小倉山(倭国)東大寺跡の確認・証明(誰か ドローンで 宇佐小倉山東大寺跡 を証明しないか)に続いて宇治平等院を取り上げます。
この新聞記事の赤線部分にあるように、学校で習う歴史では“平等院は平安時代創建”と信じて疑っていない事がそもそもの間違いです。
570年の東大寺に続き、翌年3月4日に鳳凰堂の落成式が行われました。
東大寺の移築前の地は宇佐でしたが、平等院は都(大宰府)の辰巳(南東)、現在の俗明院地区の針摺エリアにあったのです。
米田良三氏は明治時代の地図と終戦直後のアメリカ軍撮影の航空写真をもとに見事に創建平等院復元地図を示しています。
京の都との位置関係、川に隣接する地形等、平安時代の移築担当者の苦労も偲ばれます。
鳳凰堂が建っていた真上に、現在エクセレント・ハイツという集合住宅が建っています。
そこにお住まいの方たちは、驚くべき由緒ある地域で生活を送っていることを自覚し、是非 この情報を共有・拡散して下さい。
この地のエクセレント・ハイツ3棟の新築工事に当たり何らかの貴重な品々が発掘されたと思われます。
㊙ 資料がどこかにあるかもしれません。