紅葉のスポットとして超有名な京都・東福寺の三門 は倭国時代の建物で、元は佐賀県武雄市にありました(米田良三氏の説)。
移築の証明のひとつとして2枚重なっている礎石があるのですが、ホットケーキみたいで見苦しい限りです。
軒が垂れ下がり、支え棒が四隅に立っていますが、あのセリ出したデザインは倭国時代の建築の特徴です。
何本もある柱の下端に方形の穴が開いており、質問するとガイドは「材木を運ぶための穴である」といい加減なことを言います。
柱間を巻尺で計れば倭国時代の1尺(281mm)の整数倍であると思います。
“穴”の意味については「週刊新潮」の5月11日号の記事で閃きました。
東北・喜多方にある新宮熊野神社の“長床”と言われる壁のない建物の写真が載っており、柱の下端で角材が建物の周囲を取り巻いているのです。
この角材がズレない様に固定されるには丁度東福寺三門の柱の穴のような構造が必要となります。
東福寺の三門は九州に在った時は1階が床張りの珍しい門であったのではないかと考えます。