学校の歴史では 飛鳥→白鳳→天平 の順と習いますが、テストで点を取るためには、これを信じ込むしかありません。
あくまで、これは大和平野における、辻褄合わせをした後の物語です。
寺院の移築、地名の移動を含め、隠されている文化・文明の移動を解明する米田建築史学を学べば総てが納得できます。
代表的な三つの寺院 を例に説明します。表(おもて)の歴史では 飛鳥―法隆寺―710年、白鳳―薬師寺―730年、天平―東大寺―743年ですが、米田史学では 倭国薬師寺―534、倭国東大寺-570、観世音寺(法隆寺)-618、となり(数字は竣工年)法隆寺が一番古いわけでありません。
現行の歴史教科書は建築史的にも、美術史的にも“しっちゃか・めっちゃか”なのです。
強調したいのは、三つの寺院の総てが九州で解体され、瀬戸内海経由で運ばれ、大和平野で組み立てられただけで、大和朝廷には全くORIGINALITYはなかったと言うことです。
この代表的な三つの寺院以外にも多くが移築されたものです。
その移築の時期たるや、奈良時代から江戸時代にまで及ぶ壮大なものなのです。