親愛なる皆様こんにちは
中井耀香です
いつもご訪問下さりありがとうございます
今月の中井耀香金運上昇カレンダー魂ふりは
長野の「万治の石仏」の写真です。
ここは沢山の思い出がある場所です。
最初に行ったのは平成19年(2007年)頃でした。
師匠と一緒に、諏訪の地の神様を訪ねる旅を何人かでしていました。
諏訪大社を最初に訪ねたのもこの頃です。
師匠は全国に沈められてる神様達を復活させることを人知れずやっている人でした
そういう方っていつの時代にもいらっしゃるんですよね。
表には出ないですが、神人の様な人です
今もいらっしゃいます
そんな人は検索しても名前も出ないし、ご縁がある人とだけ繋がるという
そんな方です。私の審神者者たちもそんな感じです。
なのでSNSとかやったり、ブログをマメに更新する霊能者やスピ系の人は何だか違うなぁと思うわけです。
13年前に当時乗っていた私のオデッセイで福井から長野に向かって移動しました。
距離にして300㌔の運転を交代しながらやったのですが
その時の私は中距離くらいなら1人でも運転出来たので、福井を起点に岡山から長野くらいまでなら自分で運転できる人でした。
仕事が無くなったら、中距離のトラックの運転手もやれるっといつも笑って言っていました
今はちょっと体力的に無理です笑
御柱祭りで有名な諏訪大社の上宮、前宮、春宮、秋宮や、戸隠神社などに行ったのもこの時が初めてでした。
前々回の御柱祭りで使われた柱の木で作られた祈願札も頂いて、大切にお祭りさせて頂いていました。
諏訪の土地は縄文の匂いが今もあちこちに残る不思議な場所です。
万治の石仏には下社の春宮に伺った時に
何の情報もなく、立て看板を発見したので、ついでにこの面白そうな仏さまも見に行ってみよう
っと軽いノリで行ったのです
初めて生の万治の石仏を拝顔した時に、時空が歪んだ気がしました。
ちょっと変な話なのですが、平成の時代に立っている私たちの土と石仏の周りの空気だけが、時代が違うって感覚でした。
宮崎駿さんのアニメに出て来そうな雰囲気だなっというのが第一印象です
師匠が何やら呪文のようなものを唱えて「これは生きてるぞ」と話したので、その時はまた変なこと言ってやめて下さい
っと話しながら、その時はお別れしました。
その後で、写真家の方がこの石仏の首が伸びてると仰る記事を目にしました(驚
この石仏は、明暦3年(1657年)に三代藩主忠晴さんが、諏訪大社下社春宮に遺石の大鳥居を奉納しようとした時
命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れたら、その石から血が流れ出て、
驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立されたことに由来します。
血が出て首が伸びた石仏様(不思議
この石仏が有名になったのは、1974に画家の岡本太郎さんが「こんな面白いもの見たことがない」と絶賛したことからです。
『万治』は、この石仏を建立した願主が、万治3年(西暦1660年)と刻まれているので、万治時代に出来た石の仏様ということなのですね
その後、平成24年、25年と連続して諏訪に行くことがあって
その時に違う神社や場所をナビに設定していたのですが、
毎回ナビが万治の石仏を指したという事がありました。不思議
もう一つ毎回同じお蕎麦屋さんの同じ場所に座ることになるっという出来事もありました。
それも今でも謎のままです
万治の石仏にはお願いをする事が出来ます
やり方は
一. 正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる
二. 石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する
三. 正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する
のスリーステップです
2回とも「中井耀香の本が出版され、必要として下さる方に届きます様に」と石仏の周りを三回回らせて頂きました
そのお陰も有り、平成27年に最初の本が発売となることが出来ました
お礼のご挨拶にも伺いましたが、また改めて伺いたいなっと毎日今月のカレンダーを見ながら思っています
ふと見ると万治の石仏の写真が光るんですよね
そしたら、私の公式LINE@にも夜中にトイレに起きた時に真っ暗なトイレに貼ってある先生のカレンダーの写真が光ってて、不思議ですっと
メッセージ頂きました。mihoさん有難う
ウチのカレンダーと同じ場所で同じ光
なので
この写真本当に「力」があるなっと思います。
近くに行けない方でも、カレンダーの万治の石仏に向かってさっきのお参りやってみて下さい
カレンダーに向かって
①一礼して手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる
②願い事を心で三回唱える
③「よろずおさめました」と唱えてから一礼する
のスリーステップです
周りは回れませんが、略式のご挨拶
言霊は空間をを超えて万治の石仏に届きます。
石仏の胸には日、月、雲、雷など大宇宙を現す紋様
中央に「南無阿弥陀仏」の六字があって、左に「万治三年十一月一日」と刻まれています
和暦では、3+11+1→15→⑥
の日に願主の明誉浄光 心誉広春の刻銘があります
15は福と徳の数、くくった⑥は天の数
何気に建立された様に見えても、ちゃんと天のご神意と合致しているということがここからも判ります
ちなみに後ろ姿はこんなに長い
wikiより
お願いごとを唱えながらゆっくり回ると楽しいです
また会いに行きたいな、縄文聖地巡礼ツアーの諏訪編もやって、石仏にお会いする日が来ます様に
とカレンダーに向かってお願いしてみよっと
是非皆様もご一緒に♡
Amazonではかなりの高値になってる
本日も最後までお読み頂きありがとうごさいます
中井耀香♪
令和時代を生き抜く為に
運の流れを知ってくださいね
〈人気の記事〉