米田良三氏の『逆賊磐井は国父倭薈だ』に載っている移築前の大和長谷寺の所在地を見つけたい気持ちは募るばかりで、
2002年8月三瀬村の観光案内所に問い合わせたところ、そこの女性職員がとても親切で『三瀬村誌』等のコピーを送ってくれ、その中にある長谷山観音寺に強く惹かれました。
2007年11月、名古屋駅発一番列車で日帰り弾丸ツアーを試みました。
特記すべき収穫は無かったので、一先ず観音寺跡周辺を手当たり次第に撮影しました。
冒頭の写真はその時の一枚ですが、後になって、その写真に長谷寺跡の一部が写っていることが判明したのです。
このような活動で米田氏の背中を押し続けていた頃のある晩「倭国長谷寺の所在地が分かった」との電話が入り、それ以来、三瀬村の地図の見え方がガラリと変わりました。
現在の地図上の寺院が かつての長谷寺のパーツの跡地であり、それらをまとめて巨大な敷地を形成していた倭国長谷寺の全貌を把握した米田氏の建築のプロとしての眼力には脱帽です。
現地でのディスカッションは大正解でした。
一人で出かけていたら何も分からないままだったことでしょう。
通説に縛られないと歴史はこんなにも楽しい、と実感しました。
以下の地図を頼りに倭国時代の長谷寺の境内に佇んでみませんか。