胎内意識

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だなんて、こないだ[企画コーナー]でやっていました。

お客様で、長男を懐妊中、胎内教育のメリットを考えて
せっせと童話を読んでいたんです。

で、その子供が生まれた後も、色々な童話などを読んであげてたんですけど
胎内にいた頃読み聴かせていた童話を読んでいると、ニッコリするんです。
やはり、身ごもっている時でも、胎外への感受性があるのでしょうかねえ。

そして、驚いたことに

記憶は更にさかのぼって、胎内に宿る以前のことを
覚えている子供達がいるんですねえ!

上空から、見下ろして自分が宿りたいお母さん/両親をみつめていて
自分にふさわしいお母さんが見つかると、地上に降りてくる,,,

それを、楽しそうにお話ししている、女の子の話を聞いていると
フッと気がつくと意識がどこかへ飛んでいた、私がいた。

もう一人の男の子は、宿って生まれてくるまでの過程を
とても詳しく図解していた、、、フーム_______!?!


私には確信はないが、話を聞いているだけで
まるで、静かな森の中で目を閉じて小鳥のさえずる声を
ウットリと聴いているような雰囲気に包まれた。
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天堂/Child Prodigy

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LA Times の一面記事から:

Mark Yu は、中国系の6歳の少年。母親はマカオ出身の小柄な女性。

3歳になった時、「ピアノを習いたい。」といい始めて、4歳にはチェロも習い始める。

ものの、飲み込み、記憶力は抜群。一日6時間は練習するそうだ。

ペダルに足が届かないので、少々改良されたピアノで弾いている。

今年はローカルのオーケストラとの共演も決っている。

将来の夢はロスフィルとの共演、カーネギーホールでのリサイタルなど。

今年に入り、あるオーケストラのリハーサルにいった時、ず~ッと聴きいっていた後に、オーケストラの楽譜を見たい、、、、、と言って、指揮者を驚かしたそうだ。

テレビはみないし、ヴィデオゲームにも興味はない。

その腕前は、“天堂”なのである。


ここまで、読めば感心なのだが、幾つかの問題が考えられる。

母は、幼い頃ピアニストになりたかったらしいが、親の希望でその夢は叶えられなかった。アメリカへ留学してから、知り合った男性と結婚したが、離婚に終わる。しかし、息子が音楽への興味を示した頃から、自分の夢を託し、それのあやかり自分も豊かな生活への道を切り開けるのでは、、、、、

今は中国人が圧倒的に多い区域に住んでおり、元夫から送金される800ドルの中、500ドルが家賃の支払いである。今では、息子の将来を考えお仕事ももってなくて、息子の世話に専念している。(それにしても、どのように生計をたてているのだろう。)

3歳の時に先生を求めたが、断られること多く、結局親子でピアノを習うことで、ようやく先生が見つかる。
幼い頃の学びごとは、2時間以上は練習をさせないのが無難の道らしい。

チェロは、ピアノの練習の合間に、頭の切り替えに使っているそうだ。だから、練習時間も一時間弱である。

ピアニストのみどりさんも、好きで練習をしていたひとだが、あの頃13歳ぐらいだったと思う。


天堂といわれる子供は、大人になると普通の人になるケースが多いし、その反面一生並みの生活ができなく、悩み多い人生を送るケースも少なくない。で、天堂と呼ばれる背後には、親のエゴの場合も多い。素質をもって生まれきても、実際には“作り上げられる、、、”ケースも多いようだ。


私の、気功愛好家仲間にも、子供が天才的な能力を発揮している家庭が2件ある。どちらも両親共に教授の家庭に生まれ、生まれながら素質が備わっているようだ。どちらも、中国人の夫婦。両親を音楽家として持つ、その女の子は、お琴の奏者だが13歳とは思えない、天才的は演奏をする。しかし、演奏をしない時は、ごく普通の女の子で、飛んだり跳ねたり、、、。学業も優秀だし。

両親を、数学/生化学の教授として持つ女の子は、中学昇級で優秀な学生を受け入れる、英才教育科のIQテストを受験した際、あまりにも成績が優秀だったので、極秘のはずだった結果も試験管がわざわざ、報告にやってきたそうだ。その子だって、確かに聡明な感じはするが、ある意味では普通っぽい女の子である。

二つの例を上げたのは、気功の概念の一つに、[気と気功は、全てのものに関連する/全てに繋がる]がある。気功を継続することに於いて、家族にもその影響は生じるとも言われる。この二人の子供達は、一つのことに抜群の能力を発揮するのではなく、全面的に能力を活用しているとも言える。それも、ガムシャラにではなく、笑顔多く、飛んだり跳ねたり、常に楽しそう。

天堂ではなくても、親として“できる子供”を育てることは、夢でもあろう。それ故に“早期教育”を考える親も多いだろう。私には、子供がいないので好き勝手なことが言える。第三者の立場でへりくだりを言うのと、実際の子育てに大きな違いがある。

しかし、“素質を生かして、能力を伸ばす”ことと、早期教育という方程式にはめ込むことには、大きな違いが出てくるような気がするのだが、、、、、

ps。早期教育を否定しているのではなく、“親バカ早期教育”法なんぞに引っかかて欲しくないな。
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永久歯が生えてこない子供達

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と、昨日のニュースで取りあげられていた。

普通は、6歳の頃になると乳児が取れて永久歯がはえてくる。

ところが最近は永久歯がはえてこない子供達が、だんだんと増えてきているそうだ。

http://www.quint-j.co.jp/info_p/health/knowledge/B.html

子どもの顔は小さく、大人になるにつれて成長してゆきます。乳歯は小さなあごに生えるために、数も永久歯より12本も少なく20本です。乳歯の大きさ、厚さも永久歯より小さくしかも薄いため、むし歯になればすぐ神経がおかされてしまいます。

乳歯は、生後6カ月ごろから下の前歯が生えてきます。2歳で奥歯まで全てが生えそろいます。永久歯は6歳ごろからまず、第1大臼歯が生え13歳までに全てが生えそろいます。乳歯と永久歯の交代がスムーズに行われるには、乳歯の歯根が永久歯の萌出に伴い吸収され適切な時期に抜けて永久歯が生えてくることが大切です。


気功では、この乳歯から永久歯の入れ代わりの時期を、潜在意識からの目覚めのイメージとして、導入している。練功する時の一つのイメージとして、女性は6歳、男性は7歳の頃の自分をイメージする。

すると、からだの細胞に刺激を与え、今まで眠っていた昨日が目覚めてくる。

乳歯から永久歯へのはえかわりは、自然のなりゆきであったのが、今変わりつつある。

原因は今の時点では定かではないらしい。

私たちは、「、、、、、進化している」とよく、口に出すが

こういう話を聞くと、考えさせられる。
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ハサミが好きなオリヴィアちゃん

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お母さんが、お父さんとオリヴィアちゃんを、サロンの前で降ろす。今日はお父さんのヘアーカット。

お父さんの近くに椅子を設置して、当分はそこに座っていたのですが、途中で私が座っているソファヘ歩いてきて隣に座りました。鉛筆2本、ハサミと大きなスケッチブック。

なので、可愛いテーブルを描きやすいように引き寄せてあげました。とても、ひとなつっこい女の子。

「顔を描く、、、」と言いながら、一揆に迷いなし手付きで、描いてくれました。その描き方は、ピカソが亡くなる前のあたりでスケッチしていたような、簡潔さ。

「まるで、ピカソの絵のようだね、、、、」

「誰の顔なの?」

「マミー」


すると、今度はハサミを持ち、輪郭を切っていき始めました。これを、アルバムに張り付けていくそうです。

そして、切り抜いた残りのはした紙を4つおり程にして、更にハサミを入れていきます。それを、広げると幾つかの、パターンの切り紙がポロポロと、おっこちてくる。一つは風車の形をしたもの。もう一つは丁度二つ折りしたようなもの。それを見て、

「This is a book!」とニッコリ笑って見せてくれました。そう言われれば、本の形にみえます。



お父さんのヘアーカットも終わり、

「お相手してくれて、どうもありがとう」

オリヴィアちゃんは、3歳半だそうで、ハサミを使うのがとっても好きなそうです。

で、この女の子、誉めてあげると必ず「ありがとう」と言います。

お父さんが私に「ありがとう」したあとにも、自分から

ニコッと笑って、「ありがとう」

骨なし魚

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何時だったか、チラッとニュースで見たことがある。

本来は、病人の為に、食べやすくする為に、手間をかけて食べやすいようにしたものであるそうだ。

最近の子供は、魚が嫌いの子供も多いらしいし、ましてや、骨を取り除きながら食べることは、考えられないらしい。それと、食卓に並ぶ数々の食べ物でも、集中的に食べるそうだ。

私には、ピンとこない。子供に大してだけではなく、それを見つめている親の視線も。

これは、今どき日本だけの話じゃない。文明が進むことにおいて、人間は現在進行形に“らく”をすることを覚えてきている。これは、退化現象である。

“らく”をすることが悪いのではなく、それによって失われていく美的感覚、“自然”あるいは“ほんもの”という意識。

確かに、科学の進歩により、色んなことが解明されている。その速度は20世紀に入り、著しい勢いで進展している。その進展に直接携わっている人達には、感謝すべきである。魚の骨を、ピンセットで一つ一つ取り除いていく人達。そこには、切実なる“想い”が、働いていることであろう。

“らく”をすることには、必ず代行するエネルギーが消耗されているはずだ。



骨をとる前の魚。これも、何千年か何億年か知らないが、進化した形である。そこには、必然的は形の美しさが存在する。

私は、さんまを食べる時、自分ではとても上手に食べ上げていくと、今までは思っていた。ところが、最近強烈なライバルが現われた。妻君の魚の食べっぷりは、綺麗、美しいの一言だ。

特に、子供の教育に関しては、大切なことだと思う。現実は、オギャンといった瞬間から、教育=大学である。点数価値が、高くないことには、上級しない。

魚を綺麗に食べることは、頭脳開発、いや右脳開発の一貫だと考えられないか。日常生活の中で、意識を注ぐならが、いくらでも教材は見つかると思う。上手に解体することによって、物事の仕組みが分かってくる。

小さなこと、マイクロのことが分らずに、大きなプロジェクト、マクロには進めない。

魚を綺麗に食べることだけが、大事ではないが、躾にもつながるのではないか。

私が幼い頃は、祖母の存在があった。とても厳しい人で、母におねだりをしていると、カミナリが落ちてくる。怖い人だったイメージがある。それが小学校の上級生ともなると、厳しい中にも“やさしさ”を感じはじめる。大人になって、従兄弟、従姉妹の間ででる言葉は、尊敬する言葉だ。

とは、言いながら私自身も曲がりくねりながら、人生を歩んでいる。それだけに、子供達には、“やさしく、楽しい”だけではなく、“厳しさの中にも、喜び”を感じる体験が必要ではないでしょうか。

早期英語教育と言語文化を損なう危険性

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レナのママさんの早期英語教育の記事の中で:



東京大学大学院教授の斎藤兆史氏によれば、間違った現行の英語教育政策を強引に進めれば、日本の言語文化を損なう危険性がある、という。





氏の、早期英語教育についての見解である。

しかし、現状は日本に限らず、グローバル化された情報網により、国の言葉は汚染されている。特に、その中でも日本では、著しい変化を示している。

これは、私がアメリカに来て馴染むことに大変抵抗があり、その分日本に対しての愛着が強かった、せいでもある。ありうることだが、今まで意識していなかったことが、距離をおいたがために、長所が見えてくる。

外来語を使うことは、結構である。しかし、大事なことはその使いこなしガ、実際その国へいった時にスンナリと溶け込めることである。日本人はとても器用だし、物事を改良することの才能はたけているし、独特の感受性も、持ち合わせている。

私は、日本人の顔をしていても、もう日本人とはいえないので、これはあくまで外国で生活している“変な日本人のようなロス人”の見解である。たくさんの旅行社が夏になるとやってくるが、仲間ではカタカナで埋まった日本語を話している。私から見ると、とても“日本語”とは言えない言葉である。

ある意味では、日本文化は破壊されつつあるような気もする。幼年期に外国で生活をせざるをえない立場に置かれた、たくさんの友達は多かれ少なかれ、日本語を英語に訳して話すことはしていないようだ。よく、大人になってこちらに来た日本人にきかれる質問は「英語で話す時は、英語で考えているのか?」私も、その質問を受ける前までは、意識したことはないが、そうなのである。

先日も、書いたが小中学校で学んだことは、日本語の方がピンとくるし、高校/大学で学んでことは、英語の方がシックリくる。

語学も幼い頃に身につけると、右脳優先或いは、“おもちゃ感覚”で消化されていく。私が、10歳で渡米していたら、もしかすると日本語/日本文化への愛着心は薄かったかも知れない。

私の立場と、日本語の生活の中で、英語を学ぶのは“似て比なる”ものかも知れない。実際にCD/テ-プなどを聴いて身につける効果というものが、どのようなものかも分らない。

一つの案として、定期的に英語を母国語とする子供達のサークルで、一緒に遊ぶ時間を作ることは、出来ないものだろうか。話す糸口はまず、“聴く”ことから“聴き慣れる”ことだと思う。

早期英語教育

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レナのママさんのお家へ遊びに行った時に、お題を拝借、頂戴なり。

私は、大賛成、エールを送ります!

数カ月前に、ロスアンジェルスタイムス新聞に上げられたこともある。ヨーロッパに比べ、アメリカの学生は外国語の能力がとても弱いこと。今までは、「オラが一番ダゼ!」と威張っていたらよかったのですが、グロ-バル化され、Japan Inc. で苦いおもいをして、21世紀はEuro-Dollarの時代。それに、中国も目を離せない、、、、となると相手の腹を探るなら、“郷にいれば、郷にしたがえ”。アメリカも、頭を下げる時代になったのだ。

アメリカでは、高校に入って外国語の勉強が始まる。その記者の意見は、やはり言葉は小学校から、学ぶべきだと主張する。それは、幼い程頭は柔軟なので、“遊び感覚”でスンナリと身につく。これは、数年前の話だが、小学校で、コンピュ-タ-のクラスが設置された時のこと。その時、児童がクラスに入り、先生が使い方の説明を終わった頃には、もう遊んでいて、先生をビックリさせたという記事を読んだことがある。

子供は、ルールを知らなくても、迷路から抜け出る程の知恵を絞ることができる。なので、外国語も、“おもちゃ”あるいは“道具”と考えても良いと思う。

フィンランドに留学していた頃、友達の一人に父親がデイプロマットの子がいた。ある時、お家に遊びに行ったら、フランス人のお客様がきていて、通訳をしてくれたのが4歳になる妹だった。「何で、フランス語が、わかるの?」と質問をしたら、首をかしげて答えに困っていた。御存知、フィンランドは、フィンランド語と
スエーデン語が国の認定した言葉である。だから小学校では、二つ学ぶことが義務つけられている。それに、上級学年になると、理科系に進むか、文科系に進むか選択しなければならない。文科系であれば、卒業するまでには、最低3カ国の言葉がはなせるようになる。その妹は4歳の時にすでに、母国語の他に、英語、フランス語、ロシア語とドイツ語の4か国語で会話をすることが出来た。でも、本人には、話すことが異なった“おもちゃ”で遊んでいる感覚であった。

言葉は基本的にはコミュニケーションの道具だと思う。まず、話すこと、表現すること。私はええオッサンになって初めてコンピューターにかじったのだが、E-メールでコミュニケーションができることに感謝している。しかし、商談とかで込み入った話になると、最後は顔を合わせないと、話が進まない経験をする。やはり、最も気持ち/意志が伝わりやすいのは、話すことであると痛感している。

特に、ボデイー・ラングエッジを観察していると、信頼性のチェックもできる。そして、言葉にはニュアンスがある。例えば、英語で表現するのと、日本語で表現をするのでは、それなりの違いが出てくる。この感覚は幼年期に体験すると、自然に身につく。アメリカ生まれの友達の子供は、日本人の顔をしていても、中身はもうアメリカ人である。

友達のパピヨンは、父は中国人、母は日本人。日本で生まれアメリカンスクールで学び、大学はアメリカ。夏休みになると、父の実家香港へ遊びに行き、広東語。それに、マンダリン語にも、興味があったので、4か国語がペラペラ。アメリカの大手の投資株式会社に勤めている。

知人のYさんは、父親の仕事の関係で幼い頃アメリカに住むことになり、父親の先見力の判断で、13歳になると、英国のある有名な思想家のお家に預けられ、オックスフォ-ド大学で英才教育を受ける。その時丁度皇太子様も招待を受けて在学していたそうです。その時のお話にそのときのおはなしにさんは皇太子のことを「いまいち、魅力がないんだよなあ、、、」とつぶやくのです。よくよく聞いてみると、大学内のパーテイで見かけることもあったそうなんですが、他の国のプリンス/プリンセスはとても、社交的だし会話は上手なのだそうです。しかし、皇太子にはいつもお付きの方がいて、お膳立てをされていたそうです。それで、ニコニコとお話を聞いていることの方が多かったそうです。つまり、自分をあまりアピールする必要がなかったということなんでしょうか。そのYさんも、今では3女の父であり、去年は上の娘さんが幼稚園に入るのにあたって、色々と検討した結果英国で教育を受けるようになりました。夫人が、メキシコ系アメリカ人なので、もうすでに、3か国語を理解出来ます。

ここにあげたケースは、日本で生まれ育った中での早期英語教育とは、いえないかも知れませんがJapan Inc. がもたらした影響で多国語を話せるグローバル型日本人です。

外国語は、幼い時から“積み木遊び”をする感覚で、慣れていくと、より風習の違った人達への理解/アピールに役立つと思います。