倭国の “宮崎 駿” さらに続き | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever



前回、「伴大納言絵巻(詞)」と「信貴山縁起絵巻」の人物描写が全く同じ絵師によると誰もが思うことでしょう()と書いたのですが、



たまたま「信貴山縁起絵巻」の写真本を見ていたところ、前回引用した「伴大納言絵巻(詞)」の馬の後姿と瓜ふたつの絵(写真)を見つけました。



これで()は確定、つまり「伴大納言絵巻(詞)」も倭国の作品と断言できます。



これはどういうことかというと、平安時代に国風文化が芽生えたのではなく、すでに倭国の時代、大宰府で我々がイメージする平安時代の生活が営まれていたのです。



では、平安時代の実態はどんなものだったのでしょうか。



恐らく奈良時代から続く建築、文学、美術、地理等の偽装(本来は九州にあったものを、以前から近畿地方にあったと偽る)工作に追われる一方、



貴族たちは漢文化を教養の柱とし、それに順応できない者を苛めるという暗い雰囲気の時代であったのではないかと想像します。



バカな社長が社内公用語を英語にして、いやーなムードに包まれている風景をイメージすると解かりやすいと思います。