リカードの比較優位論を人間と日常に例える愚かさ | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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反新自由主義・反グローバリズムの立場での政経論、時事ニュースなどを解説。
ヤン・ウェンリー命は2ちゃんねるのコテハンです。

反新自由主義・反グローバリズムコミュニティ【ブルーオーシャン】の管理人もやっています。

ほいコテヤンです。
前回は恥ずかしくも荒ぶってしまい、大変申し訳ございませんでした。
未熟な自分への戒めのために記事自体は残しておこうと思っています。

んでですね、本日進撃の庶民様に寄稿記事を載せていただきまして、結構嬉しいものですねwなんかねw

あとご報告が。
毎週月曜日にコラムを担当させていただく事になりました。
コテヤンは経済理論とかはガバガバですが、初心者の方向けということでなんとかなりそうです(汗
超基本の基本を出来る限り難しい言葉を使わずにわかりやすく、と思っています。
(というかもともと難しい言葉を使えないしw)

んでコメント欄の中で2つほど記事をご紹介いただいたのですが(比較優位論が適応可能という)、どちらも「日常生活で成り立ってるんだから、国同士でも成り立つだろ」というものかと思います。

うんうん・・・・・・!?ちょっとまてwマクロ(国全体)とミクロ(個人・企業)の区分けはどうしたw
※勿論コメ欄の皆様は知ってらっしゃいます。ここがヘンだよリカードマニアという話で取り上げられておりました。

さて、国を人間に例えてみましょう。
そうすると資本移動の自由とはその人の財布からお金が出て行く話じゃありません。
内蔵を出す話です(わぁグロい…ヘタすれば死んじゃいますね)
こういうグロいことになるので、マクロとミクロが分かれているわけですね(大嘘

パン屋さんで例えてみましょう。
資本移動の自由とはパン屋さんのオーブンを料理屋さんが取り上げちゃう話です。パン焼けないですね。

月曜日のコラムでもここらへんは書いているので、それを見て頂けたらいいと思うんですが、
国家としての経済はデフレ期に個人や企業が合理的に動けば動くほど、落ち込んでいきます。
(貯蓄したり投資しなかったり)

これを合成の誤謬と言うらしいです(ドヤ顔

・・・ということで日常生活で成り立っているから、国家間でも成り立つという論理は必ずしも成立をしないどころか、むしろ成り立たないことのほうが多いわけです。

個人的な感覚でマクロ経済を捉えるのは「絶対ダメ!」であり、例えるなら適切に例えましょうというお話でした。



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