皆さん法廷劇はお好きですか。
アメリカ映画などを見ると、陪審員による裁判風景の風景が日常的に描かれています。日本の裁判では2009年に裁判員制度が導入され、実施から10年を超えています。今回は2018年に韓国で製作された陪審員裁判を主題にした映画「8番目の男」(原題:배심원들、陪審員たち)をご紹介します。
この映画は2008年に韓国で導入された国民参与裁判を素材に作られた映画です。同制度による第一回目の裁判で、国民の注目する中、8人の陪審員が選ばれます。陪審員に選ばれた8人は年齢も職業、性格、考え方もバラバラ。彼らが担当する事件はいわゆる尊属殺人。生活保護の申請をめぐって、息子と母親が口論となり、怒った息子が母親を高層住宅のベランダから下へ落とし、殺害したとする一件なのでした。
被告人は犯行を自白しており、量刑を決めるだけの裁判のはずでした。しかし公判の冒頭で被告人は容疑を否認し、被告の有罪、無罪を決めなければならない予想外の展開になります。陪審員たちは人の一生を左右しかねない展開に戸惑いながらも事件の真相に迫ります。するち事件は予想もしなかった意外な展開をみせます。
8人目の陪審員にパク・ヒョンシク、裁判長にムン・ソリ。芸達者な面々を揃えて、ユーモアを交えながら、最後まで目の離せない展開が続きます。
この映画を見ていろいろ思うことがありました。人を裁くということの難しさ。人にはそれぞれ他人には窺い知れない部分があります。それを推測しながら判断することの難しさ。
財閥や大企業の大金持ちはいざ知らず、一般庶民がいかに貧困状態で息苦しい状態に置かれているか。
また映画の中で何度も登場する「疑わしきは被告の利益に」という原則。
これらを日本の現状と比べるとなんとも言えない気分になりました。犯罪行為を犯すと何か罰せられるのはある意味当然のことですが、日本では立場によって異常な格差が出来てしまいました。何か問題を起こすと一般庶民は問答無用に逮捕、拘束されるのに、政権与党の政治家やその「お友達」は人を車でひき殺したり、女性に暴行を加えても当たり前のように放任されていること。
「世界中で日本ほどいい国はない」「霊格の高い国はない」などとおっしゃる方もしばしばおられるますが、どこを見てそんなことを言われるのでしょうか。このとんでもない状況を無視してただ持ち上げるのは、事態を悪化させることはあっても、決して幸せな解決には結びつかないと思います。
映画はいいですね。考えさせることが多いです。これからもしっかり映画を見て考えたいと思います。
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