老いてく親、認知症への理解

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今日の「企画コーナー」企画コーナーで取り上げられていたトピックなんです

主人がなくなってから、徐々に進展して
11年間介護した後、先のメドはつかず
認知症の母を殺害し,自らも自殺をはかる、、、
でも、息子は
「なぜ、自分は生き残ったんだろう,,,」

高齢化が進んでいる、社会での大きな問題である
しかしながら、誰だって自分の親が認知症になるとは
思いも寄らぬことであろう
しかし、人生にはそのようなこともあるのが事実だ

母は敬老ホームに数年住んでいたが
つい最近、中間介護施設へ移った
理由は、最近になって孤立した動きが見え始めたことと
老人には比較的多い、記憶力が薄くなって来たことである

ロスに住む私達は恵まれていて、
素晴らしい敬老施設があり
3段階に分かれて敬老ホーム,中間介護施設、
ナーシングホーム、それに認知症介護施設がある

しかし、それは限られた人数なので
日系社会のほんの一握りの人が恩恵を受けることになる

記憶力を失って行くのも段階があるらしく
素人にはとても難しい問題でもあり
ましてや、肉親になるととても複雑な感情にとらわれるので
適切な介護は金銭的にも、精神的にも大きな負担がかかる

私達,親子も看護士に中間介護施設をすすめられた時
抵抗力があった

自分の親が、少しずつだけど老いて行く姿を受け止めながら
いざそのように指摘されると、それを認識しょうとしない心
はっきり言って、とてもイヤな気持ちであった

ものごとって面白いもので
専門家にそう説明されても、頭で分かっていても
分かっていない、あるいは分かろうとしない部分があり
判断,決断に足が重くなることがある

しかし驚いたことに、いったん中間介護施設に入ってみると
看護士に説明されても見えなかった部分が、見えてくるのである

母、本人は記憶力が薄くなって来ていることには気がついていて
それでも、他人の目には“普通”であるように見せかける
このストレスが溜まり始めていた
なので、介護施設に移って、まず最初に感じたことは
肩の重荷がとれたような感じ、,,偽らなくてもいい自分
孤立して行き始めた,性格も引っ越して2ヶ月足らずになる
今では、以前よりも朗らかになってきた
気が楽になって来たらしい
同じように、私も再び母を穏やかな気持ちで観察出来るようになった

私達は、ラッキーである
しかし、今日のこのようなニュースを見ると、心は痛む

一生懸命に親孝行して尽くしても
解決の道が見つからないケースもたくさんある
これは、アメリカでも言えることである
現実は厳しい

助けを求めても、糸口が見つからないことだってある
私も、いまだに“愛の手”が差し伸べられる条件が
何であるか分からない
それは、目に見えない“イト”のようなものかも知れない
ただ、その恩恵を受けることが出来るならば
理由はいらない、素直に感謝することかなぁ~っとも
思ったりするんですが,,,

ま、今の社会
自分の求めている助けを出来るだけ具体的に表現することも
大切なのでしょうか。そしてネヴァーギヴアップ!
色々な角度から追跡して
色々な言葉で表現してみる,,,これも大事でしょうか

老いたる親を持つ子としては
ホントに考えさせられる、問題です

 ~御陰様で、母は記憶力が弱くなって来たものの、まだ日常生活には
     あまり不自由を感じていません。多分それは施設での集団生活の中で
     たくさんの看護士、ボランティアーに囲まれて、常に温かいふれあいが
     あるからだと思います。母がこのような恩恵を受けることに巡り会えたことに
    私達夫婦、そして母ともに感謝しています。 有り難しことなり。~



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いつかは咲く、 この世の花

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生きている以上、人生の中でパッとなりパ~ッと
開花したいという想いはあるでしょう?

以前、私はな~んとなく
“花は咲く。早咲きか、遅咲きか、それとも可愛く開花、大きく開花、、、”
と言ってたものですが、だんだん歳を取り
振り返ってみると、なんだか自分は一生咲かないのかな、、、
と悲観的になったりすることもありました。

でも、最近は
[花は必ず咲く!]と想えるようになったんです。

それは、自分が “生きている”という感覚から
いかにたくさんの人、自然のたたずまいに助けられながら
“生かされている”ことに、気ずき始めたからだと想います。

私の母は、只今敬老ホームから中間介護施設へ移りました。
本人も私も、とても抵抗がありました。
しかし、実際に入居してみると“自然の流れ”が見えてくるんです。
私達は、おおよそ地上に降りてくると
生・老・病・死 という道程は避けられないようです。

老いていくことは、衰えていくことだけではなく
“輝き”を増していくことでも、あるような気がします。

昨日は、敬老ホームの理事長さんに、先月の途中で部屋の
明け渡しになったので、少し払い戻しがありチェックを受け取る
ために事務所を訪れて、お話をする機会がありました。

母はとても社交的な方なので。よく日本から芸能関係の方が
チャリテーに来られる時、感情豊かな所を見せます。
芸能人だってシ~ンとした雰囲気より盛り上がってくれた方が
嬉しいですよね。そういう意味では、母の存在は喜んで
いただけたようです。

新しい施設でも、“可愛いお母さん” で受入れられ始めているようです。
本人も、敬老ホームだと自分の身の回りのことがきちんと出来ることが
条件なので、記憶力も薄れてくると徐々に精神的にも負担が
かかり始めます。しかし中間介護施設に入ると、そのような張りつめた
気持ちも薄れて、生活が楽になってくるようです。
私とて、いずれは“行く路”です。とても勉強になります。
母、私ともにその道程を出来るだけ苦痛なく、そして“学べる空間”
として人生を経験できることは、やはり“生かされている”ことが
分かってくるからだと想います。有り難しことです。

精神的は負担を背負っていた、母に笑顔が戻ってきました。
笑顔は“輝き” だとおもいます。



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美子さんがお亡くなりになる!

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といっても、ドラマなのですけど

只今ロスでは朝の放送時間に[天花]を放映しています。

「幸せになって欲しい気持ちはあっても、何もしてあげられないワ。」

~だからその人の幸せを願いながら、一針ひとはりを縫っていくのヨ~  


痛みがあっても、その人を想いながら仕上げていく着物、、、



私の母も、年々背中が丸くなってきている
私はなにもしてあげられない、、、

せめて、会った時には、、、と思い
身体をマッサージしてあげる、 何も考えなくてもいい
言葉もいらない  ぬくもりが伝わってくる 脈も聴こえてくる


妻君をマッサージする時もそのような気持ちで、、、
せめて、私に出来ることは、、、



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じんせいとは、、、運で繋がっている?

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私は、散々 親を泣かしてきた どうしようもない息子

でも、人生って分からないもんですね

そのどうしょうもない息子が若き日のある日
突然馴染めないアメリカを脱出してヨーロッパに
留学を宣言する。 もう、それはそれは親の猛反対lを
押し切ってのわがままっであった。

で、帰国するとそのままロスアンジェルスに住まいを
構える。 それは、それは、親を再び悲しませることになる。
(親から、できるだけ離れたい想いでの我的決断なんだけど、、、)

でも、その悲しませたことが、最終的におふくろの幸せに繋がるなんて

おふくろも波瀾万丈の人生を送ってきた
ロスで生まれ幼い頃日本へ帰り、日本の教育を受ける
結婚すると満州へ移り、とても優雅な生活を送る、、、だが
戦争を境に終戦直後に日本へ引き揚げる。
主人は招集命令で、命を落とす

再婚した主人の要望で再びアメリカの土地を踏む。
オレゴンに住んでいたが、交通事故にあったことが期で
主治医に一人で住むのは無理と判断され
即座ロスアンゼルスへ引っ越しすることになる。

敬老ホームにお世話になっていたが
今回看護士主任に協調性がなくなって
孤立し始めたことから、中間介護施設に移るよう
言い渡される、、、

親と息子ともに、予期はしていたが
その日が、こんなに早く来るとは思っていなかった
ためらいの中で判断を急がれた

おふくろ本人は、同じ敷地内にあるお隣の棟に
歩いていったら良いだけだが
私は、部屋の明け渡しのために先週は
仕事の後毎晩荷物をまとめに行く

私の中間介護施設への偏見
おふくろの“まだ自分で身の回りのことは出来る”というプライド

しかし、移ってみるとそこには新しい可能性と
より私達にとっても良い環境が開けたのに気がつく

人生の流れって、分からないものですね
なにがいいやら、わるいやら、、、

全てはいい方向に進んでいる、、、
って言うことかな

何かの縁で、見えない世界で動いているものがある
もがいていようが、努力していようが
なまけていようが、常に動いている何かがある
もしそれが感謝出来ることなら、
感謝出来る方向に進んでいるのなら


ただ、

「ありがとう」  をする


目に見えない所で動いている、、、

これ、運というものなのだろうか、、、



“大地へ帰依する”に向かっている人

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おふくろは、敬老ホームで楽しい生活を送っている、、、

年老いてくると、自分の頭で考えることと
動作にギャップがでてくるようだ。そしてその幅は
徐々に大きくなってくる可能性は多分にある。

以前から看護士に
「あなたのお母さんは協調性がなくなってきている、、、」
と聴かされ、敬老ホームから中間介護施設へ移る利点を
お話しされた。

遂にその時が来たようである。
施設に移るにもタイミングもあり、丁度入居する予定だった
方が、急にキャンセルされたので、知らせがあった。

土曜日の朝早く電話のベルが静かな空気を突き刺すような音
出勤の用意をしていた時のことである。

わたしは、土曜日はお仕事なので、お客様の間にフッと息抜きする
空間で、色々複雑な想いで今朝の電話の内容がイマージュされていた。

親も子も複雑な気持ち、、、
仕事が終わり、帰宅する前に敬老ホームに立ち寄りそのことを
おふくろに伝える。

おふくろは敬老ホームでの生活が凄く気に入っていただけに、、、
それと自分でも記憶力が薄れてくることに気がついている自分
それを一生懸命カバーしょうとする自分
(御陰様で、おふくろは今まで病院にお世話になったことのない
 とても健康な人生を過ごしてきた。又それが自慢でもあった。)
中間介護施設への偏見(これはわたしも含めてのことだが)。

そして、日曜日は“母の日”
おふくろの好きなお寿司を妻君の3人で食べに行く。
お互いの目を伺いながら、例年より深い想いに包まれて
ひそやかに、とても美味しかったお寿司をいただく。
食後、妻君のはからいでお茶をしに行く。
色んなことがわたしの頭の中をよぎる、、、
複雑な想いの中での食事だったが
でもお互いに「ありがたい、、、」という空気に
包まれた、なんとなく温か~なひとときであった。

月曜日は、例の如くおふくろと出掛ける火なので
到着すると、洗濯をしながら敬老ホームの看護士
施設の看護士などとより詳しい事情をききながら
おふくろに最も良い案を思惟する

午後4時に入居する前に面接が予定され、その前に
昼食をするのにドライヴをかねた外出をする。
(施設に適応しないケースだと拒否されることもある、、、
 というか、もし状態が重いようであれば、ナーシングホーム
 或はアルツハイマー用の施設への可能性も、、、?)

今日の、ドライヴ/ランチはお互いに口数の少ない
何かあるような、ないような空間をみつめた感じであった。

御陰様で、面接もそれなりのベースで進み一応
受入れられ、一週間ほどの観察を置きどの程度のものか
を調べるそうだ。ラッキーなことに施設は敬老ホームと
同敷地内なので、環境などはあまり変わることなく
おふくろも馴染むのに比較的に楽だと思うのだが。

面接が終わると手続きを行う
スタッフの数名の紹介とともに施設の規則
支払い方法などを学ぶ。
おふくろは社交的な所が多分にあるので
スタッフの方達も好感をもって話は進んで
行くように見受けた。

スタッフの中には、こちらの大学を卒業して
ソーシャルワーカー(Social Worker)の道を
目指している女性のS子さんがいる。

日本ではまだこのお仕事は新しい分野で
もう2~3年は研修を続けて経験を積むそうだ。
この敬老ホーム、中間介護施設、ナーシングホームなどは
アメリカでも高い評価を得ているし、日本からも
研修/視察に来られることも多い。
あしなが育英会から毎年学生が研修に来ることでも
知られている。





 

、、、そのように感じる。 これって錯覚なの?

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多分何事に対しても、言えることなんでしょうかねぇ、、、
最近ね、私の前を通り過ぎる人、
すれ違いする人の瞬間に、フワ~ッと温かさを
感じることがあるんですヨ。
その都度「オヤッ!」と思うんですけどね。

昨日は、母を新しいお医者さんへ
連れて行ったんですけど
待合室で、順番待ちしていた時にね
気がついたら指先/つま先から全身に向けて
ジ~ンとした何とも言えない温かさに
包まれてくるんですよ。
う~ん、そうだね、まるで温泉につかっているみたいな?

実は、以前お世話になっていたお医者さん、
私達患者さんには、ニコニコ顔でいい感じもするんですけど
従業員、特に女性に対しての態度が凄いんですよ。
と~っても、イヤな感じがしてたんです。
それで、母を診察する時に、とてもネガティヴな言葉を
出して、まるで「貴女は、病気なんだゾ!」みたいな
脅し文句?

それで、今回いさぎよく、お医者さんを変えることにしたんです。
ま、ビルも新しいこともあるのか
オフィスに入ると、もうすでに明るい感じなんです。
で、先生にお会いするととてもニコニコ顔でね
言葉の弾みが明るいんです
それに従業員の方も、明るい感じなんです

最初の訪問なので、母の履歴書などを書き入れたり
新しい保険の志願書など、、、色々と質問しながら
書き入れたんですけど、
その内になんとなく温かい気持ちになり
そして相手方もそのように感じているのかな~っという
ふうに受け止め始めたんです。

以前のお医者さんのオフィスでは、なんだか全てが
冷たく感じたような気がします。

新しいお医者さんが
「前は、どこのお医者さんに行ってたの?」

私:「##先生にお世話になっていました。」

新医:「どうして、こっちに移ったの? ##先生
     いい先生ですよ、、、」

私:「私達には、ニコニコ顔なんですけど、なんだか従業員への
   接し方がイヤな感じなんです。」

新医:「、、、、、、、、、」

で、ポツリと言われたことが
「最近、##先生のこ所から、移ってきてる方多いんです。」

お医者さんに行ってまで、暗~いイメージ欲しくないですよネ。


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,

やさしさ/おもいやり、、、

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皆さんも,同じ経験はあるでしょうか

老いたる親をみてて、若き日のふるまいからは
想像がつかないくらい

特に,ついさっきのことを覚えていない
強情で、言い訳が多い、,,

普通のことなら,聞き流しするのだが

したらいけないことを、
いくら注意しても、し続ける、、、

その、言い逃れは
「最近は、よく忘れる,,,」

「他の居住者もしているから,,,」

敬老施設に入居している母は、室内での洗濯は禁じられている
というか、排水管が詰まるので、洗濯質でする規則がある

これを、いくら説明しても
したらいけないことを、毎日族けるのである

私の祖母、つまり母の母はアルツハイマー病で
家族を困らせた

私が心配だったのは
実際にアルツハイマー病の症状なのか
それとも、自分勝手の都合/好みで

聴いても,聴かぬふりをしていたのか
合図値だけをうったり、聞き流しをしているのか

つい最近は、洗濯すると
毎週楽しみにしている月曜日の外出にもストップをかける
その状態がほぼ2ヶ月ほど続く、、、
条件付きの強制のようなものである
とても切なくて、可哀想な気もする,,,
しかし、ものごとには確認しなければいけないことだってある

その母が,今週は一週間分の洗濯を
洗濯袋に溜めといてくれた

思わず
「ありがとうね。今日は、外出するヨ!」と
背中をなでながら、私の嬉しい気持ちを伝える

来週も、洗濯物溜めといてくれるかな、、、


そういえば、今日は木村佳乃さんがゲストで、、、
とても明るくて、ハキハキとしていて
センターで分けた、あの長い髪の毛が
キリッとした顔の輪郭を、素敵にフレイムしていた



感情高ぶる私と、違う層に在する  おふくろ

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多分,皆さんも老いたる親にそのような想いを,,,

したらいけないことをする

注意する

分かりやすく、かみくだす、、、


その時は、分かっていても 

記憶が 走馬灯のように彼方へ



母は、とても言葉の巧みな人

ボケてはいません!

記憶能力が、衰えてきているだけです

長年積み重ねた  思考力に基ずいて

判断しているだけなんです



人間としてのプライドもあります

だから、自分の欠点をカモフラージュする

テクニックを備えています。



でも、私が説明していることが、分かりません

分かろうと、しないのかな?

とにかく、毎週おなじ会話をくりかえします

時には,疲れます



でも、気がついたことがあるんだ

この問題がネガテイヴではなく

私/私たちに与えられた課題、、、


私の活動する領域  おふくろの領域

おふくろには、もう必要とするものは 数少ない

シンプルライフ

私は減税進行形に シンプルライフに向かっている



規律と道徳

ものごとの発端は、  自分の部屋での手荒い洗濯は

禁じられている  排水管を塞ぐので,,,

おふくろ  「(靴下)匂うので、手洗いする,,,」

私の小さな脳みそを悩まされる,,,


同じ“現実”に 在しながら、、、

層の違い?

あるんですねえ   

頭では考えきれない   矛盾が,,,



数字で割り切れない  世界が

親を 大人になった子供の観点から

科学  している  わたしが  居る


さ、 今日は月曜日  これから

おふくろ  と   行動が

コミュニケーションが 始まります



今日は、楽しめるかな?!、、、

老いては、子供に従う、、、

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年老いた親を持つ、あなたにも、、、、、

なのでしょうか。


只今、洗濯の問題が浮上しています。

敬老ホームというコミュニティに住んでいる母には、洗濯は地下の洗濯室で洗濯機を使って洗濯する
ことが、規則として義務つけられています。

確かに、母は、記憶力は衰えています。

ある時、看護士から母は自分の部屋でお洗濯をしていることを注意されました。

母に、そのことを優しく、言い説かせる。すると、納得がいく。

でも、問いつめると実際には自分の部屋で手洗いしている。

看護士に問い合わせると、母は、息子のお家にいった時、洗濯をしてきている、、、、、と伝える
そうだ。

看護士は、母に洗濯機の使い方が分らなかったら手伝ってあげると、手を差し伸べたそうだが、
頑固と断り、“息子のお家で、、、”説を貫く。

で、私が母に問い合わせると、看護士が「細かいものはお部屋でしても、大丈夫ですよ。」と言われたと
この説を貫く。

母の、説得力はたいしたものである。ついつい、私の心も動いてしまう、、、、、
どころか、どちらが本当のことを言っているのか、迷いが生じる。



このパターンが2ヶ月程続いているのだが、先週つきとめたことは
まず、母は今まで通り自分のお部屋で洗濯したい、、、、、1)これが、もっとも気楽なのである。

2)お金を入れて、機械を使うことに、自身がない。

3)人前で、恥をかきたくない。

4)看護士は手伝ってくれるというが、あまり迷惑はかけたくない。



そうです。もし自分の部屋でお洗濯したかったら、させてあげたら、いいじゃないですか。

でも、規則は、物事ができるだけスムーズになされるように、できているはずだ。

お部屋での洗濯は、水管を詰まらせるので、この規則はできている。


これを、母にいくら説明しても聞こうとしない。
「忘れた/覚えていない、、、」フリをするような気がする。

そこで、今日は一つの大きな手段に移る。

看護士さんに、前もって電話を入れ母に
「もしお部屋で亜洗濯をするのであれば、敬老ホームから立ち退いて頂くのは、やむをえない、、、」
と、告げて頂くようにする。

案の定、母は看護士に電話をかけたらしく、看護士からそのように告げられる。

毎週月曜日は、普通ならば母と昼食に出かけるが、今日は特に私の雑用も多かったので
洗濯機の使い方を、二人で確認する。当分、母が使い方を学ぶまでは、
外出は出来ないと、伝えておいた。

兎に角、気楽に自分のお部屋で洗濯すること=部屋からの立ち退き

と、知って今日はいつもより腰を入れて、洗濯をする、母がいた。



きちんと、ノートを取って、順序を覚えようとしている。もう、自分の命に関わる問題である。
本気で学ぼうとしている。

クイズをしながら、母の記憶力をチェックするのだが、
洗濯機に洗い物を入れて、その次に洗剤をいれる、、、、、ことすら頭に浮ばない
少しヒントをすると、“洗剤を入れる”が、思い浮かんでくる、、、、、

母は、機械に弱いことは承知である。
しかし、その前に先入観で「自分は機械に弱い、、、、、」と思うと
思考力がブロックされる、、、、、ということが、分かってきた。

洗濯機が、39分。ドライヤーが、45分。
最低2時間ほど洗濯の時間をさけておくことが必要だと、これは母が計算して
自分に言い聞かせていた。

帰宅する前に、いつものようにマッサージをしてあげ、私は帰宅する前に
買い物をする。


帰宅して、この記事を作っている途中で、母から電話。

洗濯機の使い方を学んで良かった。まだ一人では出来ないが、私が毎週月曜日に
手伝ってくれるのなら、出来るようになる、、、、気がする。

手洗いするより、とても気持ちが良い。

今まで、如何に先入観でもって怖がっていたか。

今日の決意で、少し自信がついたようだ。


私は、母と真剣に向かい合って最も良い方向を考えているつもりだ。
もし、母が自分で出来ないならば、私が洗濯をすることも出来るし、手数料を払えば
敬老ホームにそのようなサービスもある。しかし、母には為にならないような気がする。

実際、今回自分の腹をくくって洗濯機の使い方を本腰で学んだ後、電話でその心地よさと
感謝の気持ちを伝えてくれる、、、、、これが継続サれるかどうかは、もう少し時間を
置かなければならないが。

今日の時点では、本人は“洗濯プロジェクト”を、前向きに考えている。

老いていく母を持っての想い

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今週末は[やがて来る日のために]というテレビドラマが2週週末にかけて放映される。市川悦子主演の訪問介護についてが内容らしい。

私の母は、元気と言えば元気に敬老ホームでの生活を楽しんでいる、、、、、

共同生活では、ある一定の規則を守りながら生活することが、義務つけられているし、新入居者にはそのためのオリエンテーションが数週間にわたって行われる。

にもかかわらず、居住者はじぶんの今までの習慣を変えることに抵抗があり、はみ出しはしないにしろ、できるだけ自分の生活環境が心地よいように工夫する傾向がある。

母は、積極的に散歩をするし、幾つかの体操のクラスにも、出席するし、他のクラスも幾つか楽しんでいるようである。

祖母は、60代に入ると、健忘症が激しくなり、家族を随分困らせたそうだ。その頃、私たちはアメリカへ永住の目的で移住したので、詳しいことは分らない。母も、このことはいつも意識して生活してきた部分があり、自分も気をつけてきたようだ。お陰様で、83歳になる今でも、まずは普通の生活ができている。

記憶力は衰えてきているが、それでも日常の規則正しい生活の中では、まず大丈夫、、、、、と行動を観察しながら今に至るのだが、最近になってなんとなく物忘れの度合いと、記憶力の正確さに変化がでてき始めたようなきがする、、、、、そして、そのような出来事を施設の看護士から伝えられる。

入居した時の一つの規則として、自分の部屋での洗濯は行わないように言われていた。理由は、抜け出る繊維が配水管を詰まらせてしまうからである。でも、小物は自分の部屋で選択する居住者も多いことは、施設側も少し多めにみている。母もその中の一人である。自分の住みやすいお家に長く住んでいると、何事も自分に好きなようにできるし、他人に迷惑をかけることもない。気楽でもある。天真爛漫に育ちカカア殿下であった母にはその傾向は強い。

いくら分かりやすく説明しても、私はいつも施設と母の間に入って、話がまとまらない。その間も母は、自分の決めたルールで洗濯物をしていた。というか、下着のみだけど。しかし、看護士が指摘しているのは、最近の着こなしに、清潔感が欠けてきたということである。シミ、汚れがあっても、着ているそうである。

で、わたしが洋服を点検して見ても、幾つかの洋服は洗濯が必要とされているものが数着あった。母は、自分で地下にある洗濯機で洗うということになる、、、、、で実際は、自分の部屋で小物は洗濯しているらしいし、洋服は洗濯をしてないようだ。

先週は、看護士から電話があり、施設の方で、介護の一貫としてサービスを行うか、私が気をつけて洗濯をするように、アドバイスしてくれる。

問題は、健忘症が進んで、自分で出来なくなってきているのか、それともルールを無視して、自分のわがままを貫こうとしているのか、、、、、

今夜は、母と電話でお話をして、看護士からのメッセージを伝え、もし規則が守れないならば、敬老ホームから追い出されるし、そういう判断力がないのならば、介護施設に入らないといけない。

母は、敬老ホームがとても気にいっていて、自分の人生の最後の憩いの場所としている。だから、どんなことがあっても、この優遇性は失いたくない。

で、この会話が終わるか終わらないかで、電話がプツンときれる。十数分すると、再び電話がある。要件は、お隣の居住者に相談したら、洗濯機の使い方を教えてもらい、洗濯するようにしたことを伝えてくる。

老いたる親と接する時、どのように接したらいいものか、自分も模索中である。親といいながらも、もう子供と接しているようなものだ。私だって、ガミガミ言うのは、いやである。しかし、母がいつまでも心地よく長生きしてくれる事を思うと、ついつい感情が高ぶることがある。

今日の会話では、せめて母はまだまだ気丈夫であることが見えたのが、少し私を安心させてくれる。