「特別展 東福寺」が東京国立博物館で開催中とのことですが、会場での解説とは別の説があることを紹介します。京都 東福寺三門 柱の穴の秘密
言わずと知れた米田良三氏の「移築説」絡みです。
氏の『東アジアの悲劇』の中に
「京都の東福寺は佐賀県武雄市の近郊から移築されたと考えられる。というのは質問と同様の言い伝えがあるからで、朝鮮で引き上げられた東福寺船も移築の船の一隻であった可能性がある。
興福寺は儀式中断の記録から北部九州から移築したことは疑えないが、その元の場所は不明である。
しかし恐らく地元に同様の言い伝えが残っていると思われる・・・ 」
とあります。
法隆寺に限らず関西の名だたる寺院の殆どが九州からの移築であるという説は現在の学校教育下で学ばせることはありえません。移 築 説 のまとめ by米田良三
入試科目に日本史があるため異説は全く浮上するチャンスは無く、乗っ取り大和朝廷は安泰なのです。入試科目から「日本史」を外せ
テレビでは戦国武将とか城郭の構造を含めた合戦の分析がにぎやかで、歴史好きで知的好奇心旺盛の日本人は素晴らしい・・・ と思わされていますが陰謀学的に言えば夢中になっているうちに、国民が母国の真実の姿を知る機会は失われています。古代史論争は永遠に平行線
長い間、この国の始まりは曖昧で、それに続く明らかな部分までも伏せられて来ましたので、国民は国全体から身の回りに至る出来事の解釈、判断を誤ってしまう状態が今も続いています。自国の真の歴史を知らぬ国は亡びる
博物館に赴き、展示物を見て解説を読み、内容を頭に入れ、“これで私も教養人”と胸を張ることはあっても、内容に疑問を持つ人は殆どいないでしょう。
「特別展 東福寺」を機会に、別の考え方を持つことの大切さを知っていただきたいと思います。
『芸術新潮』4月号の表紙に東福寺の三門の天井絵が載っていて、それが大和長谷寺の観音様の裏側の板壁の絵とタッチがそっくりなのです。
三門の創建は定説通りと認めてよいのですが、移築を新築と偽るのは朝飯前であり興福寺の五重塔と同様です。
大和長谷寺本堂には創建時(520年)の柱が使われている(改訂版)
「長谷寺本堂調査報告書」を読むと “おとぎ話的歴史” の理由が解かる
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