民営文化センター -107ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever










3月27日まで大阪で開催中の「長谷寺の名宝展」の案内が「日経」に載っています。



この期間中は長谷寺に行っても仏像はお留守ですので、訪れるのはもう少し先にしましょう。




このブログで何度も(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 繰り返していますが、この新聞広告でも長谷寺の嘘が存在します。



「難蛇龍王立像」、「雨宝童子立像」は造立がそれぞれ鎌倉時代、室町時代となっておりますが作風からすると、この2体は同じ彫刻家の同時期(倭国の時代)の制作でしょう。



因みに以前、九州からの移築(?)とした浄瑠璃寺の吉祥天女像と雨宝童子立像は作風が似ています。



「難蛇龍王立像」、「雨宝童子立像」は脇侍と呼ばれるからには春日明神、天照大神ではありえず、これらは米田良三氏が言うように倭武、倭薈とした方が自然です。



つまり、難蛇龍王が倭武であり、十一面観音は倭武の奥さんで新羅征伐の陣頭指揮を執った神功王后です。



二人の間に生まれたのが雨宝童子の像である倭薈です。



母親を中心に親子三人が並んでいるのです。




ところで、十一面観音の鞘の裏面に描かれた二十五菩薩来迎図は高松塚古墳の壁画より古いのですが、ご存知でしたか? 



このような長谷寺に関わる多くの大いに“自慢できること”を“平凡なこと”と自虐的に偽る嘘には許しがたいものがあります。



海外にこのブログの情報が発信されれば、外国人観光客(特にリピーター)の間でビックリするような長谷寺フィーバーが沸き起こるはずです。    


 










ここのところ毎年、この季節になると該当者がいないのに医学部限定進学予備校のダイレクトメールが複数舞い込みます。



いずれも授業料がウン百万円、寮生活も至れり尽くせり、あとはヤル気が問題か?と思わせるような豪華な内容の冊子が同封されてきます。



医学部進学に特化した予備校の役割は、正面突破の合格請負がメインであることは確かですが、医家の子弟の学力と父兄の財布の両方を把握し、医科大との橋渡しをするのが重要な仕事なのかもしれません。



やたら医学部が持て囃されてはいますが、そろそろピークは過ぎていると思います。



わが子に多額の投資をしても、回収は難しいでしょう。





昨今、医療の進歩は著しく、多くの人が恩恵を受ける一方、西洋医学から距離を置いたほうが良いというネット情報もあります。



裏でサプリをやっている癌やリウマチの患者で、治療成績がよい場合、「知らぬは主治医ばかりなり」という実例はいくらでもあります。



地球規模の経済大激変がもうすぐ始まり、それに伴い医療を取り巻く環境も大きく変わるでしょう。



さすがに患者自身も賢くなります。健康になるための民間療法の体系が整い、「10種類も薬を飲むのはバカだ」が当たり前になります。



本家アメリカほどではないにしろ訴訟社会になるかもしれません。



今は産業が無さ過ぎるだけで、世の中がガラリと変われば楽しく働け、そこそこのレベルの生活が維持できるようになり、医者なんかやっていても全然楽しくない、という状況になるかもしれません。




現在も将来も、医療・介護が主要な産業というのでは、国そのものが不健康極まりないのです。














 1962年は映画「American Graffiti」描かれている年です。



 ちょうど主人公たちと同じ年頃であった自分の時代と、つい対比してしまいます。



 写真からは本格的な受験勉強開始の雰囲気が伝わってきます。



 もっとも、本人にしか分かりませんが・・・



 中学校時代、定期テストが終わると、科目別の得点も詳細に記入されているクラス内順位データが配布されました。



 勿論、個人名は無く、番号で表記されるのです。



 いつの頃からか全国的に、このやり方は行われなくなったようですが、再びシステムを復活させねばなりません。



 結果的に低所得層の子弟の浮上のチャンスが生まれると信ずるからです。



 このように言うと、「序列化される子供たちがかわいそうだ」という意見が必ず出てきます。(番付のない大相撲はあり得るか?)




 そもそも、「席次」廃止となったのは上流の者たちが下流のものに「当然、誰もが持つべき競争原理に気付かせない為であった」と考えるべきです。



 社会に出れば、いやでも競争にさらされるわけですし、政府だって国際競争力雲々と叫んでいます。



学校時代が「お手手つないでゴールイン」に代表される無風状態というのは不自然極まりないのです。



「席次」が復活すると、自分の立ち位置が明らかとなるので、塾へ行く必要が無くなり、参考書を用いて自分のペースで勉強できます。




 現在、少々頭が悪く教養が無くても、お金さえあれば威張っていられる風潮があるのですが、これからは物事をよく理解して、人格的にも優れている人が尊敬される時代が来る、と期待しています。
 

 







まだ、ペナントレースは始まっておりません。



「中日ドラゴンズ」ではなく「中日新聞」のことです。



「中日」は人気があって、経営状態も良く海外に多くの特派員を派遣し、外電ばかりに頼ることなく日本人の為になる記事が載ります。



以下、入試の模擬テストだと思って解いて下さい。



問題


以下の文を読んで事実と異なると思われる部分に傍線を引け。


2016.2.8. 中日新聞





それにしても、「中村特派員 いい仕事していますね。座布団10枚!」




ところで、最近鉄道のトラブルが多いですね。



2月10日だけでも大変だったようです。



本当に情けない国になったものです。



■近鉄奈良線踏切で乗用車脱輪 60本運休、2万人影響10:38頃、西明石~大久保駅間で発生した踏切支障の影響で、現在も一部列車に遅れが出ています。(210 1120分掲載)



■小田急小田原線JR常磐線(各停)内で発生した架線支障の影響で、多摩急行の運転および東京メトロ千代田線との直通運転を中止しています。(210 1010分掲載)



■小田急多摩線JR常磐線(各停)内で発生した架線支障の影響で、多摩急行の運転を中止しています。(210 1010分掲載)



■東京メトロ千代田線JR常磐線(各停)内で発生した架線支障の影響で、現在も列車に遅れが出ています。

なお、小田急小田原線との直通運転を中止しています。


遅延
湘南新宿ライン
東海道本線[東京~熱海]
宇都宮線
常磐線
上野東京ライン



個々の出来事をニュースにするのは当たり前ですが、これだけトラブルが多発すること自体がニュースだと思うのですが、そのような記事は見たことがありません。




出来事を公正に判断しましょう。




わが国は平和すぎて、爆弾テロは似合わないので、このようなやられ方(偶然の事故に見える妨害行為 )がいつまでたってもダラダラと続くのです。



いちばん金のかからない「予防法」は何かが起こるたびに、もしくは起こされそうな時に国民が騒ぐことです。


 






今は昔、学生時代の私の部屋です。




映画「Sound of Music」 My Favorite Things のシーンをヒントに選んだカーテン、ベッド(映画ではスチール製)。



深夜放送を聴いたラジオ。



石でできた電気スタンド(戦前からある)。



縦に飾られたオーストラリア土産。



ベッド越しに見えるBrothers Four のライブ・プログラム。



手作りの棚には、日本の歴史、世界の文学(ドストエフスキー)、世界の名著(フロイト)以上中央公論社版。



三島由紀夫『宴のあと』、その他、当時流行った世界文学全集(日本中でどれ位読まれたのだろう?)



机上にはGrant’s Atlas of Anatomy

 




このベッドへの「こだわり」については、いつかまたの機会に。




平和な気持ちにさせてくれる、まるで子守歌みたいなThe SeekersのMorningtown Ride(1968) をお聴き下さい。


from A CHILD’S BOOK OF POEMS


PICTURES BY GYO FUJIKAWA







学校の歴史では 飛鳥→白鳳→天平 の順と習いますが、テストで点を取るためには、これを信じ込むしかありません。



あくまで、これは大和平野における、辻褄合わせをした後の物語です。



寺院の移築、地名の移動を含め、隠されている文化・文明の移動を解明する米田建築史学を学べば総てが納得できます。



代表的な三つの寺院 を例に説明します。表(おもて)の歴史では 飛鳥―法隆寺―710年、白鳳―薬師寺―730年、天平―東大寺―743年ですが、米田史学では 倭国薬師寺―534、倭国東大寺-570、観世音寺(法隆寺)-618、となり(数字は竣工年)法隆寺が一番古いわけでありません。



現行の歴史教科書は建築史的にも、美術史的にも“しっちゃか・めっちゃか”なのです。



強調したいのは、三つの寺院の総てが九州で解体され、瀬戸内海経由で運ばれ、大和平野で組み立てられただけで、大和朝廷には全くORIGINALITYはなかったと言うことです。



この代表的な三つの寺院以外にも多くが移築されたものです。



その移築の時期たるや、奈良時代から江戸時代にまで及ぶ壮大なものなのです。





今井 清という人が『新修日本絵巻物全集』の月報で以下のような意味のことを書いています。




『古本説話集』、『宇治拾遺物語』によると、東大寺の前から信貴山が見えることになっているのですが、実際は見えるはずはありません。



また、葛飾北斎の『富嶽三十六景』中の「尾州不二見原」では名古屋市内某所から富士山が見えるが如く描かれているのですが、気象台によるチェックでは、そのようなことはあり得ないのだそうです。



このようなことは芸術の世界では珍しいことではありません。





今井氏は『信貴山縁起絵巻』 の冒頭の欠損部にも「東大寺から信貴山が見える」と書かれているのではないか、とも仄めかしているのですが、単なる絵巻物全集の付録の中で、わざわざ北斎まで引用して、この件を強調しているわけです。



ひょっとしたら今井氏は真相を意識しているのではないかと勘ぐりたくなります。



米田史学の信奉者としては、「欠損部には誤魔化しきれない倭国九州王朝に関する内容が含まれているのではないか」と考えます。(知られたくないので消した?)





『信貴山縁起絵巻』 に登場する東大寺は宇佐・小倉山の傍らに建っていたのですから、周辺の山々のうちのひとつが信貴山であれば「見える」となります。














■「飛鉢」という言葉があります。(本から引用)




ちなみに、小倉山の南南西18Kmに「来鉢(くばち)」という地名を発見したのですが、



『信貴山縁起絵巻』では鉢が空を飛んで行く場面があり、この地名は飛来した鉢が着地したという伝説を伝えているのではないかと考えます。



いずれにせよ、“『絵巻』の舞台が近畿 ”という前提にとらわれていると浮かばない発想です。





前回、「伴大納言絵巻(詞)」と「信貴山縁起絵巻」の人物描写が全く同じ絵師によると誰もが思うことでしょう()と書いたのですが、



たまたま「信貴山縁起絵巻」の写真本を見ていたところ、前回引用した「伴大納言絵巻(詞)」の馬の後姿と瓜ふたつの絵(写真)を見つけました。



これで()は確定、つまり「伴大納言絵巻(詞)」も倭国の作品と断言できます。



これはどういうことかというと、平安時代に国風文化が芽生えたのではなく、すでに倭国の時代、大宰府で我々がイメージする平安時代の生活が営まれていたのです。



では、平安時代の実態はどんなものだったのでしょうか。



恐らく奈良時代から続く建築、文学、美術、地理等の偽装(本来は九州にあったものを、以前から近畿地方にあったと偽る)工作に追われる一方、



貴族たちは漢文化を教養の柱とし、それに順応できない者を苛めるという暗い雰囲気の時代であったのではないかと想像します。



バカな社長が社内公用語を英語にして、いやーなムードに包まれている風景をイメージすると解かりやすいと思います。































「鳥獣人物戯画」、「伴大納言絵巻(詞)」、「信貴山縁起絵巻」、「源氏物語絵巻」を4大絵巻と言うそうですが、これら総てが同じ絵師によるものであると証明できるか検討してみます。



前回、を対比する共通のパーツが無いと諦めかけていました。



ところがには、あまり知られていない乙の巻 があり、それには複数の馬や牛が登場します。



その中の後姿の馬を見つけ、の似たような部分と比較しました(2枚の写真)。



線画と色彩画の違いがありますが、耳、脚の描き方が似ていますね。



プロに鑑定してもらいたいものです。



これで、ひとまず、とします。



の人物描写を見ると、全く同じ絵師によると誰もが思うことでしょう()。



徳川美術館所蔵のは明らかに平安時代のものであって、絵師のレベルは下です。



ハーバード大学所蔵の「源氏物語画帖」に登場する人物はに近い描写だが少し下手、建物の構図は巧みだが緻密さが無い、というのが「画帖」が倭国時代の真本の模写だとする理由です。



このように考えると、宮内庁が所蔵する(持っているとすれば)は限りなくに近い画調で、しかも60場面から成るものと想像します。



以上から総てが倭国の“宮崎 駿”によるものという夢のような結論になります。














小学校の教科書に「鳥獣戯画」 が載っていたことを覚えています。



平安時代なのに「凄いな」と思いました。



米田氏との雑談の仲で「伴大納言絵巻」 は倭国の作品で、舞台はもちろん倭京(大宰府)である、ということでした。



描かれている建築様式が決め手のようです。両絵巻をじっくり観察すると、筆使いが良く似ているように思います。



「鳥獣戯画」に数人でも人物が描かれていたり、「伴大納言絵巻」に自然(山、植物等)が描かれておれば、同一絵師の作と判断しやすいのですが・・・  



倭国の時代に宮崎駿みたいな天才がいたに違いありません。



ハーバード大学所蔵の「源氏物語画帖」が倭国時代のものの模写だとすると、その真本は倭国の“宮崎 駿”によるものかもしれません。



特に構図のユニークさがハンパ無いと米田氏が言っておられました。