let's walk slow

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2015/9/17

walk like cows

let's walk slow,everybody.
with your baby.
don't stop your steps.
but so slowly,so slowly.

let's stand before them.
singing our anthem
don't stop our steps
go slowly with one item
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平和自由宣言ドイツ語版

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『平和自由宣言』ドイツ語訳が届きました。


http://deutschlernen.jp/friedensfreiheit-erklarung-ito-seiko-mit-shinsuke-y/


“Friedensfreiheit-Erklärung” Ito Seiko mit Shinsuke Y


Unsere Demokratie beginnt hier.
Die erneute unsere „Nichtskriegs-Demokratie.

Wir fordern den Frieden.
Es kommt mit der Forderung nach der Freiheit gleich.
Es existiert weder die Freiheit ohne Frieden noch der Frieden ohne Freiheit.
Wir streben beides gleichzeitig an.
Auch wenn man eine aufgibt und verschiebt, verliert man das andere.

Die friedensfreiheitliche Bewegung schützt jedes Individuum, das daran teilnimmt, und befreit man sich.
Zur Regung darf das Individuum nicht unterdrückt werden und für das Individuum muss die Regung lieber auszugleichen fortgefahren werden.

Beleidigende Worte müssen von jeder Gruppe und jedem Individuum in einem Zug abgewehrt werden. Die Wirkung der Schimpfwörter kommt physischer Gewalt gleich oder noch schlimmer und sie tötet das Herz und verletzt den Körper. Wir wollen die Ausdrucksweise der Menschen, die gern herrschen, umgehen.

“Das Leben eines Menschen ist schwerer als die Erde,” vor diesem ambivalenten Worten muss man wieder Ehrfurcht haben. Ein Mensch ist wertvoller als alle andere Menschen.
Aber sehr geehrte Damen und Herren, die Menschenrechte entstehen aus diesem Gedanken.
Sehr geehrte Unterdrückte, die bei jeder Regung und in jeder Gruppe für die Ziel unterdrückt werden, um Ihre Existenz schwerer als die Erde zu behandeln, ist die Friedensfreiheit-Erklärung geboren.

Deklariere: Jede Einzelne ist immer schwerer als alle Anderen.

Frieden,
Freiheit
und Liebe



上記の文章はいとうせいこう氏による「平和自由宣言」をドイツ語に訳したものである。

「平和自由」「戦無民主主義」「平和自由を目指す運動」などの訳語は熟読した上で意図して言葉を選んでいるが、他言語であるがゆえの主語や目的語の補足は「翻訳というセッション」という名の下に訳者が付け加えたものであることをあらかじめ理解いただきたい。

また、本来ならば Übersetzt von … という文言を入れるべきだろうが、原文が featuring のため mit とさせてもらった。
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PEACE

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『平和自由宣言 遠隔セッション』指定書

あらゆる平和集会において、以下の文はどんな日にでも、司会の方にでもアーティストにでも舞台前方に立っている参加者の方にでも誰にでも読まれる。
その際に後ろに音楽がかかっていればよりありがたく、ジャンルはまったく問わないし、声にダブなどがかかって深く変調することも望ましい。
文面は一度どこかですべてが読まれれば、あとは自由にカットアップして繰り返し読んでいただいてかまわない。
これは『遠隔ポエトリーリーディングセッション』という意味ではパフォーミングアートであり、「あらゆる平和運動のための集会、デモでだけ読まれる」という点でいえば演説である。
では、セッションを始めましょう。


【平和自由宣言】<いとうせいこうfeaturing●●●●(←読み手の名前)>

私たちの民主主義はここから始まる。
新たな私たちの『戦無民主主義』は。

私たちは平和を求める。
それは自由を求めることと同じである。
平和抜きの自由はなく、自由抜きの平和はない。
私たちはふたつを同時に目指す。
どちらかを諦めて後回しにするなら、もう一方も失ってしまうから。

平和自由を目指す運動は、参加するあらゆる個人を守り解放する。
運動のために個人が抑圧されてはならず、むしろ個人のためにこそ運動は是正され続けなければならない。

暴言はどのような集団、どのような個人からも一気に退けられなくてはならない。言葉の暴力の効果は肉体的暴力と同じかそれ以上であり、心を殺し肉体を傷つける。支配を好む者たちの言葉遣いを私たちは避けて進もう。

『ひとりの生命は地球より重い』という不思議な言葉をもう一度畏れなくてはならない。ひとりがそれぞれ他の人間すべてより尊いとは。
しかし諸君、人権はそのような考えからしか来ない。
あらゆる運動、集団の中で目的のために抑圧される者よ。
平和自由宣言はあなたの存在を地球より重く扱うために生まれた。

宣言する。あなたがたはそれぞれ、他の者すべてよりも常に重い。

PEACE
FREE
&LOVE
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721。著作権放棄rhyme

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『721/2013』

VOTE。
暴徒、とならず絶望と、別れようと、居直り強盗、でなく前向きな衝動。
君が持ってる用紙の用途。
酔うと、愚痴るより本日がちょうど。
未来のロード、決めるセンターコート。
不平等、くつがえすための行動。
共同、で考える社会の王道。
一族郎党、すぐに応答、堂々、と歩け農道、走れ高速道、ショート、カットするさすが玄人。
とにもかくにも明日(あす)のモード、インポート、物で決めるか、メイドインジャポンと、つきあっていくかとうとう、君の声、君の意見、君の鳴らす音、俺たちは聞こうと、だからGO!と、再び言うVOTE!

コント掲載


2008年の5/23にアップされていたものを掲載し直す。
素早く書いたコントだが、ふと思い出してみたら愛着があった。

我ながら、一時間以内に書いたにしては、いい出来だと思う。
著作権フリーなので、出版以外ならいくらでも使ってください。
特に演劇部の方々などには最適か、と。




『首吊り』

明転。
舞台中央に一本の木。
首吊り死体がぶら下がっている。

下手から男A。死体に気づく。
小さな間。
やがて、死体はおもむろに顔を上げ、Aを見つめる。

死体「あのー、つかぬことをうかがってもよろしい……」
A 「はい」
死体「……私、死んでますでしょうか?」
A「はい」
死体「そうですか………死んで」
A「ああそれよりすみません、今何時か教えていただけませんか?時計忘れちゃって。ほんと、もー何やってんだか…」

小さな間。

死体「あ、死んでる……ので、ちょっと腕見られなくて……。すみません」
A「そうですよね、まいったな、彼女もう来ちゃうかな。」(動揺してあたりを見回す)
死体「よかったら、左腕。時計したまま死んじゃってるんで、見てもらえれば。」
A「わ、助かったあ! すみません!」

A、死体の腕を持ち上げ時計を見ると、少し乱暴に離し……。

A「あと10分しかないじゃん!!」

大あわてで荷物を取り出し、キャンドルを配置したりシートを敷いたりし始めるA。

死体「え? どなたかと待ち合わせですか? ここで?」
A「はい。美奈子と。今日、僕、プロポーズするんです」
死体「(泣きそうになりながら)ここで?」
A「はい。初デートがまさにここ、この木の下だったんです。ピクニックしましてね。美奈子、ほんとにかわいかった。いや、今もかわいいんですけど。で、今日はその思い出のピクニックを完全再現して」
死体「(割って入るように)あの、完全再現にならないと思うんですよね」
A「はい?」
死体「ほら、ぶら下がっちゃってるから」
A「ああ、気にしないでください。僕が完全再現してるのは木の下のことで、上の方がどうなってたかはもう覚えてませんし」
死体「いやあ、少なくともこういう状況じゃなかったと思うんですけど……」
A「あ、この指輪(カバンから出し)、どう思います?」
死体「……彼女に?」
A「はい!」
死体「今日、ここで?」
A「はい!」
死体「…………かえすがえすもごめんなさい!(必死に頭を下げる)」
A「あのですね、この指輪、どっか冴えたところに隠しておいて、そこからジャーンって出して、美奈子を驚かそうと思ってたんですけど、この(死体の左手をとり)指にはめちゃだめですか?」
死体「いや、それはまずいでしょう」
A「(すでにはめ終え、少し離れたところから確認すると)あ、これいい。絶対ばれない」
死体「ばれないっていうか、縁起の問題ですよ、これは」

A、聞かずにピクニックの用意を再開する。

死体「受け取ってくれないと思いますよ。せっかくの贈り物ががぜん盗品っぽさをただよわせちゃうっていうか……。あ(下手を見て)、誰か来た!」
A「(下手を見て)来てます?」
死体「俺は少し高いとこにいるから見えるんですけどね。女ですよ。美奈子さんじゃないかな、あれ!?」
A「あ、美奈子です! 美奈子が来ました!」

A、必死に用意のラストスパート。

A「うわ、緊張するなあ」
死体「俺も頂点だあ」

美奈子、下手からAに気づき、小走りに来て。

美奈子「うわあ、キャンドル、サンドイッチ、お花、私のためにこんなに色々……(死体をじっと見る)」
死体「…………(目が合ってわずかな間。そのあと、あわてて手を振り)あ、わたしは違いますよ」

するとAが、死体の手をとがめるように見ている。

死体、振った手に指輪がはめてあるので、あわてて下におろす。

小さな間。

死体、もう一方の手で指輪をさっと隠す。

暗転。



「オポジションとシスタースクエアは調停される」

再掲載にあたっての序文

1932年、マルセル・デュシャンとハルバーシュタットは共同でチェスの研究書を千部だけ出版した。パリで。
それが「オポジションとシスタースクエアは調停される」である。
仏語、独語、英語の三カ国語で書かれたこの本を、語学堪能でない私が少しずつ訳し、ブログにアップしていたのは記録によれば2004年12月21日から2006年8月25日までだった(http://seikoito.dreamlog.jp/)。
およそ二年間、私はチェス好きでなければ面白くもなんともないこの本、いやチェス好きであっても特殊な局面にしか興味のない人向けの本に淡々と機械的に取り組んだ。
チェスでは奪われた駒は返らない。したがって終盤に向かうにつれ、基本的に盤上は寂しくなる。もしも互いにポーン(いわゆる歩兵)とキングだけが残り、それがある種の形になったらどんな事態になるのか、というのがデュシャンとハルバーシュタットの研究の主眼である。
チェスのポーンは将棋の歩と異なり、目の前の駒がとれない(斜めひとマス前を攻撃する)。したがってポーンがつの突き合わせるとそれらは自らの力では局面を打開出来ず、じっと動かない。どん詰まりになる。
そのようなポーンのケースがあちらこちらで起き、唯一動けるのが両キングだけであるとき、盤上では千日手のようなキングのワルツが踊られることになる。こうした「エンディング(終盤)」に関する研究は、ベケットの『エンド・ゲーム(ゲームの終わり)』をはじめとして二十世紀の芸術家たちを不思議に刺激してきたようだ。
私は多くの日本の“デュシャンとチェスを切り離して考える”研究者に不満がある。上にあげたようなワルツ(『遺作』の前で我々が踊るダンスだ)や、クイーンをすでに失った独身者の主題など、本書にはデュシャンのもつ重要な「観念」が横溢している。
先にも言ったように私は外国語が堪能でない。その上、ボードゲームがひどく弱いので、多くの箇所で誤訳があるはずだ。私はそれでものちの誰かに引き継げれば、と全項目をアップし直す。
かつてのブログからひとつひとつのデータをひろいあげる気力を私は失っていた。自分が手元のどの記憶メディアにそれを置いてあったかも思い出せなかった。そこで、近畿大学で助手をつとめてくれていた久野嵩大君に依頼し、この場所にアップするところまでをまかせることにした。
また、CASE-K氏が“下から積み上がっていくブログのすべての項目を自動的に逆転させるプログラム”を適用してくれる。私が指定する場所へ飛んでいただければ、上から下へと訳文にアクセス出来る。
両氏にはここで深く感謝しておく。

それでは拙い、間違いだらけの、しかしデュシャンを考える上では欠くことの出来ない一冊、「オポジションとシスタースクエアは調停される」をお読み下さい。
そして新解釈などあれば是非書き込んで下さい。
これはもう私のものではないのだから。
であるからこそ、私は再掲載に関してほとんどこの序文を書くことしかしないのである。

なお、この拙訳は私が途中放棄したままの『55ノート』(http://www.froggy.co.jp/seiko/55/55.html)にも深く関係している。

55-9-1

『オポジションとシスタースクエアは調停される、デュシャンとハルバーシュタットによって』

P1(原書ノンブル、以下同)
好奇心が、我々をある問題の解明へと向かわせたのである。その問題はこの20年間というもの、チェス文献に後味の悪い論文を定期的に送り出させてきた。
それは「オポジションあるいは<シスタースクエア>の問題」と呼ばれている。
我々は簡略化して、「オポジションと<シスタースクエア>の問題」とする。
この問題についての定義上の論争を数多く読むと、印刷の工夫の誤りが混乱を生んでいることがわかる。
そこで我々は、テキスト理解を助けるために、図版の数々を丁寧すぎるくらい多く載せる必要があると考えた。この見た目への配慮は、問題の秘義的な側面や、論争の第一の原因をはぎとってもくれることだろう。
引用した書誌学的な文献の中でも、我々は特に「La Nouvelle Regence」(パリ、1860~61年など)と、Abbe. DurandとJean. Preti 共著の「チェス終盤戦の論理的戦略」(パリ、1872年)を挙げておく。

P2
残念なことに、Durand の数々の発見を知っているのは限られたファンだけである。多くの点で、その発見は今日のエンドゲームの科学につながっており、その基本原則はこのパイオニアに負っているのだ。彼は早くも19世紀半ばには、“オポジション幾何学”の基礎を確立していた。彼が唱えた<有効なスクエア><境界のスクエア>は、本書で行う概略的分類の基礎となっている。
Lasker - Reichhelm 戦の局面が出現した状況の詳細は不明だが、1900年頃のことである。少なくとも1901年に遡れば、その局面の論理的重要性を J. Bergerが強調しており、そのことに我々は恩恵を受けている。彼は著書「エンドゲームの法則と実践」や数多くの雑誌で執拗に追求を続けており、今日に至ってもなお決着からはほど遠い。
1908年6月、ミュンヘン大学のチェスクラブにおいて、D. Przepiorka が「数学的方法の実戦への応用」と題した講演を行ってエンドゲームへの応用を示し、Lasker - Reichhelm 戦の局面をようやくを分析してみせた。幾つかのスクエア間の照応を論理的に証明した後、彼はオポジションをシスタースクエア理論の特殊な例と結論づけている。
ほぼ同時期、S. タラッシュ博士はPrzepiorka の考え方を統合し直しながら、ドイツで複数回講演を行い 、この問題を取り扱っている。

P3
C. E. C. Tattersall は「エンドゲーム1000題」(ブリティッシュ・チェス・マガジン編、1910)の中で、ロコック・ポジションと Lasker - Reichhelm 戦の局面について、シスタースクエア理論による解明を印刷化した(シスタースクエアという綴りがある)。
しかしながら、1928年12月に「レシキエ」誌で、元U. A. A. R. のアマチュア・プレイヤーが紹介した Civis Bononiae 文書(1454)を忘れてはならない。同文書はシスタースクエアを使った最も古い例だと思われる。文字はあるマス目に印刷され、ラテン語のテキストは両キングの決定的な位置をその綴りによって説明しているのだ。
J. Drtina(「Casopis Ceskych Sach」,1907)と F r. Dedrle は、オポジションの問題に関する新しい幾何学的要素を発見している。Durand の原理を(おそらく彼らはそれを知らぬまま)前方へと進めたわけだ。本書では第一章で、その<プリンシパル・ライン>の重要性について紹介する。
最後になったが、我々は特にある著作に勇気づけられてきた。Ing. Rinaldo. Bianchetti の「ポーンゲーム学説への寄与 Contributo alla Teoria dei Finali di Soli Pedoni」(フィレンツェ,1925)である。
本書は彼の著作に収められた2つの終盤問題から、“ヘテロドックス・オポジション”の新しい型を見出すことになる。


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シスタースクエア
原 註:cases conjuguees(仏語。結合されたマス目の意/訳者註:conjuguees の最初のeにアンサンテギュが付く)の英訳であり,H. D'O. Bernard の提案を受けた。チェス・プロブレム界で使われる用語の幾つか(モデル・メイトなど)は Bernard の創案。

Regence
訳者註:最初のeにアンサンテギュが付く。

J. Preti
訳者註:eにアンサンテギュが付く。

スクエア
訳者註:マス目のこと。

<この『緒言』部分からP36までは、今は連絡の途絶えてしまったO君が(結局、僕は一度も彼と会わないままでいる)、自分のHP上で翻訳してくれていた日本文に手を加える形で掲載される>

55-9-2-P4-1

<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P4

本書の目的は、ポーン・エンディングにおけるキングの役割の研究である。
キングの役割とは、一定のポーン、複数のマス目、一定の範囲のマス目の群を攻撃し、また守ることである。
図1~4を検証していこう。
同じランク(O君註:横の列)の3つ以上のマス目を守る方法は1つしかない。図1。

readymade by いとうせいこう


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<O君註:黒が図面の+マークを付けた3つのスクエア(c7,d7,e7)を守るには、Kd8とする以外ない>

<いとう註:P1で「印刷の工夫の誤りが混乱を生んでいる」と指摘し、「見た目への配慮は、問題の秘義的な側面や、論争の第一の原因をはぎとってもくれることだろう」と言った直後に、いきなりこれである。“図面の+マーク”が版ズレし(出版業界ではトンボがずれていると言う)、マス目にまたがってしまっているのだ。以後、版ズレは続く。したがって、本書こそ「印刷の工夫の誤りが混乱を生んで」いるのだ。1932年にパリで出版された他の999冊も同じ状態だろう。
だが、デュシャンが失望をあらわしたという記録を僕は知らない。
あたかも運搬中の『大ガラス』にヒビが入ったのを気にしなかったように、デュシャンはこの大きな印刷上のミスに無関心を貫いたように見える。
しかし、おかげで残された僕の混乱はひどいものであった。そもそも、チェス問題にくわしくない僕にとって、この図1が白番なのか、黒番なのかさえわからなかったのだ。O君の註がHP上で発表されて初めて、僕はデュシャンとハルバーシュタットの真意を知ったのである。
“図面の+マーク”が右にズレている、とO君は推測した。「同じランクの3つ以上のマス目を守る方法は1つ」という解から逆算して、O君は答えを出したのに違いない。
さらに、図面の右下に付いた小さな黒丸がヒントなのだろう。白側に打たれた黒丸は、少なくともこの段階では、白が指し終えたことを示すように思われる。
つまり、O君によれば「黒が図面の+マークを付けた3つのスクエア(c7,d7,e7)を守るには、Kd8とする以外ない」ということになる。黒キングは左のマスにひとつ(黒から見れば右にひとつ)、移動する以外ないのである(ちなみに、c7やd7の位置がわからない方は以下のページの一番下を参照したいただきたい)。
だが、まだ留保は続く。このP4こそ、難解である。図はあと二つある。ここを乗り越えれば、我々はより深くデュシャンとハルバーシュタットの問題意識を理解することが出来るようになる。
つまずきのP4。
「印刷の工夫の誤りが混乱を生んでいる」P4。
ゆっくりと進んでいこう>

55-9-2-P4-2

<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

同時に、同じファイル(訳者註:縦列)の、もしくは同じ横列の、隣り合った2つのマス目を守る方式は2つある。図2。


readymade by いとうせいこう-2


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<O君註:黒が図面の+マークを付けた隣り合った2つのスクエア(同じランク)を守るには、
eキング:Kd8と待機するか、Ke7と前に出る(アタック)。
fキング:Kg8もしくはKg7と待機するか、Ke7もしくはKf7とアタックする。
つまり、待機か、アタックかの2つの方式がある>

<いとう註:O君の解釈(+字は右にズレている)を敷延すれば、この図2の+字はd7、e7の上にあるということになる。そして、ここでさらに“つまずき”が増す。参照例であるはずの+字のうち、d7上のそれは意味をなさないからだ。二つの黒キングの二種類の動きのうち(待機か、アタックか)、重なりがあるのはKe7のみなのである。
では、ここで「印刷の工夫の誤り」が左にズレている可能性を考えてみよう。デュシャンらが言いたかったのは、+字をもっと右に打つパターンだったという考えである。図2だと、+字は本来e7、f7の上にあるべきだということになる。
図1に戻って、この考え方の上に立てば、図1の+字はd7、e7、f7の上に来る。がしかし、こうなると、図1に付いた文言「3つ以上のマス目を守る方法は1つしかない」という解が成立しなくなってしまう。黒キングはd8にもf8にも動くことが出来、それぞれc7d7e7、e7f7g7というマス目と、自分のいる横列の左右のマス目を支配出来るからだ。つまり、「3つ以上のマス目を守る」ことは出来るのだが、解は2つに分裂してしまうのである。
O君はだからこそ、「+字は右にズレている」と考えた。図2で言えばd7、e7の上にある、と。
さて、しかしこの場合においても「アタック」という選択が理解不能になる。eキングがKe7と動くのは自殺手である。fキングがe7およびf7と「アタック」する場合も同様である。白キングによって自滅する場所に黒キングを置くことは出来ないのだ。
では「2つある」方式とは一体なんなのか?
ここでは暫定的に、「図2は図1の延長であり、f8の黒キングは2つある方式のうちのひとつの動きを示したものだ」と考えてみたい。すると、もうひとつは単純に黒Kd8ということになる。
この時、2つの+字(d7、e7上)はあくまでも図1の延長として、e8に位置する黒キングが支配を続けるべき隣り合った横列(ランク)のマス目を示したと解釈されるだろう。
くわしく言えば、例の盤面外の黒丸は図2において黒白両者に打たれている。これは新たな謎である。白番をも同時に示す意味はないからだ。
P4はやはり手ごわい。この4ページ目は本当に難解、もしくはもっとあっさりと解釈されるべきかもしれない>

<いとう雑感:ボビー・フィッシャーの唐突な身柄拘束は(おそらく政治的取引に使われたと思われる)、この55ノート、せめて55-9のためだけにも是非解かれて欲しい。あの天才なら一読、「つまりこういうことだ」と本質を一言で表わしてしまうだろう。二十世紀初頭に各界の注目を集めたポーン・エンディング(デュシャン、ルーセルはもちろんベケットもまた御存知のようにまさに『エンド・ゲーム』という戯曲を書き、実際にデュシャンとチェスをもした)は、当時のヨーロッパの思考の真髄に触れているはずで、すなわちこの問題は我々の想像をはるかに越えた存在意義を持っているのだから>

55-9-2-P4-3

<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P4

また、孤立したマス目を守るには、敵キングが前から攻撃してくるかどうかによって、3つもしくは5つの方法がある。図3。

readymade by いとうせいこう-3


ーーーーーーーーーーーーーーーー

<O君註:黒が図面の+マークを付けたd7から、白キングの利きを排除する(孤立したマス目とする)には、dキング:
●Kd7もしくはKe7として白キングをすぐ追い払う。
●Kc7と待機して、白キングがd7への利きから離れるのを待つ(次に白キングはKd6とはできない)。
●Kc8と待機して、以下、Kd6 Kd7。
●Kc8と待機して、以下、Kd6にKb7とさらに待機して、以下、Ke6にKc7。
以上,計5つの方法。
eキング:
●Kd7、Ke7として白キングをすぐ追い払う。
●Kf7として、以下Kd6 Ke7、Kc6 Kd7として追い払う。
以上,計3つの方法。
fキング:
●Ke7として白キングをすぐ追い払う。
●Kf7として、以下Kd6 Ke7,Kc6 Kd7として追い払う。
●Kg7と待機して、以下Kd6 Kf7、Kc6 Ke7。
以上、計3つの方法>


<いとう註:さて、難解なP4の最後の図版まで来た。ここで黒キングはd8にも現れ、+字はd7にだけ打たれている。図1からの流れを見れば、黒Ke8から黒Kf8、そしてKd8と左右両側に動いた3パターンの例が挙げられたわけである。ただし、それぞれに「同じ横列の3つ以上のマス目を守る」場合、「同じ縦列の、もしくは同じ横列の、隣り合った2つのマス目を守る」場合、「孤立したマス目を守る」場合、と防御の意識は多層的である。
おそらく、図3は多層的な防御意識の中で、d7というマス目を死守するには……と考えた場合を示しており、黒キングがd8に入れば次に白キングがd6と対峙し、黒キングはそれをc8もしくはe8と受けて、あくまでもd7への利きを保持することになる。
O君註では「Kd7」「Ke7」「Kf7」を黒キングの手として与えているが、これはe6にいる白キングからすれば自殺手ではないだろうか。もともとe8(図1)に陣取っていた黒キングは、d8かf8にしか動けない。この図3では一例として、d8に黒キングが入った場合を図示しており、白キングが自分の利きを手放さない対象はd7となる(白Kd6と攻撃の手をゆるめず)。
もちろん、白Kd6となれば、白キングはc7d7e7を黒キングとともに支配する。だが、次に黒キングがc8に動いたとし、白がe7に侵入すると仮定する。となると、盤面の端に追いつめた黒キングを白キングは逃がしてしまうことになる。d7は互いに譲らないとしても、これはポーンエンディングにとって致命的なミスになる。自由になった黒キングは図の手前の領域へと動き出し、この図にはないが残った白ポーンを狙いに行くことは確実だからである。
ポーンエンディングでは、互いのポーンが角を突き合わせて止まっている。ポーンは真ん前の駒を取ることが出来ず、斜め前の駒のみを奪うので、そのような凍りついた盤面が生じるのである。そこへ黒キングが動き出すのは危険きわまりない。ひとつでもポーンを取れば、ダムのようにせき止められていた盤面に急変化が起こる。邪魔な白ポーンを外された黒ポーンは、ぐんぐんと盤面手前の端に進み、到着した途端(将棋の駒が「成る」のと同じく)キング以外のあらゆる駒に変化してしまうからだ。最強の駒クイーンになれば、もはや黒の勝ちは確実となる。
ということは、黒Kc8に対して白Ke7はあり得ない。僕程度の素人考えでも白Kc6とし、キング同士の対峙を狙い続ける以外ないのだ。これがオポジションの基本である。
ただ、デュシャンとハルバーシュタットはここで「3つもしくは5つの方法がある」と言っている。図1ではたったひとつ、図2ではふたつ、そして図3で孤立したマス目のみを守るとなると「3つもしくは5つ」。これが非常に難しい。おそらく、「敵キングが前から攻撃してくるかどうかによって」が重要なポイントであり、白Kd6か白Kf6かによって、黒の手は限られながら増えるということだろう。
基本はあくまでも図1の黒Ke8。もし白Kd6なら、黒Kd8か黒Kf8、あるいは黒Kf7と上がって抜け出す。ここには3つの動きがある。
また白Kf6なら、黒Kd8か黒Kf8、もしくは黒Kd7と上がる。これも3つ。
動きを5つに増やすには、O君の解釈通り、(黒Ke8から)黒Ke7、黒Kf7というふたつの自殺手を加えるしかない。動きを原理的に考えれば、ということなのだろうか。もしくは僕のルールに関する認識不足か。
ここは何度考えてもわからない。+字はむしろ理解の妨げになり、黒キングの左右への増殖もまた事を複雑にしている。
どなたかのご示唆を待つしかない。

しかし、少なくともこの図3にオポジションの基本概念が潜んでいることは確かであり、「敵キング」と書かれた対象が白キングだということも明確になった。デュシャンとハルバーシュタットは、あくまでも黒としてゲームを始めているのだ。対して白はルーセルであるというのが「55ノート」における僕の仮説だから、この図3は非常に重要なのである。
続いてP5になると、デュシャンらははっきりと「オポジション」を指し示すようになる。
留保付きではありながら、このP4を土台として以後の翻訳を進めていく>