気功の応用編:緩めること<>力を抜くこと

テーマ:
drum sticks



私は若い頃、結構ドラムにハマッていて
朝目が覚めると、もうドラムスティックが掌に
そして、24時間 頭の中はドラム、,,ドラム、,,
ご飯を食べててもお箸が、ドラムスティック


にも、かかわらず一つの大きな壁にぶつかっていて
結局、その頃はその壁を破ることは出来なかった
普通の演奏には困らなかったけれど
でも、自分の中では、いつもそれが気になっていて、、、

2年前だったかな
フッとドラムが叩きたくなったので
スティックを買って、練習し始めた
その頃はもう気功をやっていたのだが、、、
結局、左の手首を痛め、その激痛のため
東洋医学の先生にお世話になった。
その時、自分はダメなんだな、、、と諦めました。

なのに、バカだね。
最近 YouTube で、色んなビデオをダウンロード
できるようになった。再び好奇心に取り付かれて
サーフィングしていたら、ドラムの練習用のビデオを見つけたのだ!!

以前,叩いてた頃より、テクニックにも磨きがかかり
その頃は、解明されてなかった奏法も科学されて
その感覚をつかめれば、誰だって“壁”は破れるようになった

だから、このバカも再び遊び感覚でスティックをにぎる。
練習する時に、気功空間にトラバーユする
[放鬆・入静・自然]

とにかく、力/りきみを抜いて,ぬいて、抜きまくるんです
その継続、,,
気功で錬磨している観察力を生かして
ひたすら、観察するんです、、、筋肉が力んでいないだろうか,,,
手首から肘へ,肘から腕の付け根へ
腕の付け根から、肩甲骨へ、、、上半身、,,
腰、,,下半身、,,足まで、,,
で、大事なのは頭の中も緩んでいる,,,
頭の中が緩むには、首筋が緩んでないといけないし,,,
首筋が緩んでいることは,,,顔面の筋肉/神経も
緩んでいる,,,ハズだ。

その弛みは、総合的なものである。
すると練習している空間で、少しずつだが
微妙な変化が起っていくのが感じられる

ものを科学するって、面白いな
パカだからで切るような気もするし,,,

しかし、これはリハビリにも使えるな,,,



AD


日曜日の午前中は気功教室に通うのですが、
今朝は、メンターの S教授も加わり
内容の深い練功になりました。

あなたにとって、メンターとはどんな存在ですか?

教授は数学が専門分野ですが、物理、哲学、化学、
などの研究も進められている方なので
ものの見方がとても寛大です。
お話に広がりがあり、固定/定着した考え方に
なり始めると、知らずしてペンペンしてくれます。

今日は北朝鮮の核実験のあり方について少しふれたのですが
ものごとが押し進められるとき、如何なることでも大事なのは
双方に取ってベネフェットのあるものでは行けない。
言葉、物で暴力を振るうのではなく、穏やかに平和を
感じられる方法を常に検討していくべきである。
私達が共有している宇宙/世界は基本的には調和されて
いるはずなので、視線を常にそこに向けることが大事である。

私達が行っている気功とは、自然治癒力を高める要素も
あるのですが、その根底には宇宙はどのように繋がっているか
それと、どのようにして調和をたもっているか、、、
心身を少しずつ緩めながら静けさを味わい、より自然な
アプローチで体観していく、、、

社会的に大きな問題になる前に
私達、個人が気がつかなければいけないことが
あると思うんですが,,,



AD

“静かな空間” と [奥の細道]

テーマ:
芭蕉
(写真:ネットで拾い候。 Thank you!)



おくの細道、,,といえば芭蕉ですよね
弟子の河合曽良を伴って、東北への旅
約150日間で600里ほどの道程を
俳句で表現していく

気功空間は、観察する心が感覚を養ってくれる。
その感覚を養うには
焦らず、全てを任せ自然なる変化を
ひたすら他人行儀に、な~んとなく
ぼや~んと観察しているプロセス中に
微妙なる変化に気がつくことである

観察の数を重ねるごとに、“気ずき”の量も増えていくこと勿論
それも、徐々に、徐々に荒っぽい感じから
繊細な現象/体現へと変化していく

芭蕉が知らない国,東北へ旅したときも
未知の世界への発見は、新鮮なものであり
心に様々な形に響いたであろう

気功に限らず
ものを探求していくことは
とらわれることなく、かたよらずして、
こだわることなく、ひたすら観察することにおいて
ものの変化の有様に気ずくことであろうか

気功空間とは
昔風の日本のお家のようなものである。
仕事なり外出から帰ったとき
シャレタお家なら表玄関の戸を開ければ中庭
という別の世界が広がっていく
内玄関にたどり着くまでには、
ガサガサしていた心の中も和らいでくるだろう
履物をぬいで、座敷の匂いをかく頃には
心身ともに静けさに同調しているだろうし
ま、その上畳にしかっと坐るならば、、、

文明が進めばすすむほど、めまぐるしい
日常のリズムに心身ともにすり減らしていくこと多し

日々の生活で、せめて20分程の“静かな空間”を
味あえるならば、、、



AD


最近のニュースを見ていると、
ま、はんざい、ハンザイ、犯罪の渦ですワ!
なんとか、ならんもんでしょうかねぇ~
何が、原因なんですか?
誰に,罪があるんですか?

そういえば、最近“道徳”とか“躾”だなんて
あまり耳にしないですねぇ~

外見をみると、なんだかとても奇麗に見えるんですけど,,,
でも、仕草をみていると、な~んとなくギクシャクしてるように
感じるんですけど,
柔らかければ、ヨナヨナしている感じ、,,

“力を抜く”、、、だなんて一口で言うけど
頭で分かってても、意外と身体で表現することは
別問題なのかしら,,,

多分一時的に“緩める”のと
手間ひまかけて緩めることが熟成されるのには
隔たりがあるのかしら,,,

ところで、養殖された魚と
自然海でとれる魚では味も
比べにも鳴らないものが、あるそうですね

自然海にもまれて大きくなった魚は
色も鮮やかだし、形もキュッと閉まっていて
とにかく、食べても歯ごたえはあるんだけど
硬い、,,のではなくて“柔らかい”んですって、、、

脳みそも、このようにして鍛えるのかなぁ~,,,



全てはいい方向に進んでいる、、、

テーマ:


って、励まされたことありません?

私も頭の中では分かっているつもりなんですが
なかなか腑に落ちないんです、、、

でも、最近その糸口を掴んだんです
と言っても、ただ私がそれに気がつかなかっただけなんですけど。

私は気功をやり始めて、今月は6年目に入るんですけど
師は、継続することにおいて
道中にたくさんの small wonder (微妙な変化)に
でくわす、、、と言われています。そしてその
些細な微妙な変化の積み重ねが、やがて
おおきな奇跡(great wonder) を生み出すと
教えてくれています。

気功の練功中に、フッと微妙な変化に気がつくことがあるんです。
いままで、見えなかった部分、感じられなかった部分が
“フワッと緩む、、、”という感覚的な体現から少しずつ
レベルが上がっていくと言ったらいいんでしょうか。
ホントに微妙なんです。カンの世界とでもいいましょうか。
ただ行っているのではなく、観察するんです。
手間ひまかけての空間なので
阿呆でなきゃ、できませんヨ。

練丹とも言われますが
とにかく時間を惜しまず、焦らず、目先の結果にとらわれず
ただ、ひたすら継続するんです。根気いりますねぇ。
お金で投資という手もありますが、
これも人生への投資でしょうか。

継続することで、
「全てはいい方向に進んでいる」ことが
お腹のそこに響いて来るようになるんんです。

継続は、アヘンにも勝る、、、、、、、!?!!、、、?



無極<静・動>太極、全ては、、、

テーマ:
太極シンボル
(写真: ネットで拾いました。 ありがとう。)



静から湧き出る動

動中にひたすら見つめる静

まず、“静かな空間”を味あうことに
ゆっくり、時間をかけて旅をすることですネ。
とても、時間のかかる作業ですが
焦らず、現在進行形に静かになっていく空間を観察、、、
ひたすら、観察

動かそう、、、とすると頭を使うので
気をお腹へおろす訓練をすることです。
時間をかけて、ゆっくりと降ろしていくと、
いつとはなく、丹田は気海にクッキリと現れ始めます。

気というものは、とても我がママッコ、言うなれば
“マイ・ウエイ”を貫く存在です。
自我的に動かそうとすると、そっぽを向いています。

丹田に用意ができると、自ずから自然な動きを
生み出してきます。

“動”が空間に漂い始めると、
あとは、意念で観察します。

静と動には、隔たりはない
静かになればなるほど、内観すると
ダイナミックな空間が広がっていく、、、





気功の素晴らしさは、求めずして知らない世界が開けてくる,,,
それも、いま・ここ にいる自分の居場所がそのまま
深さを増してくる?

気功の空間は頭で考えるスペースではなく、感覚の空間である
観察する空間である  とてもサイエンティフィック
アホでなければ、バカらしいことかもしれない

庭石に雨が降る度に雨水がポトン、、、ポトン、、、、、ポトン
時は過ぎ、春が来る,,,夏だ!、、、もう秋かぁ~,,銀色の世界
そしてまた春がやってくる、、、、、、、

庭石に歴史が刻み込まれている
自然はひたすら、陰陽のリズムを繰り返す

意識をしなくても、息をしている 私
とても簡素なリズムで
なのに、念じて観察をすると
そこには、今まで気ずかなかった空間が開けてくる

呼気と吸気だけなのに
毎回,まいかい、未知の世界が開けてくる

でも、待てヨ!
時には、とても愛おしく感じることもある
時には、な~んとなく、見覚えのある雰囲気に出くわすこともある
突然、何かが中心に向かって、沈んでいくような感覚が芽生えることもある
不意に“自分”が、大きく、おおきく、広がっていくような感覚が生じたり

とてもたくさんの感覚の変化が展開される,,,
にもかかわらず、それを静かにジ~ッと見つめている
もう一人の自分がいる

こんなバカなことを、来る日も、くるひも、やってるうちに
フッと気がつくと
より柔らかく、いたわるように、もの/ものごとに
アプローチする自分がいる。

心地よい空間は優しさを生み出し、自分の存在と
そのむゎりを温かく包み込んでくれるような気がする,,,

今日も、そう感じた
朝日が昇ると、そこには
いま・ここ という新しい世界が手を差し伸べてくれる



あなたは、筋肉派、、、それともスジ派?

テーマ:


大体において、スジ派の人は
身体が細いような気がするんです。
その身体から、どうしてそんな“ちから”が出るんだろう,,,
てな感じ?

筋肉派の人は、見るからに“力”が、ありそう
なんとなく、頼りになれそう,,,みたいな?

スジ派のひとは、筋肉を緩めながら“ちから”を蓄えていきます
筋肉派は、筋肉を緊張させながら“力”をつけていきます

先日、紹介した黒田鉄山氏によると
筋肉を使ってたんじゃ,反射神経にキレがない
スジを使うと、スピード感が養われていく、、、

気功は、緩めること、,,を主旨としているので
今まで,筋トレしてたとしても、徐々にモリモリがなくなってくる
緩めることを継続/観察していると
緩める,,,っという“念のちから”が強くなってきて
念ずることが、そのまま“ちから”として現象化されていく、、、

フワッと“力”を抜いて、イマージュの念で野菜を切ると
包丁はスパッと動く,切れ口がとても奇麗。

名刹の両側を持ってもらって、割り箸でスパッ!
イマージュと念、,,

スジ派のひと?
イチロー とか タイガーウッズ、、、
ブルースリー、、、和洋折衷?



7・61・7・61・7・61・7・61・7・61・7・249・7・61・7・61・7・61

これ、なんだか分かります?
私の気功空間を数字で表したものなんです。
この数字を全部足すと、練功中の息の数になるんです。
そうなんです。息の出入りを793回、数えることになるんです。

数息観って、ご存知?
気功には、数をかぞえながら進めていくものもあるんです。

そして、イマージュをもって、進めていくものもあるんです。
同じ数字の並びが8回,それから途中に並びの違いのある空間が一つ。
全部で九つの空間をトラバーユしていきます。

手慣らし/雰囲気作りの初段階から最後の9段階まで。
ゆ~っくり、ゆ~ったり、し~ずかに、や~さしく練功すると
大体1時間半ほどのトラバーユです。

なにを、イマージュするかって?
母を想い、父を想い、最後は自分のなかに
と~っても古いもの/歴史あるものを想い浮かべながら
進んでいくんです。

練功空間は、潜在意識圏内をトラバーユすると言われますが
この現在進行形に静かになっていく空間で
生まれて今までの自分の歴史が整理されていくんです。
それは、心身の調整として現象として現れてきます。
いや、自分の歴史、,,さらに遡るのかな,,,
一つ、ひとつ、今までバラバラになっているように
見えていたものが、少しずつ繋がって見えてくるんです。

色んな現象があるんですヨ。
温かくなったり,冷たくなったり
咳が出たり、オナラがでたり、あくびが出たり
痒くなったり,悲しくなったり、嬉しくなったり
身体が揺れ動く自発動だったり
音が聞こえてきたり,イマージュが湧いてきたり
すっごく汗をかいたり

見てて、美しい、、、とは言えませんが
蓮の花は泥沼に咲いていることを想えば
な~んとなく、納得はいくような気もしますが、、、

数をかぞえるのも呼気、吸気をそれぞれ数えたり
ある段階では、呼気だけをかぞえたり
吸気だけをかぞえたり

でも、要素はひとつ、
[緩んでいくこと・静かになっていくこと・自然であること]

言葉に表すとキリがありません、、、
私の息のとまるまで、観察していきたいです,,,



黒田鉄山
(写真:ネットで拾いました。 ありがとう。)



“力を抜く”ことが、タコのようにフニャンとなることではない、、、

と、よく聞きますよね

黒田鉄山氏という、武道家がいらっしゃるんです。
面識はありまでんが、時たま買う[月刊秘伝]に
インターヴューの記事を載せてることがあるんです。

通常“力”を発揮する時って、筋肉を使う,,,て言われますよね。
でも、筋肉を使うと、動きは鈍るんです、冴えがないんです。
氏は「筋/スジを使うこと、,,」を述べています。

これは、別に武術、スポーツに限らず
全てのことに言われるんじゃないでしょうか。

黒田氏は、若い頃は運動神経が他の子供に比べて劣ってたそうで
運動会などがくると、悩みの種だったそうです。
でも、それが結局はいいことだったと、仰られています。
“力”と“ちから”は、似て非なるもの。
力を発揮出来る人は、筋肉隆々です。
“ちから”を発揮する黒田氏の脚は女性の脚のように
ほっそりとしてるんですって。
「筋肉を使わないので、よけいな筋肉が取れてしまった,,,」

骨組みのないタコが踊りながら、凄いちからで巻き付いてくる
生まれたばかりの赤ちゃんが、私の手をギュッと握ってくれる

緩めること・力を抜く、、、これは知識で得られません
さ、仕事だ、しごと、、、動くこと

静の中に動あり
動の中に静あり