倭国室生寺跡を探そう(2) | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

倭国室生寺跡を探そう の続きです。

 

 長谷寺と室生寺は近鉄線で隣の駅という位置関係にあるのですが、倭国時代も近い距離に在ったと思われます。
            
 倭国で 両寺は東西逆に位置しています。倭国長谷寺跡の発見がなければ、室生寺の発見も不可能でしよう。


 

 拡大図   米田良三氏の提唱するエリア         
 

 

スカイビュー            



 明治時代の地図 「大野」の地名は近畿にもある。            


 

 移築後を論じても・・・・             
 

既に述べたように(室生寺の五重塔の図面を読む)、室生寺の五重塔と弥勒堂は共に倭国時代の物差しで造られている事から 従来の学説は全く意味を持たない状況にあり、新たな発掘の楽しみが真の歴史愛好家の間に広まっていくことは確実です。

 

 


              

 

 

ただし 長谷寺に比べ、遥かに困難が予想されます。

 

米田良三氏は倭国長谷寺の所在地を確認した時と同じ手法で倭国室生寺も見当をつけていましたが、断定できるレベルには無いまま他界しました。


 

 

今回は倭国室生寺の所在地(案)のみを紹介しました。



現在の山寺のイメージを頭に刻み発掘作業をすると成果が上がるかと・・・・

             
 


 

 

 

     世界一簡単な神社講座・佐賀県乳母神社・久保田先生

   この“めのとじんじゃ”は倭国室生寺へのアプローチの目印であるばかりでなく、寺の由来と大いに関係があると思う。