今井 清という人が『新修日本絵巻物全集』の月報で以下のような意味のことを書いています。
『古本説話集』、『宇治拾遺物語』によると、東大寺の前から信貴山が見えることになっているのですが、実際は見えるはずはありません。
また、葛飾北斎の『富嶽三十六景』中の「尾州不二見原」では名古屋市内某所から富士山が見えるが如く描かれているのですが、気象台によるチェックでは、そのようなことはあり得ないのだそうです。
このようなことは芸術の世界では珍しいことではありません。
今井氏は『信貴山縁起絵巻』
の冒頭の欠損部にも「東大寺から信貴山が見える」と書かれているのではないか、とも仄めかしているのですが、単なる絵巻物全集の付録の中で、わざわざ北斎まで引用して、この件を強調しているわけです。
ひょっとしたら今井氏は真相を意識しているのではないかと勘ぐりたくなります。
米田史学の信奉者としては、「欠損部には誤魔化しきれない倭国九州王朝に関する内容が含まれているのではないか」と考えます。(知られたくないので消した?)
■『信貴山縁起絵巻』 に登場する東大寺は宇佐・小倉山の傍らに建っていたのですから、周辺の山々のうちのひとつが信貴山であれば「見える」となります。
■「飛鉢」という言葉があります。(本から引用)
ちなみに、小倉山の南南西18Kmに「来鉢(くばち)」という地名を発見したのですが、
『信貴山縁起絵巻』では鉢が空を飛んで行く場面があり、この地名は飛来した鉢が着地したという伝説を伝えているのではないかと考えます。
いずれにせよ、“『絵巻』の舞台が近畿 ”という前提にとらわれていると浮かばない発想です。