歴史研究では人の数だけ「説」があって当たり前。
議論しても相手の「説」が耳に入ることは稀である。
本の中の気に入らない説は読まない、それが載った本は買わないのが普通。
著者は言いたいことを纏めて一冊の本にしたのに、読まないで「結局、何が言いたいのだ」と言う怠け者がいる。
西岡常一棟梁が「法隆寺は移築された」と認めているので、「移築」は当たり前という前提で議論は始まるべきで、それ以前を蒸し返さないこと。
本当の歴史は宮内庁の専門部署で管理している、と考えるのが自然。
米田氏の著書にも、そのことは出ているし、NHKTVの教育番組でも“宮内庁は7万点の宝物を所持している”と言っていた。
現在の皇室のムードは限りなく倭国善政時代に近いので、徹底的な歴史研究が行われるのは、今を置いて他にない。
研究成果が世界に発信されれば、世界中が日本にひれ伏すこともありえる。
この先、国家間紛争がこじれたとしても、世界滅亡を抑止するパワーを我が国の真の歴史は持っている、と言いたい。(のだが、さて・・・・)