少年兵の運命 韓国映画「長沙里9.15」  | あなたの知らない韓国 ー歴史、文化、旅ー

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 なんとか映画館や劇場が営業を再開したのは喜ばしい限りですが、その一方で再び感染者が増加の傾向にあるのは不安ですね。久しぶりにシネリーブル梅田に行きました。この映画館は、空中庭園で観光客にも人気のある新梅田シティーにある映画館です。世界各地の独立系映画会社の作品を主体に公開しています。今回は2019年制作の韓国映画「長沙里9.15」(クァク・キョンテク監督)を鑑賞しました。朝鮮戦争を題材に取った映画です。

 

 

 
 

 1945年、朝鮮半島は日本の敗戦により植民地支配から解放されますが、北はソ連、南はアメリカに分割統治されます。今に続く分断の悲劇の始まりですが、これだけでは終わりません。1950年6月25日、北の共産軍は突然南進をはじめます。またたくまにソウルは陥落し、一月後には洛東江流域にまで共産軍は迫ります。このままでは洛東江左岸の大邱や釜山の陥落も目前、状況の転換を図ろうと仁川上陸作戦が計画されます。

 

 しかし反撃地点が仁川であることが発覚してはならないと、各地で共産軍の目をくらますための陽動作戦が展開されます。そのひとつが長沙里(慶尚北道盈徳郡)でした。

 

 長沙里に上陸作戦を命じられたイ・ミョンジュン大尉(キム・ミョンミン)が率いたのは、平均17歳の772人の学生兵たちで、訓練期間はわずか2週間だけ。使い古しの武器と弾薬、そしてわずかな食料を支給された彼らはまさに捨て石。嵐の中をかいくぐり、長沙里海岸にたどりつくと、敵からの銃弾が雨あられのごとくふりそそぎます。決死の覚悟で砲台を奪取したものの安心はつかの間、浦項から北の戦車隊が向かっていることが判明、兵員や武器の増派もない中で彼らはどうなるのでしょうか。

 
 

 

 朝鮮戦争の時にも少年兵がいたのは驚きでした。日本でも戦争中に学徒動員などと称して、将来の日本の学術を担う方が大勢戦場で散りました。戦争による死は痛ましいものですが、特に若者の戦死ほど痛ましいものはありません。嵐の中の上陸、上陸してからのすさまじい銃撃戦などとてもリアルです。それに肉親同士が北と南に分かれて銃を向け合うなど、悲しすぎてなんとも形容できません。

 

 幾多の人々の決死の行動で仁川上陸作戦も成功しますが、これで一気に休戦まで進むのではありません。北の軍隊はいったん撤退しますが、中国軍の参戦により再び南下し、1953年の休戦まで一進一退の膠着状態がつづきます。多くの人々が傷つき、離散することとなりました。この悲劇は離散家族の問題など今でも解決されていないものが多いです。

 

 朝鮮戦争は直接的には、スターリンとマッカーサーの朝鮮半島における覇権争いですが、南北分割は日本の植民地支配収集の過程から生み出されたものであり、日本も無関係ではありません。その上、日本は朝鮮戦争による特需で経済発展の土台をつくり、戦後の経済発展を考える上でも朝鮮戦争の影響は大きかったのです。いわば日本の反映はアジアの犠牲の上にあるもので、この辺の事実は押さえておく必要があります。SNSなどでの軽薄な言説に惑わされないためにも、学ばねばならないことは多いですね。