おはようございます。
年度末、3月31日がやってまいりました。
ぎりぎり今月も、書き込んでみました。
特に忙しい日というわけでもないのですが、この年度末をくぐる経験もだいぶ重ねてきたものです。
桜舞い散るこの季節、毎年何か、せつない気持ちになります。
人間関係も変わっていきそうですが、もう何も考えず、なるようになるのだから、淡々と日々過ごしていきたいですね。
半月くらい前、Xの書き込み(一目置かれる雑学の3月11日22時台のポスト)で、さらっと<人見知り>と<コミュ障>の違い示しているものがありました。
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<人見知り>
・初対面は苦手
・よく知らない人と話せない
・でも仲良くなると普通に話せる
→仲良くなるのに時間がかかるだけでコミュ力はある
<コミュ障>
・初対面は平気。なんとか話せる
・でも会う度に気まずくなる
→仲良くなれない。コミュ力が足りない
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自分は、コミュ障の人など元々はいない、と元々は思っているので、とにかく断定的には書きたくないのですが、自分は図らずも、後者がとても当てはまってしまいます。
実は、初対面は以前から苦手と感じたことはなく、「こっち」の出始めのとき、「初めて会う」という機会がとても多かったとき、相手の人に「初対面がどうしても苦手で」という人が多くてびっくりした経験があります。初対面が平気、というかむしろ嬉しい、と言うとよく羨ましがられました。
だから、実は自分のこうした特徴を若い頃は肯定的に思っていたのですが、その後だんだん、「あれっ、初対面がいつも一番楽しくて、その後いろいろ気を遣ったりするようになって、会いたくないと思うこともあるな」という場面が増えました。
このことは、まさに引用の後者に当てはまります。
先ほど書いたように、だからと言って自分が本当は「コミュ障」だとは思っていません。
元々は、どんな人も、<「コミュニケーション能力」とやら>が具わっているのです。
そして、社会は本当は、その前提である「べき」です。
つまり教育も、その方向であるべきと考えます。
自分の場合、「コミュ障」の原因は、明快に<「こっち」だから>、ということにあります。
自分が望む深度で、人間関係を構築できた試しがない。
もちろん、このこと自体は誰でも同じでしょう。両想いになれないのが当たり前なように。
ただ、その次元が「普通」とは大きく異なってしまうわけなのです。
物議を醸すかもしれませんが、自分は「こっち」ということは、<いわゆる「ハンディキャップ」である>と思っています。
ただ、それを人に言うことがない(またはできない、または適当ではない)ので、相手や社会からは、わかるということはないのです。
常に、誤解される。
もちろん、誤解されたくはない。
振り返ってみれば、職場は論外の極致とはいえ、幼馴染に近い人たち、学生自体からの友達、サークルみたいなところ、共通の趣味で出会った人たち、外国語学習で知り合ったネイティブの人たち、みんな、自分はもっともっと深く付き合いたかった人がいっぱいいたけど、一人もそういう人はできなかった。
親しくなると、プライベートの話になるし、プライベートの話をある程度するから親しくなれるのであるし。
まあ、このことは<こっちの悲哀>ということで、それとともに生きるのが今世の課題といったところでしょう😊
人は誰でも何かを隠して生きていると言いますしその通りでしょうけども、カミングアウトというのは不可逆でありかつコントロールできないものなので、「こっち」というのは、日常の些細なときも、緊張しているという話でした。
なお、その中でも自分はコミュニケーションをうまく取ってうまくやっている、という話は要りません😊
そんなことはわかってますから😊😊
ついに明日から4月!
いまの季節を存分に味わい、なるべく楽しく過ごしていきましょう。
みなさまも、良い春をお過ごしくださいね!