大和長谷寺の真実は「花の寺」とか「牡丹の寺」等のキャッチコピーでことごとく伏せられている。その歴史について、国民はお伽話で見事にごまかされているが、真相の究明は、その気になれば文献的にも可能である。当たり前のことだが、今さら「法隆寺より古い」ということは絶対に認められてはならないのである。
今後も長谷寺については話題を提供し続けるつもりだが、今回は倭国時代の長谷寺の敷地を見ていただこう。中央に大悲閣が建っていた丘、手前の低く連なる潅木に囲まれた初瀬川、左手の森に杉神社、と今も未開発のままエリアは温存されているのだ。現在(移築後)の長谷寺は観光案内書、仏像の解説本等でも不当に低く扱われている。外国人の日本観光がブームであるが、『源氏物語』と直結する移築説が拡がれば、面白い展開になると思われる。まずは特急列車を長谷寺駅に停車させるよう近鉄にお願いしたい。