親愛なるみなさまこんにちは
中井耀香です
本日2月14日はバレンタインデイですね
遥か大昔ティーンエイジャーだった時は、本命チョコを手作りしたり、デパートのバレンタインコーナーで友達たちと
どれにしようかキャッキャしながらがらチョコを選んでいた、遠い日の記憶が蘇ります(笑)^ ^
wiki情報だと、日本でバレンタイにチョコレートを送ろうと
最初に言い出したのは
「あなたのバレンタイン(愛しい人)にチョコレートを送りましょう」
と昭和11年に広告を出した、
神戸のモロゾフさんらしいです
調べてみると他にも、
メリーチョコカンパニー起源説や
森永起源説などもありました。
どこが最初だとしても、チョコレートとバレンタインを組み合わせて
女性から愛を告白する日としたアイディアは功を奏して、今では本命チョコから義理チョコまで、この日に向けて消費される日本中のチョコレートの量はかなりのものでしょうね
私も先月から、鑑定させて頂いた皆様から、愛がこもった輸入チョコや、生チョコなど沢山頂きました
ありがとうございます
そんなこんなのバレンタイの日に
「愛と恋の違い」について考えてみたくなりました(←勝手に
愛も恋もどちらも「心」という漢字が付きます
「愛」は真ん中に心があるから、真心
「恋」は下に心があるから、下心
とはよく言われますが、
愛と恋の違いを言い当てている気がします。
「恋に落ちる」と言いますが、相手が自分を好きじゃなくても、それどころか、自分のことを知らなくても
自分勝手に恋をする事ができます。
※「恋はつづくよどこまでも」みたいにね(←火曜ドラマ
「恋」は
一人でもできるもの
一緒にいたいと相手を求めてしまうもの
そして下心から始まるので、
恋心は本能的で動物的な感情です。
なので理性のタガが外れてしまい、
立場がある人でも不倫をしてしまうわけです
恋とは、特定の相手に強く惹かれて、ずっとそばにいたいと思う感情です。
一緒にいたい、一緒に居れなくて切ない
LINEが既読にならなくて苦しい、
既読になったのに返事が来なくて辛い。
ずっとその人のことを一日中考えてしまう
などなど、自分自身の主観的感情が全てのものです
なので相手と両想いになったとしても、どこまで行っても
「一人称」なのです。
相手の気持ち以前に、自分の気持ちが止まらなくなってしまうものだからです。
感情論なので、永遠に続くものでもなく、
恋は「冷めて」しまったりします。
すごい好きだったのに、鼻毛が出てるのをみて幻滅して
恋心が冷めてしまったりとかね
皆様も思い出して欲しいのですが、あんなに好きで好きでたまらなかった人なのに、今では何とも思わないとか、逆に嫌いになったとかね
それが今の夫だったりとか
もの凄く好きで一気に燃え上がったとしても、どこかで冷めてしまうのが「恋」なのです。
でもこの「恋」という冷静さを失う感情が起こらないと、人は子供を産んだりできないと、脳科学者の中野信子さんは仰っていました
冷静に考えてあんな痛くて苦しい事が待ってる出産をする行為は、脳が一時的にマヒしないと出来ない。
だから恋は脳の誤作動とかおっしゃってました
が同感です。
恋愛結婚の離婚率が高いのは、脳の誤作動が脳が正常に作動する様になって、相手を冷静に見れるようになったので起こることなのだと思うのです。
恋は自分と同じくらい相手から大事にされることを期待してしまい、相手から大切にされることを「乞(こ)う」感情なのだと思うのです。
なので自己愛だといってもよいですね。
恋=乞い 欲しい欲しいが優先されるわけです。
反対に
恋は、一人でも出来るものですが
愛は、二人じゃないと出来ないもの
です
「私は恋をしている」とは言いますが
「私は愛をしている」とは言いません。
愛は相手がいないと出来ないのと、
相手がいないと完成しないものなのです。
「愛し合う」、とは、相手がいて、相手もこちらを思っている時に使いますよね(素敵
星の王子様の著者である、サン・テグジュペリは
「愛する。それはお互いに見つめ合うことではなく、一緒に同じ方向を見つめることである」と言いましたが、まさにパートナーとの関係はこうありたいものです。
恋と愛の決定的な違いは
自分ありきが「恋」、
相手ありきが「愛」 というわけです。
だから、1人から2人になり恋愛が始まる時、恋と愛がだんだんと混ざるので「恋愛」と言うのかもしれませんね
そしてその後、時間を掛けて「愛」に変化させていくのが成熟した男女の理想的な愛の形なのでしょう。
でも「愛」は男女の関係だけに限った事ではなく
親子の関係、友人との関係、ペットとの関係、兄弟姉妹の関係など、
相手が居れば、愛を学ぶことはできます
恋愛が愛に近づいた時に起こることは
・相手を疑わなくなった
(こそこそスマホみたりカバンあけたりしていたのに)
・相手の気持ちを優先させたくなった
(自分の気持ちに答えてくれないと不足な事ばかり考えてたのに)
・相手のどんなところも許せるようになった
(鼻毛出ても、オナラしても気にならない)
・相手の幸せの為に無条件で動けるようになった
(自分の幸せにだけフォーカスしていたのに)
だと思います。
美輪明宏さんは
「何かしてあげる、と自分勝手な愛情を押し付けるのは自分がかわいいだけ。本当の愛は見返りを求めない無償の愛。
見返りを求めず、本当に相手の幸せを願うことができれば、それは愛なのでしょう」
と話してました
愛情からやってあげてるように見せかけても、自分本位な愛情を押し付けてる人は結構多い気がします
特に「親子の関係」でやりがち。
多くの方のご相談に乗っていて、
息子と話が出来なくなった
息子がどこに居るかわからなくなった
息子が何を考えているのかわからなくなった
と相談に来る方は多いです
娘に置き換えて頂いても同じです
これは、息子が小さい時から深層心理で疑似恋愛的な関係を築いてきた母親に多く起こること
男の子は小さい時に可愛いことをいっぱい言ってくれますからね
・大きくなったりママを僕が守るからね
・ママの王子さまに僕がなるからね
・ママ大好き
・ママと結婚したい
など、これに近いことを幼稚園くらいまでは言ってくれます
正に小さな彼氏の様な存在です。
だか、当然いつまでもそんな事は続かず自我が目覚めて立派な男性になり、その過程で反抗期が訪れます。
が、母親の気持ちが付いていかないと、
息子は「おふくろいい加減にしろよ」となって縁を遠ざけられたりします。
育ててあげたのは私なのに。これまでにどれだのことをしてあげたと思ってるのと言い出す始末
こうなると「恋」という感情と似ています
自分本位で自分勝手な愛情を押し付けてただけということなのですね。
子供は元気で生きてくれていたらそれで充分です
自分の所有物ではなくて、天からの預かりものですからね。
以前
この人愛があるなっと思ったのは
時任三郎さんの奥様のインタビュー記事を読んだ時です。
奥様の千佳さんが
『地球的な愛』は、嫉妬したり、相手の携帯電話をチェックしたりと、愛するがゆえに相手を支配しようとするものです。『宇宙的な愛』は、本当に相手の幸せを願うものです。極端なことを言えば、相手に好きな人ができたことさえ、喜ぶべきなのです。万が一、主人から『好きな人ができた』と告白されたら、悲しみながらも祝福してあげられる自信があります。慰謝料とかで、もめたりしませんよ(笑)。もちろん、そんな事態は起こらないでほしいですし、少なくとも私から別れ話をすることはないと思います」
と話されていた
地球的な愛=恋
宇宙的な愛=愛
っと置き換えて読んで頂いた方が理解しやすいかも。
これを読んで
相手に好きな人が出来た時に悲しいとは思うが、自分と居るよりその方が彼が幸せを感じるなら、それは喜ぶべきこと
と話している奥様すごいなっと思ったのですが、時任さん自体が無欲の人で、男だからとか、芸能人だからって驕りもないからなのだろうなっと感じました。
また別の方とした会話で、その方は40代の女性なのですが、お付き合いしてる彼は23歳年下でした。
通常の恋愛関係なら、彼に自分より年下の可愛い彼女が出来たらどうしようとか、子供も産んであげられないから捨てられるんじゃないかしら?とか考えそうになるのですが
私が年齢差に不安は無いんですか?という質問をした時に
彼女は「彼が地球のどこかで元気で幸せに暮らしていてくれたらそれだけで私は幸せなんです」と満面の笑顔で話してくれて
その偽りのない笑顔に
これが愛だなぁ~と感じたものでした
相手が好きな異性でも、親子でも、パートナーでもペットでも
相手に見返りを求めず相手の幸せを願うことが「愛」なのだということなのですね
誉めて欲しい
認めて欲しい
愛を返して欲しい
と思っている場合は、それは愛ではなくエゴなのですね
っというわけで、バレンタイの日に恋と愛について勝手に考えてみたというお話しでした
最後までお読み頂き有難う御座います
〈人気の記事〉
素敵なパートナーが欲しい方!
パートナーとの関係をさらに深く成就させたい方
![]() | 天 を味方につけてベ ストパートナーを引き寄せる すごい!「縁むすび」 1,404円 Amazon |
![ピンクハート](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/083.png)
![右矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/283.gif)
![右矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/283.gif)