三瀬上空からの写真です
赤で囲んだ部分はちょうど米田氏が指摘する倭国長谷寺の本堂があったところです。
あのサイズの丘の上の木々を、これ程きれいに伐採する目的は何でしょうか?
1970年代に発掘されたことが強く疑われます。
記録は残っているはずです。
九州北部の研究グループの人たちが丘の上に登ったそうですが、ハッキリと礎石と判るものは見つからなかったそうです。
話題がどんどん広がり、内外で興味を示す人が増すことを望みます。
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