともに聞き直してまいりたい2007年です。

 さて、それはともかく、二ヶ月間ほど書きもらしていたことあり。
 ソシュールの『一般言語学講義』をリアルタイムでノート化していた者の一人に、というか中でも最も注目されるべき学生の一人こそが、コンスタンタンなのだが(なにしろこの人は素性がわからないわけで、もしも僕が自分のサイトで続けていた『55ノート』を小説化する時があれば、そうとうの確率で主人公になるはずの人物)、そのコンスタンタンのノートが今年3月に東京大学出版会から出ていたのであった。当然、僕も食いついてすぐに読んでいた。
 で、衝撃的だったフレーズがある。それが33ページの「地理的な分化を時間の中に投影しないと」という箇所。『55ノート』を読んだことのある希有な人なら、この言葉に驚くだろう。それはつまり、レーモン・ルーセルが遺書に残したチェス研究の文に出てくるフレーズと重なるからだ。記憶だけで引用するのだが(自分の書いたことを見返すことが僕には出来ない)、ルーセルの文の意味はこうである。“エンドゲームにおいて、ポーンの位置は空間に投影された時間をあらわしている
 つまり、ソシュールのいう「言語」は、ルーセルのいう「ポーン」だということである。
 これは『55ノート』に書きたすべき事柄だが、どうしてもそれに抵抗がある。また考え始めなければならないということが苦痛だ。
 ということで、読後時間がかかったが、この場所に書き散らしておきたい。
 ソシュールが言語を通時的に考えようとした時の講義は、なぜかルーセルがチェスを考えようとした時と同じフレーズでなされた。
 想像でいえば、ソシュールの講義、少なくともコンスタンタンのノートは、ルーセルの盟友であった亡命ロシア人・タルタコーバを通じてレーモンに伝えられていた可能性がある。


 リップ・リグの個人的ブームの流れで「ポップ・グループ」の『Y』を聴きつつ。