3月27日まで大阪で開催中の「長谷寺の名宝展」の案内が「日経」に載っています。
この期間中は長谷寺に行っても仏像はお留守ですので、訪れるのはもう少し先にしましょう。
このブログで何度も(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 繰り返していますが、この新聞広告でも長谷寺の嘘が存在します。
「難蛇龍王立像」、「雨宝童子立像」は造立がそれぞれ鎌倉時代、室町時代となっておりますが作風からすると、この2体は同じ彫刻家の同時期(倭国の時代)の制作でしょう。
因みに以前、九州からの移築(?)とした浄瑠璃寺の吉祥天女像と雨宝童子立像は作風が似ています。
「難蛇龍王立像」、「雨宝童子立像」は脇侍と呼ばれるからには春日明神、天照大神ではありえず、これらは米田良三氏が言うように倭武、倭薈とした方が自然です。
つまり、難蛇龍王が倭武であり、十一面観音は倭武の奥さんで新羅征伐の陣頭指揮を執った神功王后です。
二人の間に生まれたのが雨宝童子の像である倭薈です。
母親を中心に親子三人が並んでいるのです。
ところで、十一面観音の鞘の裏面に描かれた二十五菩薩来迎図は高松塚古墳の壁画より古いのですが、ご存知でしたか?
このような長谷寺に関わる多くの大いに“自慢できること”を“平凡なこと”と自虐的に偽る嘘には許しがたいものがあります。
海外にこのブログの情報が発信されれば、外国人観光客(特にリピーター)の間でビックリするような長谷寺フィーバーが沸き起こるはずです。