right thumb

右利きなんですが、コンタクトの入れ外しは
勿論右の指でする

ところが、一昨日右拇にケガしたんです
いやいや、ハサミじゃないんです
大根をスライサーで細長くきってたんですが
終わりの頃に
ピヤ~ッと拇の皮膚もやっちゃったんです

昨夜は左手でレンズを外し

今朝は左手でやったんです
結構出来るもんですね

ま、りきみやすいところ
力を抜く、、、と言うことでしょうか

それと、あれこれ考えずに
行動に移して、それから工夫してみる?

SHAKE HIP さんも
リハビリに
 水泳を 想いたって
不安だったけれども 近くのプールへお出かけなったんだって
回りの人も知恵を振り絞って
第一歩
応援してますヨ~
 
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今日も,いいことあった、、、

“お帰り”お花

えっ、このお花?

そうなんです。今妻君ハワイへ出張してましてね、
明日お帰りなんです。



稲庭うどん


で、今夜は冷凍の稲庭うどんを湯がき、(醤油は使わないので)
酢みそをまぶしてディルを、パラパラ
昨日の残りカレーを温めて
かぶの浅漬けに、梅干しをポチン
最近お茶は ウーロン/ジャズミンティー 
中国人の友達に教えてもらったんですが中華料理を食べるときは
ウーロン(/ジャズミン)ティーをガブガブ飲むと油分を
中和させるとか、、、

で、いいことなのですが





靴とサンダル



長い間、私をいつも戒めてくれる左脚の持病が三年程前から
著しくなり、ず~っと靴が履けなかったんです。

今朝、靴を履いてみると、な~んとなくいい感じ。
で、いつもだと足がむくれあがっているのが、ほとんどなく
お休みの一日、この靴で行動出来ました!
でも、この靴かかとの部分が普通のものより低いんですヨ。

持病の為に気功をやっているんではないですが、その一貫に
継続することで治癒力が高まってくる効果があるんです。

これは、ここだけの話、私の持論なんですが薬品は使わないように
しています。副作用がイヤなんです。
(でも、難しいのはこのような自然な方法で実際に治癒力が高まって
 くるのか否か、確率は高くないかも分からない,,,)

それでも、私の選んだ道
“信じたい”ことを貫く、、、時には辛いです,不安になることもあります。
確実にいい方向に進むという保証はない,,,

でも、貫く,貫きたい、貫いている,,,
この気力ってなんなんでしょうね。弱虫の私には分からない、、、





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わたしのリハビリ(5)

月曜日にお墓参りした時、右耳に痛みを覚えはじめる。

前ぶれとして、耳が痒くなることが続いていた。

帰宅して、ベッドに入って休んでいたら、その痛みは突然激痛となる。まるで鼓膜が破れていくかのようなバリバリッという音を立て、思わずその痛さに悲鳴を上げそうになる。それでも、ただひたすら痛みを[放縦・入静・自然]の空間で、観察する。

フっと思い立って、音さんの音楽を流すように設定して、再びベッドに潜り込む。

それ以来、右耳から少々の血の混ざった膿が出始め、今に至っている。

この期間、もう一つ面白い体現を体験している。手首の太さが就寝中には細くなってきている。(男性からみて、手首/足首の細い女性はいい、、、、、だなんて聴いたことがある。この締まりのよい手首/足首は、動物にも言える、、、、ことも聴いた覚えがあるのだが。)水の補給だけは充分している。

食欲は、減ってはいないし。小食なので、食べる量はあまり、変わらない。日中でも、数回は手首の太さを確認する。

夜中に目が覚めた時、身体が燃えるよに熱くなっていることもあった。

しかし、その熱も日増しに減少している。昨夜は途中で目がさめることなく、5時頃まで寝ていた。

この期間の息のあり方にも、通常ながら現在進行形している。呼気の時、右耳に圧力を多分に感じていたのが、今朝はその圧力がかかる念のみが存在していて、実際にはその重い感覚は減少してきている。

膿が出ているので、難聴ではあるが全然聞こえないわけではない。

この、現象で思い当たる節は、右声帯に生じた癌治療の後、練功中にず~ッと長い間呼気の時、咽の右側に違和感があった。練功が進むに連れて、気の量(気迫?)が増し、その詰まった部分を押し出している、、、、、その現象と考えられる。(勿論、判断が間違っていれば、大変なことにもなりかねない。)

物事を観察しながら、前に進むことには、このジレンマが生じる。未知の世界へ旅しているのだから。勿論、簡単なのは、抗生物質なり薬を飲んで、痛みを沈下させる方法である。(私は、そのようなものを全面的に避難しているのではない。)その為にも、痛みの行方を観察することは、大事である。

私が、この観察期間を置いているには、訳がある。以前、同じような体験をしたことがあるからだ。(かといって、絶対にそう決めつけることは、とても危険であるのを前提とした上での観察である。)その時は、夜中に、フッと目が覚めたら、右耳からドロッとした黄色の膿が大量に出てきはじめる。その状態が結構長く続いたが、自然に治っていく。

この経過中に、もう一つ面白いことが起っている。全身に力が入らないような、少々ふらつく感じなのだが、お仕事(ハサミを使う)には、今までより一段と迫力のある、ハサミの手さばきが生じている。今まで、見えていなかった部分が、観えている部分もある。
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わたしのリハビリ(4)

今日はとても面白い体験をした。

出勤すると、スタッフ・ルームの台所でインターン生の一人が、赤ら顔をして、顎をかかえながら、とても辛そうな表情をしている。訳を聞いてみると、左側の歯に痛みがある。薬はのんでないという。

即座に掌を擦り合わせ、右掌をカウンターの上にダラッと顔をうつ伏せている彼女の痛い側の顎に、掌を優しく置く。(置いた瞬間、自分の掌と彼女の顎の接点に、フワッとしたものを感じる、、、、、)ボワ~ンとした感覚で、ただ掌を置いていた。10数秒したら、彼女が突然顔を起こし上がる。悲惨だった表情は、パッと明るい笑顔になっていた。

”The pain is gone!" 「痛みが、消えちゃった!」

「えっ! 本当?!?!!」

"What did you do? 「何をしたの?」

「とても悲惨な顔してたので、とっさに手を当てた、、、、、」

"I can't believe it's gone!" 「信じられない、、、、、痛みが消えちゃった!」

と、笑顔というか、とても信じられない体験をした驚き、

瞬間的に痛みがなくなった。(実はわたしには、それを裏ずけるシグナル/信号を観知していた。掌を顎にあてがうと、熱く感じていたのが、数秒すると熱が弾いていく感覚があった。それから数秒して、何かピタッとしたものを感じる。それから数秒して、彼女が痛みが消えたことに気がつく。)

それから後、彼女は痛むことなく、顔を合わす度に笑顔だった。

一ヶ月前あたりから、その歯はうずくことがあったそうだ。


気功の要素の中に、ある程度鍛練すると、自然に“癒しのちから”が、宿る話は聞いたことがある。また、普通知られている気功は、この“癒しのちから”である。

以前、声帯癌を告知される前から、手かざしをしてもらったり、自分でもやっていたことがある。その時も色々な体験をした。気功を始めてから、マッサージを施すことはある。「マッサージ師になったら?」と言われるくらい、まんざらでもない。しかし、手当てをして、即効果がでたのは、初めてである。

最近、気の感じ方が増してきているのは、確かである。そして以前よりも丹田への充実感/充満感も現在進行形に増してきている。

勿論この“癒しのちから”は、気功でなくても養えるようである。たとえば霊気ヒ-リング、アメリカではバーバラ・ブレナンの“Hands of Healing”は、よく知られている。

素直な気持ち、子供のような無邪気な気持ちを持ち合わせている人は、自然に癒しの波動がでるそうだ。

気功でもよく言われることだが、適度な念を従属することで、癒しのエネルギーが放出されるそうである。
念が強すぎる/りきむと気は動かないようである。

気功空間で好ましい状態とは[Distant and Fuzzy/Fuzzy and Distant]空間であることが実証されている。つまり、焦点が合っているような、合っていないような/ボワ~ン感覚である。

このボワ~ン感覚空間に類似するのが、子供達のソフトゲーム空間。よくお店にも、親と一緒に来ている子供が、待つ間ゲームをしながら、時間を過ごしている。全身は動くことなく、ただひたすら指先だけが、動いている。目は、掲示板をひたすら見つめている感じ。身体の筋肉は緩み、目の筋肉さえ弛んでいるように見える。とても、静かで、とても委ねられている空間。

もう一つ、よくスポーツ選手の集中力空間を“In Zone”の空間といわれる。タイガー・ウッズがデビューした当時、彼の抜群の集中力をたとえて使われた言葉である。廻りの音、風の動きなど全てを観知しながら、なおかつ彼とボールと的に、なんの隔たりもない、意識空間。

この空間、熟練したから得られるというものでもないが、この状態/空間をコンスタントに味あうのには、科学することが大事になってくる。その大事な要素とは[緩めること・静かになること・自然であること]であるような気がする。

次へ、、、、、

わたしのリハビリ(1ーA)

リハビリ
テーマ:ブログ
 僕は、月、水曜日は、リハビリと言語に行っている。リハビリは、自転車こぎ運動を10~20分。手と足の訓練を20分。階段と廊下を歩くのは10分。それから、言語は1番の楽しみなのですが、日記を書いたり、新聞を説明したりしている。でも、言語の部屋に行くとまた駄目です。どうしようかな。そんな時、プログを書くといいですよと、おっしゃった人もその言語の先生だった。最初はこんなプログなんて諦め半分でしたが、結構面白いものだと感謝したいと思いました。プログに、あわせてくださいましてありがとうございました。こんな簡単な言葉も、発症してから2年間は出すことはできなかった。 鍼灸マッサージに、火、水、金曜日に1日に2時間通っている。明日は、鍼灸マッサージの事を書こうかな。

■教えて下さい
右半身麻痺と言語障害。あなたは、如何したら回復しますか。。。教えて下さい。

これはtakuchappyさんからのリハビリの内容とコメントです。



わたしなりに考えてみました。

わたしは、右半身麻痺と言語障害に対応する専門的な知識はありません。

色々と考えたあげく、想い浮んだことがあります。

ピアニストが演奏するまでの練習の中で、スピードを極端に落とし、ゆ~っくりと弾く練習の仕方があります。名チェリストであり、良き先生であった故アンドレ・ナヴァラが知人に伝えた言葉に「普通、メロディーは、最初の音から終わり音へめがけて弾くと思われがちだが、メロディーが生き生きとしている為には、むしろ一つ一つ音に命/魂が宿っていてそのつながりによってメロディーになっていなければ、音楽とは言えない、、、、、」と教えてくれた知人が入る。

車で通り過ぎる、自転車をこいで通過する、歩いて経過する時間/空間では、目に止まる範囲が違ってくる。スピードを緩めることに於いて、“見のがす”ものは、減少してくる。それだけたくさん観察ができる。リハビリに於ても同じようなことが言えるのではないか。

例えば、手と足の訓練。あるパターンの繰り返しを行うのならば、練功中の観察空間に等しいように思う。わたしの練功には、“動き”の部分はないが、観察していると、息のあり方が月日の流れの空間で変化してくるのが分る。

今月の[GQ]5月号に、ブラッド・ピットの記事があった。その中でジェニファ-アニストンと離婚の理由について彼は、"It's very complex and mulltifaceted."「(一言では言い切れない)とても複雑だし、色んなものがからみ合っている。」と言っていた。

リハビリとは、起った現象をまるでもつれた網をを解いていくようなものだと思う。結構簡単なものもあれば、わたしのリハビリのようにコンプレックスのものもある。

それを解いていくには、忍耐も必要だろうし、完走する強い意志も必要だ。(わたしは、弱い人間なので途中で心の中で泣き出したり、空しくなったりする。)焦ることは、禁物だ。

わたしの東洋医学の先生は「治るのに病の二倍の時間がかかるかも知れないことを覚悟して、療養しなさい。」と言ってくれたことがる。

今回、わたしが痛感していることは、気功の愛好家で数学系で科学研究をされているS教授から教わったことです。それは、未知の世界への研究は“観察と記録”は必須条件であること。

わたしも、毎日日記をつけています。すると、癒されていく過程に於いて、さまざまな周期にでくわし、癒しの方向が必ずしも順調な上昇グラフではないこと。わたしの場合、良くなっていると思っていたら、少しのっセットバックがあり、またそこから少しずつ良くなっていく、、、、、という、パターンを繰り返しています。記録に残すことで、“わたしのパターン”が見えてきます。

たとえば、長い間左膝関節が充分に伸びず、それをかばうように重心を右足にかけていたのですが、最近ではほとんど左膝関節を伸ばすことができますし、体重もほとんど均一に両脚にかけることが出来ます。しかし、無理はしないようにしています。できるだけ座り、負担を少なくしています。

練功において、全体/総合的な癒しがあるので、これは左脚の障害云々ではなく、心身ともに癒されないといけない部分が調整されているからだと思います。

次へ、、、、、

わたしのリハビリ(3)

練功すると、必ず行う動作がある。収功である。

収功には、概ねに二つの目的がある。一つには練功中に日常生活空間から、潜在意識の空間に旅している心身状態を、再び元に戻す役割がある。練功中には、呼吸が静かになり、脈数が減少する。大手術をする時、全身麻酔をかけるが、手術終了後麻酔状態から元に戻る空間で15分から20分程、別室で平常に戻っていく様子を看護婦さんが観察してくれる。急に元の状態に戻すと、心身に大きな負担がかかり、危険である。

ゆっくりと、平常な空間に戻していくことにおいて、偏差を防げるからである。収功が正しく行われると、スッキリとした感じを味あえるが、中途半端であれば、ぼーっとした感じとか、フラフラした状態になったり、意識がはっきりしない。

収功のもう一つの目的は、練功中に得た情報を閉じることである。私たちは常に情報が飛び通う空間に住んでいある。静かになることで、その情報は得やすくなってくる。何事に置いても同じことが言えると想うが、一つのことを科学する時には、必須条件だと想います。この収功空間に、一つの観察が終わったことを、意識して記録に残すことにおいて、その情報は少しずつ蓄積されていくように思います。その情報は、ミクロの感覚なので、とても繊細だし、壊れやすい。そこに、継続することが如何に大事であるかが、分かってくる。

ベッドの中での観察を収功する動作に、私は掌を丹田の前に置き、掌を外回りにグル~ッと頭上に、息を吸いながらまわし、丹田へ向って降ろしていく動作の時、息を吐きます。この動作は止まることなく続いた動きの中で、できるだけ力を抜き意念によって動かすようにします。その後、今度は掌を眼球/天堂の前に置き、上下に動かします。眼球/天堂から遠ざかる動きは、呼気で。戻ってくる時は、吸気で。呼気では、掌は外に向き、吸気では内側に向いています。

最初は、腕に“りきみ”を感じますが、継続することで、りきみが減少していきます。“力を抜く”意念が大切です。[ローマは一日にして、ならず]

次へ、、、、、

私のリハビリ (2)

ここ数日、日中いつとはなく右耳の内部が凄く痒くなってくる。神経は首筋のあたりで交差して脳に至るそうだとすれば、左脚が調整されているのが、右耳に好転反応としてでている可能性は大きい。

東洋医学の医師が教えてくれたことに、“かゆみ”は、病気/痛みが回復している証してあること。要注意は、“しびれ”である。

この、かゆみは練功中にはあまり感じられないのだが、どうしてか練功空間意外に生じることが多いい。

私は、目がさめると、起き上がるまで30分から一時間程、ベッドの中で[放鬆・入静・自然]の空間を味あう。練功には、大きく分けて、立功、坐功、椅子坐功、仰臥功の四つがある。病人とか、身体が弱い人は、この仰臥功から入れる。この仰臥功には、白隠の[内観の法]もよく知られている一つである。

何事もそうであるが、一つの[、、、、世界空間]が自然になってくるまでには、ある程度の“ああでもない~こうでもない”の迷いの空間を旅する。これを“継続することの大切さ”で表現されていることが多い。東洋思想では、三という数を貴重するところがある。私は、物事の飲み込みが遅い方なので、三年経過した後にようやく、毎朝のベッドの中での観察も充実してきている。

私の場合、障害が左脚にあるので、観察していると、左脚/足が揺れ動きながら、調整が進んでいっている。今でこそ、この揺れ動きも随分となめらかになってきたが、観察を始めた頃は、動きも荒っぽく、蹴る動作が多分にあった。気功では、この動きのことを自発動といわれる。瞑想とか、静気功の空間で、“心が落ち着いてくる”と、日常生活の空間から潜在意識の空間へ入るといわれる。その時自然に起る現象で、意識していないのに身体が揺れうごことがある。これが、自発動である。人によると自発動が起らない場合もある。気を感じない人もある。大事なことは、“気を感じる”ことではなく、練功による効果/結果である。(“感じる”ことは、計りやすい目安になる、利点はある。でも、こだわるのは禁物である。)

私は、毎朝“息のあり方”を観察することを主としているが、その空間で自発動がおこる。二ヶ月前のあたりでは、起き上がる前の頃/観察が終わる頃には、特に左脚に汗をビッショリとかいていたこともあった。

今年にタケシ先生が主宰する[平成教育委員会]の理科の問題で、
ガラスコップに入れた水を真空にできるガラス容器にいれて、空気を抜いていき真空状態にすると、その水はどのように変化するでしょう。というのがあった。

真空にしていく過程で、まずは水が沸騰してきて、水蒸気となり蒸発していく。ある程度蒸発すると、今度は凍ってくる。

これが、気の現象である。観察中に細胞が圧縮されてくる。圧縮されることに於いて、熱を発する。その結果が汗である。私の場合汗をかくのは、ほとんどは左脚であるが、それと同時に全身はポカポカとしてきて、丹田に凄い圧力を伴う。丹田に圧力が伴うのは、呼吸そのものがどちらかといと、長呼短吸であること。

しかし、この現象は意識してそうなっているわけではなく、[放鬆・入静・自然]を定義として、ひたすら観察をしている空間で起る現象である。毎朝起る現象も正確/的確にいうと、常に新しい現象である。

“私のリハビリ”と題してはいるが、特別に障害のある場所を意識しているわけではない。なのに、左脚は、時間はかかっているが、確実によい方向に向っているのである。

この話の続きは、次回へ、、、、、

わたしのリハビリ

今の私は一見、何の不自由もなく生活しているように見えると思います。そして、それは私だけではなく、他にも何らかの障害を持ちながら、闘病生活を送っている方、突然にして今までの生活を改めなくてはいけない立場に置かれた方、そしてどのようにその環境に対応してゆけばよいのかを模索している方も、おられると思います。私もその一部として、少しでもお役にたてばと、このシリーズ“わたしのリハビリ”を立ち上げることにしました。

私たちは、“いま・ここ”を体験している刹那に色んな次元を経験しているのだと思います。観える範囲は人それぞれなのでしょう。気を感じる度合いが上昇する段階に於いて“必然”という言葉がより身近に接近してくるような気もします。[気と気功]の観点では、まず“宇宙の全ては気から成り立っている”ことを定義として始まります。私も三年経過のちの、今年に入って著しい体現を始めています。

私のリハビリには気功が土台となっていますが、私の体験/体現していることは色々な観点からも説明で切るものだと思います。また、それを願っています。ここでは、できるだけ気功という言葉を使わずにリハビリの“こころ”に迫っていきたいと思います。

日本の武道の三要素として取り上げられるものに[調心・調息・調身]があります。この三つは孤立したものではなく、お互いが共鳴しながら練り上げられていくうえで、武道のこころと育んでいくそうです。そして、熟練された方のお話を聴いていると、よく表現される言葉に弛緩、柔らかさ、緩みなどがあります。

武道でなくても、他のスポーツでも言われることです。イチローは、只今大舞台で活躍しています。相撲界では、朝青龍の活躍(日本人ではありませんが、彼の相撲をみていると、ただちからが強いことだけではなく、技に軽やかさ、速さ、弾みのようなものを感じさせます。私の太極拳のマスターは、組み手/推手練習の時技をかけてくるのですが、とても優雅でかけられた側も、気がついたらドスン、、、)


覚えている方もいらっしゃるとおもいますが、1984年ロスアンジェルスで行われたオリンピックで活躍したアメリカの選手でカール・ルイスがいます。

http://en.wikipedia.org/wiki/Carl_Lewis

陸上競技の短距離選手として、たくさんの金メダルを獲得しました。そのころ丁度ビデオ録音の昨日にスローモー機能が可能になっていました。

私が知りたかったのは、なぜカール・ルイスがずば抜けて速いのか、それもテープを切る頃になると他の選手はスピードが落ちてくるのに、彼だけがスピードを増すことができる、、、、、

オリンピック選抜予選、決勝の様子を釘ずけになって見ている私。彼は淡々と走っている。特別にガンバッテいる様子もない。走り終えても、涼しい顔の表情。録音して、何回も何回も見る。色んな角度から点検する。

分らない、、、、、

まず、下半身の動きを注意してみる。特別に他の選手に比べて違いはない。

腕の動き?、、、、、ここでも特別に注目することはなかった。

でも、分らない、、、、、

と、思いながら見ていたら、突然観えてきた!



顔の表情。

テープに近ずくにつれて、カール・ルイスだけに、大きな違いが浮き彫りになる。

他の選手は、テープを切る頃には、顔の筋肉に凄い緊張感が生じている。

カール・ルイス

スタートをきって、テープに近くなる程

顔の筋肉が現在進行形に弛んでいっている!

そう、ほほの筋肉が“勝利ダンス”をしているのだ。

踊っているのだ!!


その時から、“緩むこと”の大切さの探究の旅が始まりました。そして、気功に巡り会うことに於いて、その謎を解くカギをみつけることになります。

如何なる分野から追求しても[放鬆・入静・自然]でいわれる放鬆、つまり緩めること、或いは緩めていくことは、共通の接点ではないかと思います。

さて、これがどのように、私のリハビリに影響を及ぼすかのお話を進めていきます。

コメント、反論、全て大歓迎です。お互いに学びましょう。そして、一日も早く健康の快感を味あいましょう。